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2015年12月

2015/12/28 Mon *夢幻、幽玄 / Van Morrison

20151228astralweeksukorg


それが。
何を意味するのか。
それは。
知りようもない。
知る必要もない。

ただ。
幽体離脱するかの如く。
魂が。
肉体を。
置き去りにして。

少し。
離れた位置から。
その様を。
眺めている。
見つめている。

音も。
匂いも。
色も。
薄い膜で隔てられて。
異世界の出来事のようで。

感じることも。
触れることも。
能わず。
思わず。
古いフィルムが再生されている。

フィルムが終わり。
映写機が空回りを始める。
光が絶たれ。暗闇の中へと。
沈んでいく。
その予感だけが、そこにある。

『Astral Weeks』'68年リリース。
ヴァン・モリソンのワーナー移籍後初の、通算2枚目のソロ・アルバム。
レコード会社が用意したスタジオに入ったヴァン。初めて共演するメンバーもいる環境で。
特に明確な指示を出すこともなく。1日で録音を終え、次の1日で編集を終えたと。
つまり。たったの2日間でこのアルバムを制作してしまったのだとか。
スタジオに入る前から明確なヴィジョンがあったのか。
それともスタジオに入ってから感じるままを一気に歌い仕上げたのか。
それは知る由もありませんが。兎に角。2日間でこのアルバムをものにしてしまったと。
そして。当時のヴァンは未だ23歳の若さだったということ。
そこに驚きを隠せないのです。これだけのアルバムを、この期間で、その若さでと。
ロックとも、ソウルとも、ジャズとも呼べない。カテゴライズすることを許さない。
ヴァンにしか創れない、ヴァンの歌声でしか表現できない、音楽がここにあります。
革新的なようでもあり、逆に懐古的なようでもあり。聴く度にその表情を変えてみせる。
どれだけ針を落としても、どれだけ聴いても。同じには聴こえてこない。
複雑な迷路に迷い込んだかのようで。その実、出口への道筋は示されているとも思える。
それを見いだせないのは仕掛けが難解すぎるのか?自分が複雑に考えすぎているのか?
恐らくは。そのどちらもが正解であり、そのどちらもが誤りでもあるだろうなと。
ヴァンにとっての出口への道筋は、結局ヴァンにしかわからない、表現できないもの。
しかしながら。そこに普遍的な道筋を導きだせるものは含まれているのだろうと。
何故ならば。ここまで独創的でありながら。どうしても引き寄せられる魅力がある。
それはヴァンの歌声とその作品には、自分と共通するなにものかの存在があるからだと。
これは。何も自分に限ったことでなく。世界中の音楽を愛する人間には共通するもので。
傑作との名声を得つつも。その難解さ故に、商業的な成功には結びつかず。
それでいながら。カタログから消えることなく。リリース後30年以上経過してから。
ゴールド・ディスクを獲得するに至ったというその特異な扱いと歩みが証明していると。
夢幻、幽玄の世界から現生の自分に語り掛けてくるようなこのアルバム。そして。
ヴァンの歌声は、自分、そして多くの人々にとって永遠の謎にして愛すべきものなのです。

そこが。
何処であるのか。
それは。
わかりようもない。
わかる必要もない。

ただ。
ドッペルゲンガーの如く。
自分から。
別な自分が。
生まれ出でて。

別の。
地平に腰かけて。
自分の姿を。
眺めている。
見つめている。

声も。
姿も。
仕草も。
透明な繭に包まれて。
異次元の出来事のようで。

感じることも。
触れることも。
叶わず。
思いもせず。
客席に座っている。

上映が終わり。
幕が下り。
明かりが灯され。光塵の中へと。
消えていく。
その予感だけが、そこにある。

生の実感。
命の実存。
そこから隔たれ。
そこから放たれ。
傍観者となる。

浮遊して。
離脱して。
膜の向う側。
繭の中。
意識が薄れゆく。

何であろうと。
何処であろうと。
感知しない。
関与しない。
フィルムを眺めている。

フィルムが終わるまで。
幕が下りるまで。
それまでの。
それだけの。
世界の端に腰を下ろして。

記憶の辺土に。
埋没して。
静かに。
安寧に。
眠りにつく。

その中で。
記憶も。
意識も。
総てを。
失うことに。
何の疑問も感じない。

ただ。どこかで。出口を求めてはいるのだろう。



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2015/12/26 Sat *また冬が / The Rolling Stones

20151226decemberschildrenusmono


また。
冬が来た。
この月を迎えた。
この日が巡ってきた。
また歳を重ねた。

冬の子供。
十二月の子供。
随分と遠くまで。
来たものだ。
連れられてきたものだ。

そもそも。
子供じゃなくなるなどと。
二十歳を超えてまで。
生きているなどと。
想像もしていなかった。

毎日。
その一日を。
乗り切るのに。
やり過ごすのに。
必死で。

明日や。
明後日など。
ましてやその先など。
考えることも。
出来なかった。

所謂、大人など。
信用したことも。
信頼したことも。
なかった。
そんな自分が大人になってしまったなど。今でも信じられないのだ。

『December's Children (And Everybody's)』'65年リリース。
ローリング・ストーンズの米国での5thアルバムにして、同年3枚目のアルバム。
如何に当時の米国でストーンズの人気が沸騰していたかの証であると同時に。
ロンドン・レコードの売れるときに、売れるだけうっておけとの思惑があからさまかなと。
同時点で英国では3枚しかアルバムがリリースされていない状況と比較すると。
粗製濫造の感は否めないかなと。それだけ市場の規模や状況が異なっていたのでしょうが。
オリジナル・アルバムとして扱われてはいますが。実質的には編集アルバムとなっていて。
「Get Off Of My Cloud」「As Tears Go By」と言ったシングル・ヒット曲に。
米国では未発表だった英国盤の『Out Of Our Heads』やEP盤収録曲を摘まんでと。
とにかく。クリスマス商戦に間に合わせましたってところが実情なのだと思われます。
なんたってアルバム全体で30分未満ですからね。なんともはやと言うところですが。
その短さゆえに。ラフでタフな。性急感に溢れるパンクなストーンズの姿を捉えていると。
そう思って聴くと。これはこれで悪くはない、ありだなと感じさせられるのは。
やはり、当時のストーンズが身に纏っていた、激しさと、勢いのなせる業かなと。
かなりの部分を「Get Off Of My Cloud」に負っているのは事実ですが。
A面頭からの「She Said Yeah」「Talkin’ About You」が連発される破壊力も相当ですし。
両面の最後に配置されたライヴの「Route 66」と「I’m Moving On」の臨場感もあって。
元祖パンク、元祖ガレージとしてのストーンズの魅力は端的に伝わってくるアルバムだと。
そこに。やはり。このジャケット。英国盤の『Out Of Our Heads』にも使われたショット。
ストーンズ史上でも一、二を争うそのカッコ良さが魅力を倍増させているのです。
基本的には'60年代のストーンズは英国盤で聴くのが正統だと思っているのですが。
12月の子供達の一人である自分にとっては、何のかんので愛着のあるアルバムなのです。
(そもそも。そうでなければ、ブログのタイトルに拝借したりはしないですしね)

また。
冬が来て。
この月を迎えて。
この日が巡ってきて。
また歳を重ねた一年が始まる。

冬の子供。
十二月の子供。
余りにも遠くまで。
来てしまい。
更に連れられていくのかと。

そもそも。
ガキじゃなくなるなど。
三十歳を迎えても。
尚、生き続けるなど。
想像もしていなかった。

毎日。
その一日の。
終わりを迎えるのに。
そこまで辿り着くのに。
精一杯で。

明日や。
明後日など。
ましてやその先など。
思うことなど。
考えもしなかった。

所謂、社会など。
信用したことも。
信頼したことも。
なかった。
そんな自分が社会の一員でいるなど。今でも許せないのだ。

こんなに。
多くの。
冬を。
十二月を。
この日を。

迎えるとは。
過ごすとは。
そして。
それを。
繰り返すなどとは。

想像できなかった。
想定外だった。
もう。
十分に。
過ぎてしまったのだ。

冬を。
吹き抜ける。
木枯らしの様に。
一陣の風として。
終われれば。
良かったのだ。

どうして。
ここにいるのだろう。
どうして。
ここまできたのだろう。
どこで間違えてしまったのだろう。

あの。
冬の。
十二月の。
この日の。
子供は。ガキは。今、何を思っているか。

吹き抜ける。
風と共に。
駆け抜けてしまいたかった。
その刹那にのみ生きたかった。
その衝動が未だ燻り続けているのだ。

生の、命の重さが足枷になって纏わりついて離れない。



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2015/12/25 Fri *有言実行 / John Lennon

20151225shavedfishgreen


人の力。
思う力。
願う力。
求める力。
確かにある。

でも。
もう。
それだけでは。
済まされない。
そこまできている。

そうなのだ。
転げ落ち。
瀬戸際。
追い詰められ。
袋小路。

だからこそ。
今まで以上に。
強く思おう。
強く願おう。
強く求めよう。

そして。
起とう。
動こう。
声にしよう。
行動で示そう。

この社会は。
この国は。
この世界は。
誰のものでもない。
好きにさせてたまるかと。

『Shaved Fish』'75年リリース。
ジョン・レノンの生前に編集された唯一のベスト・アルバム。
ジョンがショーンの育児に専念して主夫になったブランクの間に。
EMIとの契約履行の為もあって編集、リリースされたのかな。
このアルバムの次が『Double Fantasy』になるのですよね・・・
「Give Peace A Chance」のリプライズを含めての全12曲。
シングルとしてリリースされた曲のみの収録。特に貴重な音源もなく。
今では、そうだな。音源的な価値はあまり見いだせないアルバムなのだろうなと。
しかし。ジョンがどこまで関与したかはわかりませんが。その生前に編集、リリースされていたと。
そこには、なんらかの意志や、意図もあったであろうと。それだけで十分かなと。
一時期、毎年の様に12月になると新たなベスト・アルバムがリリースされ。以前のものは廃盤にされていて。
そこには。ジョンの音楽を世に広げようとの意志よりも、金の臭いを強く感じたからな。
勿論、このアルバムだけで。ジョンの総てがわかるわけもありませんが。
少なくとも、ロックが好きなら。音楽が好きなら。このアルバムくらいは聴いて欲しいかなとは。
当然「Imagine」も収録されていますが。「Cold Turkey」「Mother」「Woman Is The Nigger Of The World」と。
怒ったり、泣いたり、慄いたり、弱々しかったり、それでもやはり声を上げて闘ったり。
そんなジョンの、一筋縄ではいかない人間性の一端には触れることができるとは思うので。
パラノイアでさえあると思われるけど。それは人間、誰しも多かれ少なかれそんなもので。
それでも。それを隠さずに・・・まぁ、ジョンの場合は隠せなかったのだろうけれど。
それを。声にして、歌にして、世に投げかけつづけた。その意義、重さを考えたいなと。
残念ながら「Happy Xmas (War Is Over)」で歌われていることは未だ実現されていないのだから。
だからこそ、もう。その思い、願い、求めることは。歌うだけでなく行動に移さないとならないと。
有言実行の時代が来たと。そうしないと。自由に声に出すことさえ、歌う事さえ許されなくなってしまうぞとね。

