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2015年10月

2015/10/29 Thu *同志であれ / Roberta Flack & Donny Hathaway

20151029robertflackanddonnyhathaway


同志であれ。

出会い。
少しずつ。
言葉を交わし。
少しずつ。
思いも通い。

一人と一人。
二人の間に。
通じるもの。
共鳴するもの。
それが感じられたなら。

上手く言えなくて。
言葉にならなくて。
でも。
何かあるなと。
何処か通じるなと。

感じられたなら。
少し近寄って。
少し襟を、胸元を開いて。
心と心で。
軽くセッションをしてみる。

その時。
そこに。
少しでも。
相通じるものや。
刺激されるもの、優しくなれるもの。

それが。
感じられたなら。
その共鳴を。
その共感を。
信じてみたい。

同志であれ。

『Roberta Flack & Donny Hathaway』'72年リリース。
ニュー・ソウルの新進気鋭の担い手としてシーンに颯爽と登場した2人。
ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイの連名によるアルバム。
共に大学を卒業したインテリであり、従来のソウル界には無かったスマートさもあり。
そのデビューから脚光を浴びていて。ロバータのアルバムにダニーが参加するなど。
親交を深めていった2人が初めて本格的に手を携え、そして共鳴してみせたアルバムです。
共に優れたシンガーであると同時にライターでもあった、ロバータとダニーですが。
この種のアルバムには多くみられるパターンではありますが。
全10曲中、7曲までがカヴァー等、他人の作品で。ロバータとダニーの共作を含むオリジナルが3曲と。
ライターとしての2人の魅力を感じるには不向きかなと。しかし、その反面。
その歌声、デュエットの。更にはロバータのピアノとダニーのエレピの競演の魅力が十分に感じられると。
特に、お互いの独唱や、独奏の場面においてさえ。2人を感じられる。常に傍らに寄り添っている。
ロバータにはダニーが。ダニーにはロバータが、如何に心強い存在だったかが各人のパートでも感じられる。
その点において、実に素晴らしい2人のアーティストの共演、共鳴、共感が心を捉えて離さないアルバムです。
「You’ve Got A Friend」も「You've Lost That Lovin' Feelin'」も。ロバータとダニーの歌になっていますし。
そして。人種を超えて。一人の人間としての尊厳に目を向けて曲を作り、歌い続けたロバータとダニーらしく。
新しいソウルの道がオリジナルの「Be Real Black for Me」と「Mood」には明らかに示されているのです。
「Mood」はインストですが。ピアノとエレピ。そのサウンドを通して2人が会話しているのが聴こえるのです。
このアルバムと同じ年に不朽の名作と名高い『Live!』もリリースされ、絶頂期を迎えたダニー。
しかし翌年には精神に不調をきたし。やがて人前に姿を現すことも無くなり。ロバータとも疎遠になります。
それから。数年後、忘れられた存在となっていたダニーに手を差し伸べたのは他ならぬロバータでした。
再び連名でのアルバムの制作に取り掛かり。しかし3曲を録音したところで。ロバータも含めての食事の直後。
ダニーは宿泊していたホテルの窓から身を投げて自らの命、可能性、そして多くの絆を絶ってしまいます。
ロバータの胸に去来したものが何だったのか、どれ程のものだったかは語る術を持ちませんが。
少なくともこのアルバムには、性別を超えた強い絆。強くて温かい魂と魂の共鳴と共感があったのだと。
友達以上、恋人未満・・・友達を超えた仲間、同志であった2人の遺したものを忘れたくはないのです。

同志であれ。

会う度に。
少しずつ。
言葉もくだけ。
少しずつ。
思いも触れ合い。

一人と一人。
二人の間に。
通じるもの。
共鳴するもの。
それが強くなったのなら。

言わなくても。
言葉にしなくても。
そう。
目と目が合うだけ。
顔を合わせるだけで。

触れ合えたなら。
もう一歩、近寄って。
襟を、胸元を掴んで。
心と心で。
本格的にセッションをしてみる。

その時。
そこで。
少しでも。
相通じるものや。
驚かされるもの、愛しくなれるもの。

それが。
感じられたなら。
その共鳴を。
その共感を。
信じていい。繋いでいたい。

同志であれ。

独りの魂には。
独りの魂が必要だ。
独りの魂の寂しさは。
独りの魂だけが感じられる。
独りと独りだから助け合える、救い合える。

魂が。
共鳴し。
共感し。
感じたのであれば。
それを信じたい。

魂に。
刺激され。驚き。
優しくなる、愛しくなれる。
匂いを感じたのであれば。
それを信じていい。

出会ってからの。
時間とか。
共に過ごした。
時間とか。
その長短に関わらず。

性別とか。
職業とか。
生い立ちとか。
肌や目の色とか。
そんな違いなど関係なく。

独りと独りの。
心が。魂が。
共にいたいと。
共にありたいと。
感じたのであれば。

同志であれ。

ベタベタしなくていい。
ごちゃごちゃしなくていい。
偶にしか会えなくてもいい。
次の約束なんかしなくてもいい。
それでも。傍らに感じられるのがいい。それでいい。

同志であれ。



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2015/10/28 Wed *孤高であれ / O.V. Wright

20151028ovlive


孤高であれ。

人は。
一人では生きられない。
そんなことは無いと。
言うかもしれないが。
良いにしろ、悪いにしろ。

生まれて。
生きて。
死んでいく。
その過程において。
一人であり続けることなどあり得ない。

意識していようが。
無意識であろうが。
生まれて。生きて。死んでいく。
そこには誰かが関わっている。
そこで誰かと関わっている。

助けられたり、助けたり。
邪魔されたり、邪魔したり。
愛されたり、愛したり。
憎まれたり、憎んだり。
昨日も。今日も。明日も。

必ず。
誰かが、横にいる。傍にいる。
時に。
一人と一人が。
深く結びついて共にあることもある。

だからこそ。
一人と独りの違いを知り。
孤高であれ。

『Live』'80年リリース。
誇り高きサザン・ソウル・シンガー、O.V.ライトの(恐らく)唯一のライヴ・アルバム。
リリースの前年に奇跡とも言われた、来日公演が実現していて。
その中の渋谷公会堂と中野サンプラザでの公演が録音され、厳選され収録されています。
何故、奇跡かと言うと。一度は決まった来日が体調不良でキャンセルされた前歴があって。
(代役として来日したオーティス・クレイの凄まじいライヴもまた伝説になっています)
その実現はほぼ絶望視されていたと。しかし不屈の男、O.V.は日本にやってきたと。
否が応でも高まる期待、そして一抹の不安。そんな思いが胸の中で渦巻く観客の前に現れたO.V.。
そのあまりにも痩せ細った姿に観客は声を失い。しかしその歌声を耳にした瞬間、歓声が沸き上がったと。
あのオーティス・レディングにも勝るとも劣らぬ実力の持ち主でありながら。レコード会社の差か。
商業的な成功と言う面ではオーティスには遠く及ばず。一般的な知名度も雲泥の差があり。
それでも。自らのスタイルを変えず、下手にシーンに媚びることもしなかったO.V.です。
その矜持、孤高をも思わせる生き様も含めて、自分などはライトの歌声に惹かれ続けているのですが。
O.V.自身は、相当なプレッシャーやストレスを感じていて。薬物中毒となり、それが心臓に悪影響を与え。
故の激痩せ、そしてこのアルバムのリリースと同年の心臓麻痺による急死に繋がったと。
そう、このアルバムはO.V.の白鳥の歌、絶唱を収めたアルバムでもあるのです。
往年の豊かな声量を思うと辛いとの評価もある様ですが。その歌声に宿るO.V.ならではの艶と色気は健在で。
黄金のハイ・リズムの、しなやかなサウンドと。O.V.ならではの甘く深く、そして誇り高い歌声に痺れます。
多分に繊細だったのでは無いかと想像させる、その細やかな感情表現も実に見事で。
その心の襞に触れ、静かに、しかし力強く沁み渡っていくものに身も心も委ねていると目頭が熱くなります。
最後まで、己が生き様に、己がスタイルに、己が歌声に殉じた孤高の男、O.V.ライト。
その歌声を耳にする度に。こうありたいなと。自分の佇まいを正すのです。長くは続かないのですけどね(苦笑)。

孤高であれ。

人は。
独りでしか生きられない。
そんなことは無いと。
言うかもしれないが。
良いも悪もないのだ。

生まれて。
生きて。
死んでいく。
その過程において。
独りであり続けることしかあり得ない。

意識していようが。
無意識であろうが。
生まれて。生きて。死んでいく。
誰かが関わっている。誰かと関わっている。
誰かは関わっているだけ。

助けられるのも、助けるのも。
邪魔されるのも、邪魔するのも。
愛されるのも、愛するのも。
憎まれるのも、憎むのも。
他の誰でも無い。己、自身。

そう。
誰かは、横にいるだけ。傍にいるだけ。
時に。
一人と一人が。
深く結びついて共にある。それだけ。

だからこそ。
独りと一人の違いを知り。
孤高であれ。

一人では無いから。
横にいてくれるから。
傍らにいてくれるから。
共にあれるから。
相身互いで生きていける。

独りだから。
己の意志で。
己の責任で。
誰かを愛し。誰かを憎み。
相身互いで生きていける。

独りだから。
その意志が。
揺らがないから。
その責任を。
投げ出さないから。

その意志を。
揺るがせない。
その責任を。
投げ出さない。
どこかの独りを感じる。どこかの独りが感じる。

そうして。
独りと独りが出会い。
一人は一人で無くなる。
二人になり。三人になり。
四人になり。五人になり・・・

それでも。
独りであるが故の。
意志を。責任を。
胸に刻むこと。
決して浮つかないこと、流されないこと。

それでこそ。
己が一人にはならないこと。
どこかの誰かを一人にはさせないこと。
そのことを。
忘れてはならない。

孤高であれ。



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2015/10/27 Tue *妄想への逃避 / Booty's Rubber Band

20151027junglebass


逃げて。
何が悪い。
何が問題だ。
何かと対峙している。
何かと闘っている。

そんな者だけが。
選択肢の一つとして。
逃げることを許されているのだ。
悪い?問題だ?
まぁ、そう言う輩もいるけれど。

そんな輩に限って。
何とも対峙していない。
何とも闘っていない。
そんなものなのだよな。世の中は。
だから。気にすることはない。

必要な時は。
逃げて。逃げて。
逃げまくれ。
誤魔化してでも。隠れてでも。
逃げてしまえばいい。

遠慮などいらない。
気兼ねも無用。
今は。兎に角。
最後の砦を守る為に。
逃げる時なのだ。

現実世界の裾を。
まくって。めくりあげて。
仮想の。
妄想の世界へと。
逃げ込んでしまえばいい。

『Jungle Base』'90年リリース。
奇才にして奇人。超人ベーシスト、ブーツィー・コリンズ。
そのブーツィーが率いていたブーツィーズ・ラバー・バンドのラスト・アルバム。
(このアルバム以降は、ニュー・ブーツィーズ・ラバー・バンド名義なのですね)
アルバム1枚に僅か4曲。しかもその内の2曲は同名曲のヴァージョン違いと言う。
更に言えば。実のところ、4曲とも殆ど同じ曲だろうと言いたくなったりもするのですが。
まぁ、ブーツィーですからねぇ。その独創的で超絶的なベースのグルーヴ。
スラップ奏法と、ディストーションとオートワウが生み出す極上のうねりに乗れれば。
それだけで。気分は上がって、ご機嫌を突き抜けて、桃源郷で妄想に浸れるってものなので。
やはり。これはこれで、極上のブツと呼べるよなと。現に一度針を落としてしまえば。
ひっくり返し、繰り返し針を落として。酔いしれて浮遊しての状態に陥るのが常なので。
このTバック(?)の後ろ姿が描かれたジャケットも含めて、極楽行き間違いなしと。
現実逃避して。妄想の世界へ逃げ込む際には、是非とも針を落としたいアルバムなのです。
正直、ブーツィーのプレイヤーとして、そしてアーティストとしての絶頂の時期は'80年代中頃までで。
それ以降は、セッションや様々なユニット、更にはプロデュースと多才ぶりを発揮しているものの。
それが故に。特にアーティストとしての創造力は低下してしまったかと感じるのですが。
このアルバムは。プレイヤーとしてのブーツィーが久々に爆発しているなと。
ブーツィーズ・ラバー・バンド名義としては11年振りだったのも関係しているのか。
とにかく、その暴れ振り、イカレ振りに、乗っかって共に酔いしれるのが一番だと思います。
数少ないJBズでの演奏も超人的でしたが。解き放たれた後のブーツィーは、本当に無敵だったのだなと。
それにしても。このジャケットもねぇ、いいですよねぇ・・・妄想が膨らむなぁ(笑)。

逃げろ。
何も悪くない。
何も問題はない。
真摯に対峙してきたのだ。
真剣に闘ってきたのだ。

そんな者だけに。
選択肢の一つとして。
逃げることも許されているのだ。
悪い?問題だ?
あぁ、そんな輩など相手にするな。

そんな輩に限って。
真摯などとは縁遠い。
真剣になぞなったこともない。
そんな程度なのだって。世の中は。
だから。気にかけることはない。

必要に迫られたなら。
逃げろ。逃げろ。
逃げまくれ。
言を弄してでも。策を弄してでも。
逃げてしまえ。それでいい。

謝罪などいらない。
謝意も無用。
今は。兎に角。
大逆転の時を待つ為に。
逃げの一手に尽きるのだ。

現実世界の裾を。
まくって。潜りこんで。
仮想の。
妄想の世界へと。
逃げ込んでしまえばいい。

逃げ込んだら。
その世界の。
うねりに。波動に。
身も心も。
ただ委ねてしまえばいい。

心ゆくまで。
その世界で。
安らいで。
その世界を。
楽しんで。

妄想以外の。
総てを忘れて。
総てから離れて。
桃源郷の住人となり。
極楽を味わい尽くせばいい。

この世では。
得られない。
叶えられない。
あれも。これも。
あんなことも。こんなことも。

味わい尽そう。
やり尽そう。
妄想なのだ。
永遠の様で、儚いのだ。
その刹那に総てを注いで何が悪い。

逃げて。逃げて。
逃げられるだけ逃げて。
逃げ切ったら。
心ゆくまで。
休んで。楽しんで。満喫して。

いつか。
逆にまくって。
大逆転の一撃を放つ。
その時まで。妄想の中に。
逃げ込んでいればいい。

まぁ、時に妄想が暴走するのは問題だけど。誰の話か知らないけどさ(笑)。



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2015/10/26 Mon *師 / Clarence Carter

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先輩は先輩。
上司は上司。
いつまでも。
どこにいても。
変わらずに。

しかも。
昔と変わらずに。
師と呼べる存在である。
それが。
如何にありがたいことかと。

お互いに。
時間の流れの中で。
時間の流れを経て。
以前とは異なる。
立ち位置にいても。

いまでも。
いつでも。
何の心配も無く。
何の遠慮も無く。
会いに行ける。

取り止めのない会話から。
徐々に核心へと。
穏やかな口調の中に。
鋭い洞察と深い含蓄を含んだ。
言葉が語られ始める。

頷きながら。
キャッチボールをしながら。
自分では気付かなかった。
視点からの言葉の数々を。
胸を躍らせながら聞いている自分がいる。

『Doctor C.C.』'86年リリース。
サザン・ソウルを代表するシンガーの一人、クラレンス・カーター。
一昨年、久々の来日を果たして。変わることの無いその実力と魅力。
そして、衰えることを知らない、そのエロ爺振り(笑)を発揮していたクラレンス。
何といっても'60年代後半のフェイム録音を中心としたアトランティック時代が。
その黄金期、絶頂期であることは疑いなく。先ずはその時代を聴いて欲しいのですが。
その後も、継続して精力的な活動を続けていてことはあまり知られておらず。
そっちも。忘れてはならないよと。そんなことを、一ファンとしては思ったりもして。
流石に'70年代後半~'80年代前半にはその活動が低迷していた時期もあった様ですが。
'80年代中頃にイチバン・レーベルと契約して。それなりのヒット曲も放って。
しぶとくもシーンの前線に返り咲いたクラレンス。そのイチバンでの2枚目のアルバム。
まぁ、このジャケットのふざけていると言うか、胡散臭い白衣姿からしてクラレンスですが。
全曲、オリジナルで。更には総ての楽器を独りで演奏ししていると言う精力的な姿勢。
盲目と言う、ハンディキャップを感じさせないこの生命力の強さ。
それが、デヘヘと笑い飛ばす様な、その歌声に吹き込まれていて。なんか力づけられると。
この、陽性のしぶとさ、逞しさが。このアルバムにおけるクラレンスの最大の魅力かな。
アトランティック時代の咽び泣く様な繊細な感情表現はやや影を潜めているものの。
それは'80年代以降のクラレンスがソウルよりも、己のルーツであるブルースに接近していた為でもあり。
言わば、ソウルマンだったクラレンスがブルースマンとして蘇生したとも言えるのかな。
(サウンドが、あの'80年代中頃特有のチープでシャリシャリした感じに仕上げられてるのが玉に疵ですが)
ハンデを背負いながら、経てきた辛い経験や体験をも生きる力に変えてみせるクラレンス。
その歌詞、歌声、生き方には。人生の師として学ぶべきものがあるなとすら思います。
何たって5回結婚して、5回離婚して。今でもいい女の尻を追い続けているのですから(笑)


