カテゴリー「006 Raggae」の記事

2018/12/03 Mon *漆黒 / Toots And The Maytals

20181203inthedark


漆黒。
闇の中。
気づけば。
元通り。
そんなところ。

昨日。
微かに。
感じた。
光など。
既に遠く。

右も。
左も。
闇の中。
慣れたもので。
やれやれと。

ため息の。
一つでも。
ついたのなら。
後は。
そのままで。

無理に。
動こうともせずに。
その闇に。
溶け込んで。
しまうだけ。

微かな光の。
その残像。
瞼の裏の。
そいつだけを。
友として。

『In The Dark』'74年リリース。
スカの時代から活動を続けていたトゥーツ・アンド・メイタルズ。
アイランドと契約を得て。全世界を相手に活動を始めてから3枚目か4枚目のアルバム。
アイランドのクリス・ブラックウェルはトゥーツ・アンド・メイタルズと契約しようとして。
最初は断られて。代わりにボブ・マーリー、ウェイラーズと契約したとの逸話もあって。
それほどに。ジャマイカ、レゲエの世界では大物、破格の存在であったと。
そもそもが。よく勘違いされていますが。レゲエと言うのは。それほど歴史は古くなくて。
ジャマイカの音楽と言えば。距離的に近かったアメリカのR&Bやソウルの影響が大きく。
そこに南米の音楽なども入ってきて。やがてスカになり、ロックステディになり。
そしてレゲエへと変化していったと。その総ての時代にトゥーツ・アンド・メイタルズは。
関わっていたと言うか。そもそもレゲエの語源は、そのヒット・ナンバーから来ているとも。
それほどに。息が長く、時代を超越できたのはトゥーツ・ヒバートの才能に負うところかな。
ジャマイカのオーティス・レディングとも称されたその歌声の魅力。
そしてソングライターとしてのセンスもかなりのものがあってと。そんなところかなと。
特に、その黒くソウルフルな歌声。そこに宿る陽性の艶の様なものは、なんとも。
優しくも、力強くもあって。聴く者を自然と昂揚させる力に満ちている気がするのです。
英国の若者達にも支持されたのは。その辺りに鍵があったとも思われて。
ジャマイカと英国。国籍も肌の色も異なるけれど。それこそ闇の様な社会の底辺を生きて。
それでも。一筋の光の様な希望を感じさせる、そんな歌声が強い共感を呼んだのかなと。
また。その歌声と共に。そのサウンドには例えばスタックスとかアトランティックとか。
あの時代のソウルを思わせるものがあって。それもソウル好きの英国の若者たちにとって。
親しみやすさが増したのかもと。そう。レゲエの音楽的成り立ちにも思いが及ぶアルバムなのです。

漆黒。
闇の中。
目覚めたら。
元の木阿弥。
そんなところ。

昨日。
目にした。
一筋の。
光など。
既に無く。

上も。
下も。
闇の中。
馴染んだもので。
やれやれと。

苦笑いの。
一つでも。
浮かべたのなら。
後は。
そのままに。

無理に。
脱け出そうともせずに。
その闇に。
同化して。
しまうだけ。

一筋の光の。
その残像。
胸の奥の。
そいつだけを。
友として。

夜目が利く。
そんな訳でも。
ないけれど。
慣れれば。
馴染んでしまえば。

闇の中。
そいつも。
案外と。
居心地は。
悪くはない様で。

闇の中。
だからこそ。
見えてくる。
感じられる。
そんなものもある様で。

好んで。
夜目が利く。
そんな生き方を。
選んだ訳では。
ないけれど。

闇の中。
何かを。
何ものかを。
避けて。やり過ごす。
そいつにはちょうどいい。

闇の中。
だからこそ。
見なくていい。
見ないでいい。
そんなものは確かにあって。

漆黒。
その中に。
逃避して。
己だけが感じる光に。
静かに昂揚して過ごしてみたりする・・・



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2018/11/30 Fri *与えられた / Bob Andy And Marcia Griffiths