人の力。
思う力。
願う力。
求める力。
確かにある。

でも。
もう。
秘めたままでは。
許されない。
そこまできている。

そうなのだ。
下り坂を。
暴走し。
ブレーキは効かない。
崖から真っ逆さま。

だからこそ。
今まで以上に。
強く思うなら。
強く願うなら。
強く求めるなら。

そいつと共に。
起つのだ。
動きだすのだ。
声をあげるのだ。
行動で示すのだ。

この社会は。
この国は。
この世界は。
一握りの奴等の為にあるのではない。
いつまでも好き勝手が通ると思うなよと。

声を上げよう。
歌を歌おう。
誰にも屈しないと。
誰にも属しないと。
脅しなど無意味だと。
声を上げよう。
歌を歌おう。
抑圧などされたくないと。
監視などされたくないと。
理不尽な思いなどしたくないと。

声で。
歌で。
行動で。
示そう。
自由でいたいのだと。

声で。
歌で。
行動で。
示そう。
誰も排除などしたくないのだと。

声で。
歌で。
行動で。
示そう。
誰も殺し合いなどしたくないのだと。

一人が。
起てば。
一人が。
動く。
そんな力が未だ残っているはずなのだ。

有言実行。

クリスマスの夜に。



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2015/12/24 Thu *一方通行 / Graham Parker And The Rumour

20151224parkarilla


何を。
馬鹿みたいに。
浮かれている。
そんな場合じゃないだろうと。
そうだよな。

俺も。
そう思うよ。
今日に限らず。
俺は無神論者で。
更に無宗教だからな。

だけどさ。
浮かれている奴等だって。
本当は気づいているかもね。
そんな場合じゃなくなりつつあるって。
そりゃそうだろう。

もともと。
たいした世の中でも無かったが。
ここへきて加速度的に。
何もかもが破綻への。
坂道を転がり始めちまった。

それで。
なんだい。
この期に及んで。
お訊きになられるわけだ。
一体全体どうするつもりかと。

ちょっと待った。
そいつは。
一方通行ってものだろう。
その前に教えてくれないか。
何故、人類なんてものを創造しちまったのかを。

『The Parkerilla』'78年リリース。
グラハム・パーカー&ザ・ルーモアの変則的な2枚組ライヴ・アルバム。
当時の邦題が『ロック・モンスター』・・・ジャケットだけ見て付けたのだろうなと。
確かに。同じパブ・ロックから出てきたシンガーの中でもグラハムは。
エルヴィス・コステロや、ジョー・ジャクソンと比較しても直情的というか。そうだな。
凄く分り易い表現方法、直球で。苦悩や怒りを歌い、表現していたので。
怒れる若者の代名詞みたいな。攻撃的なイメージが強かったのも確かではあるかなと。
グラサンを外さなかった、その外見も如何にも強面だったしなぁ。おら、ぶっ飛ばすぞと。
その実。若くして放浪生活を送っていたりして。様々な経験や体験をしていたグラハム。
それを糧にした歌声はソウルフルだったりするのですが。吠える時には吠えるぞと。
特にライヴでは敢えて攻撃的に、煽るように歌っていたのかなとも感じられます。
その舌鋒の鋭さを、激しいビートに乗せて畳み掛ける様に叩き付けていく。
その一方でミディアムからスローなナンバーでは情感に溢れた歌声で熱く盛り上げると。
そんな硬軟自在のグラハムと活動を共にしていたのがバックのザ・ルーモアの面々で。
パブ・ロック界の手練れ達が終結しただけあって。こちらも硬軟自在、変幻自在であり。
グラハムの歌声と一心同体化した見事なサウンドで、ライヴをより一層熱いものへと。
伝説となっている同時期の初来日公演も、このアルバム同様に熱いものだったかと思うと。
田舎で。ブラウン管の前でしか観られなかった。それで火をつけられた記憶が鮮明に蘇り。
未だに歯ぎしりしたくなるのです(あの映像、商品化しませんか某公共放送局さん)。
さて。このアルバム。A面~C面がライヴで。D面がスタジオ録音、それも1曲のみ。
代表曲の「Hey Lord, Don’t Ask Me Questions」の新規録音が収録されています。
神、創造主に対して鋭く問いかけるこのナンバーの。その歌詞を簡略化させて。
更に舌鋒鋭く対峙する姿勢を明確にして。グラハムの強い怒りと危機感を感じさせます。

何で。
馬鹿みたいに。
浮かれているのか。
そんな場合じゃないだろう。
そうだけどさ。

俺も。
そう思うけど。
無神論者でも。
無神論者でも。
浮かれずにはいられないのかもってさ。

そうだろ。
浮かれている奴等だって。
なんとなく感づいているのさ。
そのうちに浮かれていられなくなるって。
そりゃそうだろう。

もともと。
真っ当な世の中では無かったが。
ここへきて加速度的に。
総てが破滅への。
片道切符を切られちまった。

なのに。
なんだい。
今になって。
お訊きになられるわけだ。
一体全体どうしてくれるのかと。

そいつは。
いくらなんでも無理がある。
一方通行ってものだろう。
その前に教えてくれないか。
何故、人類を創造したまま放置しておいた。

訊ねておられる。
あんたが。
どこのどなたかは。
存じ上げないが。
我々を創造したのだと仰せになるのなら。

遥かに。
遡って考えれば。
お礼の一つくらいは。
申し上げねばならないのだろうが。
しかしいま、この時に。

一体全体と。
根源的な問いを発して。
問題を押し付けて。
お訊ねになられるのは。
一方通行も甚だしい。

創造主であるのならば。
誕生させた時に。
その後の歩みを見ている時に。
転がり落ちること、戻れなくなること、袋小路になること。
気づかなかった、わからなかったとは言わせない。

創造主であるのならば。
逆にお答え願いたい。
こうなる前に。人類を生み出さない。人類をやり直す。
その選択肢を。
何故、選ばなかったのかと。

一方通行。
そんなお訊ねが。
宣告が。神託が。
最後通牒が。
どれだけの人々を思考停止に追い込んだ。もの言わぬ羊に貶めた。

だから。
俺は。
神も仏も。あらゆる崇拝を強いるものを信じない。
この期に及んでも。自分を。自分達を信じて。
最後の最後まであがいて、怒り、叫んでやるのだ。

クリスマス・イブの夜に。



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2015/12/23 Wed *地下病棟 / Dr.Feelgood

Stupidityukorg


怪しい街の。
殊更、怪しい一角。
古びたビルの。
階段を地下へと降りる。
そこにその扉がある。

怪しく。
妖しく。
如何わしくも。
胡散臭い。
その扉を開けると。

そこにあるのは。
極楽でもあり。
冥土でもあり。
ただ言えるのは。
ある種の人間にとっては。

この上なく。
ご機嫌であり。
心が安らぐ。
そんな空気が支配し。
そんな匂いが立ち込める。

そんな空間。
古びた内装。
安っぽい椅子にソファー。
時が止まっている様で。
決して淀んではいない。

美味い酒を片手に。
毎夜。
多種多様な。
ご機嫌なライヴに出逢えると言う。
そう。ここが。噂の地下病棟。

『Stupidity』'76年リリース。
ドクター・フィールグッドの3枚目にして初のライヴ・アルバム。
当時の邦題は、なんと恐るべきことに『殺人病棟』なるものでした。
前作の邦題も『不正療法』でしたし。バンド名とそのイメージからの連想でしょうが。
なんか。あまりと言えばあまりかな。あながち完全に的外れではないところが、また。
シェフィールドと、サウスエンドのそれぞれの中規模程度のホールで収録されたと思われ。
所謂、パブでの録音では無いのですが。その熱さ、激しさ、泥臭さ、胡散臭さは。
おそらく普段のライヴそのままだと思われ。ハコの大小なんて関係ないぜってその心意気。
それを存分に感じさせるご機嫌なロックンロール、その渋さ、そのカッコよさ。
もう最高にご機嫌だぜと。しかもこのアルバム、全英チャートの首位に立ったのですからね。
幾ら、ご機嫌でカッコいいと言っても。渋いうえに胡散臭いこと極まりないアルバムが。
首位を奪った。そこにパンクが勃興する寸前のシーンの状況が端的に表れているかなと。
ジャケットのリー・ブリローとウィルコ・ジョンソンンの姿、この胡散臭さと熱さ。
そのままに。ブリローは濁声で吠え、ブルース・ハープをビシッと決めて。
ウィルコは、そのマシンガン・ギターを縦横無尽に撃ちまくり空間を切り裂いていく。
更にジョン・B・スパークスとビッグ・フィガーのリズム隊が腰の落ちたビートを弾き出す。
そいつが一丸となって礫の様に次から次へと飛んでくるのですから。そりゃ、もうね。
ロックンロール好きにとっちゃ、最高に効くブツの雨あられに身を晒している様なもので。
確かに、ご機嫌な病棟で、ご機嫌な医師に、ご機嫌なブツで、ご機嫌な療法を施される。
男臭そうな客席の熱狂ぶりも含めて。ヤバくて、ご機嫌な。効果覿面なアルバムなのです。
英国オリジナル盤にはおそらくアンコールが収録されたシングル盤が封入されていて。
その2曲の熱狂振りも味わってこそ、治療が完結するアルバムだと思います。

怪しい街の。
殊更、怪しい一角。
古びたビルの。
階段を地下へと降りて。
扉を開けた向うでは。

怪しく。
妖しく。
如何わしくも。
胡散臭い。
人々が集いたむろする。

そこに何を感じるか。
極楽なのか。
冥土なのか。
ただ言えるのは。
決めるのはあなた次第。

立ち込める匂いに。
支配する空気に。
心が安らぎ。
ご機嫌だと感じるのなら。
間違いなくあなたも同類。

古びた内装。
安っぽい椅子にソファー。
堆積される時は。
決して錆びつきはしない。
そんな空間。

注がれる酒が美味しいなら。
毎夜。
繰り広げられる。
ライヴに出逢えることに胸が震えたなら。
そう。ここが。あなたの地下病棟。

清く。
正しく。
美しく。
そんなものに疑念を抱く。
そんな人々がやってくる。

同一。
均一。
均等。
そこに美を見いだせない。
そんな人々がやってくる。

抑圧。
無理強い。
理不尽。
それに屈するのをよしとしない。
そんな人々がやってくる。

大樹に寄らない。
長いものに巻かれない。
烏合の衆に与しない。
右向け右で左を向く。
そんな人々がやってくる。

何よりも。
自分の思いを。
自分の考えを。
自分の矜持として独りで闘っている。
そんな人々が集っている。

何よりも。
美味しい酒と。
ご機嫌なライヴを。
愛してやまない。
そんな人々が集っている。

怪しくも、妖しく。
如何わしくも、胡散臭い。
それが故に。
ご機嫌なライヴが、愛すべきロックンロールが処方される。
そう。ここが噂の地下病棟。



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2015/12/22 Tue *初期衝動 / The Clash