先輩は先輩。
上司は上司。
いつまでも。
どこにいても。
変わらずに。

しかも。
仕事だけでなく、人間としての。
師と呼べる存在である。
それが。
如何にありがたいことかと。

お互いに。
時間の流れの中で。
時間の流れを経て。
以前とは異なる。
環境にあっても。

いまでも。
いつでも。
些かの杞憂も無く。
些かの躊躇も無く。
飛び込んで行ける。

穏やかな口調ながらも。
徐々に熱を帯びて。
ただの智識などでは無く。
経験と体験に裏付けされた。
言葉が語り続けられる。

相槌を打ちながら。
質問を重ねながら。
自分では思いもしなかった。
論点からの言葉の数々を。
胸に焼き付けながら聞いている自分がいる。

ふと。
思う。
何故、自分は。
この人の下から。
離れたのであろうかと。

例え。
その時。
その決断を認めてくれた。
背中を押してくれてのが。
この人であったにしても。

そして。
また。
思う。
その下を離れたからこそ。
その庇護を失ったからこそ。

いま。
あらためて。
その。
ありがたさを。
感じることができたのだと。

だからこそ。
いまも。
いつでも。
師として。
訪ねることができるのだと。

天邪鬼で。
跳ねっ返りの。
この出来の悪い弟子は。
面と向かって口にはしないけど。
心の底から感謝している。

この人との出会い。
この人との付き合い。
その中で学んだ、得たものの大きさに。
これからも学べる、得られることに。
何よりも師と呼べる人がいることに。

未だに。
独り立ちできないのかと。
言われたとしても。
生涯の師と呼べる人がいる。
そのことが。殊の外、幸せなのである。



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2015/10/25 Sun *歌霊 / Aretha Franklin

20151025thirtygreatesthits


人に。
心、生まれ。
魂、生まれ。
言葉、生まれ。
声にした時。

心、魂。
言葉に宿り。
声に宿り。
言霊となり。
力を持つ。

その力。
強いだけにあらず。
荒ぶるだけにあらず。
優しさもあり。
癒しでもあり。

人の。
心、魂。
そして思い。
言葉にして。
声にして。

誰かに。
届く時。
この世界に。
響く時。
その言霊の大いなる力に。

誰かが。
救われる。
この世界が。
救われる。
そんな言霊が、ある。

『30 Greatest Hits』'86年リリース。
アトランティック入社20周年記念として編集されたアレサ・フランクリンの2枚組ベスト・アルバム。
(実際は前年の『Aretha』と「Jumpin' Jack Flash」のヒットに便乗したって説もあり・・・)
アレサともなれば、それこそベスト・アルバムも顔得られないほどリリースされていますが。
何といってもその黄金期であるアトランティック在籍時代の'67年~'73年までに絞って。
そのヒット曲、代表曲から厳選された30曲が年代順に選ばれて納められている・・・
アレサだからこそ。この何の工夫も無く。気も衒いも無いアルバムが、その魅力が一番引き立っているかな。
まぁ、アトランティック以前のコロンビア時代も。以後のアリスタ時代も。アレサの歌声は素晴しいと。
それは変わりが無いのですが。コロンビアは無策に過ぎ、アリスタは策を弄し過ぎたかなと。
そこは流石にアトランティック。南部での録音を試みたり、ロックやポップスのカヴァーに挑戦させたりと。
適度な刺激を与えて。アレサ元来の歌声、その素晴らしさをアレサにも自覚させ、そして大衆にも届けたと。
自信を得て、その歌声に翼が生えたかの如く生き生きと堂々と歌い、時代に、世界にその思いを届けたアレサ。
そんな、まさにアレサの歌声の言霊が、歌霊が響き渡っていた時代のベスト・アルバムです、30曲です。
悪いわけがある筈もない・・・なんてものではありません。ただただ聴き惚れるのみです。
聴き惚れて。そして。自分の中の何かを時に鷲掴み、時に優しく慰撫される感じになって。
そして、自分も動かなきゃ、進まなきゃ、変わらなきゃと。自分も何かが出来るのではないかと。
そんな勇気をアレサの歌声は。そこに宿った言霊、歌霊は感じさせてくれる、与えてくれるのです。
「Respect」「Think」「I Say A Little Prayer」「Bridge Over The Trouble Water」・・・
ソウルであり、ゴスペルでもあり。そして、ただの歌として。聴く者の胸に響き、鼓舞し慰撫する。
アレサが、その歌声が何故、特別なのか。アレサを聴いたことが無ければ。先ずはこのアルバムに針を落とす。
そうすれば、A面、B面、C面、そしてD面の針が上がる頃には、何かを感じられているに違いありません。

人に。
心、ありて。
魂、ありて。
歌、生まれ。
歌声にした時。

心、魂。
歌に宿り。
歌声に宿り。
歌霊となり。
力を持つ。

その力。
強いだけにあらず。
荒ぶるだけにあらず。
温かさもあり。
深みもあり。

人の。
心、魂。
そして思い。
歌にして。
歌声にして。

誰かに。
届く時。
この世界に。
響く時。
その歌霊の大いなる力に。

誰かが。
救われる。
この世界が。
救われる。
そんな歌霊が、ある。

たかが。
歌声。
されど。
歌声。
宿いし歌霊は。

蹲っている。
誰かの手を取り。
立ち上がらせ。
力強く。
抱きしめる。

立ち止まっている。
誰かの背に手を回し。
大丈夫と。
そっと。
前へと押し出す。

迷っている。
誰かの胸を掴み。
開いて。
消えかけていた勇気に。
火を灯す。

悩んでいる。
誰かの心に触れ。
癒しながら。
縮こまっていた魂を。
温めて伸びやかにする。

笑いたければ。
笑えばいい。
だが。
自分は。
そんな歌霊を信じている。そんな歌霊を知っている。



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2015/10/24 Sat *抱くだけ / B.B. King

20151024lucille

抱くだけ。
癒されるだけ。
ただ。
それだけ。
それが難しい。

抱く。
その手触り。
その感触。
その空気。
その匂い。

抱かれる。
その手触り。
その感触。
その空気。
その匂い。

その時。
その瞬間。
奏でられる。
生まれる。
何ものか。

それが。
自分を。
相手を。
包んだ時。
感じるもの。

自分は。
相手は。
何を感じているのか。
互いの。反応は。手応えは。
癒しとなっているのか。

『Lucille』'68年リリース。
あまりにも有名な相棒、愛器の名前をタイトルに冠し。
見開きジャケットにその美しい姿を用いたB.B.キングのアルバム。
'67年の12月に急遽集められたメンバーを相手にした、たった2日間のセッション。
そこでの、実にリラックスしながらも充実した演奏が収録されています。
A面1曲目の「Lucille」はその愛器を手にした長尺のギター・ソロ、そして語りかける様なヴォーカル。
その穏やかながら、情熱に溢れた10分を超えるナンバーとなっていますが。
なんでもルシールを爪弾くともなく弾いていたB.B.にいきなりスイッチが入って。
その瞬間を見落とさなかったエンジニアが咄嗟に録音したものだそうです。
つまり。まるっきり即興、アドリブだった訳で。B.B.とルシールの間には、そんな瞬間が。
触れ合っている内に。何かが降ってくる、何かが生まれる瞬間が。何度もあったのだろうなと。
その深い絆に。思わず震えたりもします。ブルースマンとギター。それを超えた何ものか。
B.B.とルシールの間には、それがあったのだろうなと。手に馴染むなんてレベルを超えて。
一体化するほどの深い絆、関係にあったのだろうと。そう思えてならなくなるのです。
そうだな。自分に例えて言えば。あの中華鍋じゃないと駄目なのだよな。みたいなね(笑)。
実際にB.B.はルシールを抱いていると生身の女性を抱いているのと同様に癒されると語っていたそうですが。
そうであっても不思議は無いなと。よく、ギターのそのシェイプは、女性の身体に例えられますが。
このジャケットのルシール、確かに美しいと言うか、艶かしいと言うか、そして温かいと言うか。
女性の後ろ姿に見えてくるから不思議なもので。そうだよなと。抱いて。触れ合って。奏でて。
それは、愛の営みと同じで。そこに癒しや、歓びがあっても、生まれても何の不思議も無いよなと感じるのです。
その愛情の強さ、深さこそがB.B.の懐の深いブルースの源泉だったのかもしれませんね。
自分も中華鍋にもっと愛情を・・・生身の女性がいいよな、やっぱり、そこは(笑)。

抱くだけ。
愛し合うだけ。
ただ。
それだけ。
それが難しい。

抱く。
その手触り。
その感触。
その空気。
その匂い。

抱かれる。
その手触り。
その感触。
その空気。
その匂い。

その時。
その瞬間。
奏でられる。
生まれる。
何ものか。

それが。
自分を。
相手を。
包んだ時。
感じるもの。

自分は。
相手は。
何を感じているのか。
互いの。反応は。手応えは。
愛し合っていると言えるのか。

何かを。
誰かを。
抱きたい。
ただ。
それだけ。

それだけ。
それだけ故に。
何ものも。
生まれない。
虚しさなど感じたくない。

そこに。
その間に。
何ものかが。
あってほしいと。
生まれてほしいと。

抱いて。
触れ合って。
奏でて。
癒しが、歓びが。
生まれる。

そんな。
絆を。
そんな。
関係を。
誰もが探している、欲している。

そんな。
絆が。
そんな。
関係が。
続くことを。誰もが望んでいる・・・のかな。



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2015/10/23 Fri *忘れるなかれ / Various Artists

20151023dropdownmama


市井の。
街角の。
雑踏の。
その中にこそ。
真実がある。

名も無き。
民草の。
猥雑な。
営みの中にこそ。
真実がある。

地を這い。
時には躓き。
時には蹲り。
それでも。
何度でも立ち上がり。

汗と。
涙を。
流しながらも。
笑いと。
喜びを忘れない。

そんな。
ちっぽけでも。
逞しい。
人々の営みの中にこそ。
真実がある。

その事を。忘れた時。
自分もその一人である事。
その中の一人に過ぎない事。
それを忘れた時。その忘れた者は。
何も成し得ない。

『Drop Down Mama』'71年リリース。
'40年代後半~'50年代前半にチェスに録音を残しながらも。
単独でアルバムが製作されるまでには至らなかったブルースマン達。
そんな歴史の中に埋もれていたナンバーを掘り起こした傑作オムニバス・アルバム。
この、真っ黒な汗が滴り落ちそうなジャケットからして秀逸ですが。
数多あるチェスによるオムニバス・アルバムの中でも特筆されるべき1枚かなと。
戦後のシカゴ・ブルース。そのスタイルが確立されていく過程に於いて。
徐々に零れ落ちていった南部の原始的な臭みを残したブルース。その臭いにやられます。
ジャケットを飾っているシュー・シャイン・ジョニー(ジョニー・シャインズ)を始め。
ロバート・ナイトホーク、ハニー・ボーイ・エドワーズ、フロイド・ジョーンズ等。
後に他のレーベルに単独でアルバムを制作するなり、何らかの形で名を成した面々から。
このアルバム以外ではその名前を聞いたことの無い面々まで。共通しているのは。
その地を這うかの如き、黒く生々しい様で。まさに戦後のシカゴの市井の、街角の。
その猥雑な空気、人々の営みの中からこそ吐き出された、生み出されたブルースだなと。
孤独や、絶望も。哀感や、虚無も。そして。欲望や、悦楽も。愛情や快楽も。
およそ。人が生まれ、生き、死んでいく過程で体験せざるを得ない総ての真実がここにあり。
故に、そのしぶといとまで思わされる、生命力、生命の輝きも感じさせられるのです。
ナイトホークの繊細に咽び泣く様なスライド・ギターが奏でる孤独や絶望の深さ。
ハニー・ボーイやジョーンズの南部直送の、その逞しいまでの闘争力、欲望の強さ。
そしてジョニーの黒く輝く歌声の、いなたくも、営みの喜びと歓びへの貪欲な様。
それら総てが、真実のブルースであり。生命の輝きのブルースなのです。
決してマディや、ウルフ、サニーボーイ、そしてリトル・ウォルターの様には成れなくても。
このアルバムに収められたブルースマン達も、またシカゴの街角のスターだったのです。
(因みにウォルターはジョーンズやジョニーの録音に参加していて。流石のハープを聴かせてくれます)

市井の。
街角の。
雑踏の。
その中にこそ。
生命がある。

名も無き。
民草の。
猥雑な。
営みの中にこそ。
生命の輝きがある。

地の塩となり。
時には迷い。
時には誤り。
それでも。
その度に立ち上がり。

血の。
魂の。
叫びを発しながらも。
楽しみを。
歓びを忘れない。

そんな。
ささやかでも。
愛おしい。
人々の営みの中でこそ。
生命は光、輝く。

その事を。忘れた時。
自分もその中で生きている事。
その中でしか生きられない事。
それを忘れた時。その忘れた者は。
何も手にできない。

市井にあれ。
街角にあれ。
雑踏にあれ。
例え、何処にいても。
心は、魂は。そこにあれ。

名も無き。
民草の一人であること。
その営みの中にあること。
例え、今は異なると思えても。
心に、魂に。刻んでおけ。

地を這い。
躓き、蹲り。
流した。
汗と涙を。
忘れるなかれ。

血の塩となり。
迷い、誤り。
血と魂が。
発した叫びを。
忘れるなかれ。

そして。
その度に、何度でも立ち上がり。
感じてきた。
笑いと、楽しみ。
その喜びと、歓びを忘れるなかれ。

例え。
今が虚栄だとしても。
今が虚空だとしても。
それに気づいたその時に。
真実は、生命は何処にあるのかを。

その。
ありかを。
あるところを。
思い起こせれば。
忘れていなければ。

その時。
初めて。
何かを成し得る。
何かを手に入れる。
その資格が生まれる。

その時。
初めて。
真実は姿を現し。
生命は光り輝く。
それを忘れるなかれ。



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2015/10/22 Thu *原点と原典 / Big Maceo

20151022chicagobreakdownbigmaceo


築き上げる前に。
一度。
原点にまで。
立ち返って。
総てを崩してしまおう。

どうせ。
放置しておけば。
そう遠くない日に。
崩れるのだから。
その前に崩してしまおう。

崩して。
崩れ落ちて。
散乱した瓦礫。
その荒涼とした風景。
そいつを目と心に焼き付ける。

そこから。
始めよう。
そこまで。
立ち返った上で。
一から築き上げよう。

どうせ。
元々は。
何も無かったのだから。
その。
原点に立ち返って。

そこで。
何を感じるか。
何を見るか。
それを確かめてから。
始めてみよう。

『Chicago Breakdown』'75年リリース。
シカゴ・ブルース・ピアノの基礎を築いた巨人、ビッグ・メイシオ。
その全盛期’40年代の録音の全貌が初めて明らかになった2枚組編集アルバム。
'20年代後半には活動を始めていたと思われるメイシオ。
何故か録音の機会に恵まれたのは'40年代に入ってからで。
しかもSP盤等に録音されたその数々の名演がおよそ30年後まで放置されていたと。
このアルバムを企画した米国RCAの担当者の英断には感謝と拍手ですかね。
その通りの名の通り1メートル90センチを超える巨体を誇ったと言うメイシオ。
その演奏の特徴も、その巨体を生かしたかの如くの力強さにあります。
特に左手で奏でられるベース音。その大きさと太さは特筆されるものかなと。
一説には左利きだったとも言われていて。それ故の特徴かもしれませんが。
先ずは、このピアノならではの温かみも感じさせるベース音に心地よくさせられて。
その上で右手が奏でる、メロディー。その時に激しく、時に哀愁に溢れる様に。
その見事な対比と調和に。完全に酔いしれることとなるのです。いいのですね、これが。
兎に角。アルバム2枚通して聴いても。まったくもって飽きる瞬間が訪れません。
このメイシオのスタイルを受け継いだのが戦後のシカゴ・ブルース・ピアニスト達で。
かのオーティス・スパンを始めとして。その影響下に無いピアニストは皆無かなと思われ。
言わば。シカゴ・ブルース・ピアノの原点のメイシオの原典ともなるアルバムなのです。
そして、忘れてはいけないのが相棒とも言えるギタリスト、タンパ・レッドの存在で。
世代としては本格的なブルース以前のブギウギを主流とする世代に属するメイシオ。
そのメイシオをブルースの世界へと誘い、そのギターによる絶妙なサポートで。
メイシオのブルースの、もっと言えばシカゴ・ブルース・ピアノの完成に大きく寄与したと。
レッドもまた、メイシオに劣らぬ巨人と呼ばれるべき存在でしょうか。
因みにメイシオの代表曲「Worried Life Blues」はキース・リチャーズの愛唱歌でもあります。
トロント・セッションを収めたブートレッグ等で聴かれ。ニュー・バーバリアンズのライヴでも歌っていました。
案外、キースも。このアルバムで耳にしたのかも。否、その前からSP盤で聴いてたのかなぁ・・・

立ち上げる前に。
一度。
原典にまで。
立ち返って。
総てを白紙に戻してしまおう。

どうせ。
放置されたまま。
そう遠くない日に。
忘れ去れるのなら。
その前に戻してしまおう。

戻して。
まっさらの状態で。
捲り直す頁。
そこに刻まれた文章と行間。
そいつを目と心に焼き付ける。

そこから。
始めよう。
そこまで。
立ち返った上で。
一から立ち上げよう。

そうだ。
元来は。
そこから始まったものなのだから。
その。
原典に立ち返って。

そこに。
何を感じるか。
何を読み取るか。
それを確かめてから。
始めてみよう。

確かに。
何も。
無いわけではない。
あると言えば。
ある。存在している。

確かに。
何も。
動いていないわけではない。
動いていると言えば。
いる。駆動している。

しかし。
その意図も。
その意義も。
忘れ去られ。
ただ。存在している。ただ。駆動している。

それは。
それでは。
存在していても、無いに等しい。
駆動していても、空回りに等しい。
それは、魂の入っていない人形に等しい。

だから。
原点に立ち返って。
瓦礫の中に立って。
原典に立ち返って。
頭から捲り直して。

そこまでする。
そこまでの覚悟。
そこまでの決意。
それが求められる。
そこから、築き上げ、立ち上げるのだ。



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2015/10/21 Wed *それだけ、それだけ / Little Walter