20181130younggiftedandblack


与えられた。
そんなものが。
あるのなら。
生かさない手はない。
勿体ない。

気づいているのか。
いないのか。
そいつは。
微妙なところだけど。
だとしても。

誰かと違う。
何かが。
何ものかが。
何故だか。
自分にはあるのではと。

僅かでも。
そう感じたのなら。
そいつに賭けて。
そいつを武器に。
打って出る。

それ程の。
思いきりは。
あってもいい。
それくらいは。
許されるだろう。

何故なら。
それは。
誰にでも。
与えられる。
ものではないからだ。

『Young Gifted And Black』'70年リリース。
ボブ・アンディとマーシャ・グリフィス。ロック・ステディやスカ。
レゲエの前身となる、その時代から活躍していた二人が組んだ(恐らくは)初のアルバム。
マーシャの幸せそうな笑顔が印象的ですが。この当時、二人は交際していたのだとか。
また、男社会だったジャマイカの音楽シーンでマーシャが頭角を表すのには。
ボブの多大なる支援があったとも言われていて。その信頼関係は強かったのだろうなと。
さて。時代を考えても。レゲエのアルバムのジャケットの二人がアフロ・ヘアーと言うのは。
どうにも違和感があるのですが。このアルバム。ソウルやロックのカヴァー・アルバムで。
マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルとか、デラニー&ボニーとか。
更にはボブ・ディランのナンバーもあって。レゲエが未だ欧米での認知が低かった時代に。
如何にして、外へと打って出ていくか。その試行錯誤の末に生まれたアルバムだったのか。
ボブも、マーシャもその歌声は素晴らしく。ソウル・アルバムとしても優れている・・・
でも。その歌声に呼応するリズム、ビートはレゲエ以外の何ものでもない。そこがいいかな。
アルバム・タイトルにもなっている「Young Gifted And Black」はニーナ・シモンの曲で。
アレサ・フランクリンのカヴァーも良く知られるところ。若く才能を与えられていること。
そして黒人であることを誇りに思いなさいと歌われる、時代を考えると過激であるとも。
それを、明るく、前向きに、陽気に歌うボブとマーシャ。希望や可能性が光り輝いていると。
そこに、何と言うか。このアルバムの魅力も意義も集約されている感じもあるかな。
誰もが、選ばれ、祝福されているのだと。与えられた、持って生まれたものを誇りにして。
堂々と世の中を、このリズム、ビートと共に歩んでいこう。そんな意思を感じるのです。
このアルバム、全英ではTOP5にまで上がったそうで。そのメッセージは海を越えたと。
それにしても。そうか。マーシャはアイ・スリーズ以前に成功を収めていたのだなと、改めて認識をね。

与えられた。
そんな者で。
あるのなら。
活かさない手はない。
許されない。

気づいているのか。
いないのか。
そいつとは。
関係の無いところで。
どうにでも。

誰とも違う。
何かだと。
何者かだと。
何故だか。
自分はらしいと。

僅かでも。
そう思えたのなら。
そいつを信じて。
そいつを看板に。
大勝負に出る。

それ程の。
傲慢さは。
あってもいい。
それくらいは。
背負わなければ。

何故なら。
誰もが。
与えられた者。
そいつに。
なれはしないからだ。

そして。
実は。
誰にも。
与えられた。
ものがあって。

それを。
そうとは。
思わずに。
見落としている。
そうかもしれない。

そう。
実は。
誰もが。
与えられた。
者でもあって。

それを。
そうとは。
思えずに。
蔑ろにしている。
そうかもしれない。

若さも。
与えられたものならば。
年輪も。
与えられたもの。
そうではないかと。

その推進力。
それは与えられた者。
この調整力。
それも与えられた者。
それでいいのではと。

与えられた。
そんなもの。
与えられた。
そんな者。
生かして、活かして。誰もが誇りと共に。



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2018/11/29 Thu *何処へ、何処を / Aswad

20181129aswad


何処へ。
向かって。
歩んでいるのか。
そいつを。
わかっているのか。

そいつを。
わかっていれば。
始まりがどうであれ。
歩み方がどうであれ。
大した話ではありはしない。

向かう先が。
己の信じる処だと。
胸を張れるのなら。
それでいい。
そのままでいい。

顔を上げ。
前を向いて。
冠を戴き。
旗を掲げて。
歩んでいけばいい。

誹謗。
中傷。
そんなものには。
耳も貸さずに。
ただ信じるままに。

その揺るぎのない。
歩みの先にこそ。
求める処がある。
ただ、そこを目指して。
歩んでいけばいい。

「Aswad」'76年リリース。
ブリティシュ・レゲエ・グループ、アスワド。
その記念すべき1stアルバムであり、代表作でもあります。
ジャケットに描かれた、アスワドを象徴するジャー・ライオン。
ラスタ・カラーの王冠を戴き、旗を掲げて歩みを進める。
その向かう処、目指す処はどこだったのか。「Back To Africa」なるナンバーもあり。
英国、そしてジャマイカから遠く離れたアフリカだったのかなと。
ジャマイカからの移民や、その子供達が英国で生きていくのには相当な苦難があったと。
そんな社会で生まれ、そんな社会を背景として。鋭いメッセージを発する。
例え、緩やかなリズム、ビートに乗せて愛を歌いながらでも。その背景を忘れはしない。
そんな骨太なところが。初期のアスワドの魅力であり、それは今も色褪せていないかな。
また、この時期に。そう、ボブ・マーリーが世界的に広く認知された少し後に。
英国で、ここまで本格的なルーツ・レゲエを歌い、奏でるバンドが登場してきたところ。
そこに、ブリティッシュ・レゲエの枠を越えたアスワドの存在の大きさもあったかなと。
ギターの音色とか、ブルース・ハープや、フルートが使用されているナンバーの存在とか。
ジャマイカ産とは異なる、ブリティッシュ・レゲエらしさをそこかしこに感じさせながら。
その背骨はしっかりとしたルーツ・レゲエであるところ。そこにアスワドのみならず。
後に続いた、ブリティッシュ・レゲエ・バンドの向かう処、目指す処が示されていたと。
1stアルバムで。それを可能にしたのはアスワドのメンバーの確かな技量故なのですが。
ただ。スタジオ・ミュージシャンとしても高く評価されたその技量が後には仇ともなって。
器用に過ぎたのか。どんどんと音楽性が広くなって。終にはレゲエとも呼べなくなって。
それに合わせて。ジャー・ライオンも姿を消してしまって・・・
向かう処、目指す処。そいつを道半ばで見失ってしまったかの様に思えるのが残念かな。