20151222theclashuk


初期衝動。
そいつが。
消え去らない。
そいつを。
忘れられない。

あの時に。
胸に芽生えた。
疑問。
違和感。
拭えないままで。

何故。
どうして。
そうなるのか。
そうしなければならないのか。
理解も、納得もできなくて。

誰に。
訊ねても。
いい加減に。
面倒くさそうに。
あしらわれるだけ。

決まりだから。
昔からだから。
そう言われているから。
皆がやっているから。
考えたこともないから。

それだけで。
信じちゃうのか。
ついてっちゃうのか。
群れちゃうのか。
それは違うだろうと。

『The Clash』'77年リリース。
クラッシュの英国での1stアルバム。
「Janie Jones」で始まり「Garageland」で終わる全14曲。
同名の米国盤は全17曲でシングル・ヒット曲も含まれていますが。
あれは言わば編集アルバムと捉えるべきだろうなと。
クラッシュの本来の意図を、その初期衝動を反映している真の意味での1stアルバム。
それはやはり、低予算で制作され、デモのままのナンバーも収録されている。
このアルバムの、どうにもざらついて、ヒリヒリとして。
そして胸に突き刺さり、抜くことができない何ものかを感じさせるこのアルバムだと。
確かにより多くのキャッチーなナンバーを含んだ米国盤も魅力的で。
その後のクラッシュのパンクの枠に収まり切らなかった活動の萌芽も感じられますが。
真正直で、不器用で、止むに止まれず叫びを上げざるを得なかった。
そんな真の意味でのパンクなクラッシュの姿がハッキリと刻まれたこのアルバムは、やはり特別かなと。
当時はわからなかったものの。セックス・ピストルズとの違いも明確で。
明らかにカッコいいロックンロールを一発決める、それだけに仕組まれ、演じきったピストルズと。
触発されて、真面目に受け取って、やってみたら。結果としてカッコいいロックンロールになったクラッシュ。
その違い。クラッシュの、ジョー・ストラマーの真正直で不器用な生き様。
恐らくは初期衝動のままに。疑問は疑問としてそのままにしないで問い続ける。
興味を抱けば、垣根など無視して挑み続ける。そして。闘わなければならない時は闘い続ける。
その姿勢に惹かれ、共感し、共鳴した。そんなロック馬鹿にとっては。自分の姿勢が、心が揺らいだ時。
自分で自分に喝を入れる為に針を落とす。そんなアルバムでもあるのです。
だってね。未だに。ざらついて、ヒリヒリとして。だからしぶとく、しつこく、諦めずにいるのですから。

初期衝動。
そいつが。
生んだもの。
そいつを。
忘れてはならない。

あの時に。
胸に芽生えた。
勇気。
闘争心。
拭ってはならない。

何故。
どうして。
そうなるのか。
そうしなければならないのか。
理解も、納得もできないのならば。

誰に。
おもねる。
必要もない。
面倒くさがらずに。
貫くだけ。

決まりがどうした。
昔からだからどうした。
そう言われたからどうした。
皆がやっているからどうした。
考えなくてどうするのだ。

そんなものを。
信じていいのか。
ついてっていいのか。
群れて安心していていいのか。
それは駄目だろうと。

疑問なら。
納得できないなら。
考え続けるのだ。
問い続けるのだ。
声を上げ続けるのだ。

強いられても。
腑に落ちないのなら。
しぶとく。しつこく。
諦めずに。
闘い続けるのだ。

抑圧されても。
疎外されても。
おかしいと感じたなら。
理不尽だと思うのなら。
拳を突き上げ続けるのだ。

大樹に寄りたくなっても。
長いものに巻かれたくなっても。
烏合の衆に加わりたくなっても。
グッと堪えて。
叫び続けるのだ。

決まりだから。
昔からだから。
そう言われているから。
皆がやっているから。
考えたこともないから。

だったら。

決まりを変えればいい。
新しく始めればいい。
自分の言葉で語ればいい。
自分のやり方を作ればいい。
考えてみればいい。

それだけだ。

初期衝動。そいつを忘れてはならないのだ。



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2015/12/21 Mon *爆撃開始 / Moterhead

20151221bomber


週明け。
しかも。
初っ端から。
ちょいと。
厄介で。

取敢えず。
回避してみる。
そんな手も。
あるにはあるが。
それも面倒で。

そうであれば。
難しいことはおいといて。
覚悟を決めて。
片っ端から。
潰しにかかろうかと。

細かい事や。
筋道とかは。
この際、脇へ置いといて。
虱潰しに。
端から端まで。

爆撃して。
叩き潰して。
更地にして。
平坦にして。
それから取り組もうと。

月曜日。
機嫌の悪さも作用して。
ついつい。
そんな。
暴力的な手段に訴えたくもなる。

『Bomber』'79年リリース。
モーターヘッドの3thアルバム。
このジャケットは、どうも銀河最速の鉄屑宇宙船に影響されている気がしますが。
レミー・キルミスター、エディ・クラーク、フィルシー“アニマル”テイラーの3人。
この最強のトリオが爆撃機に登場して縦横無尽に暴れまくる。
モーターヘッドは、やっぱりこの3人の時代が最強だったよなと思わせてくれます。
(そう言えば、フィルシーは今年、天に召されてしまったのですよねぇ・・・)
どうも。世間的には前後のアルバムの評価が高くて。あまり注目されないアルバムだとか。
いや、なんか。その辺がわからないと言うか。そもそもモーターヘッドに何を求めるのと。
AC/DCとか、モーターヘッドに。進化や変化を求めるならば。それはお門違いってもの。
如何に、らしい、ロックンロールを爆音で、轟音で、ご機嫌に叩きつけてくれるか。
モーターヘッドならモーターヘッドのロックンロールとして鳴り響いているかどうか。
それ以外にねぇ、何を求めるのかと。で、このアルバムも十分に満たしてくれていると。
それだけで。もう。十分な気がするのですけどね。モーターヘッドの絨毯爆撃。
その刺激的で、圧倒的な心地よさ。それを感じたならば。もう。それで良いとね。
そうなのですが。あれかな。このアルバム。重量感、そのド迫力は十分なのだけれど。
疾走するスピード感には欠けている・・・そう感じる人はいるかも知れないなと思われて。
何故ならば。結構ブルージィなナンバーが多いと言えば多いので。
その重く引き摺る様な感覚が、スピード命ってファンには物足りなく感じられるのかも。
だけど。逆に。そのルーツにやはりブルースがある、重心がしっかりと落ちている。
だからこその鋼の様に強靭なモーターヘッドのサウンドがあるのだと。その宣言かなとも。
うん。そうですね。だからブッ飛ばしても軽くはならない。重爆撃を武器とできる。
モーターヘッドの強さの肝が覗き見えるアルバムとも言えるのかな。

年末進行。
しかも。
ここにきて。
ちょいと。
面倒で。

取敢えず。
いなしてみる。
そんな手も。
あるにはあるが。
それも業腹で。

そうであれば。
難しく考えるのは止めにして。
腹を括って。
片っ端から。
潰してしまえばいいと。

細かい計算や。
戦略とかは。
この際、一旦忘れて。
徹底的に。
端から端まで。

爆撃して。
焼き払って。
更地にして。
一望千里にして。
それから考えてみるかと。

月曜日。
相性の悪さも作用して。
ついつい。
そんな。
破壊的な手段に訴えたくもなる。

だいたい。
ちまちま考えたって。
ろくなことはない。
ちっとも進まない。
下手な考え、休みに似たりでしょ。

それでいて。
休ませてももらえないなら。
もういいじゃない。
それしかないじゃない。
虱潰しに。徹底的に。

片っ端から。
爆弾を投下して。
端から端まで。
叩き潰して。
焼き払って。

更に地にして。
平坦にして。
一望千里のその上で。
その先のことなど。
考えればいいのだと。

暴力的。
破壊的。
それで結構。
そもそも。
ちまちまやるのは性に合わない。

週の初め。
年末。
もどかしく。
待ち遠しく。
一気にかたをつけちまえと。

そんな気持ちを。
抑えきれずに。
その勢いのままに。
搭乗して。
爆撃開始。

後のことは。
また、再来週。
年が明けたら。
考えればいい。
爆撃開始。



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2015/12/18 Fri *毎年恒例 / Keith Richards

20151218crosseyedheart


旦那。
おう、お前か。
お久しぶりで。
一年振りか。てことは、あれだな。
へい。お誕生日、おめでとうございます。
おう、まぁ、めでてぇって言えばめでてぇな。

おいくつになれらましたかは?
おう、その七十と二だろう。
おっ、覚えているじゃないですか。
馬鹿野郎、手前の歳ぐらい当たり前だろう。
流石は旦那だ。未だ惚けちゃいらっしゃらないですな。
おう、その、なんだよ。俺なんざぁ、まだまだ若手ってもんだよ。

ヒョッコだと?
馬鹿野郎。ヒヨッコとは何でぃ、ヒヨッコとは。
す、すいやせん。
B.B.とかチャックと比べたら、って話だよ。
そ、そうでやすね。でも旦那もかなりのものかと。
お、そうか。お前もわかる様になってきたじゃねぇか。

しかし。あれですよ、旦那。
どれだよ?
二十三振りのソロ・アルバムってやつですよ。
おう、どうでぃ。気に入ってくれたかい?
いやぁ、この歳にして・・・御見それしやした。
馬鹿野郎、あれだよ。おれは大器晩成だからな。

随分な晩成でござんすねぇ。
まぁ、ちょいと。間を開けすぎちまったけどな。
そうですぜ。旦那。どれだけ待たされ、待ち侘びたことか。
すまねぇなぁ。そいつは。俺も色々と忙しくてなぁ。
いやぁ、でも。待った甲斐があったってもんでさぁ。
おっ、そうかい。そいつは嬉しいねぇ。
そんじょそこらの。連中には弾けねぇってか。出せねぇってかね。
おう、当たり前でぃ。そんじょそこらの連中と一緒にするんじゃねぇやな。

『Crosseyed Heart』'15年リリース。
キース・リチャーズの実に23年振りとなるソロ・アルバム。
オリジナル・アルバムとしては3枚目、ライヴ・アルバムも含めると4枚目。
2枚組で全15曲に渡って展開されるキースならではの世界。
そいつと。じっくりと膝を合せて対峙できる。そんな親近感をも感じさせる。
深い味わいと親しみに満ちたアルバム。針を落として。「Crosseyed heart」が聴こえてくる。
その弾き語りによる繊細で且つ生々しい感触。そいつに触れた瞬間、包まれた瞬間。
このアルバムが傑物であり、特別なものだと思い知らされる。そんなアルバム。
もう、それ以上は語る必要も、述べる必要も無いかなと。
そうだなぁ、こいつを嫌いだって人とは友達にはなれない。そんなアルバムが1枚増えたと。
勿論、きちんとした計画の下に制作されたのであろうし。最新のテクノロジーも使われているだろうし。
しかし。このアルバムの要はそんなところには無くて。キースが弾いて歌っている。
その味わいや深さ、更には凄味といったものを。それを如何に手垢に塗れさせずに届けるか。
そのことに成功している、その一点にあって。見事にそれに成功しているからこその、このアルバムだと。
計画やテクノロジーはその為の一手段、一助にしか過ぎないのだと。
そんなことを思わされるのは。やはり。ここに今のキースのリアルが感じられるからなのか。
そう。どこをどう切り取っても。どこから味わっても。今の、今そこで転がり続けているキースの。
その息遣いや思いまでもが届けられる、感じられるかの如くのギターと歌声。
そして。それを温かく支えながら。決して邪魔をしないバンドとしてのサウンドも実に心得ていて。
ここらはキースと共にプロデュースも行っているスティーヴ・ジョーダンの貢献も大きいのだろうなと。
敢えて言えば。荒削りな『Talk Is Cheap』に対して、練り込まれたこのアルバムとも感じられて。
ロックンロールにカントリーにソウルにファンクにと。キースの吸収し積み上げてきた豊富な抽斗。
そいつを。綿密に計算して様々に引き出しながらもキースの色の下に並べてみせたと。
それが計算に感じられないのがスティーヴの才能と、キースの資質の鮮やかな融合の賜物なのだろうと。

旦那。
おう、なんでぃ。
こうなったら、ここはひとつ。あれですよ。
ひとつ。あれって、なんなんだよ。
へい。ソロでツアーに出てみちゃどうですかい?
おう、まぁ、その考えねぇでもないっちゃ、ないんだけどよ。