20151021bossbluesharmonica


前例は無い。
それはそうだろう。
誰も思いつきもしなかった。
気づきながら放置していた。
そんなところだろう。

だからこそ。
思いついてしまったら。
放置できないなと感じたら。
虎の尾を踏む危険性も。
貧乏くじを引く可能性も。

承知の上で。
未開の道へ。
初めての一歩を。
自ら踏み出す。
選択をしないと、気が済まない。

何を好んでと。
火中の栗を拾いにいかなくても。
飛んで火にいる夏の虫になりかねないのにと。
頭では解っていながら。
心が反応してしまったら。

止められない。
止まらない。
まったくもって。
因果な性分だと。
自分でも重々承知はしていても。

前例がない。
誰も前にいない。
そんな道を行くのが。
そんなところに飛び込むのが。
好きなのだから致し方が無い。

『Boss Blues Harmonica』'72年リリース。
リトル・ウォルターの2枚組編集アルバム。
チェスが自社の所有する音源を2枚組で再発売したシリーズ。
その中には当然、ウォルターも含まれていたと。
このシリーズ、ジャケットは総てイラストになっているのですが。
似てないとか、イメージと異なるとか。評判は散々だった模様で。
このウォルターも、額に傷らしきものはあるものの。
あの鋭くて、危うい感じは確かに微塵も無いかなと。
チェスってのは時々、この手の雑な仕事をしてファンの顰蹙を買うんですよね。
中身はウォルターの全盛期のナンバーが24曲。悪い筈も無いってところで。
A面頭の「My Baby」に針を落とした瞬間から。一気にもっていかれる。それだけです。
勿論、「Juke」も収録されていますし、「Mean Old World」とか「Off The Wall」なんかもあって。
ブルース・ハープの革命児にして異能の人だった、ウォルターの魅力は十二分に感じられるかな。
アンプ・りファイド・ハープの創始者がウォルターだったjか、どうかには異論もある様で様ですが。
そのアンプに繋いで歪ませたハープの音を、最初に最も魅力的に響かせたのはウォルターだと。
それは、ウォルターならではの鋭さと、危うさがあったからで。それが増幅されることによって。
より研ぎ澄まされて聴く者の胸を抉り、より危険な香りが濃厚になって聴く者の胸を震わせたと。
それが。如何に革新的で、如何に魅力的だったかは。そのヒット曲の多さからも窺えるかなと。
『キャデラック・レコード』での描かれ方は極端に過ぎるにしても。
独立心旺盛で、新しいもの好きで、負けず嫌いで、喧嘩早かったのは確かだと思われるウォルター。
そのあまりにも刹那的な生き方が、そのままそのハープのサウンドに表れていて。
それが電気的に歪み、増幅されて。他に類を見ない危険で魅力的なものになったと。
恐らくは。多分に自分の気の弱さとか、自分の小ささを十二分に承知していて。
それを見抜かれない為に、虚勢を張ることでしか、張り続けることでしか生きられなかったのかなと。
だからこそ、人と違うこと、誰もやったことの無いこと。その道を選ばざるを得なかったんじゃないかなと。
そして。それが。当たる度に。受け容れられる度に。麻薬の様になっていったんだろうなと。
ウォルターには。これしかなかったと。それだけ、それだけだったと。感傷的に過ぎるかな。

前代未聞。
それはそうだろう。
誰も考えなかった。
聞こえながら耳を塞いでいた。
そんなところだろう。

だからこそ。
考えてしまったら。
聞こうと決めてしまったら。
墓穴を掘る危険性も。
進退窮まる可能性も。

百も承知で。
未知の世界の。
創造の最初の杭を。
この手で打ち込む。
選択をしないと、気が済まない。

何を好んでと。
地雷原に飛び込んでいかなくても。
別の道、迂回路があることを知っているのにと。
頭では解っていながら。
体が反応してしまったら。

危険であればあるほど。
刺激を求めてしまう。
まったくもって。
面倒な性分だと。
自分でも重々承知はしていても。

前代未聞。
誰も取組んでいない。
そんな事に挑むのが。
そんなところに突っ込むのが。
好きなのだから致し方が無い。

そう。
別に。
苦労とか。
困難だとかを。
率先して引き受けている訳じゃない。

好きだから。
楽しそうだから。
そう感じたら。
感じたままに。
動くだけ。

前例があろうと。無かろうと。
前代未聞であろうと。無かろうと。
それは。どうでもいい事で。
好きになれるか。楽しめるか。
それだけが問題で。

好きならば。楽しければ。
苦労とか。困難とか。
そんなものと。
対峙して。どう潰してやろうかと。
それもまた、感じたままに。動くだけ。

要は。
誰かの後を追うとか。
誰かが創ったものを真似るとか。
それが。どうにも。
好きになれない。楽しめない。

そんな。
因果で。厄介な。
自分の性分を。
曲げられないので。
押し通しているだけなのだ。

墓穴を掘ったら。
掘った時。
進退窮まったら。
窮まった時。
その時に、また。反応するままに。感じるままに。

そうでも。
思わなければ。
しなければ。
面白楽しくなんか生きられない。
面白楽しくなければ、生きていても味気ない。

それだけ。それだけ。



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2015/10/20 Tue *切り札になり得るのか / Steve Miller Band

20151020thejoker


この手の内の。
この手札は。
吉をもたらすのか。
それとも。
凶を呼び込むのか。

吉となる。
そんな素振りをみせながら。
凶になりそうな。
そんな気配も漂わせる。
どうにも厄介なものではあるが。

吉なら吉で。
他の手札ではあり得ない。
そんな素晴らしいものがもたらされると。
そんな。
予感めいたものがあり。

凶なら凶で。
それも。他の手札では考えられない。
とてつもない不幸を呼び込むだろうと。
そんな。
予感めいたものもあるのだが。

どのみち。
その妖しげな。
素振りに、気配に。
自分の中の相反する予感に。
ゾクゾクしてしまっている以上。

吉であろうと。
凶であろうと。
この手の内の。
この手札を。
手放す気になど、なれるわけでもない。

『The Joker』'73年リリース。
スティーヴ・ミラー・バンドの(恐らく)9枚目となるアルバム。
このアルバムからカットされた「The Joker」が'74年に全米1位を獲得して。
一挙に知名度も上がったスティーヴ・ミラー・バンドですが。
その歴史は長く。'60年代から活動していて。初期にはボズ・スキャッグスもメンバーだった時代もあったと。
メンバー・チェンジが激しくて。このアルバムではミラーのみがオリジナル・メンバーかな。
その音楽性もブルースをベースにした泥臭いものもあれば、サイケデリックに混沌としたものもあればと。
要は、どうにも。ミラーのその時の気分しだいで。ミラーがその時、興味を抱いた音楽をやるバンドであったと。
これで。セールス的にもダメダメだったら。レコード会社としては好き勝手なことばばっかりやりやがってと。
契約解除してしまうのでしょうが。世間から忘れられそうになった頃に、ほどほどのヒット曲を放ったりして。
まぁ、実に何とも。鬼っ子と言うか。“ジョーカー”と言うか。扱いの難しい存在だった様です。
で、ミラー自身も。そんな自分の置かれている状況を察知して。偶には売れそうなアルバムでも作ってみるかと。
そう思って作ってみたものの。出来上がってみたらミラー自身は、これも売れないだろうなと感じたのだとか。
それが「The Joker」のヒットに引っ張られてアルバムも大ヒットを記録して。レコード会社の待遇も変わったとか。
面白いのは。「The Joker」に象徴されるのですが。ミラー独特の脱力感、力が入っているのか、いないのか。
聴く者の印象に残るフックのあるリズムと、キャッチーなメロディ。そして。半分やる気が無さそうに聴こえる歌声。
このきめ過ぎず、ゆる過ぎず。その間を巧みに抜けて行く様な感じが。何故か癖になったりするのですね。
ミラーの性格なのか。持って生まれた独特のタイム感なのか。その源泉はわかりかねますが。
結局。ここで味をしめたのか。以後も、この独特の脱力感を生かしてマイ・ペースに活動を続けていて。
大ヒットを放ったかと思えば。沈黙の期間があったり、趣味的なアルバムを制作してみたりとか。
変幻自在に。レコード会社も、そして世間も。手玉に取っている様は、やはり“ジョーカー”を思わせるのです。

その手の内の。
その手札は。
吉をもたらすのか。
それとも。
凶を呼び込むのか。思案中。

吉となる。
そんな素振りをみせてはいるが。
凶にもなりそうな。
そんな気配も漂わせる。
どうにも判断しかねている。

吉なら吉で。
他の手札ではあり得ない。
独特の存在価値と成果を発揮する。
そんな。
予感めいたものもあり。

凶なら凶で。
それも。他の手札では考えられない。
想像もつかない傷跡を残しそうで。
そんな。
予感めいたものもあって。

どのみち。
その。癖の強い。
素振りに、気配に。
自分の中の相反する予感に。
何かを感じている、その間は。

吉であろうと。
凶であろうと。
この手の内の。
この手札は。
暫く、放さないでおくかと。
心の内を。
読むならば。
そんなところかなと。
思いながら。
相対している。

ジョーカーを。
手の内にしながら。
自分もまた。
誰かの手の内の。
ジョーカーになっている。

その。
スリリングな状況に。
ワクワクする。
ドキドキする。
楽しんでいる。

今のところ。
興味を抱かれている。
ならば。
総ては晒さずに。
引っ張ってみるのも面白いかと。

一方で。
自分の手の内は。
そこまで引っ張った時に。
最後まで。
切り札として使えるのかと。

その。
見極めも難しいのだが。
簡単でも面白くないよなと。
その素振りと気配を。
読むのを楽しんでいる。

自分の手の内にあるものは。
切り札になり得るのか。
そして。自分自身は。
相手の手の内にあるものの中で。
切り札になり得るのか。

この、スリルを味わうのが、味わえるのが堪らないのだ。



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2015/10/19 Mon *風の様に 雲の様に / Lynyrd Skynyrd

20151019secondhelpingukorg


風の様に。
雲の様に。
自由で。
縛られない。
存在でいられたらなと。

風の様に。
吹き抜けて。
雲の様に。
吹かれて。
過ぎていく。漂っていく。

吹き荒れる風で、なくていい。
湧き上がる雲で、なくていい。
振り返ったら、見上げたら。
通り過ぎていた、千切れていた。
そんな程度で構わない。

あそこから。ここへと。
あちらかと思えば。こちらへ。
あの娘のもとから、こちらの娘のもとへ。
口説いては、すかされて。
苦笑いを浮かべながら、またあちらへと。

そんな。
吹き抜け。
吹かれて。
過ぎていく。
漂っていく。

それだけの。
自由な。
自由しか無い。自由以外には何も無い。
そんな。
風の様に、雲の様に、ありたかった。

『Second Helping』'74年リリース。
レーナード・スキナードの2ndアルバム。
前作と同様にアル・クーパーのプロデュースで。
いい具合に腰の落ちた、豪放磊落で重厚なサウンドを売り物にしながら。
キャッチーなメロディーのナンバーで聴く者の心を惹きつける。
ここらはアルの発想や手腕に拠るところも大だったのだろうなと思われます。
同時にメンバーの嗜好もあってか。ブリティッシュ・ロックに共通する哀感。
それを米国南部の大らかさの中に潜ませて、隠し味としているところ。
ここらが。他のサザン・ロック・バンドとレーナード・スキナードが一線を画しているところなのだと思われます。
だからこそ、シングル・ヒットにも恵まれて。このアルバムからも、かの南部人のアンセム。
「Sweet Home Alabama」が大ヒットとなり。ライヴでも重要なレパートリーとなったと。
ニール・ヤングの「Southern Man」への返歌として知られますが。それは多分にジョークだった様ですし。
(故ロニー・ヴァン・ザントはニールのTシャツを着てステージに立っていましたからねぇ・・・)
しかし大いに南部人の魂や誇りを高々と歌い上げる。売れないわけがないと。
ここらには豪快さの裏に潜む策士の顔が覗き見える瞬間かな。まぁ、楽しんでいたのかな。
「Workin’ For MCA」なんて所属するレコード会社への忠誠を誓う歌で。
契約金もいっぱい貰ったから、一生懸命、働きますって。どこまで本気で歌っているのか。
今では。どうしても。あの悲劇のイメージがついてしまって。重々しく語られがちですが。
洒落がわかる、それを豪快なサウンドで聴かせてみせる。そんな陽性なバンドだったことは忘れたくないかな。
そしてJ.J. ケイルのカヴァー、「Call Me The Breeze」の軽快に弾んでみせる乗りの良さ。
レーナード・スキナードには、ツアーに明け暮れるバンドの心情を歌ったナンバーも多いのですが。
この「Call Me The Breeze」にも。そんな心情、根なし草、浮き草である生活。
そよ吹く風の如く、漂い、流離い続ける歌の主人公に自分達の思いを重ね合わせていたのかなと。
自由でありたい。自由でいたい。なにものにも縛られず、あちらから、こちらへと吹き抜けていくと。
でも、その実はレコード会社の組んだツアーの為に。縛られていて。だから無性に故郷が、南部が恋しくなると。
こう繋げると。何だか。辻褄があっちゃうのですが。強引、感傷に過ぎるのだろうな。

風の様に。
雲の様に。
自由で。
囚われない。
存在でいられたらなと。

風の様に。
吹き抜けて。
雲の様に。
吹かれて。
止まらない。落ち着かない。

荒れ狂う風で、なくていい。
雷雨を伴う雲で、なくていい。
振り返ったら、見上げたら。
消え去っていた、見えなくなっていた。
そんな具合で丁度いい。

あそこから。ここへと。
あちらかと思えば。こちらへ。
あの娘の傍らから、こちらの娘の傍らへ。
唇を奪っては、平手打ちをかまされて。
頬を抑えながら、またあちらへと。

そんな。
吹き抜け。
吹かれて。
止まることをしらない。
落ち着くことをしらない。

それだけの。
自由な。
自由しか無い。野垂れ死んでも構わない。
そんな。
風の様に、雲の様に、ありたかった。

そう。
風の様に。
雲の様に。
漂泊する者で。
ありたかった。

否。
今でも。
街角で。風に吹かれれば。
街角で。青空に雲を見つければ。
それだけで。

その瞬間に。
風に。
雲に。
なりたくなる。
漂泊の者でありたくなる。

大切な。
人達。
大切な。
関係。
かけがえのない世界。

それが。
出来たと。
そこに。
いさせてもらえていると。
その幸せを知りながら。

風が。
青空が。
自分の。
心の奥の。
漂泊の思いを掻き立てる。

秋晴れの。
穏やかな日は。
心が妙に騒めいて。
抑えきれなくなりそうで。
危うい一日でもあるのです。



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2015/10/18 Sun *家族 / Delaney & Bonnie

20151018theoriginaldelaneyandbonnie


家族。
やっかいで。
面倒で。
人生で初めて。
所属せざるを得ない社会。

家族。
その一言で。
総てがわかりあえる。
総てが許される。
そう頑なに信じる人達。

家族と言ったって。
シナプスで繋がっている訳でも無く。
一人一人は別々の人間。
そんな当然の事が。
どうしても理解できない人達。

血縁。
血は水よりも濃し。
そうかもしれないが。
一人が右を向いたら、全員右を向く。
一言一句、家長の言う通りに動く。

馬鹿じゃねぇのと。
確かに。
この俺は。
あんたらの子供で。
あんたらの家族で。

でも。
その前に。
俺は俺。
あんたらの玩具でも。
あんたらのロボットでも無いんだぜと。

『The Original Delaney & Bonnie』'69年リリース。
デラニー&ボニーの制作上は2枚目に当るも、公式な1stアルバム。
実はこのアルバムに先駆けて『Home』なるアルバムをスタックスで制作。
ところが。キング牧師暗殺で人種間の緊張が高まるなどの問題が発生して。
スタックスが発売を見送った為に。エレクトラに移籍して新たにアルバムを制作。
それが、このアルバムで。故にこちらが世に出た公式な初めてのアルバムとなったと。
因みに。このアルバムを聴いて気に入ったジョージ・ハリスンが。
英国盤をアップルからリリースしようと試みてエレクトラに訴えられたりもしています。
所謂、スワンプ・ロックの名盤、傑作として名高いこのアルバムの影響力は凄まじくて。
売上自体はそれ程でなかったものの。その米国南部の香りとゴスペルを思わせる昂揚感。
これが、多くの英国のミュージシャンを刺激して。ハリスンやエリック・クラプトン。
それにデイヴ・メイソンらがこぞってデラニー&ボニーの英国ツアーに参加して。その模様は。
『On Tour with Eric Clapton』としてデラニー&ボニー&フレンズ名義でライヴ・アルバムになっていますが。
ブルース・ロックと、サイケデリックの時代が終焉に向かい。その次を探していた。
そんな、英国のロック・シーンに一つの新しい方向性を指し示し、原典となった。
それがデラニー&ボニーと、このアルバムの存在だったのですね。
何が、そこまでハリスンやクラプトンを惹きつけたのか。色々と意見はあるかと。
ただ、やはりボニー・ブラムレットの、そのソウルフルな歌声と。
それを生かす、支える熱く骨太なサウンドに尽きるかなと。ソウルとロックの懸け橋になったとも思われて。
ボニーは、一時期、顔を黒く縫ってアイケッツに加入して。アイク&ティナ・ターナーのツアーに参加していたと。
そんなブルー・アイド・レディ・ソウルの熱く味わい深い歌声。それだけでも凄いのに。
デラニー以下、レオン・ラッセル、リタ・クーリッジ、ボビー・ホイットロック、カール・レイドル、ジム・ケルトナー・・・
所謂、フレンズが。これまた熱い一体感と共に盛り上がって。高みに昇りつめると。
ビートルズやクリーム、トラフィックでの人間関係に疲れ果てていた連中にしてみればねぇ、そりゃ、もうと。
尤も。後にレオン・ラッセルによってマッド・ドッグス&イングリッシュマンに引き抜かれたり。
クラプトンのドミノスに参加してしまったりで。フレンズはあっさりと解体してしまうのですが。
このアルバム全編に漂う、家族的とも言える一体感のある熱さと昂揚感には嘘は無い。短い期間とは言え。
デラニー&ボニー。そして掛け替えの無いメンバーだからこそ生み出されたもの。故に胸を打たれるのかな。