何処を。
目指して。
歩んでいるのか。
そいつが。
見えているのか。

そいつが。
見えていれば。
出自がどうとか。
表現がどうとか。
大した意味などありはしない。

向かう先が。
己に誇れる処だと。
胸に刻めているのなら。
それがいい。
そのままでいい。

風に向かい。
脇目を振らずに。
冠を正し。
旗を握り締めて。
歩き続けていけばいい。

障害。
妨害。
そんなものには。
目もくれずに。
ただ思いのままに。

その揺らぐことのない。
歩みの先にこそ。
望む処がある。
ただ、そこへ向かって。
歩き続けていけばいい。

そうだ。
あの日、あの時。
何を感じて。
何を信じて。
歩き始めたのか。

そうだ。
あの日、あの時。
何を感じて。
何を思って。
歩くことを選んだのか。

それが。
変わらないのであれば。
そこに。
揺らぎがないのであれば。
そのままに。

その冠を戴き。
その旗を掲げて。
その姿で。
その心で。
歩き続ければいい。

誹謗も。中傷も。
障害も。妨害も。
なにものをも。
ものともせずに。
歩き続ければいい。

始まりがどうであれ。
歩き方がどうであれ。
出自がどうであれ。
表現がどうであれ。
そんなことは関係ない。

胸を張り。
信じるままに。
胸に刻み込み。
思いのままに。
歩き続けるだけのこと。

何処へ、何処を。そいつが確かなら。



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2018/11/28 Wed *花も実も / Black Uhuru

20181128sinsemilla


花は咲かず。
実もつけず。
何も残りはしない。
そうだとしても。
何も変わりはしない。

その為に。
何かを躊躇うとか。
何かを止めるとか。
それこそ。
本末転倒になってしまう。

いま、この瞬間。
それだけが総てだと。
その刺激を求めて。
それだけに生きている。
そんなところ。

それ以外に。
何もない。
瞬間を、熱く、激しく。
燃え立たせられれば。
それでいい。

そこに。
生の実感が有れば。
それを感じられれば。
そこにこそ。
求めた意味がある。

結果。
燃え尽きて。
花も実も。何もかも。
無くなったとしても。
望むところ。そんなところ。

『Sinsemilla』'80年リリース。
ブラック・ウフルーのワールドワイドでの1stアルバム。
その活動歴は長いブラック・ウフルー。メンバー・チェンジを重ねて。
オリジナル・メンバーのガース・デニスに、マイケル・ローズ、ピューマ・ジョーンズと。
黄金期のメンバー三人が揃って。あのスライ&ロビーとがっぷり組んでと。
そして。ボブ・マーリーに続くスターを探していたアイランドとの契約を獲得して。
このアルバムからブラック・ウフルーの快進撃が幕を開けたのでした。
おそらく、スライ&ロビーの存在を意識したのはこのアルバムだったかも知れなくて。
その強靭にうねるリズムのグルーヴが何とも言えなくて。シンセドラムなどと言うのも。
こいつで初めて耳にしたのかな。そんな強力なリズム・セクションにも支えられて。
マイケルのヴォーカル、ガースとピューマのコーラスが自在に歌い、跳ねる様。
その時に剃刀の様に鋭く、時に鉈の様に厚く。迫ってくる様が何とも心地良いのですよね。
シンプルでストレート。逞しい生命力が剥き出しになった。その自然で激しい刺激。
アルバム・タイトルの様に、即効性のある種の無い強力なガンジャの如しなのです。
存外に素朴なのですけどね。それが故に、その拘りの強さも生々しく感じられて。
レベル・ミュージックに、ルーツ・レゲエに殉じるのだとの覚悟の様なものまでもあるかと。
やがてボブが亡くなって。その後継者として欧米でも人気を博していくブラック・ウフルー。
ローリング・ストーンズのオープニング・アクトも務めるなど。八面六臂の大活躍。
しかし、ジャマイカを離れている間に。ジャマイカではダンスホール・レゲエが主流となり。
皮肉にも。その躍進故に、レゲエ・シーンの潮流の中では傍系へと追いやられ。
特に、ジャマイカでは花も実も咲かせたとは言い難くなっていってしまうのですが。
その、レベル・ミュージックとしてのルーツ・レゲエの拘りと愛情は潔かったなと。
その最初の宣言であったとも言える。このアルバムには今でも、震える思いがするのです。