なんです?歯切れが悪くありませんかい。
おう、そこはよ。そのなんだよ。わかるだろ?
いや、わかりませんが・・・
馬鹿野郎、手前だったら察しはついているんだろうが。
流石は旦那だ。お惚けは通用しねぇってことですな。
おう、その、なんだよ。ほら、俺の一存ってぇ訳にもいかねぇだろうが。

社長ですかい?
馬鹿野郎。あんな野郎は社長でも、サーでもねぇんだよ。
す、すいやせん。
まぁ、幼馴染の誼でよ。あいつの意向も聞いてやらねぇとな。
そ、そうでやすね。旦那も苦労が絶えませんねぇ。
お、なんだ。お前も随分とわかる様になってきたじゃねぇか。

しかし。あれですよ、旦那。
どれだよ?
折角の二十三振りのソロ・アルバム。しかも傑物ですよ。
おう、そりゃぁよ。当たり前でぇ。気合が違わぁな、気合が。
いやぁ、それを携えてツアーしねぇって手はないでしょうよ。
馬鹿野郎、だから。あれだよ。俺だって。あれなんだよ。

ちょいと気を遣いすぎなんじゃねぇですか。
おぅ、そうか。いや、俺もそう思わねぇでもねぇんだが。
そうですぜ。旦那。社長だって、前科があるんですから。
そういやぁ、ストーンズよりもソロにのめり込んでやがったなぁ・・・
そうざんすよ、だから、旦那も遠慮なんかすることねぇんですよ。
おっ、そうかい。お前もそうおもうかい。そうかい、そうかい。
ここはあれですよ。来年は旦那がソロでツアーして、来日してと。
おう、そうだな。お前の国じゃ、俺の人気も捨てたものでもねぇしな。

よし。決まりだ。旦那、桜の頃に来日ってことで。
おぅ、だけどよ。ストーンズのレコーディングもあるからよ。
ですから、そいつは。あれですよ。いつもの手癖でパパッと済ませてですね。
馬鹿野郎、手癖ったぁなんだ、手癖とは。
おっと、失礼しやした。いつもの伝統芸でビシッと決めてですよ。
おう、それなら、まぁ、まだフレーズもリフも手持ちはあるな。

ですから。そいつを駆使して。パパッと済ませてですねぇ。
それはいいけど。お前、アルバムに合わせてストーンズのツアーもだなぁ・・・
ですから。そこでリベンジですよ、リベンジ。
リベンジってことは、その、なんだよ、あれかい?
そうです。今度は旦那が、自分のソロを優先するんですよ。
そうか、そうだなぁ、そうすりゃ、あいつの吠え面も拝めるかもしれねぇなぁ。

どうです。旦那?
う~ん、それもいい、いいっちゃいいなぁ。
でやしょ。こいつは決まりですな旦那。
おう、ところでお前はストーンズと俺のソロとどっちが好きなんだよ?
嫌ですねぇ、旦那。そいつは野暮ってもんですぜ。ちょいとお耳を・・・
おっ、なんでぇ、そうか、それなら俺と一緒じゃねぇか。よし、飲もう。今夜は飲み明かすぞ。

旦那、お誕生日、おめでとうございます。



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2015/12/17 Thu *冬に / Emmylou Harris

20151217rosesinthesnow


冬に。
その寒さに。
負けずに。
その中に。
凛として立つ。

そんな。
気持ちになる。
背筋が伸びる。
その為にも。
冬は冬らしくあってほしいと。

寒くて。
いい。
冷たくて。
いい。
そうじゃないと。

春を待つ気にも。
なれないではないかと。
震えつつも。
凍えつつも。
そんな思いに囚われる。

春は春。
夏は夏。
秋は秋。
冬は冬。
四季がそれぞれにあること。

そうであってほしいと。
それが崩れつつある現実に。
大地の、地球の悲鳴を聞き。
早く雪でも降らないかと。
吐く息を見つめてみる。

『Roses In The Snow』'80年リリース。
カントリー・ロックの歌姫、エミルー・ハリス。
グラム・パーソンズのデュエット・パートナーとして世に出て。
グラムの夭折後。そのショックを乗り越えて本格的にソロとしてのキャリアを歩んで。
確たる地位を築いたエミルーが、原点であるカントリー、そしてブルー・グラスに回帰。
アルバム全編に渡って本格的にその世界と取り組んでみせたアルバム。
その佇まい、その歌声から常に凛としたものを感じさせるエミルーですが。
原点に戻ったからなのか。凛としながらも、心から楽しんでいるが故の柔らかさ。
その様なものも感じさせてくれます。実に。何と言うか。包まれる感じに心、安らぎます。
アルバート・リーを始めとする腕達者な面々の演奏に支えられて。
コーラスには後に連名でアルバムを制作するリンダ・ロンシュタットにドリー・パートン。
更には、ジョニー・キャッシュにウィリー・ネルソンなんて大物も参加して。
言ってみれば直球勝負に出たエルミーを温かくサポートしています。
ここまで吹っ切れているのは。やはりグラムを失ってからの時の流れも大きいだろうし。
積み上げてきたキャリアに対する自信も背中を押したのでしょうね。
喪失からの回復。その過程での様々な出来事や葛藤を糧としてきた故の成果。
そんな諸々があって。一区切りをつける気になった。その潔さが清廉とした歌声に磨きをかけたかなと。
サイモン&ガーファンクルの「The Boxer」も見事にカントリーにアレンジされていて。
まるでエミルーのオリジナルの様に聴かせてくれていて、改めてその実力に脱帽です。
アルバム・タイトルからの連想か。エミルーの歌声の透き通った力強さ故か。
何故か。やっぱり、この季節に、冬に針を落としたくなるアルバムなのです。

冬に。
その厳しさに。
折れずに。
その中に。
凛として立つ。

そんな。
姿勢になる。
気持ちが張る。
その為にも。
冬は冬らしくあってほしいと。

厳しくて。
いい。
凍っても。
いい。
そうじゃないと。

春の有難さも。
冬の有難さも忘れそうだと。
震えつつも。
凍えつつも。
そんな思いに囚われる。

春は春。
夏は夏。
秋は秋。
冬は冬。
四季がそれぞれであること。

そうであってほしいと。
それが壊れつつある現実に。
大地の、地球の慟哭を聞き。
早く雪でも降らないかと。
澄んだ空を見上げてみる。

寒い。
冷たい。
凍える様な。
そんな。
冬でも。

そんな。
冬だからこそ。
凛として。
立ち。
背筋を伸ばして。

来たる。
春への。
思いや。
望みを。
蓄え。育てる。

そんな。
日々を。
過ごしたいと。
気持ちに。
喝を入れながら。

白い雪の。
その中に。
一輪。
咲き誇る。
薔薇の。

その。
美しさに。
心打たれる。
冬を失ってはならないと。
冬を壊してはいけないと。

自らの。
我々の。
営みに。
戒めと謙虚な気持ちを。
取り戻したいと思いながら歩いていく。



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2015/12/16 Wed *熊になりたい / Canned Heat

20151226recordedliveineurope


妙に。
暖かだけど。
冬なのだよな。
そう。
冬なのだよ。

しかも。
もう。
押し詰ったと言うか。
そろそろと言うか。
終りにしたいなと。

いや。
確かに。
そりゃね。
終業式も無けりゃ。
冬休みも無いけどさ。

なんか。
気分的には。
そろそろ。
いいかなと。
そんな感じになってきて。

そうだな。
冬休みが無理なら。
せめて。
冬眠ぐらいは。
させてくれないかなと。

ほら。
体型的にも。
そんな感じだし。
最近。
眠くてたまらないし。

『’70 Concert Recorded Live In Europe』'70年リリース。
ボブ〝ザ・ベア“ヘイトとアル・ウィルソンが率いたキャンド・ヒート。
その初めてのライヴ・アルバム、そしてアルの生前にリリースされた最後のアルバム。
ボブとアルは学生時代からブルースのマニアックなコレクターで。
それが高じてバンドを結成してしまったと言う。まぁ、オタクな方々であったので。
ブルースのカヴァーを演奏しても。そのアレンジとかフレーズが異様にマニアックで。
その辺りが同様にマニアックなブルース・ファンの多かった欧州で受けた理由かも。
(因みに。このアルバムに使用されている音源は殆ど英国公演のものとの説が有力です)
その愛称通りに熊の様な巨体を誇ったボブと、対照的に小柄なアル。
ボブの豪快ながら朴訥とした感もある歌声と、アルの巧みで神経質な感もあるギターブルース・ハープ。
対照的でありながらブルースを絆として結ばれた二人を中心として奏でられるブルース、そしてブギー。
数多の白人ミュージシャンが直面して悩んだ、本物のブルースへの拘りと、それが故に思い知らされる距離。
当然。ボブやアルも悩み、時には絶望の底に落ちたりしたであろうと。想像するのは難くないのですが。
そこで。コレクター魂を発揮して。外側から、周辺から捉えたブルースの姿とでも言うべきものを。
マニアックに表現してみせることで独自の路線を開拓したのではないかと思われて。
そこに。不思議と大衆向けする陽気さも感じられるのは、西海岸、ロス出身と言う出自が作用したかなと。
他のホワイト・ブルース・バンドとは異なるそのサウンドは好きになるとなかなかに堪らないものがあります。
このアルバムからはハーヴェイ・マンデルが新たに参加していて。その硬質なギターの響きもいい感じです。
ボブと観客とのやり取りも実に楽しげで。御機嫌なライヴを、その空間と空気を共有しているのだなと。
思わず。その会場に。同じ空気を味わいにトリップしたくなったりもしてしまうのです。
前述の様に、アルはこのアルバムのリリース後に他界し、ボブもその10年後に旅立ってしまって。
今ではすっかり忘れられた存在ですが。レコードに刻まれたその世界に浸っていると。そんなことも。
もう、どうでもよくて。ただただ。そのサウンドに酔いしれていたいなと思うのです。

どうにも。
陽気がいいけれど。
冬なのだよな。
そう。
冬なのだよ。

しかも。
もう。
暮れも近いと言うか。
そろそろと言うか。
早仕舞いしたいなと。

いや。
確かに。
そりゃね。
学生さん達と違って。
冬休みなぞは貰えないけれど。

なんか。
気分的には。
もう。どうでも。
いいかなと。
そんな感じになってきて。

そうだな。
冬休みの代わりに。
暫く。
冬眠でも。
させてくれないかなと。

ほら。
体型的にも。
似ているし。
最近。
眠気が収まらないし。

なぁ。
いいよね。
いいだろう。
いいと一言。
言ってくれないか。

お腹一杯に。
なったら。
熱い湯船に浸かって。
サッパリとしたら。
もう。後は。

温かい。
布団にくるまって。
埋もれて。
穏やかに。
眠りに落ちたなら。

そう。
いいよね。
いいだろう。
いいと一言。
言ってくれないか。

そのまま。
静かに。
深く。
眠りの国の。
その奥底で。

誰にも。
邪魔されず。
起こされず。
春が来るまで。
眠りこけていたいんだ。

熊になりたい・・・



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2015/12/15 Tue *歩き始めるだけ / Steppenwolf