家族。
息苦しくて。
憂鬱で。
人生で初めて。
突破せざるを得ない障壁。

家族。
その一言で。
総てを済まされてたまるか。
総てを押し付けられてたまるか。
そう頑なに反発し続けて。

家族と言ったって。
気持ちが通じ合わない時もある。
一人一人は別々の人格。
そんな当然の事が理解だれないなら。
どうしてでも、飛び出てやるぞと。

血縁。
血は水よりも濃し。
そんなこと信じるものかと。
全員が右を向いたら、一人だけ左を向いて。
一言一句、家長の言葉に言い返して。

馬鹿馬鹿しいと。
確かに。
この俺は。
あんたらの子供で。
あんたらの家族で。

でも。
その前に。
俺は俺。
あんたらの所有物でも。
あんたらの愛玩動物でも無いんだぜと。

反発を始めて数十年。
家族の下を飛び出して数十年。
絶縁こそしなかったものの。
顔を合わすことなど本当に稀で。
顔を合わせてもまともな会話もせず。

あの人達はあの人達。
俺は俺。
そう思って。そう信じて。
家族を顧みることなく数十年。
勝手気儘に生きてきた・・・今もそうだな。

根本的には。
そう簡単に変わるものじゃない。
どれだけ傷つけられたか。
どれだけ湯分されたか。
そいつはお互い様ではあるけれど。

だけど。
歳を重ねる毎に。
俺がガキだった頃の。
親の歳に近づき、並び、追い越す毎に。
あの時の言葉の、行動の、意味していたもの。

流石に。
そんなことを思ったり、考えたり。
小さくなった親爺の背中や。
曲がってしまった母親の背中や。
そんなものを見たり、接したり。

まぁ。なんだかんだで。
この背中に背負われて。
この背中を見て。
そして。この背中を乗り越えようと。
転がり続けてきたんだなと。

そう。
思ったら。
そこまで頑なになることも無いかと。
お互いに色々あって。多少丸くもなったしと。
それに。第一。越えたとは思わないが。もう逆らう対象でもないしと。

今でも。
家族だから。
総てがわかりあえるとも、許されるとも思ってないし。
家族の一言で。総てが済まされるとも思っていないが。
もう。家族を全否定することもないかなと。

らしく、ないな。
らしく、ないよな。
でも。まぁ、少しは。
家族を思う、考える、共に過ごす。
そんな時間が増えてもいいかな。

家族。
俺の家族は。
否応なしに。
この家族。
それしか、無いのだから。



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2015/10/17 Sat *花も嵐も / The Doors

20151017lawoman


花も嵐も踏み越えて。

どうも。
その。なんだ。
ついつい。
まぁ、いいかとか。
もう、いいかとか。

そう感じてしまう。
そう思ってしまう。
自分が。
顔を出す瞬間が。
増えていたりする。

まぁ、頑張ったし。
もう、結構やったし。
最近、しんどいし。
疲れも抜けないし。
わざわざ嵐に立ち向かわなくてもと。

でも。
そうすると。
余計にしんどくなるし。
疲れも重く圧し掛かってくるし。
だったら、その、なんだ。

嵐に立ち向かい。
嵐に乗って。
まだまだ。
この先を見に行ってみようかと。
この先にあるものを探しにいってみようかと。

そうだよな。
未だ見ぬ。
花が何処かで。
咲いている。
待っている・・・かも知れないし。

『L.A. Woman』'71年リリース。
ドアーズの実質上のラスト・アルバム。
ジム・モリソンが他界した後も残された3人で2枚のアルバムを制作していますが。
やはりね。ジムがいないドアーズって言うのは。ドアーズじゃないですからね。
勿論、レイ・マンザレク、ロビー・クリューガー、ジョン・デンズモア。
この3人の才能もあってこそのドアーズですが。悔しいかな、腹立たしいかな。
ドアーズはジムのバンドなのですよね。こればかりは認めざるを得ないかな。
さて。ドアーズはすっかりその独特のサウンドと、ジムの独特の詩の世界とカリスマ性。
その側面ばかりが強調されていますが。実はヒット曲を連発した人気バンドでもあって。
ジムもセックス・シンボルとして絶大な人気を誇っていて。決してスタジオに籠ってばかりいた訳でなく。
ツアーもあれば、TVにも出る。その合間にレコーディングすると・・・
要は、'66年以前のビートルズと似た様な状況に置かれていたバンドでもあったのですね。
そりゃ、疲れるし。ストレスも溜まっただろうなと。特にジムの疲弊は甚だしかった様で。
ハッキリ言って。『The Soft Parade』なんてアルバムは(ドアーズにしては)駄作だったりします。
流石のジムも輝きを失いかけ。ロビーのポップ・センスに助けられて何とかなっていたと。
で、終にはあのマイアミ事件を起こして。活動休止に追い込まれてと。
あくまで推測に過ぎませんが。ジムはもう、休みたくて無自覚だったとしても限界に達していたのだろうなと。
それで。結果的に休養が取れて『Morrison Hotel』でブルースに原点回帰して復活の途について。
このアルバムでは。新たな道を歩み始め、新たな世界の扉に手を掛けていたと。
その為には血を流すことも必要とされ。プロデューサーのポール・ロスチャイルドと決別して。
エンジニアだったブルース・ボトニックと共にセルフ・プロデュースし。更には初期と同様に一発録りに賭けて。
今までに無い、疾走感と硬質なサウンドを生み出したと。特に両面のラストを飾っている。
「L.A. Woman」と「Rider On The Storm」の両曲には新たな展開を予感させられるものがあって。
確かに「Rider On The Storm」には寂寥感もあるものの。それは別れの感覚と言うよりも。
新たな荒野に踏み出す決意に感じられて。ジムは最後まで先を見ていた、先を目指していたと感じるのです。

命、短し、恋せよ。

どうも。
その。なんだ。
ついつい。
億劫だしとか。
もう、面倒だしとか。

そう感じてしまって。
そう思ってしまって。
自分を。
押し殺す時間が。
増えていたりする。

まぁ、楽しんだし。
もう、結構やったし(笑)。
最近、しんどいし。
持久力も落ちてきているし。
わざわざ胸をときめかさなくてもと。

でも。
そうすると。
二度と戻れなくなるし。
坂道を転げ落ちだしたら止まらないし。
だったら、その、なんだ。

胸のときめきに。
臆することなく。
まだまだ。
ここで立ち止まっていては駄目だと。
ときめきを感じたなら飛び込んでみようかと。

そうだよな。
未だ見ぬ。
花が何処かで。
香っている。
誘っている・・・かも知れないし。

どうせ。
行き先は決まっている。
どうせ。
時間は限られている。
それならば。

挑まなきゃ。
進まなきゃ。
踏み潰して。乗り越えて。
楽しまなきゃ。

何が。
己の人生か。
眠ったまま。
その時をただ待ちながら。
生きて何が面白い。

好奇心も。
向上心も。
遊び心も。
そして。
恋心も。

忘れる必要も。
諦める必要も。
捨てる必要も。
そんなものは。
何処にも無い。

その。
道が途絶えるまで。
その。
扉が閉ざされるまで。
精一杯、楽しんでやろう。
花も嵐も踏み越えて。行くが女の生きる道。
命、短し、恋せよ男。
それで良し。
それが良し。
とことん。いつまでも。どこまでも。



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2015/10/16 Fri *穴 / The Beatles

20151016whitealbummono


この穴は。
何の穴だ。
どんな穴だ。
入ったら。
どうなるのだ。

何が。
待っているのか。
何が。
出てくるのか。
見極めないとならないが。

真っ白な。
キャンバスに。
描かれた。
幾つもの。
様々な穴、穴、穴、穴。

どれが。
何だか。
どうなっているのか。
見詰めれば、見詰めるほど。
わからなくなってきて。

えぇぃ。ままよと。
虎穴に入らなきゃ。
虎児は手に入らないのだろうと。
覚悟は。
決めてみたものの。

虎穴ならぬ。
墓穴だったら。
藪蛇で。
抜き差しならなくなるぞと。
躊躇する。

『The Beatles』'68年リリース。
『ホワイト・アルバム』の通称で知られるビートル初の2枚組アルバム。
初と言えばアップル・レコードから発売された初めてのビートルズのアルバムでもあって。
同時に。モノラル盤が製作された最後のビートルズのアルバムでもあると。
(つまりは。このアルバムまではモノラル盤で聴いてこそ、ビートルズの意図していたサウンドが聴けると)
そんな。様々な意味合いを持ち、様々な性格を帯びているアルバムでもあるのです。
兎に角。初の2枚組アルバムと言うこともあって。30曲ものナンバーが収録されていて。
それは。この頃にかけて急速に録音技術が進歩し、スタジオの設備も進歩したこと。
それとも深い関係があって。今まで技術や設備上の制約で出来なかったことが出来るぞと。
それで、各メンバーが溜っていたものを一気に噴出させた、そんな自由さにも繋がっていて。
しかし同時に。その進歩と向上は4人が同時に録音することの必要性さえも解放して。
4人がスタジオに居合わせる機会の現象と、4人が揃って参加しているナンバーも減少し。
サイケデリックの時代を通り抜け、シンプルなバンドとしてのビートルズの帰還と。
そう思われていたものが。実はそれぞれのソロとしてのナンバーの持ち寄り、集合体。
そんな意味合いが強くなっていたと。故に、ここが解散への分岐点だったとも言われます。
真偽のほどはともかくリンゴ・スターは一次的に、録音中に脱退まで表明しています。
(尤も。近頃は、このアルバムの録音は楽しかったとも語っている様ですが・・・)
特にリリースされた当初は脈絡が無いとか、整合性に欠けるとの批評もあった様ですが。
そうですね・・・確かにバンドとしてのビートルズは既に終わっていたのかとも思えて。
それは『Sgt. Peppers's Lonely Hearts Club Band』辺りから顕著になったジョン・レノンの変化。
明らかに以前と比較して、ビートルズに興味を失った、もしくは別の興味が大きくなった。
それが楽曲にも表れる様になってきた、表わせられる様になってしまったと。
何せジョンですからね。それとなくとか。気を遣うとかしないので。あからさまに。やりたい様にやっていると。
そこへいくとポール・マッカートニーは、同じ様にやりたい様にやってはいても。
従来のビートルズと続いて聴こえる様に配慮はしていると。この個性の違い。それが隠しようも無いと。
そして遂にジョージも第三男からの脱却を高らかではなくとも明確に宣言して。
こう書いてくると本当にバラバラでまとまりの無いアルバムだと思えてくるのですが。
何故かバラバラ故の奇妙な整合性。何が待ち受けているかわからないからこその楽しさ。
そんな様なものが。この凸凹で、様々な穴が待ち受けているアルバムに奇妙な纏まりを与えています。
びっくり箱的な、モグラ叩き的な歪で穴だらけの世界をも、一つの通奏低音で結び付けて聴かせてしまう。
結局。ビートルズの凄みって言うのはこんなところにもあるのだよなと思わされるアルバムでしょうか。

この穴は。
何の穴だ。
虎穴なのか。
墓穴なのか。
どっちなのだ。

虎穴なら。
入ってみれば。
入ってしまえば。
得るものもある筈だが。
墓穴だったら・・・

真っ白な。
平原に。
穿かれた。
無数の。
様々な穴、穴、穴、穴。

どれが。
どれだか。
虎穴なのか。墓穴なのか。
考えれば、考えるほど。
混乱をきたして。

えぇぃ。ままよと。
虎穴に入って。
虎児を手に入れればいいのだろうと。
決意は。
固めてみたものの。

万が一。
虎穴の振りをした墓穴だったら。
嵌められて。
掘り続けなきゃならなくなるぞと。
逡巡する。
しかも。
同じ虎穴でも。
相手によって。
姿形も。
気配も異なる。

そう。
同じ墓穴でも。
相手によって。
見え方も。
漂うものも異なる。

様々な虎穴と。
様々な墓穴との。
その。
何の規則性も。法則性も無い。
羅列された地平を前にして。

最終的に。
信じるものは。
頼るものは。
自分の経験と勘。
それしかない。

今までに。
幾つもの虎穴から。
虎児を浚ってきた。
幾つもの墓穴から。
瀬戸際で生還してきた。

そいつを。
信じて。
そいつを。
頼みに。
南無さんと・・・

まぁ。
温かく。潤んでいて。
時に優しく。
時に激しく。
絡みつき、締め付けてくる。

そんな。
穴なら。
例え墓穴だろうと。
いつだって。
喜んで入りたいんだけどねぇ(笑)。



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2015/10/15 Thu *遠慮と配慮 / Eric Clapton

20151015meandmrjohnson


遠慮など。
するものではない。
してもろくな事にはならない。
思うことや、言いたいこと。
あるのであれば。

ぶつけてみればいい。
口に出してみればいい。
そうやって。
動いてみなければ。動かしてみなければ。
何事も始まらない。

年齢も。
性別も。
肩書も。
立場も。
遠慮する理由にはならない。

遠慮などと言う。
体のいい言葉に隠れて。
避けてはならない。
逃げてはならない。
そう。遠慮はいい訳なのだ。

言いたいことがあるなら。
やりたいことがあるなら。
遠慮は邪魔なだけ。
思いのたけを口にして。
思いのほどを露わにして。

開くか、開かないか。
動くか、動かないか。
進か、進まないか。
そんなものは。
やってみなきゃ、ぶつかってみなきゃ。わかりはしないのだから。

『Me And Mr.Johnson』'04年リリース。
エリック・クラプトンによるロバート・ジョンソンのカヴァー・アルバム。
この年代の作品のアナログ盤は珍しいのですが。運よく安価で巡り会いました。
全14曲。アコギで、エレキで。クラプトンが敬愛するロバジョンのカヴァーをやる。
言ってしまえば、それ以上でもそれ以下でもない。それだけのアルバムです。
ブルースに魅せられて。ブルースマンに焦がれて。自らもギターを手にして。
クリームでは「Crossroads」の名演を残したクラプトンです。しかしながら。
どうしても。本物のブルースはやれない、本物のブルースマンにはなれないと悩んで。
薬物や酒に耽溺して。一時はそのキャリアを棒に振り、再起不能に陥りかけたクラプトン。
(まぁ、それ以外にもパティ・ボイドとの許されない恋とか、様々な要因はあったのですが)
そのクラプトンが焦がれたブルースマンの中でも特別な存在だったのが。
ロバジョン、ロバート・ジョンソンで。思えば、ブルースブレイカーズ在籍時代に。
初めて公式に歌声を披露したのもロバジョンの「Rumblin’ On My Mind」のカヴァーでしたからね。
クラプトンがソロ・アルバムで丸ごと真正面からブルースに取り組んだのは『From The Cradle』が初めてで。
アンプラグド・ブームの火付け役となり、商業的な成功も知名度もそれ以前とは比較にならないものになって。
しかし、それだけでは。アダルトなロックを奏でるアルマーニを着込んだお洒落な小父さんのポジションだけでは。
居心地が悪くなったのか、単純にその成功で好きなことをやれる権利を手にしたからなのかは分かりませんが。
その、ひたすらにブルースだけを弾きまくる熱さには、こちらの胸も熱くなったものでした。
それと比較すると。実に淡々と。肩の力も抜いて(抜けて?)大好きなロバジョンのブルースを弾き、歌うだけ。
なので。拍子抜けすると言うか。これなら別にロバジョンのアルバム聴けばいいじゃないと言う声もあって。
それはそれで正論なのですが。遠慮なく敬愛するロバジョンのカヴァーのみでアルバムを制作したその意思と。
一方でロバジョンに対する敬意を表し、配慮して自分のブルースとして表現しようとしているその姿勢。
その両面にクラプトンの。ブルースへの、ロバジョンへの愛情が感じられて。これはこれでいいかなと思うのです。

配慮だけは。
忘れてはいけない。
忘れたらろくな事にはならない。
思うことや、言いたいこと。
あるのであれば。

ぶつけてみればいい。
口に出してみればいい。
その時に。
どう動くのか。どう動いてもらいたいのか。
それを想定しながら。

年齢や。
性別や。
肩書や。
立場や。
相手の属性をよく考えて、おもんばかって。

配慮と呼ばれる。
その行為の意味を考えて。
傷つけない様に。潰さない様に。
だけど。逃げられない様に。
そう。配慮は戦略の一種でもあるのだ。

言いたいことがあるなら。
やりたいことがあるなら。
細心の配慮をして。空気を創り上げて。
それから。思いのたけを口にする。
その中で。思いのほどを露わにする。

開くか、開かないか。
動くか、動かないか。
進か、進まないか。
そんなものは。
やってみなきゃ、ぶつかってみなきゃ。わかりはしないからこそ。

熱い。
思い。
強い。
意思。
それがあるならば。

それを。
言うのも。
主張するのも。
具申するのも。
躊躇ってはいけない。

相手が。
誰であれ。
何者であれ。
何様であれ。
遠慮する必要は無い。

熱い。
思い。
強い。
意思。
それがあるならば。

それを。
言う為に。
主張する為に。
具申する為に。
怠ってはいけない。

相手が。
誰であれ。
何者であれ。
何様であれ。
必要な配慮はある。

遠慮は。
関係を硬直させる。
過度な配慮は。
遠慮と等しい。
正しい配慮は潤滑油となる。

遠慮と。
配慮と。
その違いを。
胸に刻んで。
いざ、事を進めよう。



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2015/10/14 Wed *喰い尽くせ / Humble Pie