花は咲かなくても
実もつけなくても。
何も残りはしなくても。
そうだとしても。
何の悔いもありはしない。

その為に。
何かに日よるとか。
何かを諦めるとか。
それこそ。
冠履転倒になってしまう。

いま、この瞬間。
それだけが真実だと。
その刺衝を求めて。
それだけで生きている。
そんなところ。

それ以外に。
何もない。
瞬間を、昂り、沸かし。
踊り狂えれば。
それでいい。

そこに。
生の体感が有れば。
それを抱き締められれば。
そこにこそ。
求めた価値がある。

結果。
枯れ果てて。
花も実も。何もかも。
消え去ったとしても。
望んだところ。そんなところ。

何かを咲かせたくて。
何かを実らせたくて。
それだけに。
いまを、過ごしている。
そんな筈もない。

何かを誇りたくて。
何かを残したくて。
それだけで。
いまを、送っている。
そんな筈もない。

先のことなど。
それこそ。
明日のことさえも。
わかりはしない。
だから、いまを。
その瞬間を、それだけを。

思い、感じ。
抱き締めて。
熱く、激しく。
昂り、沸かして。
生きている。

燃え立たせられれば。
躍り狂えれば。
そこにこそ。
求めるものが。
あるだけのこと。

生の実感が。
生の体感が。
いま、この瞬間に。
この手に、この身に。
この心にあればそれでいい。

刺激。
刺衝。
それだけが総てだと。
それだけが真実だと。
そのままに弾んでいる。
花も実もなく。しかし。それが明日を呼び寄せる。



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2018/11/27 Tue *地下にて / Linton Kwesi Johnson

20181127bassculture


楽しくて。
心地よくて。
そんな時間の。
後だからこそ。
一息ついたら。

下りて。
落ち着いて。
己の根幹。
そんなものと。
向き合ってみる。

そうさ。
何が大切で。
何を守りたくて。
こうしているのか。
そいつを今一度。

己の胸に。
問いかけてみる。
大切に出来ているのか。
守れているのか。
どうなのかと。

別に。
そいつが。
曖昧なままでも。
生きてはいける。
困りはしないだろう。

だが。
それだけでは無いのだ。
忘れてはならない。
そんな思いがあるのだと。
地下にて。今一度、思案してみる。

『Bass Culture』'80年リリース。
リントン・クウェシ・ジョンソンの(恐らく)3枚目となるアルバム。
ダブ・ポエットの始祖として知られるジョンソン。
予め書き上げた詩を、専属のバンドのサウンドに合わせて朗読するスタイル。
それがダブ・ポエットとの一応の定義なのかな。なので、ジョンソンは歌手ではなくて。
詩人と言うことで。実際に数多くの詩集も出版されています。
ジャマイカで生まれて。十代で英国に移住して。過酷な人種差別に苦しめられた経験から。
政治活動も始めて、文学は政治的活動で、詞は文化的武器と公言していて。
人種差別を始めとする、様々な社会的問題や政治的問題を激しく告発し、糾弾する。
そんな詩を、バンドのサウンドに合わせて朗読、語っているのです。
プロデュースも務め、ベースも弾いているデニス・ボーヴェルがバンド・マスターなのかな。
そのデニスを中心とした、その名もダブ・バンドの奏でる存外に聴き易くもあるサウンド。
それに合わせて朗読するジョンソン。当時としてはかなり斬新なスタイルだったのかな。
ただ、言われる程に語っている感じはなくて。十分にグルーヴしているなと。
そう、リズムとビートに乗って。言葉が奏でられている、音楽になっているのですよね。
そこらの感覚、センスが。ただぶつぶつ言っているラップ、がなり立てているヒップホップ。
そんな退屈で、薄っぺらなものとは明らかに一線を画していて、天と地の差があるかなと。
そして、そこにはジョンソンの根幹、根底にある決して折れない強い思いが作用していると。
どうしても、伝えたい、伝えなければならない思い。それが詩を、歌にもしているのです。
辛酸を舐めたジョンソン、そして同胞の胸の奥にあるベース、ルーツ。
ジャケットが象徴する様に、時には地下に潜み、活動を続けざるを得なかったもの。
残念ながら言葉の壁があり、深く理解はできないのですが。ある種の共感を抱きはして。
それは。そう誰にでもある。己の根幹、根底にある思い。その決意や矜持を思い起こさせるからかなと・・・

優しくて。
心、やすらぐ。
そんな時間の。
後だからこそ。
そのままにせず。

下りて。
静かに静めて。
己の根底。
そんなものに。
目を凝らしてみる。

そうさ。
何が愛しくてで。
何は譲れなくて。
こうしてきたのか。
そいつを今一度。

己の胸に。
語りかけてみる。
愛しさを感じているのか。
譲ってはいないか。
どうなのかと。

別に。
そいつが。
ぼやけたままでも。
生きてはいける。
問題はないだろう。

だが。
それだけでは済まないのだ。
忘れることなどありはしない。
そんな思いもあるのだと。
地下にて。今一度、思索してみる。
何故。
こうしている。
こうしてきた。
そこには。
何ものかがあったのだ。

何故。
大切で。
守りたいのか。
明確なものが。
確かにここにあるのだ。

何故。
愛しくて。
譲れないのか。
くっきりとしたものが。
確かにここにあるのだ。

あの。
楽しさも。
心地よさも。
その存在、故なのだ。
その思いがあってこそ。

あの。
優しさも。
安らぎも。
その存在、故なのだ。
その思いがあってこそ。

己の胸の奥の。
己の胸の柔らかいところの。
そこに確かに存在する。
根幹、根底。
そいつに突き動かされているのだ。

そいつは。
そいつだけは。
裏切ってはならないと。
忘れてはならないと。
地下にて。今一度、刻み込む。



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2018/09/10 Mon *生きているうちが / Steel Pulse