20151215thesecond


やっと。
何とか。
ここまで。
来ることができた。
辿り着いた。

色々あった様で。
長かった様で。
でも。
途中からは。
特に一気に。

あらゆるものが。
何とか。
思いに近い形で。
走り始めて。
画になり始めて。

それからは。
そうだな。
魔法の絨毯で。
気流に乗って。
飛ぶが如くに。

ここまで。
来てしまった。
辿り着いてしまった。
未だ。
完全に覚醒する前に。

それも。
半ば浮遊し。
半ば地に足を着けた。
そんな状態での。
始動も面白くできれば。それでいい。

『The Second』'68年リリース。
アルバム・タイトル通りのステッペンウルフの2ndアルバム。
何でもレコード会社と年間にアルバム2枚はリリースするとの契約を結んでいたとかで。
衝撃的だった1stアルバムの余韻も強く残る中で世に出されたと。
どうしても「Born To Be Wild」の印象があまりに強烈過ぎて。
一発屋と思われがちなステッペンウルフですが。実は'72年に最初の解散をするまでに。
全米100位以内に10曲以上のナンバーをランク・インさせて。
アルバムも6枚がゴールド・アルバムを獲得していると言う。そんな実績を残しています。
それにしても。必ず年に2枚のアルバムって言うのは当時としても無謀な気がしますが・・・
それでも。クオリティを落とすことは無く。また常に革新的であった辺りが流石だなと。
また、そうでなければ。前述の商業的成功も得られなかったのだろうなと。
兎に角、「Born To Be Wild」故に単純なハード・ロック・バンドと捉えられがちですが。
実は、それだけに止まらず。サイケデリックでガレージな感覚もあり。
ブルースに根差した泥臭さもあり。そして突き抜ける様なキャッチーさもありと。
実に多彩な顔、サウンドを見せることのできる狼、バンドであったのです。
リーダーのジョン・ケイは当時の東ドイツの出身で、西ドイツに亡命して。
更にはカナダのトロントへ辿り着いて。その地でバンド活動を始めた経歴の持ち主で。
ステッペンウルフも、トロントからニューヨーク、そして西海岸と活動の場を変えていて。
その経歴が。多様で雑食な逞しいサウンドを身につけた背景にあるのかもしれません。
このアルバムでも。サイケな「Magic Carpet Ride」もあれば。
「Born To Be Wild」と同系の「Faster Than the Speed Of Life」もあれば。
もろにブルースの影響が前面に出た泥臭くもガレージなナンバーもあると。この逞しさ。
流石は“荒野の狼”だなと。サイケに浮遊しながらもワイルドに、野生的に駆け抜けていった様に呻らされます。

やっと。
何とか。
ここに。
立つことができた。
漕ぎ着けた。

色々あった筈で。
一進一退だった筈で。
でも。
途中からは。
もう一気に。

あらゆるものを。
何とか。
思いに近づけて。
走らせて。
描いて。示して。

それからは。
そうだな。
魔法の絨毯を。
操りながら。
不時着もさせずに。

ここまで。
操ってきた。
着陸させることができた。
未だ。
完全に掌握する前に。

それも。
半ば開けて。
半ば視界が霞んでいる。
そんな状態での。
始動も楽しくできれば。それでいい。

どのみち。
ここに来ると。
辿り着くと。
漕ぎ着けると。
着陸させると。

いつからか。
どこかで。
決めていた。
そうであるならば。
それでいい。

夢半ば。
現実半ば。
浮遊しつつ。
地も踏みつつ。
歩き始めるだけ。

未だ夢の途中。
現実に起こされて。
半眼の状態から。
視界を広げながら。
歩き始めるだけ。

兎にも角にも。
魔法の絨毯に。
運ばれたにしろ。
魔法の絨毯を。
操ったにしろ。

いま。
この時。この日。
ここまで来てしまった。
ここまで来た。
歩き始めるだけ。

そう。
もう一度。
野生に。
立ち返って。
駆け出す準備を始めるだけ。



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2015/12/14 Mon *何を、誰が / The Lovin' Spoonful

20151214doyoubelieveinmagic


何を信じるか。

信じるものなど。
自分自身しかないと。
そう思っている。
思ってはいるが。
時に迷うこともあるわけで。

そんな時でも。
神も仏も。
形のあるもの。
誰かの作ったもの。
そんなものは信じもしないが。

形の無い。
目に見えない。
そんな。なにものか。
その。力。感覚。
そんなものに呼びかけて。

応じるものが。
感じるものが。
あったならば。
そいつに賭けてみるか。
そいつに乗ってみるかと。

それくらいの。
ことはあってもいいかと。
自分に対して。
少し迷いを感じ。自信が無い。
そんな時には。

そんな。
自然の感覚に。
その指し示すものに。
委ねてみるかと。
信じてみるかと。

『Do You Believe In Magic』'65年リリース。
ブリティッシュ・インヴェイジョンへの米国からの回答、ラヴィン・スプーンフルの1stアルバム。
ジョン・セヴァスチャンとザル・ヤノフスキーを中心として結成されたラヴィン・スプーンフル。
元々はフォーク・グループとして活動していて。ビートルズ等の登場に刺激されてロック・バンドへとシフトしたと。
(確か、その時に袂を別ったメンバーがママス&パパスを結成したのかな?)
西のバーズに対抗して東のラヴィン・スプーンフルとしてフォーク・ロックの元祖とも呼ばれたりしますが。
大ヒットした、そして今でも世界中で多くの人に親しまれている「Do You Believe In Magic」に象徴される様に。
その枠内に収まらない。ポップでキャッチー、そしてどこか懐かしさを感じさせる、そのメロディーとサウンド。
それこそがラヴィン・スプーンフルの最大の魅力なのだろうなと。針を落とす度に感じるのですが。
その根底にあるのはフォークだけでなく、ブルースやR&B、更にはジャグ・バンド等まで含めての。
ルーツ・ミュージックに対する深い愛情と理解なのだろうなと。更に英国からの刺激で目覚めたものがあったと。
その観点では例えば、ヤング・ラスカルズ辺りにも通じるものを感じたりもするのです。
「Did You Ever Have To Make Up Your Mind」等も、その覚醒の成果が結晶した素晴らしいナンバーで。
カヴァーが多いこのアルバムの中で。前述の2曲がジョンのオリジナルであることを考えると。
改めてジョンと言う人の才能、感覚の鋭さを思わずにはいられなくて。もっと評価されてもいいと思います。
決して色褪せない。永遠に聴き継がれる、歌い継がれるであろう。エヴァー・グリーンな曲を生んだのですから。
もっと言えば。このアルバムそのものがエヴァー・グリーンであるとすら言ってもいいかもしれません。
それにしても2曲の邦題、「魔法を信じるかい?」と「心に決めたかい?」は直訳と言えばそれまで。
しかしながら。結果的に。実に見事に雰囲気、魅力を伝える素晴らしいもので。
当時の日本の担当者のセンスにも拍手を送りたくなります。よくぞ下手に弄らないでくれたとね。

誰が決めるのか。

決められるのは。
自分自身しかないと。
そう思っている。
思ってはいるが。
時に迷うこともあるわけで。

そんな時でも。
神も仏も。
形のあるもの。
誰かの作ったもの。
そんなものに縋りはしないが。

形の無い。
目に見えない。
そんな。なにものか。
その。力。感覚。
そんなものに問いかけて。

答えるものが。
思うものが。
あったならば。
そいつに引いてもらうかと。
そいつに押してもらうかと。

それくらいの。
ことはあってもいいかと。
決断に対して。
少し躊躇いを感じ。踏み切れない。
そんな時には。

そんな。
自然の感覚に。
その導くものに。
任せてみるかと。
託してみるかと。

自然の。
形の無い。
目に見えない。
そんな何ものかを。
感じられる。

そんな。
力が。
自分の中に。
未だ残っていると。
そう思えるなら。

その。
何ものか。
直感か。
ヤマ勘か。
そいつがもたらす。

魔法。
魔力。
神通力。
そいつを。
信じてみるかと。

その上で。
自分自身で。
決めればいいと。
後は。
なるが儘にと。

その為に。
引き鉄を。
弾くきっかけをくれれば。
背中を。
押す力になってくれれば。

そう。
後は。
自分自身の決断を。
自分自身が信じる。信じ切る。
それだけのことなのだ。



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2015/12/13 Sun *やりたい、それだけのこと / AC/DC

20151213rockorbust


やるか。
やらずに。
破滅を待つか。
二者択一。
だったら。

やる。
やるしかない。
やりたい。
それで躓いても。
いつものこと。

また。
立ち上がって。
やり直す頃には。
傷口も乾き。
躓いたことも忘れている。

それじゃ。
駄目なのだと。
それだから。
駄目なのじゃないかと。
そうだとしても。

やるか。
やらないか。
どちらを選ぶかとなれば。
やる。
それしかない。

同じことの繰り返し。
無限ループ。
そうだとしても。
やる。
やり続ける。それしかないのだ。

『Rock Or Bust』'14年リリース。
6年振りとなったAC/DCの最新オリジナル・アルバム。
ガキの落書きを3D化したかのジャケットのシンプルさ。
ある意味、これが総てを表現しているとも言えるかなと。
ご存知の様に、まるかむマルコム・ヤングが認知症の為に録音に参加できず。
ヤング兄弟の甥(長兄の息子)ショーン・ヤングが代わりに参加していて。
長い歴史の中で。そのリフで屋台骨を支え続けてきたマルコム抜きでの初のアルバム。
それ故に。一層、強固にロックする、今までのスタイルを貫く覚悟を決めて。
録音、制作に挑んだと。それこそ、マルコムを失うのであれば解散との選択肢もあった筈で。
それでも。その道は選ばず。歩みを止めず。ロックし続けることを選んだと。
その決意表明とも言える、やらなきゃ、破滅するしかないのだと。だったらやるぜと。
その覚悟と、決意が漲り、凝縮された全11曲、35分強のロック魂の弾丸。
特に新しいことも、変わったことも、珍しいこともなく。脇目も振らずに。
最強の金太郎飴としてのロックを、ロックンロールを叩き出す様に痺れてしまうのです。
ましてや今回は、メンバーの、特にアンガスには色々と思いもあったと思うのですが。
それを感傷的にも、感情的にもならず。相変わらずの馬鹿な男のロックンロール一直線。
そうであれば。こちらも。それを真正面から受け止めて。共に快哉を叫ぶのみなのです。
リリースと前後してフィル・ラッドまでもが薬物と殺人絡みの容疑で拘束されて。
ワールド・ツアーの開催も危ぶまれましたが、クリス・スレイドを再加入させて旅立って。
今も世界中を駆け巡って、そのロック魂を爆発させているAC/DC。
やらずに破滅するくらいなら、座して死を待つくらいなら、とことん、やってやるぞと。
こんな根性の座ったご機嫌なロック馬鹿な連中のいる時代に生まれてくることができて。
それだけは。本当に良かったなと感謝したくなるのです。ロックするか、破滅するか。
喧嘩上等、勝負上等と。間違いなく奮い立たせられるアルバムなのです。

やるか。
やらずに。
破滅を待つか。
二者択一。
だったら。

やる。
やるしかない。
やりたい。
それで躓いても。
いつものこと。

また。
立ち上がって。
やり直す頃には。
傷口も乾き。
躓いたことも忘れている。

それじゃ。
駄目なのだと。
それだから。
駄目なのじゃないかと。
そうだとしても。

やるか。
やらないか。
どちらを選ぶかとなれば。
やる。
それしかない。

同じことの繰り返し。
無限ループ。
そうだとしても。
やる。
やり続ける。それしかないのだ。

やったところで。
やり続けたところで。
何かが得られるとも。
成功を収められるとも。
限りはしない。

やったところで。
やり続けたところで。
何も得られないことも。
失敗に終わることも。
よくあること。
それどころか。
やり続けた挙句に。
何かを失う破目に落ちるとか。
大失敗で頭を抱えるとか。
それすらもあること。