20151014eatitukoriginal


喰い尽くせ。
あれも。
これも。
それも。
喰い尽くしてしまえ。

後は無い。
他も無い。
ならば。
ここで生きるだけ。
ここで生き残るだけ。

その為には。
あれも。
これも。
それも。
食べられるものは。

遠慮なく。
総て。
喰い尽くせ。
食べられるものは。
骨の髄までしゃぶり尽くせ。

これでも喰らえか。
上等じゃないですか。
喜んで。頂きましょう。
喰らいついて。
喰い尽くしてしまおう。

後には。
何も。
残さずに。
ものの見事に。
喰らい尽くしてしまえばいい。

『Eat It』'73年リリース。
ハンブル・パイの7枚目となる2枚組アルバム。
元々はスティーヴ・マリオットとピーター・フランプトンの双頭バンドだったものの。
徐々にその音楽性の違いが目立ち始め。マリオットが主導権を握る様になり。
フランプトンが脱退。新たにクレム・クレムソンを後任に迎えてから2枚目のアルバム。
A面がハード・ロック、B面がソウル、C面がアコースティック、D面がライヴと。
それぞれの面に特徴を持たせて。その多彩な音楽性を披露して、世の中を唸らせたと。
特に日本では唯一の来日と前後してのリリースだったらしく、親しまれているのだとか。
確かに。このアルバムこそがハンブル・パイの絶頂期、最高の状態を捉えているかなと。
それも、これも。一枚看板となったマリオットの。その聴くだけで火傷しそうなほどの。
その熱い歌声が。バンドの、アルバムのど真ん中にあって。揺るぎのないものとして存在していて。
その熱さに引っ張られる如くにバンドも最高のサウンドを叩き出せば。
そこにブラック・ベリーズのコーラスがソウルフルに艶やかに華を添えてみせると。
そのど真ん中で、マリオットはますます熱く、激しく、シャウトして煽っていると。
その熱さ、激しさ、そしてハードでソウルフルな様。実に御機嫌にして痛快なのですよね。
マリオットの燃えたぎるマグマが総てを舐めつくし、喰い尽くす様が実に圧巻で。
その生涯を歌うことにのみ捧げたマリオットにとっては。至福の絶頂だったろうなと。
あのガニ股で、グッと腰を落として。レスポールのネックを握りしめてマイクの前に仁王立ちする姿が。
もう目の前に浮かぶ、迫ってくるかの如くです。特にD面のライヴは圧巻の一言に尽きるかな。
尤も。バンドとしてはあまりにもマリオット一人が目立ち、依存していてバランスが悪いとか。
折角、4面それぞれにテーマを持たせたわりには、そのコンセプトが活かされていないのではないかとか。
そんな批判もあった様ですが。何を言われようが。言わせとけと。総て燃やし尽くして、喰い尽くしてやるよと。
もう、そのマリオットの揺るがない自信過剰なまでの姿に、歌声に惚れ惚れするだけなのですよね。好きなんだなぁ。

喰い尽くせ。
あれも。
これも。
それも。
喰い尽くしてしまえ。

今は、この道を。
その先を見据えて、進むだけ。
ならば。
ここで勝ちにいくだけ。
ここで勝ち続けるだけ。

その為には。
あれも。
これも。
それも。
食べられるものは。

兎に角。
総て。
喰い尽くせ。
食べられるものは。
骨のまでも噛み砕いてしまえ。

糞でも喰らえか。
上等じゃないですか。
喜んで。頂きましょう。
喰らいついて。
喰い尽くしてやろう。

後には。
何も。
残すものか。
千里一望の草刈り場。
喰らい尽くしてしまえばいい。

熱くなれる場を。
見つけたのなら。
そこで熱くならなくて。
どこで熱くなると言うのだろう。
極限まで熱くなればいい。
燃えられるものを。
見つけたのなら。
それに燃えなくて。
何に燃えろと言うのだろう。
極限まで燃やし尽くせばいい。

その為には。
あれも。
これも。
それも。
使えるものは。

遠慮なく。
総て。
使い尽くせ。
使えるものは。
潰れるまで使い尽くせ。

喰い尽くして。
使い尽くして。
そう。
燃やし尽くした後の。
その焼け野原からだけ。

生まれるであろう。
新しいもの。
それこそが。
目指す先。生きる場所。
ならば。

喰い尽くせ。
あれも。
これも。
それも。
喰い尽くしてしまえ。



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2015/10/13 Tue *区切り / Queen

20151013queengreatesthitsvoltwo


区切り。
そのきっかけなど。
何でもいいのだ。
ただ。
その時期が来た。それだけのことだ。

万物流転。
流れぬものなど。
転がらぬものなど。
この世の中に。
存在はしない。

諸行無常。
行かぬものなど。
無くならぬものなど。
この世の中に。
存在してはならない。

根なし草故。
その理は。
他の誰よりも。
その身をもって。
実感している。

一抹の寂しさ。
そう。寂しさ。
そして。怒りも。
所詮は。その程度のもの。
直ぐに。忘れてしまう。

現に。
既に。
目は。耳は。
心は。
もう。次へと向かっている。

『Greatest Hits Vol.Ⅱ』'91年リリース。
後期クイーンのヒット曲、代表曲を集めた2枚組ベスト・アルバム。
英国でのリリースが'91年の10月だったと言うことで。
結果的に1ヶ月後に他界したフレディ・マーキュリーの遺作とも位置付けられ。
英国では当然の様にチャートの1位を獲得。今も売れ続けているアルバム。
『Hot Space』から『Innuendo』までのアルバムから選ばれた全17曲。
それ以前のスタイル、サウンドから大きく変化した、まさしく後期クイーン。
その軌跡を凝縮したアルバムで。言わば芸能のクイーンの集大成とも言えるかと。
ブリティッシュ・ハード・ロックの新世代、貴公子として鮮烈にデビューしたクイーン。
しかし。恐らくはその世界は最初の3枚のアルバムで頂点を極め。
より芸術的にと幅を広げ始め、更にはその世界をも逸脱してより広い世界を目指したと。
その過程に於いて。初期からの熱狂的なファンは離れていき。それどころか。
クイーンの内部においても混乱と対立を引き起こしながらも。米国や南米も制覇した時代。
その生い立ちからして多様性と多義性をその身の内に宿していたで、あろうフレディー。
そのブラック・ミュージックへの憧憬をポップな楽曲に昇華させたジョン・ディーコン。
後期のクイーンを牽引していたのは明らかにフレディーとジョンだと思われて。
根っからのロック好きなブライアン・メイとロジャー・テイラーとの間には溝もあったかと。
それが楽曲のクレジットや、シングル曲の選択における確執を生み。
更にはアパルトヘイト時代の南アフリカでライヴを行ったことにより、人気も急落してと。
それがライヴ・エイドでの圧巻のパフォーマンスで起死回生の復活を遂げて。
その後のツアーでも行く先々で熱狂を巻き起こして。しかし、そこでフレディーの発病。
他の3人がそれを告げられて制作した『The Miracle』からはクレジットはクイーンで統一。
このアルバムにも収められている「I Want It All」など素晴らしいナンバーを含むも。
ツアーは行われず『Innuendo』の録音に入り、そして「The Show Must Go On」を。
そのまさにスワン・ソングとも言える絶唱を遺して。フレディーは、旅立ったと。
混迷から、再起、そして終末へと。後期クイーンの区切りを見事に捉えたアルバムなのです。

区切り。
その意味合いなど。
何でもいいのだ。
ただ。
それが到来した。それだけのことだ。

万物流転。
流れぬものなど。
転がらぬものなど。
ただ澱んでいくだけ。
ただ苔むしていくだけ。

諸行無常。
逝かぬものなど。
滅びぬものなど。
この世の中に。
存在する筈もない。

河原乞食故。
その様は。
他の誰よりも。
その身をもって。
実感している。

一抹の切なさ。
そう。切なさ。
そして。悔しさも。
所詮は。その程度のもの。
直ぐに。消えてしまう。

現に。
既に。
手は。足は。
魂は。
もう。次へと向かっている。

現に。
既に。
もう。
心も。魂も。
懐かしいと感じている。

言葉は過去形となり。
視線は過去の映像を捉え。
過ぎ去ったもの。
終ったものとして。
心も。魂も。扱っている。

そこには。
若干の感傷はあれども。
それ以上の感情は入り込めない。
区切りがついた。
その瞬間に。総ては過去となる。

そこには。
若干の回顧はあれども。
それ以上の思慕は残らない。
区切りをつけた。
その瞬間に。総ては未来へ向かう。

だからこそ。
区切りは区切りとして。
存在しなければならない。
明確でなければならない。
そこに。区切りの意味がある。

復活と再生。
再生とその終焉。
それを過去として語り。
それを過去として目にし。
また新たな区切りへと歩み始める。



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2015/10/12 Mon *大安売り / Van Morrison

20151012liveatthegrandoperahousebel


大安売り。

感動も。
勇気も。
夢も。
今じゃ。
毎日の様に手に入るらしい。

液晶の中の。
ネットの中の。
誰かの。
偉業とか。
その過程とか。

あっという間に。
広がって。
感動をありがとう。
勇気をありがとう。
夢をありがとう。

実際に。
何が。
どれだけ。
凄いのか。素晴らしいのか。
わからないけど。

皆が騒いでいるから。
話題に乗り遅れたくないから。
知らないって言えないから。
仲間外れにされたくないから。
ありがとう。

感動も。
勇気も。
夢も。
そして。ありがとうまでも。
大安売り。

『Live At The Grand Opera House Belfast』'84年リリース。
生まれ故郷、ベルファストで'83年に収録されたヴァン・モリソンのライヴ・アルバム。
この頃、特に日本ではヴァンの引退説が実しやかに囁かれていて。
このアルバムの日本盤の帯にもそれらしきコピーが書かれていて。ちょっとした騒ぎに。
実際は'83年当時に音楽業界に嫌気がさしていたヴァンがふと漏らした愚痴を。
英国の大衆紙が大袈裟に騒いだものを日本のレコード会社の関係者が真に受けてしまったと言う・・・
何とも。お粗末な結末だったのですが。まぁ、踊らされたファンはいい迷惑だったよなと。
通りで。このライヴ・アルバムには。悲壮感も感傷的な激情も感じられないのも当然だと。
ヴァンには'74年にリリースされた『It’s Too Late To Stop Now』なる2枚組のライヴ・アルバムがあって。
このアルバムが、ヴァンにとっての2作目のライヴ・アルバムになるのですが。
その『It’s Too Late To Stop Now』が。熱く、ソウルフルで、激しく迫るものだったのに対して。
このアルバムは。同じ熱さでも。ぐっと落ち着いて。穏やかに迫ってくる感じが強くて。
そう引退説こそガセネタだったものの。当時の音楽業界にヴァンが失望していたのは事実だと思われて。
まぁ、元々チャートとか売り上げを気にするタイプだったとは思われませんが。
いよいよ。もう。ベルファストに腰を据えて。好きな歌を、それだけを歌い続けると。
そんな思いを込めて。静かに故郷の観客に歌いかけている。そんな印象が強く漂っていますかね。
それもあって温かさは感じられるものの。昂揚感には欠けていて。全体的に地味なのは否めないかな。
そう。同じライヴ・アルバムなら前述の『It’s Too Late To Stop Now』に軍配が上がると思うし。
ヴァンの最高傑作はと問われたら、『Astral Weeks』『Moondance』『Tupelo Honey』『Into The Music』・・・
このアルバムの名前は少なくとも自分は上げないだろうなと。ただ。ヴァンが凄いのは。
名前を上げた他のアルバムには確かに強く心を動かされ、胸を震わせられたけど。
このアルバムでも心は動かされ、胸は震えると言うところ。これは何も感動の安売りをしているのではなくて。
ヴァンの歌にはそれだけの力を感じるのだと。安売りできる様な歌声では無いのだと言うことです。

大安売り。

感動も。
勇気も。
夢も。
今じゃ。
毎日の様に作れるらしい。

液晶の中の。
ネットの中の。
誰かの。
偉業とか。
その過程とか。

あっという間に。
広がって。
感動をありがとう。
勇気をありがとう。
夢をありがとう。

実際に。
何が。
どれだけ。
凄いのか。素晴らしいのか。
わからないけど。

皆を騒がせられるのなら。
話題を盛り上げられるのなら。
多少、話しを盛っても問題は無いと。
仲間外れを恐れるから。後は勝手に流行るだろう。
ありがとうと流してしまおう。

感動も。
勇気も。
夢も。
そして。ありがとうまでも。
大安売り。

それで。
その。
ドラマを観て。
泣いて。
本当に幸せになれるのか。

それで。
その。
バラエティに。
泪して。
本当に心が満たされるのか。

それで。
その。
試合に。闘いに。
入れ込んで。
本当に夢や勇気が持てるのか。

ドラマの主役は。
バラエティの主役は。
試合の。闘いの。
当事者は。
誰なのだ。少なくともあんた達では無いだろう。

今まで知らなかったけど。
興味も無かったけど。
世間が騒いでいるから。
地元出身だから。
だから。騒いで。商売にして。

感動も。
勇気も。
夢も。
そして。ありがとうまでも。
随分と。安っぽくなったものだな。



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2015.10.11 Sun *誤解しないで下さいね / The Kinks

20151011thekinks


どうも。
誤解されている方も多いので。
それは。
早めに。
正しておくのがいいかなと。

自分は。
アウトローでもないし。
反逆者でもないし。
好戦的でもないし。
好色にはなりたいと思っているが(笑)。

そもそも。
強面でも無いし。
小心ものだし。
波風を立てるのも好まないし。
日和見だし。

出来れば。
大樹の陰で。
誰かの背後で。
長いものに巻かれて。
静かで安寧な日々を過ごしたい。

そう願って止まない。
小市民なのである。
大した望みもないし。
ただただ。
静かに毎日が過ぎてくれればと。

そう。
私は闘いたくない。
そう。
私は愛していたい。
それだけの、唯の人なのです。

『The Kinks』’73年リリース。
英国の廉価盤専門レーベルからリリースされたキンクスのアルバム。
日本でも一時期、なんか如何にも胡散臭くて安っぽいCDが出回って。
スーパーとか駅の売店で、演奏は本人ですなんて売られていたと思いますが。
英国には昔から、アナログ盤の時代から。お土産物さん等で売られる廉価盤があって。
それ専門のレーベルもあって。このアルバムのマーブル・アーチが代表格かな。
流石に、ビートルズとかズトーンズのブツはお目に掛ったことが無いのですが。
キンクスは(と言うよりは所属していたパイ・レコードが)お得意様だった様で。
今でも、日本のレコード屋さんで結構な頻度で、結構な種類のブツにお目にかかれます。
ジャケットなんか英国盤特有のコーティングが施されていて綺麗だったりして。
しかも。使われている写真も妙にファンの心理をくすぐる様なものがあって。
恐らくは。ポストカードと一緒にお土産にとか、スコーンと一緒につい手が伸びてとか。
それなりの需要はあったものと思われます。尤も。当然、廉価には廉価の理由があって。
このアルバムなんて。正規の1stアルバムから2曲を外しただけのもので。
しかも外された内の1曲が「You Really Got Me」ですからね。暴挙と言うか。何と言うか。
売る気があるのかよって話ですが。要は、その程度の知識のお客相手の商売だったのだと。
まぁ、普通だったら何の魅力も価値も無いのでしょうが。まぁ、ジャケットがいいかなと。
時代が中身とずれているとは言え、BBC出演時かと思われる写真がいい雰囲気だなと。
後は、「You Really Got Me」が外されているお蔭で。他の曲に耳がいくと言うか。
そうか。1stアルバムの段階のキンクスってこんな曲もやっていたんだ。こんな音を出していたのだと。
正規盤では「You Really Got Me」が強烈過ぎるが故に気づき辛いところに気づけると。
かなり。無理やり。こじつけてはいますが。そんなところかな。
実際に。あぁ、こんなにブルースやR&Bのカヴァーをやっていたのだなと。改めて。
「Long Tall Shorty」とか、レイジー・レスターの「I’m A Lover Not A Fighter」とかね。

どうもして。
誤解される方がいるのか。
こいつは。
さっさと。
正しておくのがいいかなと。

自分は。
道を外れるこはしないし。
誰かに逆らおうなんて考えもしないし。
誰かに喧嘩を売ろうとも思わないし。
好色ではありたいと思っているが(笑)。

そもそも。
人の良さそうな顔だし。
臆病ものだし。
波風が立っていたら避けて通るし。
風見鶏だし。

いつでも。
大樹の陰で。
誰かの背後で。
長いものに巻かれて。
静かで安寧な余生を過ごしたい。

そうそれだけを願って止まない。
平凡な市民なのである。
大それた望みもないし。
ただただ。
静かに平穏に毎日が過ぎてくれればと。

そう。
私は闘いたくない。
そう。
私は愛していたい。
それだけを、望む者なのです。

なのに。
何故か。
イラつかせる。
目に余る。
人として廃る。

筋の通っていない。
あまりにもいい加減な。
何よりも。
真摯な姿勢も。真っ当な取組もしなくて。
一方的で。一元的で。

真面に議論すらしない。
他人の意見には耳も貸さずに。
誰かを一方的に笑いのめして。
誰かを一方的圧迫してと。
そんな事ばかりが続きやがるので。

そして。
さすがに、
そいつか目背けたら。
その声に耳を閉ざしたら。
そいつは男が廃るだろうと。

そうなると。
駄目なのだな。
自由であることはいいことだ。
だが自由には自己責任が付きまとう。
最低限の礼儀も守れず、最低限の仁義も欠かす。

上等だよと。
覚悟はあるんだろうなと。
だったら。
リングに上ってこい。
真正面から相手してやる。そしてどんな手段を使っても必ずぶっ潰すと。

何で。
こうなっちゃうんだろう。
俺は愛する人を、可愛いあの娘達を。
愛していたいだけ。
下らねぇ、馬鹿な輩とか喧嘩している暇なんか無いんだよ。

ですから。
誤解しないで下さい。
ほっておいて下さい。
但し、自分や仲間が理不尽な目に合されたら。
それで。反撃する術も無いなら。

その時は。
決意して。覚悟して。
リングに上ります。闘います。
そして徹底的にぶちのめします。
申し訳ないが、ありとあらゆる手段は一通り知っているので。

あっ。
でも。あくまでも専守防衛ですよ。
でも。あくまでも正当防衛の証は作ってからですよ。
それで宜しければ、どうぞ先制攻撃して下さい。
待っていましたと、倍返し以上に個別的自衛権を発動させてもらいますので。

そう。
私は闘いたくない。
そう。
私は愛していたい。
それだけを、望む者なのです。

お解り頂けましたかな(笑)。



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2015/10/10 Sat *ジャック達の出番 / The Who