20180910tributetothemartyrs


死んでしまえば。
そこまで。
そこでおしまい。
そうだな。
そうなのだろうな。

だが。
ただ生きている。
それでいいのかと。
そいつも。
また思わないでもない。

別に。
生きることに。
特段の。
意味も意義も。
欲しいとも思わないが。

それにしても。
あまりにも。
表層的で。
欺瞞と偽善に満ちていて。
何よりも。そいつを許容してしまっている。

ならば。
あのあまりにも。
濃密だった時間に。
殉じてしまうのも。
ありなのではないかと。

そんな声に。
耳を傾けて。
その言葉のままに。
終わらせるのも悪くはないと。
思わないでもない。

『Tribute To The Martyrs』'79年リリース。
UKレゲエ・グループ、スティール・パルス。
その2枚目となるアルバム。当時の邦題は『殉教者に捧ぐ』だったかな。
ジャケットのデザインの関連性からしても。1stアルバムの成功、その勢い。
それに乗って制作、リリースされたアルバムかなとも思われます。
結成されたのは'75年だったかな。ロック・アゲインスト・レイシズムでの活動。
その姿勢を評価されて、バーニング・スピアの紹介でアイランドと契約したと。
その逸話からもわかる通りに。一貫して社会的なメッセージを発信していて。
そこらは、同じ時代のパンク・ムーブメントとの関連性も強いなと。
レゲエならではの明るさ、陽気さはそのままで。リズム、ビートに生硬さもあり。
そしてヴォーカルが時に息をつかせぬ様に迫る辺りはUKレゲエならでは。
その成立、その発展の過程においてパンクと同じ土壌、社会背景があったと言うことが。
この独自のスタイルを生んだのだろうなと。故に例によってロックに寄り過ぎと。
そんな批評もある様ですが。恐らくは生まれた時からレゲエもロックも等しく聴いていた。
その結果として生まれたものだとしたら。それは素晴らしい共感、共鳴だと思いますが。
「Jah Pickney - R. A. R.」では。白人主義のナショナリズムを激しく非難し。
「Tribute To The Martyrs」では黒人の先達、英雄や殉教者を称えて、意思を継ぐのだと。
その強い決意を表明しています。対象の中にはかのマーカス・ガーヴェィも含まれていて。
その影響の大きさを改めて知ることもできます。死者を必要以上に崇め、奉る。
そんなことには懐疑的なのですが。遺された意思を継いで、そして生きていくと言う。
その並大抵ではない行為への決意を表明し、実践したその姿勢には共感を覚えるかな。
また、それをあくまでも。レゲエならではの生命力に溢れたリズム、ビートに乗せていると。
そこがね、闘い続けると同時に。生きる事への強い肯定にも通じている気がして。
そんな闘いの日々と同時に、生を謳歌しようと言う強さを感じさせるスティール・パルス・・・焦がれてしまうかな。

死んでしまえば。
そこまで。
その先などありはしない。
そうかもしれない。
そうなのだろうな。

だが。
いま生きている。
この先に何があるのかと。
そいつも。
また思わないではいられない。

別に。
生きることに。
特別な。
価値も値打ちも。
必要とも思わないが。

それにしても。
相も変わらず。
画一的でで。
抑圧と諦念に満ちていて。
何よりも。そいつを受容してしまっている。

ならば。
あのあまりにも。
濃厚だった時間に。
殉じてしまうのも。
悪くはないのではないかと。

そんな囁きに。
耳を奪われて。
その言葉のままに。
終わらせてもいいのではないかと。
思わないでもない。

諦めたら。
そこで。
終わり。
笛が鳴らされて。
そこまでだと。

もういいと思ったら。
そこで。
終わり。
エンド・ロールが流れて。
そこまでだと。

そこまで。
そこでおしまい。
それは分かっている。
それは承知している。
それでも。

生きている。
ただ。
それだけのことに。
そこまで拘って。
何があると言うのかと。

それは。
表層的で。
欺瞞と偽善に満ちた。
この世界を。
許容してまでのものなのか。

それは。
画一的で。
抑圧と諦念に満ちた。
この世界を。
受容してまでのものなのか。

生きているうちが花なのよ。
死んだらそれまでよと。
逝ってしまった連中を。
美化する気も、特別視する気も無いけれど。
ふと揺らぎを感じたりもする。

生きているうちが、
花であるとは。知りつつも。
死んだら。
それまでとは。知りつつも。
それでも。

花の散り際。
それにふと誘われる。
それを思わずにはいられない。
己が弱さと。
向き合う、それさえも楽しめればな・・・



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2018/09/09 Sun *形など、形式など / Burning Spear