それでも。
そこに。
望むものが。
手にしたいものが。
ある限り。

やらずに。
指を咥えて。
見過ごすよりは。
やって。
勝負に、賭けにでる。

その結果。
大火傷をしようが。
大怪我をしようが。
何かを失おうが。
また。立ち上がる。

やって。
破滅を招くか。
やらずに。
破滅を待つか。
答えは決まっている。

やりたい。それだけのこと。



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2015/12/12 Sat *偽りのあの頃 / Jane Barkin

20151212exfandessixties


懐かしき。
あの頃。
あの日々。
あの時。
あの瞬間。

いつまでも。
色褪せることなく。
胸の内にあり。
いつでも。
鮮明に蘇らせる。

時には。
今を離れ。
現実を逃れ。
懐かしき。
輝きの日々に遊ぶ。

しかし。
そう。
本当は。
知っている。
そんな輝きの日々など嘘であると。

懐かしき。
あの頃。
あの日々。
あの時。
あの瞬間。

時の経過の中で。
その輝きを。自らの手で。
脚色していると。
否。
最早、創造すらしているのだと。

『Ex Fan Des Sixties』'78年リリース。
ジェーン・バーキンの3枚目のソロ・アルバム。
当時の邦題は『想い出のロックン・ローラー』だったとか。
これはタイトル・ナンバー、「Ex Fan Des Sixties」の歌詞の中に。
ジェーンが好きだったと思われる'60年代のロック・スター達の名前。
ブライアン・ジョーンズ、ジョン・レノン、ドアーズ、ジム・モリソン、T.レックス等々。
その綺羅星の如き名前が織り込まれていたことからの発想だと思われます。
ジェーンにとっては懐かしい、あの頃、スウィンギン・ロンドンを歌っているのかな。
フランス盤しか所持していないので。歌詞の詳細はわからないのですけどね。
ジェーンは歌いこなすのに苦労したみたいで。数十回もテイクを重ねたのだとか。
そんな鬼の如き仕打ちを強いたのは勿論、セルジュ・ゲーンズブルで。
当然と言えば当然ながら。制作から作詞、作曲まで総てセルジュによるものです。
ジェーンにとってセルジュが特別な存在であることはわかっていても。
どうにも。その。密着ぶりと言うか、熱心ではなくて熱烈な歌唱指導とかを想像すると。
その才能は認めつつも。どうしてもセルジュが憎くて、炎がメラメラと燃え盛るのですが。
ジェーンの少し舌足らずな歌声を聴いていると。それは愛しくて、懐かしくもあって。
勝手にタイム・スリップして。あの頃の空気をジェーンと共に味わっている気分で。
そして。ジャケットのジェーンに見惚れてしまうのですが。ふと、ですね。
セルジュの顔が浮かんできて。気分を害されるのですね。邪魔をするなよと。
そうやって妄想の中で、懐かしき輝き日々を愛しく思ってジェーンの歌声に酔いしれて。
でも。その歌声も。その囁きも。自分に向けられたものでは無いのだと。
現実に引き戻される度に。セルジュへの憎悪が、募っていくアルバムでもあります(笑)。

懐かしき。
あの頃の。
あの街角。
あの時の。
あの路地裏。

いつまでも。
消え去ることなく。
胸の内にあり。
ふとした時に。
鮮明に蘇ってみせる。

しばしば。
今を消し去り。
現実から遠く離れ。
懐かしき。
輝きの街角に遊ぶ。

しかし。
そう。
本当は。
知っている。
そんな輝きの街角など嘘であると。

懐かしき。
あの頃の。
あの街角。
あの時の。
あの路地裏。

時の経過の中で。
その輝きを。自らの手で。
脚色していると。
否。
最早、創造すらしているのだと。

懐かしき。
あの頃。
あの日々。
あの時。
あの瞬間。

楽しかった。
毎日が祭りみたいで。
陽気に。
騒いで。
何の心配も無いが如く駆け抜けた。

愛しかった。
毎日が小説みたいで。
熱気に。
浮かれて。
何の恐れも無いが如く誰かと恋に落ちた。

でも。
知ってはいた。
祭りにも。小説にも。
終りはあると。終りが来ると。
共犯者の如く隠している、そんな思いが。

何かの。
弾みで。
弾けてしまえば。
喧嘩もした。殴り合いもした。
傷つけて。傷つけられて。

いい出逢いもあれば。
悲しい別れもあった。
誰かを愛せば。誰かを妬み。
道化師を演じてでも保とうとして。
根性が続かなくて退場もした。

懐かしき。
あの頃の。
あの街角。
あの時の。
あの路地裏。

楽しかった。
毎日が祝われているみたいで。
馬鹿みたいに。
騒ぎながら。
何かに追われるが如くに駆け抜けた。

愛しかった。
毎日が映画みたいで。
活気に。
導かれて。
何の恐れも無いが如く誰かれと議論した。

でも。
知ってはいた。
祝いにも。映画にも。
終りはあると。終りが来ると。
共犯者の如く抱いている、そんな思いが。

何かの。
弾みで。
溢れてしまえば。
喧嘩もした。罵倒もした。
傷つけて。傷つけられて。

出逢いがあれば。
別れも必ずやってくる。
誰かを愛するほど。誰かを妬みほど。
傍観者として客席から観ていようとして。
嫉妬に駆られて退場もした。

そんな。
あの頃が。
あの日々が。
あの場所が。
美しいわけがない。懐かしいわけがない。

それでも。
あの頃の。
あの日々の。
あの思いが。
真剣で、真実であったのなら。

その結果としての。
今を受け止めながら。
脚色した、創造した。
偽りのあの頃に。
思いを馳せるくらいは許してくれないだろうか。



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2015/12/11 Fri *主人公 / The Kinks

20151211showbiz


毎日。
昨日も。
今日も。
明日も。
その先も。

いい日ばかり。
そんなわけもなく。
それなりに。
沈むこともあれば。
堕ちることもある。

それでも。
なんとか。
なんとなく。
浮くこともあれば。
堕ちきらずに止まって。

気付くと。
それなりに。
なんとはなしに。
乗り切って。
一日が終わる。

それを。
繰り返しているうちに。
一週間が過ぎ。
一ヶ月が過ぎ。
一年が過ぎで。

結局。
英雄にも。悪漢にも。
なれずに。
ただ。過ぎ行く自分の日々の。
その平凡な主人公でしかない。

『Everybody's in Show-Biz』'72年リリース。
RCA移籍後2枚目にして、初の2枚組となったキンクスのアルバム。
1枚目がスタジオ録音。2枚目がカネーギー・ホールでのライヴ録音となっていて。
当初、ライヴは映画化の企画があったのですが。結局、ボツになってしまって。
それでスタジオ録音と合わせての2枚組アルバムになったのだとか。
当時のキンクス。キャリアは重ねていたものの。一時期米国への出入りが禁止された影響が後を引いてか。
商業的な成功とはどんどんと縁遠くなっていて。良質な作品を作っても世間は受け入れてくれないと。
だったら。もう好きな様にやるだけと。レイ・ディヴィスが腹を括ってしまったのがこの頃だったかと。
何故かホーン・セクションも正式メンバーとして加入させて。理想の音の実現に邁進して。
ロックスターのツアーの華やかなツアーの日々と、退屈な日常を描くと言うコンセプトの基に。
緩く、美しく、そして当然の様に捻くれたメロディーに溢れたスタジオ録音の素晴らしさ。
ストレートではない、一捻りも二捻りもあるカッコ良さと物悲しさ。これを好きになれるかどうか。
そこがキンクスを、レイを好きでいられるかどうかの境界線であると。それが明確に示されたアルバムかな。
ストレートなロックンロールではないものの。心に引っ掛るメロディーが多くて。「Celluloid Heroes」なんて。
アルバムの邦題『この世はすべてショー・ビジネス』、その主題である総ての人々が自分の人生の主人公。
故に、体験せざるを得ない悲喜交々を美しく、そして切なく描き歌い上げていて。
その詩の世界も含めて。流石はレイだよなと。思わず唸らされて。聴き入ってしまうのです。
ライヴにもホーン・セクションが参加していて。この頃のキンクスってメンバーが何人いたのって感じですが。
そちらは緩いながらもハードなロックンロール・バンドとしての顔も覗かせてはいて。
前作『 Muswell Hillbillies 』からのナンバーの気合の入った演奏なんてなかなかご機嫌ではあります。
ただ。やはり。余りにも独特の世界ですからね。ついていけないねと反感を感じた人達もいたと思われて。
その先鋒が弟のデイヴ・ディヴイスだったところにキンクスの悲劇があったかなと。それもまた人生ですが。

毎日。
昨日も。
今日も。
明日も。
その先も。

悪い日ばかり。
そんなわけもなく。
それなりに。
上がることもあれば。
昂ることもある。

それでも。
なんだか。
なんとはなく。
下がることもあれば。
昇り切らずに止まって。

気付くと。
それなりで。
なんともなしに。
乗り切れずに。
一日が終わる。

それを。
繰り返しているうちに。
春と思えば夏が来て。
夏と思えば秋が来て。
所詮。最後は寒い冬で。

結局。
正義の味方にも。悪の首領にも。
なれずに。
ただ。流れ行く自分の日々の。
その平凡な主人公でしかない。

英雄でも。
悪漢でもなく。
正義の味方でも。
悪の首領でもなく。
それでも主人公。

しかも。
どんなに平凡で。
どんなに退屈で。
飽き飽きしても。
嫌気がさしても。

その最期まで。
降板を許されない。
いい日も。
悪い日も。
それなりに演じ切らねばならない。

罵声を浴びることもなく。
さりとて。
歓声に包まれるでもなく。
自分以外には。
誰の目に留まることもなく。
それでも演じ続けねばならない。

その程度の。
主人公。
その程度でも。
主人公。
たかが主人公。されど主人公。

平々凡々。
連綿と続く時の中の。
一瞬の堕落。
一瞬の歓喜。
それを我がものとして味わえるのは。
主人公である自分だけ。
それだけを支えに。
大化けもせずに。
奈落にも落ちずに。
退屈と馴れ合う。

それが。
出来る。
それが。
許される。
それだけで。幸せなのだろう。

野望の種火は嫉妬として燻ってはいるけれど。



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2015/12/10 Thu *宝の山 / The Who