20151010happyjack


まぁ。
自分も。
その一員。
あるいは。
その典型。

故に。
仕方がないのだけど。
どうにも。
仲間として。
お互い対等に付き合っている。

そんな。
連中は。
どうにもこうにも。
一癖も二癖もあって。
危なくて、楽しい。そんな匂いがして。

誘われると。
おいおい。
面倒事じゃないだろうなと。
悪態をつきながらも。
浮き浮きして出向いていく自分がいる。

無くて七癖。
そんなレベルじゃないからな。
自分も。連中も。
時に箍が外れると。激情の儘に。
暴走して。まぁ、結果として反省したりもするのだが。

それがいい。
それでいい。
癖のない。
無味乾燥の付き合いなど。
端から求めて生きてはいない。

『Happy Jack』'67年リリース。
ザ・フーの米国での2ndアルバム。
英国での2ndアルバム『A Quick One』と同一ジャケットながら。
アルバム・タイトルと収録曲、曲順を変えて米国独自の色を出していると。
まぁ、当時の米国には1枚のアルバムは12曲までなる制限があったのと。
何と言っても商売優先、売ってなんぼの、米国の業界ですので。
ヒット曲の「Happy Jack」を収録しないなどもっての外であると。
どうせならアルバム・タイトルにして。大体的にアピールしろと。潔いっちゃ潔いけど。
お蔭で。ピート・タウンゼントが既に試みだしていたコンセプト・アルバムとしては。
全く意味をなさないものとなってしまったと。ピート、面白く無かっただろうなと。
だから、ステージであれだけギターを壊しまくったのかな(笑)。
まぁ、あれはマネージャーに煽られてのパフォーマンスでしょうが、ストレスも原因だな。
さて。そこまでして収録された件の「Happy Jack」ですが。
英国では3位まで上昇して大ヒット、米国でも初の30位圏内に入るヒットとなったので。
まぁ、レコード会社(米国デッカ)の思惑はそれなりに当ったってことになるのかな。
「Happy Jack」牧歌的な曲調だったりもしますが。その歌詞はと言うと。
ピートが幼少の頃に父親に連れられて行った旅先で目にした多くの奇人変人を歌ったと。
普通、シングルにするのに、そんな歌詞を書くかねってとこですが。そこがピートだな。
ピートに加えロジャー・ダルトリー、ジョン・エントウィッスルの3人で歌っていますが。
キース・ムーンだけは歌唱力を疑問視されてスタジオから締め出されたものの。
目を盗んで潜入し、何とかマイクに近づこうとし。発見したピートが、見つけたと叫び。
その叫び声が収録されているテイクもあって。何だかなぁ、如何にもフーだなと。
鉄拳ヤンキー兄ちゃんだったロジャーも含めて。4人とも奇人変人であった証であると。
因みにフーの特に3rdアルバムまでの米国盤は音がこもってしまっているので。
まぁ、レコ屋さんで見かけても、無理してまで入手する価値は全く持ってありません(笑)。

まぁ。
自分が。
その一員の中でも。
先頭に立って。
しかも煽りもしているから。

故に。
仕方がないのだけど。
どうにも。
仲間として。
お互い信頼して付き合っている。

そんな。
連中は。
どうにもこうにも。
曲者で。奇人で。
如何わしくて、胡散臭くて。それも相当で。

声が掛ると。
おいおい。
面倒なのは簡便だぜと。
口ではそう言いながらも。
浮き浮きする気持ちを抑えられない自分がいる。

間違ったら危ない。
そんなレベルじゃないからな。
自分も。連中も。
時に自ら箍を外して。感情の儘に。
自滅して。まぁ、結果として反省したりもするのだが。

それがいい。
それでいい。
危なくない。
安全第一の付き合いなど。
端から求めて生きてはいない。

癖が強くて。
如何わしくて。
胡散臭くて。
危うくて。
危なくて。

曲者で。
一筋縄じゃいかなくて。
激情の儘に。
感情剥き出しで。
幾つになっても尖ったままで。

反省はするけど。
後悔とは縁が無くて。
切なさや痛みには敏感だけど。
結局は。
笑いに変えて。楽しむぞと。

脆さも。
崩れやすさも。
胸に秘めて。
笑い飛ばして。
楽しむぞと。

時には。
クールに決めようと。
カッコつけても。
どこか。
螺子が足りないのか。

調子は外すし。
道からは逸れるし。
階段からは落ちるし。
時には。
人生から堕ちかかっても。

震える膝も心も。
隠してみせる。
隠しきれなくても。
気付かぬ振りで。
遊びに、楽しむことに。とことん真剣になる。

そんな。
世間様からは。
相手にされない。
されても。後ろ指を指される。
そんな仲間と。

面白い事、楽しめる事。
新しくやれそうだなと。
始められる予感がするぞと。
それだけで。興奮して来るのだ。
さぁ、ジャック達の出番だぜ!



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2015/10/09 Fri *一応、毎日 / Elvis Costello And The Attractions

20151009punchtheclock_2


一応。
毎日。
タイムカードは打刻しないし。
ある程度、時間的に融通は利くけれども。
経済的な職業に従事してはいる。

毎日。
一応。
就業しているとなれば。融通が利いても。
ある程度、定型的になり、惰性になり。
どうにも。退屈と言うか。窮屈と言うか。

それなりに。
毎日。
自ら変化を持たせるようにはしても。
目新しい何かを持ち込んだとしても。
おのずと。限界もあるし、制限もある。

その中で。
毎日。
飽きることをよしとせず。楽しもうとすれば。
そいつは。もう。その日その日で。
何かしら、手を変え、品を変え。目先を変えるしかない。

例えば。
毎日。
違う誰かに手紙を書く様に。
違うあの娘にラブレレターをしたためる様に。
そんな心持でいられる様に。望んで、臨んでみる。

毎日。
毎日。
綺麗なあの娘や。可愛いあの娘や。
妖艶なあの娘や。愛おしいあの娘や。
素敵な女性達にラブレターをしたためてみる。

『Punch The Clock』'83年リリース。
エルヴィス・コステロの(恐らく)8枚目となるアルバム。
コステロと言うと。自分はどうしても同じくアトラクションズを従えての。
パンキッシュだった1枚目~3枚目までが好きで。特に印象的で。
その後はまぁ、偶に好きなアルバムもありましたが。熱心な聴き手では無くて。
ただ。このアルバムはキャッチーなナンバーも多いし。
実際に黎明期のMTVの効果もあってか。何曲かシングルとしてヒットした曲もあって。
「Everyday I Write the Book」なんて言うのは、かなり印象に残っていて。
今でも。軽く口ずさめたりもします。当時は毎日の様にラジオからも流れていたかな。
(MTVではチャールズとダイアに似た俳優を起用したプロもが話題だったかな)
元々、デビューがパンクの時期だった為に。怒れる若者の一人として扱われたものの。
コステロって人はかなりの音楽マニアで。色々な音楽を吸収していたので。
最初の3枚までは与えられたパブリック・イメージに沿ったアルバムを制作したものの。
その後は、もう。カントリーはありの、ソウルはありの、ジャズもありので。
良く言えば多彩、悪く言うと器用貧乏。そのカメレオン的な変化が。
マニアックなファンはともかく、その他の人々(自分も含む)にとっては分かり辛くて。
いつのまにか。あまりチャートには無縁の通好みのアーティストに落ち着きかけていたと。
これは飽くまでも勝手な推測ですが。その状況を周囲だけでなく。コステロ自身も。
否、むしろコステロ自身が面白く思ってなかったと言うか。多分、天邪鬼な人なので。
だったら。ポップさを、キャッチーさを全面に出して。ヒットさせてやろうと。
そんな野望を抱いてMTV時代に。敢えて合わせた音楽をやってみせたのではないかと。
その結果。大ヒットとまではいかなくても。チャートを賑わせて満足したと。
如何にも’80年代なサウンドは別として。メロディーやビートにはコステロ自身も、満足・・・
納得はしたのかな。この後、再び好き勝手な変化の激しいコステロに戻っていったと。
そうだな。フリーランスが似合う人が、一時的に正社員をやってみましたってところかな。

一応。
毎日。
厳密な勤怠管理の対象ではないし。
ある程度、内容的にも融通は利くけれども。
経済的な職業に従事してはいる。

毎日。
一応。
就業しているとなれば。融通を利かせても。
ある程度、定型的になる、惰性になるのは避けられず。
どうにも。退屈とか。窮屈とか。それらと無縁ではいられない。

それなりに。
毎日。
自ら少し過剰に変化を持たせるようにはしても。
何かと目新しい何かを持ち込んだとしても。
所詮。小手先。限界はくるし、制限にも引っ掛る。

その中で。
毎日。
ステップを踏み続けようとすれば。踊り続けようとすれば。
そいつは。もう。その日その日で。
何かしら、リズムを変え、ビートを変え。踊りを楽しむしかない。

例えば。
毎日。
違う誰かをパートナーに選ぶ様に。
違うあの娘の前で跪いて相手を願う様に。
そんな心持でいられる様に。望んで、臨んでみる。

毎日。
毎日。
ロックンロールなあの娘や。ブルースなあの娘や。
ソウルフルなあの娘や。ファンキーなあの娘や。
素敵な女性達にダンスの相手をお願いしてみる。

一応。
毎日。
ある程度の時間を。
経済的な仕事に。
経済活動に捧げるならば。

そんな。
毎日。
似合おうと似合うまいと。
そうせざるを得ないならば。
そいつを楽しみたい。ついでに。得るものは得たい。

ならば。
毎日。
あの娘にラブレターをしたためて。
あの娘にダンスの相手をお願いして。
それを。書き留めて。抱き留めて。

毎日。
毎日。
ラブレターをしたためて。ダンスを踊って。
そいつを。書き続けて。書き綴って。
一篇の恋愛小説でも上梓するつもりで。望んで。臨んでみれば。

こんな。
毎日。
それでも。ある程度は飽きもせず。
それこそ。ある程度は楽しめる。
それならば。ある程度制約されるのも悪くは無いかと。

実のところは。
毎日。
かなり勝手に拡大解釈で融通を利かせながらも。
それでも。飽き足りない、満足できないので。
ラブレターをしたためて。ダンスを躍って。恋愛小説を上梓する。

そうして。
毎日。
それを。望んで。臨んでみながら。
なんとかかんとか。どうにかこうにか。
経済的な仕事に。経済活動に従事している。

根本的には向いてないのだけれどね(笑)。



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2015/10/08 Thu *小さな命に励まされ / The Rolling Stones

20151008flowersdef


今年の夏は。
特に暑かった。
何だか。毎年、同じことを。
言っている気もするが。
何だかんだで。年々、暑くなっているよなと。

そうなると。
もう。こっちも限界で。
経済的な仕事を終えたら。
後は、ギネスを飲んで。レコードに針を落とす。
その程度の余力しか無くて。

申し訳ないと。
そう思いながらも。
ついつい。
ベランダの花々の。
水やりや、手入れも疎かになりがちで。

まぁ。
自分が潰れちまったら。
それこそ。
花がどうとかも。言っていられない。
そう。言い訳をしてね。

土は乾くし。
葉は散るし。
なんか緑色も褪せてきて。
これじゃ。
夏を越せるのは無いかもなどと。

花が咲かないと。
花が枯れてしまうと。
こっちの心も寂しいなと。
こっちの心も乾いてしまうなと。
自業自得なのに。棚上げにしてね。

『Flowers』'67年リリース。
ローリング・ストーンズの米国編集アルバムのベルギー盤。
当時、英国ではリリースが見送られたのですが。他の欧州諸国ではリリースされたのかな。
この独自のジャケット。オリジナルのジャケットと比較すると毒々しい感じもしますが。
フラワーズ、花々の香り、匂いはより濃厚に漂ってきそうにも思えます。
元々のコンセプトは米国では未発表だった複数のナンバーをヒット曲と抱き合わせて。
更には当時のフラワー・ムーブメントにも便乗して売ってしまおう、みたいなものだったと。
定説では、あのモントレー・ポップ・フェスティヴァルの仕掛け人の一人でもあった人物。
ルー・アドラーがコンセプトから選曲、ジャケットのデザインまで関わったと言われていて。
オリジナルのジャケットでは、花に擬せられたメンバー5人の中で。
ブライアン・ジョーンズだけ茎に葉がついていないのが不吉との都市伝説もありました。
「Ruby Tuesday」「Have You Seen Your Mother, Baby, Standing In The Shadow」とか。
「Let’s Spend The Night Together」「Lady Jane」等のヒット曲を含んでいるものの。
しかもそれらヒット曲はA面の頭からに連続で収録してしまっているので。
A面の半ばから途端に花々の香り、匂いが薄くなると言うか。地味な展開になってしまって。
この辺り、もう少し曲順とか考えられなかったのかなと。それだけ粗製乱造だったのかなと。
尤も。地味な、目立たない花々の微かな、密やかな香り、匂いにも独特の魅力がある様に。
例えば「Out Of Time」とか「Take It Or Leave It」とか「Sittin’ On A Fence」とか。
捨てがたい佳曲もあって。混沌とした百花繚乱。その時代には相応しかったのかな。
ただ、「My Girl」これだけはねぇ。テンプテーションズにもオーティス・レディングにも。
遠く及ばないどころか、失礼でさえあるだろうって程に何の捻りもオリジナリティも無く。
感じ方は人それぞれだと思いますが。ストーンズ史上に残る捨て曲かなと・・・厳しいものなぁ、こればっかりは。

今年の夏は。
本当に暑かった。
何だか。毎年、同じことを。
言っている気もするが。
間違いなく。年々、暑くなっているよなと。

そうなると。
もう。こっちも限界で。
経済的な仕事を終えたら。
後は、真面にキッチンンに立つ気力も無く。なんとか素麺くらいなら。
その程度の気力しか無くて。

御免なさいと。
そう思いながらも。
ついつい。
ベランダの花々の。
水やりや、手入れからも遠のいてしまって。

まぁ。
自分が壊れちまったら。
それこそ。
花がどうとかの。問題じゃないし。
そう。言い訳をして、逃げて。

土は乾上がって。
葉は散り尽して。
なんか緑色まで少なくなって。
これじゃ。
夏を越せなくても無理もないかなどと。

花が咲かないと。
花が枯れてしまうと。
こっちの魂も寂しいなと。
こっちの魂も乾いてしまうなと。
自業自得なのに。ベランダから足も遠のいて。

命の。
生命の。
尊さに。
人間も。
動物も。植物も。

差異は無い。
貴賤は無い。
なのに。
しょうがないなと。
自分の性根の無さに呆れつつ。

それでも。
涼しくなるにつれ。
少しずつではあるけれども。
ベランダを除いて。
水をやる回数も少し元に戻って。

更には。
花々の世話に関しては。
自分より格段上の。
経験を持つ。
相方が遂には出陣して。

生き残る。
その可能性を感じさせる。
花々を。
植え替えてみて。
水もたっぷりとやる様になり。

そうしたら。
そうしているうちに。
なりは小さくても。
頑張り屋の。根性がある。
そんな花々が。

根を張り。
茎を伸ばし。
葉を茂らせ。
芽を出し。そして・・・

可憐ながらも。
生命力に溢れた。
色とりどりの。
花々が開花して。
その香りを、匂いを漂わせ。

誘われてベランダに出てみると。
どっこい。生きているぜ。
どんなもんだい。お前も頑張れよと
小さな命に。励まされて。
思わず微笑みながら。ちょっと目尻を拭ったりして。

そんな初秋から晩秋へ向かう間の一日だったりしたのです。



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2015/10/07 Wed *本質 / Eric Burdon And The Animals

20151007loveis


何が。
オリジナルか。
何処までが。
オリジナルなのか。
どうなのかね。

悠久の。
地球の歴史から。
見れば、その中では。
ちっぽけでも。
人類の歴史も、それなりで。

そうなると。
まるっきり。
完全に。完璧に。
今まで。存在しなかった。
そう証明できるもの。

そんなものなど。
果たしてあり得るのだろうかと。
寧ろ。
何かに。同じ様なものが存在しているのが。
それが。当然ではないのかと。

問題は。
それを。
どれだけ。どこまで。
自分のものとして。
吸収して。咀嚼して。表現できているか。

そこにこそ。
本質が。
勝負の分かれ目が。
あるのだと。
思えなくもないのだな。

『Love Is』'68年リリース。
エリック・バートン率いるアニマルズの2枚組アルバム。
もうこの頃にバードン以外にはオリジナル・メンバーは残っていなくて。
ズート・マネーとか、アンディ・サマーズ(!)等がメンバーとなっていて。
確か、このアルバムを最後にして。最初の解散をしたのかな。
兎に角。あのブリティッシュ・ビート・バンドとしてのアニマルズの姿はもう無くて。
サウンド的にも。当時の、フラワー・ムーブメントの影響が色濃く反映されていると。
元来、あのブライアン・ジョーンズをして英国最強のヴォーカリストと言わしめたバードンですが。
(自分の勝手な思い込みですが。事実ならミックは相当に根にもっていただろうなと・・・)
初期の大ヒット曲「The House Of The Rising Sun」に代表される様に。オリジナル・ナンバーに拘らず。
自分の好きな、耳に留まった、歌いたいナンバーを歌う、根っからのヴォーカリスト体質かなと。
勿論、それでも。単なるコピーに、歌が巧いだけの、カラオケで高得点を得るのを目的にしているだけの様な。
つまらない、下らない。魂のこもってない歌になっていないのは。バードンの本物の実力。
カヴァーであっても。オリジナルのアーティストに敬意を払って。吸収して、咀嚼して、自分の歌として。
唯一無二の表現力で再構築していると。だから誰からも後ろ指を指されないのだと思うのです。
ここまで。自分の世界に引きこんで再構築してしまえば。もうバードンのオリジナルも同じですからね。
このアルバムでも。「River Deep Mountain High」「To Love Somebody」「As The Years Go Passing By」等の。
著名なナンバーをカヴァーしていますが。すっかり自分のものにして。バードンの歌として聴かせてくれます。
新しもの好きと言うか、流行に影響され易い傾向もあって。モントレー・ポップ・フェゥティヴァルに感化されて。
「Monterey」なんてナンバーを作って、歌っちゃう。そんな、思い込みの激しさもあったのでしょうが。
バードンが、コピーやパクリで終わらなかったのは。そこに真摯な魂が、愛があったからだと思うのです。