20180909marcusgarvey


形なんて。
形式なんて。
そんなものに。
何の意味がある。
意味などない。

そんなものに。
拘る。
そんな暇があるのなら。
その時間を。
別なところへ。

例えば。
何を。
言いたいのか。
伝えたいのか。
そいつに。

ゆっくりと。
じっくりと。
時間を掛けて。
思いを巡らす。
それがいい。

例えば。
自分達は。
何処から来て。
何処へ行こうとしているのか。
そんなことに。

思いを巡らせて。
その時。
何を感じるのか。
何を言葉にしたくなるのか。
そんなことを。

『Marcus Garvey』'75年リリース。
バーニング・スピアの記念すべきメジャー・デビュー・アルバム。
今回、載せているのはそのアルバムのジャケット違いのジャマイカ盤です。
バーニング・スピアとはウィンストン・ロドニーと言うシンガーの渾名で。
その渾名をそのまま芸名として使い続けている・・・のですが。
このメジャー・デビュー・アルバムの時だけは三人組のコーラス・グループ。
ウィンストン、ルパート・ウェリントン、デルロイ・ハインズによるグループとしての。
そのグループとしての名前としてバーニング・スピアが使われていたのですね。
既に二枚のアルバムをウィンストンがバーニング・スピア名義でリリースしていたのに。
世界進出に辺り何らかの思惑があったのか。恐らくはウェイラーズを意識したのかなとも。
さて。その渾名、芸名の通りに。燃える様に熱く、槍の如く真っ直ぐなバーニング・スピア。
無骨なルーツ・レゲエのリズム、ビートに乗って。強いメッセージを歌うそのスタイル。
見事なまでに徹底してラヴ・ソングは無く。あくまでも社会や宗教に関しての。
己の信念に従ったメッセージを、熱く鋭く、そして温かく優しい歌声に乗せて届けると。
今でも第一線で活動を続け。何でもグラミー賞を十数回受賞しているらしいのですが。
その過程において。勿論、若干の変化や進化はあるものの。基本は、根底は変わらないと。
それこそ。グループがソロになろうが。そんな形、形式の違いなど問題としないのです。
アルバム・タイトルであり、「Marcus Garvey」「Old Marcus Garvey」の主題でもある。
黒人民族主義運動の主導者であり、ジャマイカの英雄の一人でもあるマーカス・ガーヴェィ。
アメリカの公民権運動にも影響を与えたと言われるマーカスの思想に多大な影響を受けて。
今も黒人の権利や自由に関して歌い続けているバーニング・スピア。
そうです。時は流れ。時代は変わっても。支配や抑圧や隷属は形を変えて続いている。
ならば。こちらも。形などに、形式などに囚われずに。闘い方を変えていくだけ。
根底にある思い、志。そんなものが変わらなければ。それでいいのだと思うのです。

形なんて。
形式なんて。
そんなものに。
意味などない。
忘れてしまえ。

そんなものに。
囚われる。
そんな隙があるのなら。
その時間を。
別なものへ。

例えば。
何を。
語りたいのか。
遺したいのか。
そいつに。

ゆっくりと。
じっくりと。
時間を割いて。
思いを馳せる。
それがいい。

例えば。
自分達は。
何を探して。
何を求めて彷徨っているのか。
そんなことに。

思いを馳せて。
その時。
何が湧き上がってきて。
何を歌にしたくなるのか。
そんなことを。

形は。
見える。
見えるから。
分かりやすい。
それは良くも悪くも。

形式は。
成っている。
成っているから。
組みやすい。
それは良くも悪くも。

形に。
形式に。
拘って。
落とし穴に嵌る。
その前に。

形に。
形式に。
囚われて。
身動きできなくなる。
その前に。

何を。
言いたいのか。
伝えたいのか。
そいつを。
ゆっくりと。
じっくりと。

何を。
語りたいのか。
遺したいのか。
そいつを。
ゆっくりと。
じっくりと。

何処から来て。
何処へ行こうとしているのか。
何を探して。
何を求めて彷徨っているのか。
そいつに力を与えたいのなら。

形なんて、形式なんて・・・どうでもいい。


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2018/09/08 Sat *徒然なるままに / Jimmy Cliff