20151210oddsandsodsukorg


そうだろうな。
あんたにも。
誰にも。
わかりはしないだろう。
そんなものだろう。

否。
わかろうともしないだろう。
それが。
本当のところかな。
たぶん、そんなところだろう。

そうさね。
ガラクタや。
クズの集まり。
ゴミの山。
そうとしか見えないのだろう。

確かに。
金銭的な価値だとか。
社会的な価値だとか。
そんなものは。
皆無に等しいものばかり。

でも。
そんなことは。
どうでもいい。
俺には関係ない。
俺には俺の価値観がある。

そうさ。
俺にとっては。
こいつらは。
宝の山で。
そして。同志ですらあるのさ。

『Odds & Sods』'74年リリース。
ガラクタとかクズとか、やっつけ仕事とか。
そんな意味を持つタイトルを冠されたフーの編集アルバム。
因みに邦題は『不滅のハードロック』だったとか。なんなのでしょうねぇ・・・
このロック史上に残るカッコ良さを誇るジャケットからの連想だったのかな。
斬り込みからインナーのライヴ写真が透けて見えるアイデアも秀逸なジャケットです。
(日本の某バンドがそのままコピーしていましたねぇ・・・)
さて。映画版『Tommy』の制作等で新作アルバムのレコーディングが捗らずに。
契約枚数を楯にレコード会社から矢の催促を受けていたと言う当時のフー。
手が離せず、また精神的にも追い詰められたピート・タウンゼントに代わって。
ジョン・エントウィッスルが陣頭指揮を執って未発表曲をアルバムに纏め上げたのだとか。
で、特権を行使してA面1曲目にはちゃっかり自作のナンバーを配置していると。
そんなささやかな自己主張をしつつも。後は当然、ピートの作品が中心で。
因縁浅からぬピーター・ミーデンによるハイ・ナンバーズ時代の「I’m The Face」も押さえつつ。
『Tommy』の構想の基になったとされる作品や。幻に終わった『Lifehouse』セッション時の作品とか。
ファン、マニアの心理を擽りつつ。それでもアルバム全編を聴き通すと。
年代とか、背景とかを超えて。1枚のアルバムとしての整合性をきちんと感じさせるところが凄いなと。
改めて。ピートの創造する楽曲の質の高さと。それを表現できる他の3人の力量の高さに敬意を表したいと。
現行のCDでは曲数が倍以上に増えていて。曲順も年代順に整然と並べられ。一般的な価値はそちらが高いと。
でも。このジョンによって選び抜かれた12曲とその曲順。そこにも確かな意志と味わいがあって。
冒頭で意表を突きつつ。途中で大作の舞台裏を覗かせて。若気の至りとも言えるモッドな作品で郷愁を誘い。
そして。最後は「Long Live Rock」で締めくくることで。フーは、ロックは死なないぜと高らかに宣言する。
ガラクタでも、クズでも、やっつけ仕事でも、寄せ集めでも無いぜとの皮肉を込めた心意気が感じられて。
そうだな。資料的な価値は別にして。やっぱりオリジナルのアナログ盤に愛着を感じるアルバムです。

それでいいさ。
あんたにも。
誰にも。
わかってほしくもない。
それでいいのだろう。

否。
わかろうともしない。
その時点で。
縁が無いってことかな。
たぶん、そんなところだろう。

そうさね。
ガラクタさ。
クズの集まりさ。
ゴミの山だよ。
そう見るのが正しいのかもね。

だけど。
金銭的な価値だとか。
社会的な価値だとか。
そんなものに。
何か意味でもあるのだろうか。

そう。
そんなことは。
少なくとも。
俺には意味がない。
俺には俺の意志がある。

そうなのさ。
俺にとっては。
こいつらは。
宝の山で。
そして。同胞ですらあるのさ。

何に。
価値を見出すか。
何を。
価値として重んじるか。
そいつくらいは。

勝手に。
させてもらう。
決めさせてもらう。
口を出すな。
手も出すな。

ガラクタには。
ガラクタなりの価値が。
クズには。
クズなりの価値が。
あるのさ。

否。
ガラクタに見えて。
ガラクタじゃない。
クズに見えて。
クズじゃない。

俺には。
俺の価値観が。
俺には。
俺の意志が。
あるのさ。

そして。
俺には。
俺の愛情が。
俺の愛し方が。
あるのさ。

それがある限り。
宝の山で。
同志や同胞に囲まれて。
俺は。
くたばりはしないのさ。



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2015/12/09 Wed *わかっちゃいる / Faces

20151209anodsasgoodasawinktoablindh


わかっちゃいる。
いるけど。
だからと言って。
その通りにするかと言うのは。
また、別の話なのだな。

おっしゃる通り。
そうなのだろう。
だからと言って。
それに従うかと言うのは。
これまた、別の話なのだな。

そうね。
そうだね。
そうなのだろうね。
それが。
正しいのだろうね。

俺に。
必要なもの。
俺に。
欠けているもの。
あんたがたが指摘する通り。

だとしても。
俺には。
俺の歩き方がある。
俺の転がり方がある。
そいつが何よりも大切なのさ。

だから。
何を言われても。
何をおっしゃられても。
右から左で。
千鳥足のまま進んでいくだけなのだよな。

『A Nod's As Good As A Wink...To A Blind Horse』'71年リリース。
『馬の耳に念仏』の邦題で知られるフェイセスの3rdアルバム。
原題は古くからの英国の諺で、大意は邦題の日本の諺と同じらしいです。
意味がない、言っても無駄、放っておけ・・・実にフェイセスらしいなと思えるかな。
ラフでルーズ、リズムやテンポの多少の崩れなど気にも留めない。それよりも。
楽しく、ご機嫌にやれるか。その一点だけを大切にしてロックンロールをやっている。
世界一飲酒量の多いバンドとして名を馳せた、フェイセスならではの千鳥足のロックンロールです。
未だにストーンズと比較され、その文脈で語られることも多いフェイセスですが。とんでもありゃしないと。
フェイセスはフェイセス。ストーンズにもこの千鳥足の真似は出来ないぞと言いたいかな。
誕生の経緯からして。スティーヴ・マリオットに置いてきぼりにされた三人のところに。
ジェフ・ベックに解雇されたロン・ウッドが加わって。それでボチボチやろうかなと。
そこへベックと仲違いしたロッド・スチュワートまでが転がり込んできてしまって。
仕方が無いから面倒見るかと。で、ロンとロッドが“スモール”じゃ無かったからフェイセスに改名と。
そんな緩い感じで始まったのですからね。ロッドはロッドでソロと掛け持ちしているしと。
そのいい加減さ、その自由な雰囲気。それがサウンドにいい塩梅に反映されているのがフェイセスならではで。
集まって、音を出して。楽しめたら、ご機嫌になれたら、そいつを録音した、その感覚を最優先した。
それ以外のことは、後回し、どうでも良かった・・・そんな気がしてならないんですよね。
そして。そのことに関してだけは梃子でも譲らなかった頑固さも勿論あって。
故に、緩い共同体でありながら硬い絆をも感じさせてくれる。その破天荒な温かさが堪らないのですよね。
「Stay With me」「Too Bad」「That’s All You Need」とヒット曲、代表曲もあって。
更にはロニー・レインの個性が光る「Last Order Please」「Debris」も収録されていて。
なのに、どこか決め切れていない。止めを刺せていない。そんなもどかしさが付きまとうのも確かですが。
そのもどかしさ、意地でも陽気な千鳥足のままで歩み続けた。それでこそフェイセスかもねと感じるかな。

わかっちゃいる。
いるけど。
だからと言って。
軌道修正をするかと言うのは。
また、別の話なのだな。

おっしゃる通り。
そうなのだろう。
だからと言って。
服従するかと言うのは。
これまた、別の話なのだな。

そうね。
そうだね。
そうなのだろうね。
それが。
普通なのだろうね。

俺に。
いるもの。
俺に。
足りないもの。
あんたがたが分析する通り。

だとしても。
俺は。
俺の歩き方が好きだし。
俺の転がり方が楽しくて。
そいつが一番大切なのさ。

だから。
何と言われても。
何とおっしゃられても。
馬耳東風で。
千鳥足のまま進んでいくだけなのだよな。

言ってくれるのは。
仰ってくれるのは。
ありがたい。
感謝している。
嘘じゃない。本当さ。

指摘も。
分析も。
的外れではない。
見えないものも見えた。
気付けないものに気づけた。

それでも。
ありがたくても。
感謝しても。
新たな何かが開けても。
そうだとしても。

俺は俺。
何を好きになるか。
何を好きにはならないか。
何を必要とするか。
何には手を出さないか。

そいつは。
俺が決めるだけ。
あんたがたにとって。
正しくなかろうが。
普通じゃなかろうが。

認められないものは。
認めない。
譲れないものは。
譲らない。
それで。遠回りしようが。損をしようが。

千鳥足だろうが。
己が心に真直ぐであれば。
それでいい。
陽気に。楽しく。
歩んでいくだけ。

だからさ。
そうだな。
あまりに足がもつれそうな。
そんな時に。
共にあって手を取ってくれる。それだけで十分なのさ。



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2015/12/08 Tue *誰のものでもありゃしない / The Beatles

20151208rubbersoulloudcut


誰のものでもありゃしない。

いま。
ここにいる。
自分は。
そう。
誰のものでもない。

自分の。
思いも。
考えも。
好きなものも。
嫌いなものも。

自分の。
歩き方も。
行き先も。
もどかしかろうが。
おかしかろうが。

自分が。
大切なものも。
そうでないものも。
守りたいものも。
そうでないものも。

万事が一時。
誰のものでもない。
誰にも決められない。
誰の指図も受けない。
自分で選んだものなのだ。

誰のものでもありゃしない。

そう。
それが。
その事実が。
それだけが。
真実なのだ。

『Rubber Soul』'65年リリース。
ビートルズの英国での6thアルバム。
前期ビートルズ、ブリティッシュ・ビート・バンドとしてのビートルズ。
それを締めくくった、とも言えるアルバムではないかなと。
今更、ここで多くを語るまでもなく。ビートルズの魅力、その才能の素晴らしさ。
ソングライティングと、それを仕上げるサウンド構築における発想の煌きと豊かさ。
特に。おそらくこの頃まではジョンにしろ、ポールにしろ。
ハッキリと各楽曲の構成や、ましてやアルバムの全体像を思い描いていたとは思えなくて。
閃きを、直感的に書き起こし。スタジオで奏でながら、また新たな閃きで彩っていったと。
ツアーだ、テレビ出演だ、映画だとの過密スケジュールの中で睡眠時間を削りながら。
その瞬間、その瞬間に集中したり、思索したり、あるいはボーッとしている中で。
沸き上がってきたものを、兎にも角にも。形にしていったのではないかと。
それでいて。これだけの多彩な楽曲を。1枚のアルバムとして温かくも輪郭のハッキリとしたものに昇華させる。
アコースティックな印象がありながらも、エレクトリックなロックンロールが根底で鳴り響いている。
そして。このアルバムまでは、間違いなくビートルズはロックンロールバンドだったのだと感じられる。
実は。そこがこのアルバムの一番、好きなところで。ジョンやポールの発想の広がりに。
未だスタジオの技術が追い付かなかったからなのかもしれませんが。それが幸いしたかなとも。
『Revolver』からは。それでももどかしさはあったでしょうが。スタジオの技術が発展していて。
それによって実現できたものもあれば。それによって振り回される様になったかの部分も感じられて。
ジョンやポールの思いや発想が、手作りの感触を伴って届けられた最後のアルバムである気がしていて。
「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」にしても「Nowhere Man」にしても「In My Life」にしても。
このアルバム、この時のビートルズだったからこその名曲であると。そう思えてならないのです。

誰のものでもありゃしない。

いま。
ここまできた。
自分は。
そう。
誰のものでもない。

自分の。
思いで。
考えで。
好きなものは好きと。
嫌いなものは嫌いと。

自分の。
歩き方で。
行き先へと。
道草も、寄り道もして。
躓こうが。這いずってでも。

自分が。
信じるものも。
そうでないものも。
失いたくないものも。
そうでないものも。

万事が一時。
誰のものでもなかった。
誰にも決められなかった。
誰の指図も受けなかった。
自分で選んで。ここまできたのだ。

誰のものでもありゃしない。

そう。
それが。
それだけが。
事実であること。
それが真実なのだ。

誰のものでもありゃしない。

誰のものにもなりゃしない。
自分の思いも。
自分の考えも。
誰の指図も受けはしない。
誰にも売る気もありはしない。

誰のものにもなりゃしない。
好きなものも。
嫌いなものも。
誰かの為に変えはしない。
誰かの為に嘘などつけない。

誰のものにもなりゃしない。
歩き方も。
行き先も。
誰にも矯正されない。
誰にも強制されない。

誰のものにもなりゃしない。
大切なものも。
守りたいものも。
信じるものも。
失いたくないものも。

誰のものでもありゃしない。

その覚悟さえあれば。それでいい。



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2015/12/07 Mon *余波、余波、余波 / The Rolling Stones