何が。
許されて。
何処までが。
許されるのか。
そうだよな。

これだけ。
情報が氾濫して世の中で。
見たくなくても目に入る。
聴きたくなくても耳に入る。
ましてや見たければ。聴きたければ。尚更で。

そうなると。
まるっきり。
完全に。完璧に。
何にも、誰にも。影響を受けなかった。
そう証明できるもの。

そんなものなど。
果たしてあり得るのだろうかと。
寧ろ。
何かに。影響を受けているのが。
それが。当然ではないのかと。

問題は。
それを。
どれだけ。どこまで。
敬意を払った上で。
吸収して。咀嚼して。再構築できているか。

そこにこそ。
本質が。
勝負の分かれ目が。
あるのだと。
思えなくもないのだな。

単なる。
コピーを。
物真似を。
称賛する、有難がる。
そんな人達もいるにはいるが。

自分は。
そんな気にはなれなくて。
コピーでも。物真似でもなくて。
カヴァーでも。そこに。
その、やる人の思いが、魂が感じられる。

そうであれば。
例え影響されたものが。
例え同じ様なものを知っていたとしても。
それを凌駕するもの。自分のものにしている。
それが感じられる。そんな愛のある表現が、人が好きなのだな。

そう。
そこに。
魂が。
愛が。
あれば、オリジナルか否かなんて関係ないと。

そうじゃないと。
ドロップキックも。
バックドロップも。
そして。ブレインバスターも。
使えなくなってしまうじゃないか(笑)。

そう。
そうなのだ。
オリジナルか。
否かじゃなくて。
魂の。愛の。存在の有無が。本質なのだ。



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2015/10/06 Tue *どうしようもない恋の唄 / ルースターズ

20151006theroostersagogo


今は。
それで。
これで。
ありなのだろう。
いいのだろう。

今も。
そうで。
あるのなら。
こうして。
いられるなら。

それも。
また。
ひとつの在り方。
ひとつのささやかな世界。
そうなのだろう。

そこに。
充足して。
安住して。
満足して。
それでいいのかと。

そんな思いが。
そんな声が。
無いわけでもない。
聞こえないわけでもない。
それでも。

その在り方に。
このささやかな世界に。
助けられて。
救われて。
だから。この夜もあるのだから。

『The Roosters a-Gogo』'81年リリース。
大江慎也の表情、特に目が印象的なルースターズの2ndアルバム。
大江、花田裕之、井上富雄、池畑潤二の4人のルースターズ。
自分にとっては。やっぱり。このオリジナルのルースターズこそがルースターズ。
どうしても。その感覚は。今でも変わらないかな。そして。この先もね。
さて。あまりにも1stアルバムが衝撃的だったので。
このアルバムは物凄く期待されていたと思われ。そしてプレッシャーもあっただろうなと。
結果、1stアルバムと同様に。オリジナルとカヴァーからなる構成は変わらないものの。
そのサウンドは、一聴して。かなりマイルドなものになっているのが感じられて。
なんか、少し肩透かしを食らったと言うか。ちょっと拍子抜けをしたと言うか。
もっと、正直に言ってしまえば。ガッカリしたのですね。初めて聴いたときには、本当に。
カヴァーの選曲もサファリーズ~コニー・フランシスって。ちょっとそれはどうかと。
何だかねと。めんたいロックのロックが、めんたいビートのビートが弱いだろうと。
同じ明太子でも本場の博多のものでなくて、別の産地のものになっちゃったかなと。
(今だったら椒房庵か、あごおとしだったものが。これじゃぁ、○○○○になっちゃったと表現するかな)
で、暫く針を落とすことも無くて。レコード棚の隅で誇りを被ることとなって。
1stアルバム聴きながら。俺はただお前とやりたいだけ~と魂の叫びを発していたのですが(笑)。
多分。大江の病気が明らかになった頃だったかな。このアルバムのジャケットが浮かんで。
それで。改めて聴いてみたら。これはこれでありかなと。確かに衝撃的では無いし。
鋭さにも欠けるけど。大江の独特の言語感覚。それは変わって無くて。心に刺さるもので。
柔らかく、ソフトに歌っても。刺さるものは刺さる、そんなロックもあるじゃないかと。
そう思わされたのですね。やりたいだけ~もいいけど。G I R L、 ガールフレンドっていうのもいいじゃないかと。
ただ。やはり急激な変化でしたから。大江自身にも迷いはあって。それが表情を、目を印象的にしていたのかと。
まぁ、今もどっちが好きかと言われれば圧倒的に1stアルバムなのですけどね。
このアルバムもいいかな、愛しくはあるなと感じる様になったのです。糞ガキも大人になったと(笑)。

これからも。
それで。
これで。
ありなのだろう。
いいのだろう。

これからも。
そうで。
あれるのなら。
こうして。
いられるのなら。

それも。
また。
ひとつの在り方。
ひとつのささやかな幸せ。
そうなのだろう。

そこに。
充足してしまって。
安住してしまって。
満足してしまって。
それで本当にいいのかと。

そんな思いは。
そんな声は。
無くなりはしないだろう。
常に聞こえ続けるであろう。
それでも。

その在り方に。
このささやかな幸せに。
助けられている。
救われている。
だから。この夜があるのだから。

ならば。
それでいい。
それでもいい。
それは、自分らしくないと。
思いもするが。

それを。
認めてでも。
思わず苦笑いを浮かべても。
溜息のひとつくらい吐いてでも。
それでも。

今は。
消えてしまうことなど。
失うことなど。
手放すことなど。
考えられない。

この先も。
消えてしまうことも。
失うことも。
手放すことも。
考えられない。

それが。
自分にとって。
ささやかな世界の。
ささやかな幸せの。
消失が。致命傷になることを知っているから。

今は。そして。これからも。
それで。
これで。
ありなのだろう。
いいのだろう。

そう。
そいつが。これが。
今も。これからも。
自分にとっての。
どうしようもない恋の唄・・・



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2015/10/05 Mon *起て、起つんだ / 萩原健一

20151005nekkyolive


燃えろ。
吠えろ。
怒りを燃やせ。
なんて。
煽ってみたくもなる。

いつだったか。
火消しに出向いたら。
火を噴いているのではなくて。
やる気喪失。意気消沈。
火種も消えそうで。

それでも。
話を聞いたら。
ちゃんと理想も、意志もあって。
なのに、上層部に届かない。
任せた、の一言で終わり。耳も貸してもらえないと。

ならば。先ずは振り向かせますかと。
プロジェクトルームの壁に。
燃えろ、吠えろ、怒りを燃やせ!とスローガンを貼って。
案の定、上層部から、怒りは如何なものかと言って来て。
スローガンから消すには、あの人達の話を聞いてからでしょうねと。

直接対話の場を設けてもらって。
思いの丈を、言いたいことを吐きださせたら。
俄然、上層部まで盛り上がっちゃって。
火種が息を吹き返して。
後は、たまに。様子を見に行って軌道修正するだけで。自走しだしたと。

そう。
何事も。
燃えて。吠えて。
踊って。楽しんで。
そうでなきゃ、ならんのよ。

『熱狂雷舞』'79年リリース。
'78年~'79年のツアーで収録された萩原健一、ショーケンの2枚組ライヴ・アルバム。
バックは柳ジョージとレイニーウッドで。ゲストに大野克夫と速水清司が参加。
確か、このツアー中の名古屋公演だかで、ジュリーが飛び入りで参加して。
ショーケンとジュリーのツイン・ヴォーカルで「自由に歩いて愛して」をやった筈で。
何故に。それが入ってないのかと。まぁ、当時のナベプロじゃ交渉するだけ無駄だったか。
さてと。ショーケンですよ、ショーケン。マカロニであり、修ちゃんでありますが。
元々、テンプターズ、そしてPYGなのですよ。熱いロック魂を胸に宿した男なのですよ。
ロックする時はロックする、歌う時は歌う、熱く狂おしく雷に撃たれたかの如く舞うと。
あまりにも自由奔放過ぎて、歌詞は間違える、音は外す。それもロック・・・
正直に言ってショーケンは歌が上手くないと言うか、ハッキリ言えば音痴に近いのだと。
ですが。それがどうしたと。それを問題にしない、ものともしない魂が宿っているのです。
(まぁ、柳さん始めメンバーがしっかり支えているからこそ許される芸当ではあります)
アナログ盤の帯に。まさにロックなのだ。スピリットがロックそのもの。と書かれていて。
そう。ここに捉えられている、全身全霊で狂喜乱舞する。シャーマンにすら思える。
それこそが、ショーケンの本領発揮であり、ショーケンのロックなのです。凄いの、凄くないのって。凄い。本当に。
結構バラードも多く歌っていて。そこでも全身全霊。従って、魂を揺さぶられるのですが。
それだけに収まらず。バラードなのに叫び、踊り狂いたくなる。バラードもロックさせる。
この。熱く狂おしく雷に撃たれたかの如く舞う、燃えて、吠えて、踊って、楽しむ姿。
そう、これはショーケンのライヴであり、マカロニの、修ちゃんのライヴでもあるのです。
付録のモノクロでステージや舞台裏を捉えた写真集が、また実にロックしているので。
ここは。何が何でも。アナログ盤で聴いてもらいたいものです。ロック者ならばね。
それにしても。すっかり体型が変わってしまった(泪)、ジュリーが未だ、燃えて、吠えて、怒りを燃やしている。
ショーケンも、今こそが。燃えて、吠えて、怒りを燃やす時だろうと思えてならないのですけどね。
それこそ。自由に愛して愛せる、そんな時代の火種が危機に瀕している今こそ起て、、起ってほしいのです。

燃えろ。
吠えろ。
怒りを燃やせ。
なんて。
煽ってみたくもなる。

いつのまにか。
忍び寄るのを許してしまった。
透明に見えるどす黒い真綿で締め付けられて。
呆然自失。窒息寸前。
自由も、愛も消えそうで。

それでも。
気づいたのなら。
ちゃんと決意も、覚悟もあるのなら。
何としてでも、真綿など引き千切れと。
どうせ、の一言で終わり。声も上げないなど。言語道断。

ならば。先ずは尻に火をつけますかと。
沈黙する人々の胸に。そしてそうせた奴等の胸に。
燃えろ、吠えろ、怒りを燃やせ!と檄文を投げこんで。
案の定、相手にされず。気付かれずとも。
諦めずに。投げこみ続けて。吠え続けて。

直接対決のリングに上れたら。
思いの丈を、言いたいことを吐きだしてやる。
熱く、狂い、雷に撃たれたかの如く、仕掛けてやる。
火種が灰に帰す前に。息を吹き返させる。
後は、そう。煮ても。焼いても。好きにしてくれればいい。

そう。
何事も。
燃えて。吠えて。
踊って。楽しんで。
そうでなきゃ、ならんのよ。

そう。
そして。
今が。
今こそが。
その時なのではなかろうと。

今。
燃えずして。いつ燃える。
今。
吠えずして。いつ吠える。
今がその時だろう。

今。
踊らずして。いつ踊る。
今。
楽しまずして。いつ楽しむ。
今がその時だろう。

今。
起たずして。いつ起つ。
今。
狂わずして。いつ狂う。
今だろう。

今。
そいつを逃して。
黙して。座して。死ぬなら。
何が己の桜かな。
燃えろ。吠えろ。怒りを燃やせ。

透明を装っていて。
真綿が。どす黒い正体を表し始めたのだ。
チャンス到来。
引き千切ってでも。燃やし尽くしてでも。
直接対決のリングに引き摺り出してやる。

燃えて。吠えて。
踊って。楽しんでやる。
舐めるなよ。
こっちはブラウン管の前で一緒に闘魂を燃やしてきたのだ。
どーですか?一緒に狂喜乱舞しませんか!



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2015/10/04 Sun *それ以上でも、それ以下でもない / 柴山俊之

20151004sentimentalfool


思慮?

生憎と。
そんなものとは。
縁がないな。
今までに。
持ち合わせたこともないな。

それが。
どうかしたか。
確かに。
浅はかで。
感情的で。

時には。
感傷的に過ぎて。
溺れているかな。
それで。
どうかしたか。

悪いけど。
思慮なんてものに。
関わったら。
感じられないものが。
好きなだけさ。

それが。
どうかしたか。
お前には。
お前等には。
何の関わりもない。

感情的で。
感傷的で。
愚かな。
道化師。
それ以上でも、それ以下でもない。

『Sentimental Fool』'86年リリース。
菊こと柴山俊之の1stソロ・アルバムにして。
現時点でも唯一のソロ名義でのアルバム(だと思います)。
サンハウス解散後は、その一時的な再結成以外は作詞家として活動していた。
そんな柴山・・・菊が歌手としての活動を本格的に再開したきっかけとなって。
以降、今に至るまで。作詞家としての顔も保ちながら歌い続けていると。
そうか。そう考えると。今まで思っていた以上に重要なアルバムなのだなと。
何を今更にも。程がありますが。だってね。菊が歌ってない、菊の歌が聴こえない。
そんな世界など。想像も出来ないので。その上に。過っては、勝手に師事していたし。
菊って。その詩の世界も。そして歌声も。非常に独特で。唯一無比なのですが。
特にライヴとかだと。その毒々しさと妖しさ。それのみに。惹かれていたりするのですが。
その反面にある。繊細で耽美的で。感傷的な退廃とも言うべき顔、その世界。
それに、また同等に。場合によってはそれ以上に惹かれ、魅せられたりもしていて。
このアルバムでは、どちらかと言うと。後者の菊の世界が全編を支配しているかな。
唯一のカヴァーが二葉あき子の「夜のプラットフォーム」って戦前の歌謡曲で。
これが菊のオリジナルと何ら、違和感を抱かせること無く収録されていて。
その選曲のセンスと、歌いこなしてしまう菊のヴォーカリストとしての技量。
そこに。菊の原点の様なものを感じて。その感傷的で耽美な、退廃の世界に溺れていたくなると・・・
誠ちゃんや、下山淳、花田裕之、石橋凌等に交じってアン・ルイスが参加しているのが時代を感じさせて。
アンさんは悪くないのだけど。サウンドがあの暗黒の’80年代半ば的なのは致し方ないのかな。玉に疵だね。

分別?

生憎と。
そんなものとは。
縁がないな。
生まれてから。
縁があったこともないな。

それが。
どうかしたか。
確かに。
後先なく。
盲目的で。

時には。
感情に走り過ぎて。
空回りしているかな。
それで。
どうかしたか。

悪いけど。
分別なんてものを。
考えたら。
触れることのできないものが。
好きなだけさ。

それが。
どうかしたか。
あんたには。
あんた等には。
何の関わりもない。

短絡的で。
直情的で。
愚かな。
道化師。
それ以上でも、それ以下でもない。

同情も。
憐れみも。
いらない。
道化師でいられれば。
それでいい。

悲しみも。
哀しみも。
感じない。
道化師でいたいだけ。
それでいい。

思慮も。
分別も。
糞喰らいやがれ。
感じたいだけ。
触れたいだけ。

その思い。
時に。
毒々しく。
時に。
繊細に。

その思い。
叶わなくても。
感傷的に。
耽溺して。
退廃の内に朽ちられれば。

欲と。
夢に。
まみれた。
道化師。
それ以上でも。それ以下でもない。

感傷的に過ぎる。
愚かな。
道化師。
その世界には。思慮分別など存在しない。
それ以上でも。それ以下でもない。



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2015/10/03 Sat *絆と別れ / 沢田研二

20151003kenji


兄とも慕い。
弟とも慕われ。
そんな。
友情とも少し異なる。
固い絆もある。

友達。
仲間。
師弟。
どれも。
少し異なる。

同志。
そう同志なのだけれど。
その中でも。
何か特別な絆を。
感じざるを得ない。

そんな関係が。
あるのだ。
まぁ。
信じようが、信じまいが。
それは人ぞれぞれで。

そんなことなど。
こっちの知ったことでもない。
ただ。
魂をぶつけ合って火花を散らしたり。
魂を無言で支えられて涙したり。

そんな関係も。
世の中にはあるのだ。
経験の無い人には。
悪いが、可哀そうにと。
同情さえ。感じてしまう様な。そんな絆がね。

『Kenji』'75年リリース。
ジャケットがあまりにも美しすぎるジュリー、沢田研二の英国盤アルバム。
美しすぎるジュリー。そのイメージを象徴するのが「追憶」のジャケットにも使われた。
このカット。そのフォト・セッションで撮られた一連の写真だと思うのですが。
その中でも。この英国盤はちょっと、別格の美しさ、麗しさが漂ってるかな。
内容はロンドン録音で。アルバム全編、総てのナンバーが英語で歌われています。
そうです。日本盤の『The Fugitive 愛の逃亡者』と同内容の英国盤なのです。
『The Fugitive ~』のジャケットも妖しくて良かったけど。美しさではこっちだなぁ。
ちょっと懐かしいブリティッシュ・ロックの香り漂うナンバーを歌うジュリーです。
その曲調、サウンドには。英国盤ならではの乾きながらも温かみのある音質が合ってると。
40年前はまだまだ。英国と(そして米国とも)録音技術、環境の差は大きかったのです。
聴いていると。ジュリーが加瀬邦彦と組んでやりたかったことが解る気がします。
グラム・ロックとバブルガム・ポップの中間のちょっと怪しくも。
楽しく弾けるロックンロールってとこかな。それを歌う東洋からきた謎めいた美青年。
またジュリーの歌声がね。英語になると。カッコ良くてエロティックで。
相当特訓させられたみたいですけど。ジュリーと、そして加瀬さんは本気だったんですよ。
そう、本気で世界を狙ってたんですよね。時に加瀬さんのが入れ込んでたみたいですけど。
タイガースとワイルド・ワンズ時代から親交があって。兄として、弟して。
そして音楽を愛する同志として、硬い絆で結ばれていた2人の挑戦、奮闘。
その濃密であったであろう時間を想像すると。今は。切なくもあり。悲しくもあり。
この頃の、このアルバムのジュリーは間違いなくロックンロール・スターで。
ここまでやったからこそ。そしてその後も歌謡界のトップに君臨したからこそ。
今の。何も恐れるものなど無いと。自由に歌い、発言する。ジュリーがいるのだと。
でも。恐れるものが無くてもね。そんな自分を生み出してくれた、支えてくれた。
強い絆が突然、断ち切られた。兄貴分を失った。その喪失感は想像するに。あまりにも・・・
それでも。それをも乗り越えて。ジュリーは歌い続けるのだと思います。きっとね。