20180908followmymind


何だ。
かんだと。
少しばかり。
追われ気味の。
そんな日々の中で。

ふっと。
凪が訪れたかの様に。
忙中閑ありと。
その隙間に。
ふっと湧き上がる。

あんな思い。
こんな思い。
胸の内を。
頭の中を。
漂い始める。

追うとはなしに。
追いながら。
思いが巡っては。
また消えていく。
その後をフラフラと。

徒然なるままに。
時を。
日を。
ただ。
過ごしている。

こんな時間が。
こんな一日が。
心を亡くすのを妨げて。
いつかの。いつかの日の。
可能性へと変わる。

『Follow My Mind』'75年リリース。
ジミー・クリフのリプリーズ移籍第一弾となったアルバム。
この辺りから活動の拠点を米国へと移したことになるのかな。
この次のアルバムがかの『In Concert – The Best Of Jimmy Cliff』だったかと。
このアルバムはジャマイカ録音と、ロスアンゼルス録音からなっていて。
この構成が暫くジミーのスタジオ・アルバムの基本路線となった筈で。
それだけ、このアルバムの録音と制作が自信になった、心地よかったのかなと。
そう言いつつも。基本的に従来と大きく変わってはいあにのですけどね。
実に。こう、その飄々とした風で。弾む様に、囁く様に歌っていて。
そして。その中に。決して変わることの無い、揺らがない闘争精神みたいなものがあると。
その軸になるもののブレの無さ。それこそがジミーの本質であるのですよね。
そこを見失ったり、見損なったり、そこに触れようとしなくなると。
どうにもジミーのレゲエは、歌は軽すぎる、ポップにすぎる。もはやレゲエじゃないと。
勘違いも、見当違いも甚だしい批評が出てくるのですよね。まぁ、どこにも原理主義者。
そんな輩はいるので。ジミー自身も気にはしていないのでしょうけどね。
ルーツ・レゲエに根差した部分と、ソウルの影響を顕わにした部分と。そのバランスの良さ。
その片方、一方だけに寄りすぎない。その泰然自若とした身のこなし、それ故のしなやかさ。
だからこそ、その歌声に宿る何ものにも屈しない、属しない強さ。それがジミーの魅力です。
徒然なるままにではないですけれど。そんな柳に風な姿勢こそが。その実のところは。
大木よりも強く、倒れないのだと。そんなことを自然に教えてくれるジミーなのです。
ロスアンゼルス録音にはジェシ・エド・ディヴィスやジム・ケルトナーも参加していて。
そのレゲエ、ソウル、そしてロックまでもが自然に交わっていく様を耳にしていると。
これこそが。本当の意味でのクロス・オーヴァーな音楽かなとも思わされます。
「No Woman No Cry」のカヴァーの開かれた感じ。その飄々として、徒然な様に。
同じメッセージでも。伝え方は一つではないのだと。当たり前の事に改めて気づかされもするのです。

何だ。
かんだと。
思う以上に。
煽られ気味の。
そんな日々の中で。

ふっと。
目に飛び込んだかの様に。
忙中閑ありと。
その間隙に。
ふっと流れ来る。

あんな思い。
こんな思い。
胸の底で。
頭の奥で。
さ迷い始める。

つかずとも。
離れずに。
思いが回っては。
また帰ってくる。
その背をフラフラと。

徒然なるままに。
時を。
夜を。
ただ。
過ごしている。

こんな時間が。
こんな一夜が。
心が滅すのを妨げて。
いつかの。
いつの夜かの。可能性を再生する。

いま。
この時は。
誰かのことは。
忘れてしまおう。
思いの外に置いておこう。

いま。
この時は。
誰かのことも。
忘れてしまおう。
思いの外に置いていこう。

ただ。
凪の中で。
胸の内を。
頭の中を。
その思いを、その後を。

ただ。
目の中で。
胸の底の。
頭の奥の。
その思いの、その背を。

そうして。
ただ。
徒然なるままに。
時を。
日を過ごしてしまおう。

そうして。
ただ。
徒然なるままに。
時を。
夜を過ごしてしまおう。

心を亡くさずに。
心を滅ぼさずに。
いつかの。
いつかの日、いつかの夜の。
可能性に賭けるために。

徒然なるままに。



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2018/09/07 Fri *根っ子 / The Mighty Diamonds

20180907therootsisthere


根っ子。
そいつが。
何で。
何処にあるか。
それさえ。

そのことさえ。
忘れなければ。
感じることが出来れば。
たいがいの日は。
どんな日でも。

なんとか。
やれる。
やり過ごせる。
そして。
なんとか、かんとか。

跳ねてでも。
転がってでも。
這い蹲ってでも。
次へと。
明日へと。

進める。
辿り着ける。
まぁ。
そいつの繰り返しで。
ここまで来たのさ。

だから。
根っ子。
そいつだけは。
心の片隅でもいい。
常に感じていたいのだ。

『The Roots Is There』'82年リリース。
ジャマイカのヴォーカル・トリオ、マイティ・ダイアモンズ。
その9枚目くらいのアルバムかな。ダヴも含めるともう少し増えるかと。
何か。このアルバム。リリースの背景が複雑と言うか。戦略的なものなのか。
どうやら別々のレコード会社から、同タイトルで二種類リリースされたみたいで。
収録されているナンバーも半数近く異なれば、曲順もまるっきり異なっていると。
恐らくはジャマイカ向けと、それ以外で売り方を変えてきたのだろうなと。
それで。今回載せているのがどうやら、それ以外向けのアルバムだと思われます。
残念ながら。ジャマイカ向けは聴いたことが無いので。何とも言い難いのですが。
選曲的には。かなりマイルドなナンバーを多く収録しているらしいです。
爽やかなコーラス、ハーモニーが魅力のマイティ・ダイアモンズ。それもありかなと。
あのレゲエのリズム、ビートに乗った三人の歌声は実に心地良いものがあるのです。
愛を謳い上げる一方、激しいラスタファリズムの主張も歌っているマイティ・ダイアモンズ。
コアな?レゲエ・ファンがこちらのアルバムを評価しない一番の理由。
それは間違いなく、あの「Ebony And Ivory」のカヴァーが収録されていることだろうと。
確かに。流石にこれは甘さに過ぎると言うか。流石にこれは無いかなとも思いますが。
まぁ、元々が大したナンバーでも無いので。魔が差したのだと言うことで勘弁してあげても。
「The Roots Is There」などでは、まさしくルーツなレゲエを聴かせてくれているので。
この頃、結成以来十数年を経ても。そのルーツ、その根っ子を忘れてはいなかったのだと。
その足下の確かさ、立ち返るべき場所を見失っていないこと。そこが強みであり。
だから息の長い活動を続けられたのだろうなと思いもするのです。
何をやろうと、何が起きようと、何処へ行こうと。忘れずに感じられるものがある。それが大切なことなのです。