兄とも慕い。
弟とも慕われ。
そんな。
友情とも少し異なる。
固い絆もある。

友達。
仲間。
師弟。
どれも。
少し異なる。

同志。
そう同志なのだけれど。
その中でも。
何か特別な絆を。
感じざるを得ない。

そんな関係が。
あるのだ。
まぁ。
信じようが、信じまいが。
それは人ぞれぞれで。

そんなことなど。
こっちの知ったことでもない。
ただ。
魂をぶつけ合って火花を散らしたり。
魂を無言で支えられて涙したり。

そんな関係も。
世の中にはあるのだ。
経験の無い人には。
悪いが、可哀そうにと。
同情さえ。感じてしまう様な。そんな絆がね。

そんな絆が。
ある日。
突然。
一方的に断ち切られる。
それも本人の意思によって。

共に。
あるはずの。
共に。
歩んでいるはずの。
魂が消えてしまう。

自らの手で。
その絆を。
断ち切り。
その命をも。
絶ってしまった。

兄とも。
慕っていた。
同志は。
突然。何も告げずに。
旅だってしまった。

その。
絆が強ければ、強いほど。
その。
魂の邂逅が深ければ、深いほど。
遺された者は、深く暗い絶望の中で罰せられる。

辛く。
悲しく。
そして。
悔しくて。
傷口が塞がらないまま。

流れだす血に。
その血だまりに。
足をとられ。
血だまりの中に倒れ込み。
血で染まった両手で顔を覆い。

血の涙を流す。
血の思いを叫ぶ。
それが。
何年も。何年も。
十年を超え様が続いているのだ。

強かった筈の兄。
先を行っていた筈の兄。
支えていてくれた筈の兄。
逢魔が時に魅入られたのか。
丑三つ時に出会ってしまったのか。

止まらない血の涙。
止まらない血の叫び。
両手を。顔を。魂を。
血で汚しながら。それでも。
遺された自分は。

今日も。
何とか生き抜いた。
明日も。
何とか生き抜いてみせる。
それ以外に。この絆を誇れる道はもう無いのだから。



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2015/10/02 Fri *同志 / Patti Smith

20151002horses


初めて会ったのは。
もう三年ほど前になるのか。
プロジェクトの火消を依頼されて。
赴いたクライアント。
そこで出迎えてくれたのが彼女だった。

クライアント側の。
現場責任者だった彼女。
その理路整然とした説明。
こちらの視線を逸らさずに話す凛とした姿。
出来る人だなと言うのは一瞬にして解かった。

酷い状態だった。
クライアントは理解不足。
ベンダーは説明不足。
調整役を担う筈のコンサルタントは。
指導力不足の上にコミュニケーション力不足。

火を消す前に。
火中の栗を拾って。
その栗の持つ意味合いを。
三者三様に説明して理解させるところから始めるわけね。
やれやれ。

望むところだねと。
火を噴いていれば噴いているほど。
地雷が埋まっていれば埋まっているほど。
どう鎮火させるか、どう踏み潰すか。
興奮する様な人種だった自分には願っても無い(笑)修羅場だった。

聞いている振りをする人達。
理解した振りをする人達。
動いている様に見せかける人達。
火を噴く現場にありがちな人間模様の中で。
彼女は常に、耳の痛い話にも耳を傾け、理解できるまで考え抜き、率先して動いていた。

『Horses』'75年リリース。
言わずと知れたパティ・スミスの1stアルバム。
パティの盟友でもあったロバート・メイプルソープによるジャケット。
凛としたその姿に。パティの意志、決意、覚悟が見事に捉えられている。
何の奇も衒っていないモノクロームのポートレイトが、簡潔にして雄弁に語る。
そのアルバムの内容は、ラフでヒリヒリとした演奏と。
その演奏を背景に、魂を絞り出すかの如くのパティの歌声。
それらが描いた、それらが創りだした。新しい世界の誕生が実に刺激的で。
ニューヨークのアンダーグラウンドなシーンでは'60年代から既に知られていながら。
デビューに関しては慎重だったパティの。その30歳を目前にしたデビュー。
そこまでに蓄積され、醸成されたものの重み。それを一気に吐きだした過激さ。
その鮮烈さによって、閉塞していたシーンに見事に一撃で穴を開けることとなった。
そして同時に。このパティの存在があったが故に。後に続く多くの女性ロッカーの道が開かれた。
ジャニス・ジョプリンが扉を蹴破って、開拓し、歩んできた道を。
更にパティが、より多くの可能性の扉を開き、より多くの道、可能性を示してみせた。
そう。パンク云々を超えて。パティがその凛とした姿勢、その折れない心と共に現れた。
その意義は、とてつもなく大きなものであったと。今更ながら感嘆させられるものがあります。
ジョン・ケイルがプロデュースしていることも。トム・ヴァーレインが参加していることも。
その影響が明らかな、ボブ・ディランやヴァン・モリソンやザ・フー等を見事に咀嚼して。
パティ・スミス、その人以外の何者にも成し得ない表現、個性を確立してみせている事実。
その前には。失礼ながら、些末なことにしか思えなくなってくるのです。
じっと一点を見据えるジャケットのパティ。寡黙な様でもあり、雄弁な様でもあり。
ただ確かなのは。その凛とした姿の内に秘められたものは今も変わっていないだろうと言うことだけかな。

初めて会ってから。
一年以上。
立ち位置は異なりながら。
火を消すこと。
そして。その灰の中から新たなものを生み出すこと。

目標を同じくして。
歩んでいく中で。彼女は常に共にあった。
時に体面にあり。時に横にあり。時に少し離れて。
その時々で。迷いや悩み。そして怒りを抱えながら。
彼女の凛とした姿勢と眼差しは揺らぐことは無かった。

やや強引な手法で火を消して。
新たな可能性を探り。新たなものを生み出すことに注力する。
その段階で。彼女の姿勢と瞳は輝きを増し。
乗せて、引っ張った筈の自分が時には逆に引っ張られる思いもした。
だが。それは決して心地の悪いものでは無かった。

彼女と彼女のメンバー。
自分と自分のメンバー。
中核となった四人は。いつのまにか自然と。
時には立場の違いを乗り越えて。一体となって。
自分達が生み出そうとしている新しいものの可能性に。

最初は。絵空事とも思えた。
その新しい可能性を。実現させる為に。
時間を忘れて議論を戦わせ。疲れも忘れて飛び廻り。
いつのまにか自発的に。様々な試みをも持ち込んで。
兎に角。今や共有のものとなったその可能性にかけた。

考えうる想定は徹底的にシュミレーションし尽くし。
考えられるリスクには総て解決策を想定し。
考えられる効果は総て測定し。その裏付けをし。
最高とは言えないまでも。間違いなく最善のものを生み出す。
その目的から、効果。手法から。実行計画までを共に創り上げた。

結論から言うと。
我々は。
彼女と自分は。
敗北した。
敗れ去った。

ある日の深夜。
彼女から一通のメールが届いた。
どうしても。上層部を説得できなかったと。
何度も。何時間も説明を尽くしたが。受け入れられなかったと。
その事に関しての謝罪と共に。初めての愚痴と弱音が綴られていた。

泣いているんだ。悲鳴を上げているんだ。
決して人前では表には出さなかったが。
そう。もう、随分前から彼女は。我々には入ることが出来ない。
その世界では一人で闘いながら、疲弊していたのだろう。
そこに込められた彼女の思いを背負い、そしてそれ以上に我々の思いを背負い。

彼女に返信を書いた。
それは通常であれば。自分のビジネスに於いては許されない。
いわば、彼女がそれでも闘うのであれば。どこまでも共に闘いますよとの。
道行きを、心中をする決意を示すものであった。
彼女を励ます為に、多少誇張はしたものの自分の本心であった。

翌朝。メンバーが声を掛けてきた。
あの返信は不味いですよねと。そうだなと。でも退く気にはなれないんだと。
いいじゃないですか。俺も嫌いじゃないので。やりますか。
別の打ち合わせに向かう為に我々の席の側を通りかかった時。彼女は黙って一礼していった。
事情を知る筈もない彼女のメンバーも、彼女を助けてほしいと飛んできた。

それで。もう十分だった。
彼女が闘いを放棄しない限り。全力で自分も共に闘う。
ビジネスとしては論外だが。もう金の問題じゃない。ここまで来たら。
自分の信義の問題だ。我々は間違ってはいない。
だったら。ここで退く訳にはいかない。退いちゃ駄目だ。絶対に駄目なのだと。

それから。暫くして。
遂に闘いに終止符が打たれた。
クライアントの上層部はあくまで首を縦に振らず。一からの再検討を決した。
彼女は新たな任務を与えられて。専任では無くなった。
自分は再検討とやらの提案の為に呼び戻された。

従来と百八十度異なる提案を喜々として語る輩は。
その内容よりも。新たに得られると思われる報酬の試算に夢中だった。
思わず。馬鹿じゃねぇの、やってられねぇと呟いていた。
(後でメンバーに聞いたら、どう考えても呟くって程度では無かった様だけど)
自分は完全に外されて。そのクライアントには足を運ぶなと釘を刺された。

最後の挨拶だけはと。
彼女を訪ねて。外れることを告げた時。一瞬、驚いた後に彼女は微笑んで。
私もこの会社を辞めますと静かに語った。俺には掛ける言葉は見当たらなかった。
でも。負けましたけど。私たちのやってきたことは間違って無かったですよね。
堪らずに、そう問いかけた彼女に。えぇ、間違ってません。そう答えるのが精一杯だった。

その後の事は書く気もしない。

約一年半ぶりに。
再会した彼女は。
以前と変わらぬ凛とした姿と。
熱い思いを内に秘めた瞳で出迎えてくれた。
それだけで。総てが理解できた。

彼女は。
いま、新しい場所で。
新たな戦いに。
立ち向かっている。状況は以前と似た様なものらしいが(笑)。
潰されたものを場所を変えて再現しようとしている。

そして。
俺は。
自分を潰したものを内部から食い破ってやろうと。
密かに牙を剥き。
潰したものの内部に築き上げようと企んでいる(笑)。

時は流れた。
互いに新しい道で。
互いに新しい闘いを始めた。
だが。そう。変わらずに。
彼女と自分は同志なのだ。

それだけで。いい。



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2015/10/01 Thu *ちかちかと / Joan Jett And The Blackhearts

20151001flashback


ちかちかと。
頭の奥で。
何かが点滅する。
あっ。
来たなと思ったら。

次の瞬間には。
もう。
心の辺土に。
漣が起こっている。
こうなると。どうにもならない。

現在。
過去。
未来。
その断片が。
その破片が。

蠢き。
ざわめき。
やがて。
飛び交い始めて。
突き刺さり始める。

何とか。
正気を保っていても。
過去に引き戻されそうになる。
未来に呑みこまれそうになる。
現在は。足下から消えかかっている。

蹲り。
やり過ごそう。
誰にも助けなど求められない。
自分の頭が。自分の心が。
引き起こしているのだから。

『Flashback』'98年リリース。
ジョーン・ジェット・アンド・ブラックハーツの2枚組編集アルバム。
元々は’93年に編集された同名のアルバムの再編集盤で。
権利関係のトラブルでもあったのか。何曲かが入替られています。
アルバム・タイトル通りにジョーン・ジェット率いるブラックハーツの足跡。
それを振り返る編集、構成になっていますが。単なるベスト・アルバムでは無く。
恐らくはこのアルバムで初めて公式に陽の目を見たナンバー。
それもカヴァーとか、ライヴ・テイクが収録されているのが目玉だったと思われて。
特にL7との「Cherry Bomb」とか。セックス・ピストルズとの「I Love Rock ‘N Roll」とか。
特にこの辺りはリリース当初に話題になった記憶があるのですけどね。違ったかな。
ジョーン・ジェット・アンド・ブラックハーツって言うのは、いざ聴こうとすると。
特にアナログ盤だと。なかなか揃えにくいバンドでもあって。
まぁ、途中からCDへと移行していく時代に活動していたせいもあって。
本当に意外なほど、レコ屋さんでも出会う確率は低いので。このアルバムは重宝していて。
ピストルズのカヴァー「MCA」とか(原曲はそう「EMI」)。
デヴィッド・ボウイのカヴァー「Rebel Rebel」も。サム・クックの「Bring It On Home」とかね。
そこらが纏めて聴けるって言うのは。前述のライヴ・テイクとも合わせると。
非常に貴重且つ意義のあるアルバムだなと。編集アルバムと侮ること無かれってとこかな。
そして2枚組、4面を聴き通すと。やはりジョーン姉御の。嘘偽りのない。
ロックンロールへの愛情、それも生半可では無い愛情をひしひしと感じるのです。
ここまで肝が据わってる、腹を括ってるロックンローラーのジョーン姉御。いいですね。
そうか。その点では。D面のラストが「I Love Rock ‘N Roll」じゃないのが玉に疵ですかね(笑)。

ちかちかと。
目の前で。
何かが点滅しながら。
過ぎり始める。
ここまで来てしまうと。

その瞬間には。
もう。
心の辺土に。
嵐が起こっている。
こうなると。どうもこうもない。

現在。
過去。
未来。
その断片が。
その破片が。

喚き。
叫び。
突き刺さった個所を。
抉り始めて。
血が流れ始める。

何とか。
半分は正気を保っていても。
過去に引き戻されている。
未来に呑みこまれている。
現在は。殆ど消失している。

蹲り。
やり過ごすしかない。
誰の助けも必要じゃない。
自分の心が。自分の精神が。
その奥底から引き起こされているものだから。

いま。
過ぎったのは。
現在か。
過去か。
未来か。

いま。
見えたのは。
あいつだったか。
あの娘だったか。
自分自身だったか。

いま。
聞えたのは。
あの時の絶叫か。
それとも。
あの時の無言の悲鳴か。

思考も。
思念も。
視覚も。
聴覚も。
攪乱される。晒される。

膝を抱えて。
蹲り。
やり過ごそうとする。
それさえも。
許されない。

進まなければ。
立ち向かわなければ。
この自ららが引き起こした嵐からは。
その中からは抜け出せない。
そうだ。そうなのだ。

蹲るな。
座り込むな。
未だ力のある間に。
愛せ。憎め。闘え。
生きろ。生きてみせろ・・・

自業自得。
ではあるけれど。
フラッシュバックに襲われる度に。
生きる以外に断ち切れる。
もう一つの手段を思わずにはいられない・・・



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2015/09/30 Wed *河原乞食、皿回し / Jobriath

20150930jobriath


浮草。
婀娜花。
あぶく。
塵芥。
河原乞食。

空が。
青ければ。
青いほど。
澄んでいれば。
澄んでいるほど。

妙に。
切なく。
やけに。
悲しく。
目を背けたくなる。

空の。
何処かに。
片隅にでも。
黒雲でもあれば。
落ち着くのだが。

世の中が。
きれいなら。
きれいなだけ。
澄んでいれば。
澄んでいるだけ。

生き辛い。
息苦しい。
そんな。
人間も。
ここにいるのだ。

『Jobriath』'73年リリース。
デヴィッド・ボウイへのアメリカからの回答、等とも言われた。
キャンプなグラム・ロッカー、ジョブライアスの1stアルバム。
邦題は『謎のジョブライアス』だったかな。これがなかなかの曲者で。
本名はブルース・ウェイン・キャンベル。ミュージカル・スターを目指していた青年。
それをマネージャーとなるジェリー・ブラントがグラム・ロック・ブームに便乗して。
ジョブライアスと改名させ。様々な扇動的で奇抜な宣伝活動を繰り広げて。
グラム・ロック・スターに仕立て上げようとしたと。そんな如何にもショー・ビジネス的な。
発想と世界が生み出した。言わば、虚構の産物でしかなかったのです。
ゲイであることを公言しながら。謎の異星人を装い(明らかにボウイを意識したもの)。
性的なテーマも含んだナンバーを、ミュージカルやボードヴィル、果てはシンフォニック。
そんな様々なスタイルで歌い、演じてみせるジョブライアス。その特異過ぎる個性。
ブラントはそれを殊更に誇張して宣伝することに熱中し。音楽的な戦略は皆無に等しく。
インタビューでジョブライアスには発言させず、通訳に発現させる等といった。
キャンプもここに極まれりとも言える話題作りのみに熱中し。エスカレートさせていき。
ジョブライアスはひたすら、そのチープなシナリオを演じ続けていたと言う。
やがて。グラム・ロックのブームは去り。ブラントのジョブライアスに対する熱も冷め。
2ndアルバムがリリースされる頃にはすっかり忘れられた存在となり表舞台から消え。
その後は本来の主戦場であったミュージカルやキャバレーの舞台で活動するも。
ブラントとの契約によりレコーディングは行えず。契約が失効した直後にエイズで逝去と。
その悲運、その悲劇。それを予見していたかの様な憂いを含んだ歌声を耳にするたびに。
この浮草で、婀娜花の如きジョブライアス、その河原乞食に相応しい最後も含め。
キャンプだった筈のジョブライアスこそが本物のグラム・スターに思えてくるから不思議です。

浮草。
婀娜花。
あぶく。
塵芥。
河原乞食。

夕焼けが。
紅ければ。
紅いほど。
燃えるようであれば。
燃える様であるほど。

妙に。
焦がれて。
やけに。
懐かしく。
見詰めていたくなる。

空の。
何処かに。
片隅にでも。
飛び込めるのであれば。
飛び込んで燃え尽きてしまいたい。

世の中が。
整えば。
整うだけ。
進化すれば。
進化するだけ。

生き難い。
窒息しそうになる。
そんな。
人間も。
ここにいるのだ。

所詮。
浮世の。
浮き草。
婀娜花。
それだけのもの。

所詮。
世間の。
あぶく。
塵芥。
それだけのもの。
確かな。今日も。
明るい。未来も。
語るべき。過去も。
持ち合わせていない。
ありゃしない。

操られ。
翻弄され。
振り回され。
打ち捨てられる。
それだけのもの。

所詮。
河原の枯れ薄。
風に吹かれ。
雨に濡れ。
その身を揺らし、散らすだけ。

遊びをせんとや生れけむ。
戯れせんとや生れけん。
遊ぶ子供の声きけば。
我が身さえこそ動がるれ。
河原乞食は。皿回しは。
最後まで。遊んで。遊ばれ。終るだけ。



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