根っ子。
そいつが。
如何に。
大切であるか。
それさえ。

そのことさえ。
覚えておけば。
呼び起こすことが出来れば。
たいがいの事は。
どんな事でも。

なんとか。
出来る。
してみせる。
そして。
なんとか、かんとか。

拳を握りしめて。
唇を噛み締めて。
目を真っ赤にしながらも。
先へと。
明日へと。

行ける。
扉を開けられる。
そう。
そいつを繰り返しながら。
ここまで来たのさ。

だから。
根っ子。
そいつだけは。
心の奥底でもいい。
常に触れていたいのだ。

ちょっと。
調子に乗って。
策を弄したら。
策に溺れてしまった。
そんな日もある。

よしと。
気合を入れたら。
肩透かしを食らって。
腰が砕けそうになった。
そんな日もある。

まさかの。
悲しい知らせに。
思わず涙が溢れそうになって。
グラスを傾けて誤魔化した。
そんな日もある。

そんな日が。
そんな事が。
あっても。
重なっても。
それでも、まだ。

なんとか。
やれる。
出来る。
してみせる。
とにもかくにも。
どうしても、こうしても。

次へと。
明日へと。
先へと。
明日へと。
扉を蹴破る。

だから。
根っ子。
そいつだけは。
心の片隅に、奥底に。
常に感じて、触れていたいのだ。

それが例え、甘さに過ぎたとしてもね。



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2018/09/06 Thu *昇らせるのは / Third World

20180906thirdworld


沈んでも。
それで終わりではない。
再び。
そして、何度でも。
昇るだろう。

ただ。
そう、恐らくは。
再び。
昇らせるのは。
それが出来るのは。

他の誰でもない。
自分達。
それ以外には。
ありはしない。
そんなところ。

勿論。
一人じゃない。
共にある。
共にあろうとする。
そんな人達。

その。
思いが。
寄り添って。
集まって。
漲り始める。

そんな。
熱い力みたいなもの。
それが。
それだけが。
再び、昇らせるのだろう。

『Third World』'76年リリース。
サード・ワールドのメジャーからのアルバム。
このアルバム以前にジャマイカでは数枚のシングルをリリースしていて。
その後、ボブ・マーリー&ウェイラーズのワールド・ツアーに際して。
その中の英国ツアーでオープニング・アクトを務めることとなって。
その際にアイランド・レコードに見初められてこのアルバムの制作に至ったのだとか。
さて。以前に他のアルバムを載せた際にも書きましたが。いつの頃からか。
その姿勢も、サウンドも随分と柔軟・・・軟弱になってしまって。
結果として商業的な成功を得たのとは裏腹に評価を下げてしまったサード・ワールド。
自分も、サード・ワールドに興味を失ってしまってから随分と長い時間が経つのですが。
少なくとも。このアルバムを含む初期のサード・ワールドの骨太な姿勢、そしてサウンド。
そこには灼熱の太陽、そして陽気な海風の如き魅力があったなと思っています。
既にこの頃からポップに過ぎる。ソウルに接近し過ぎとの批評もある様ですが。
それを言ったら。ボブだって。十分にポップだし。ロックに接近していたかなと。
要は貫く姿勢とか、守る矜持はそのままに。それを伝える、広めていく過程においては。
ポップであることが、ソウルやロックに接近することが有効であればやっていいのだと。
それをやることで。より広い世界に、より多くの人にレゲエが伝わればいいかなと。
その点において。ボブのツアーに同行した。そこにサード・ワールドの道があったのだとね。
色分けすることに意味はありませんが。バーニー・ウェイラーやピーター・トッシュでなく。
ボブの側こそがサード・ワールドの立ち位置であり。そこで輝いていたのですよね。
メジャーになる前のヒット曲らしい、「Sun Won't Shine」をこのアルバムでもやっていて。
この曲におけるコーラスとか、リズムとか。その辺りの構成はファンクにも通じていて。
自らを、その信じるところを、その輝きを。それを昇らせようと言う強い意志を感じるのです。歌詞とは裏腹に・・・

陰っても。
それで終わりではない。
再び。
そして、何度でも。
輝くだろう。

ただ。
そう、恐らくは。
再び。
輝かせるのは。
それが出来るのは。

他の誰でもない。
自分達。
それ以外には。
ある筈もない。
そんなところ。

勿論。
独りじゃない。
響き合う。
響き合おうとする。
そんな人達。

その。
思いが。
積み重なって。
集って。
放ち始める。

そんな。
強い力みたいなもの。
それが。
それだけが。
再び、輝かせるのだろう。

難しいことは。
考えなくていい。
そんなに。
特別なこと。
そんなものでもない。

難しいことを。
やろうとしなくていい。
そんなに。
複雑なこと。
そんなものでもない。

ただ。
また。
未だ。
輝かせたいと。
そう願うだけ。

ただ。
また。
未だ。
昇らせたいと。
そう祈るだけ。

そんな。
願いを。
伝えて。
皆を。
寄り添わせるだけ。

そんな。
祈りを。
広めて。
皆を。
集わせるだけ。

その。
簡単で。単純な。
願いを。祈りを。
諦めないと。
誓うだけ。

再び。
輝かせるのは。
昇らせるのは。
そんな陽気でしぶとい。
自分達だけなのさ。



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