20151207aftermathukorg


余波、余波、余波。

変わる筈もない。
計画に。
突然の変更。
対応に追われる。
余波。余波。余波。

転覆する前に。
新たな対応。
進路を変更するか。
船頭を交替させるか。
余波。余波。余波。

横波。
高波。
逆風。強風。
どう乗り越える。どう乗り切る。
余波、余波、余波。

ひとつ変われば。
ふたつ、みっつ。
その総てに根回し。
その総てに手を回し。
余波、余波、余波。

あそこから。
剥がして。
こちらに。
張りつけ。
余波、余波、余波。

剥がした跡にも。
手当を施し。
応急処置の目処だけ着けたら。
一旦は、ひと呼吸。
余波、余波、余波。

『Aftermath』'66年リリース。
初めて全曲がジャガー=リチャードのナンバーで構成されたローリング・ストーンズのアルバム。
このアルバムも英米で内容が(ジャケットも)異なっており、この英国盤は全14曲収録となっています。
因みに極初期のプレスではジャケットのアルバム・タイトルに影がついていてことが話題になりましたが。
それらも含めて。英国初回プレスの特にモノラル盤の音質と音圧には独特の温かみと厚みが感じられます。
ブルースやR&Bのカヴァー、そこからスタートしたストーンズが、いよいよその範疇に収まりきらなくなった。
そして初期のリーダーであったブライアン・ジョーンズから主導権が完全にミックとキースに移った。
そんな、ストーンズの転換点に当たるアルバムで。その余波は特にブライアンにとって大きかった・・・
そう、そんな定説で語られてきて。勿論、それは間違いでは無いのでしょうが。それだけではないと。
もっと大きな荒波や強風に晒されていたストーンズ。それをこのアルバムで乗り越え、乗り切った。
その余波は、ブライアンのみならず。ストーンズ全体にとっても大きなものだったと感じられるのです。
ストーンズをストーンズ足らしめているもの、未だ生き延びさせているもの、それは何であるかと。
それを考えた時に。ストーンズならではの、ストーンズでしか出し得ないグルーヴ、リズム感があるからだと。
ブルースやR&Bの残り香を身に纏いながら、ロックやポップスに軸足を移しつつも飲み込まれることも無く。
それは何故生まれたのか?何故それを成し得たのか?その答えが実はこのアルバムに表れているかなと。
つまり。ミックとキースによるオリジナルはロックやポップスに向かいつつも。ブルースやR&Bの影響下にある。
更に、そこにシタール、ダルシマー、マリンバ等々、様々な楽器を奏でて独特の味わいを施した。
そのブライアンのプレイヤーとしてのセンスが大きく作用することによって。ブラックでもホワイトでもない。
混沌としながらも、唯一無二の魅力を発揮するストーンズのグルーヴとリズムの誕生の瞬間が刻まれていると。
それこそが最大の余波であり。その余波を受けながら、受け続けながらも転がり続ける術を体得した。
それが故に。ストーンズにとって代わるバンドは未だに現れることが無いのではないかと感じるのです。
ソングライターとしては才能を発揮できなかった、ブライアンのサウンド・クリエイターとしての才能。
それが。やはり、ストーンズの礎にはあったのだと。そこを見落としてはならないのだと思うのです。
故に、その場に居合わせたビル・ワイマンも去ったストーンズは・・・変質してしまったかなとすら感じるのです。

余波、余波、余波。

順調だった。
計画に。
突発の異変。
対応を余儀なくされる。
余波。余波。余波。

座礁する前に。
新たな対応。
帆を目いっぱい張るか。
舵を切って旋回するか。
余波。余波。余波。

横波。
荒波。
逆風。暴風。
どうかわす。どう切り返す。
余波、余波、余波。

ここで変われば。
そこで、あそこで。
その総てを再計算。
その総てに手を打って。
余波、余波、余波。

どこかから。
引っ張って。
こちらを。
凌いで。
余波、余波、余波。

引っ張ったところにも。
布石を打って。
対処療法の目処だけ着けたら。
一旦は、ひと呼吸。
余波、余波、余波。

一旦は。
ひと呼吸。
しかし。
直ぐにも後から。
余波、余波、余波。

再び、三度。
頭を巡らせ。
貼りつけ。
凌いで。
余波、余波、余波。

息つく暇も無く。
走りながら。
手を施し。
布石を打ち。
余波、余波、余波。

打ち続く。
波に。風に。
悪酔いしながらも。
次への師苗を考える。
余波、余波、余波。

その連鎖の中で。
いつか。
対処療法ではなく。
原因療法を生み出すのだと。
余波、余波、余波。

あらゆる。
変化。
あらゆる。
異変。
余波、余波、余波。

そいつを。
乗りこなせれば。
乗り切れれば。
揺るがない礎が出来るはずだと。信じながら。
余波、余波、余波。

悪酔いに。
慣れちまう前に。
楽しみながら闘える。
そんな酔い方を身につけようと。
余波、余波、余波。



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2015/12/04 Fri *闇の住人 / Luther Allison

20151204nightlife


夜。
闇。
その中で。
その中でのみ。
生きられる。

夜の気配。
夜の匂い。
闇に包まれる。
闇に紛れられる。
その安らぎ。

やはり。
夜が。
闇が。
その時間こそが。
自分の世界。

最早。
この事実から。
目を逸らすのは。
逃れようとするのは。
止めよう。

夜だけが。
闇だけが。
自分の。
生存が。
許されている。

その。
細やかな。
時間なのだ。
であるならば。
味わい尽くすだけのこと。

『Night Life』'76年リリース。
南部出身で'50年代後半にシカゴで活動を始めたルーサー・アリソン。
マジック・サムやオーティス・ラッシュと共に若手ギタリストとして期待されながら。
なかなか。芽が出ずに。'60年代はフレディ・キングの世話になって。
フレディから様々なテクニックを教わったとの逸話も残っています。
そんなアリソン、何故か’70年代に入ってモータウン傘下のゴーディと契約を結んで。
そこでリリースしたアリソンの代表作とも言うべきアルバム。
さて。モータウン参加と言うレーベルの特性故なのか。それともアリソンの狙いだったか。
あるいは両者の思惑が一致したのか。ストレートなブルース・アルバムと言うよりは。
ソウルも、ニュー・オーリンズも、ファンクも何でもありの雑食なサウンドが特徴で。
リリースされた当時は、これをブルースと言っていいのかとの議論もあったのだとか。
結論から言えば。その雑食故の猥雑性、その危うくも妖しく逞しい生々しさ。
それはやはりブルース以外のなにものでも無いかなと。ファンク・ブルースになるのかな。
アリソンの歌声とギター。そしてサックスやキーボードも加わったバックのサウンド。
そしてモータウンらしい女性コーラスのハーモニー。その質感、手触りはビロードの様で。
その裏地に隠された、ざらつく感触を覆い隠しながらも、時折顔を出させている様で。
なんとも。陽の光は似合わない。夜の四十万を彩る煌きと、その輝きと隣り合わせの闇。
その中で蠢く様が、その匂いが漂ってくるような。極端に言えば陽気でありながらも淫靡でもあると。
ここまで都会の夜と闇が似合う、それしか似合わないブルースって言うのも珍しいかなと。
必然的に天辺過ぎ、丑三つ時などに針を落とす機会が多いのですが。実になんともしっくりくるのです。

闇。
夜。
その中で。
その中でのみ。
生を実感できる。

闇の気配。
闇の匂い。
夜に包まれる。
夜に紛れられる。
その穏やかさ。

やはり。
闇が。
夜が。
その世界こそが。
自分の時間。

結論。
この事実を。
否定する心は。
認めようとしない試みは。
捨てよう。

闇だけが。
夜だけが。
自分で。
生存を。
許している。

その。
細やかな。
時間なのだ。
であるならば。
貪り尽くすだけのこと。

夜にのみ。
闇にのみ。
生きられる。
生きられない。
そんな者もいるのだ。

夜にのみ。
闇にのみ。
安らぎを。
穏やかさを。
感じられない者もいるのだ。

闇の住人。
そうであることに。
何の躊躇いがある。
何の屈折がいる。
何もかも闇の中で。

生み出し。
思い。
蠢き。
成し遂げ。
果たしたいのだ。

朝も。
昼も。
ただやり過ごせばいい。
仮面を被って。
その影で、押し殺してればいい。

夜を。
闇を。
自分の時間を。
自分の生を。
生きられればいい。

闇の住人。それでいい。



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2015/12/03 Thu *感謝と呪詛 / Fred McDowell

20151203amazinggrace


感謝しよう。
ここまでの。
道程の。
その時々での。
出逢いに。

忘れられない。
人達と。
出逢えた。
それが。
天命によるものだと。

そうであるならば。
神も仏も。
信じるつもりはないが。
その運命を。
命の、魂の邂逅を与えてくれたものに。

感謝しよう。
ここまでの。
道程の。
その時々での。
出逢いが無ければ。

出逢った人々との。
触れ合いが無ければ。
出逢った人々に。
助けられなければ。
救われなければ。

いま。
ここに。
自分など。
存在し得なかった。
辿り着けなかったのだから。

『Amazing Grace』'66年リリース。
ミシシッピー・ブルース・マン、フレッド・マクダウェル。
そのマクダウェルが奥方も含む女性コーラス・グループと共に録音したアルバム。
マクダウェルが聖歌をと。疑問を感じられる方々もいらっしゃるとは思いますが。
聖歌が、黒人霊歌(ゴスペル)になり、更にブルースへと発展した過程を考えると。
更に言えば。特にマクダウェルの様に所謂“再発見”されるまでは。
農夫を生業としながら。一日の労働の終わりや週末にギターを奏で、歌っていた者にとって。
その音楽は、歌は。聖歌であれ、黒人霊歌であれ、ブルースであれ違いはなかったと。
感謝する、あるいは愚痴る相手は神様であれ、悪魔であれ、どちらでも良かったのではと。
それこそ。人生色々。男も色々。女も色々。日々、いいこともあれば。悪いこともあって。
その度に喜んだり、悲しんだり。悲喜交々。人生、糾える縄の如しで。
その度に神様に感謝したり、悪魔を呪ったり。偶には神様に毒づいたり、悪魔と握手したり。
そんなことの繰り返しで。常にその場には、その傍らには音楽があり、歌があったと。
そんなものではなかったかと。当然、そこには出逢いもあれば、別離もあって。
「Amazing Grace」の様に加護を祈り、加護に感謝する歌もあれば。
「You Gotta A Move」の様に悟りを語り、運命に対する諦念を言い聞かせる歌もあると。
その心からの思い、魂の叫びには。ジャンルなど関係なかった、意識もしていなかった。
そんな日常と分かち難い、密接した音楽、歌こそがブルースとも言えますけどね。
従って、このアルバムではコーラス・グループが参加しているとは言え。
一般的なゴスペルのアルバムで聴けるようなコール&レスポンスによる昂揚感はなく。
寧ろ、マクダウェルのギターもコーラス隊も淡々とただ奏で、歌っていると。
しかし。だからこそ。ここに日々の、日常の。更に言えば人生と言う営みの道程における。
感謝や呪詛。そんな人としての根源的な感情が感じられて。聴き入ってしまうのです。

呪詛しよう。
ここまでの。
道程の。
その時々での。
お別れに。

忘れられない。
人達と。
引き裂かれた。
それが。
天命によるものだと。

そうであるならば。
神も仏も。
信じるつもりはないが。
その運命を。
命の、魂の永訣を与えたものを。

呪詛しよう。
ここまでの。
道程の。
その時々での。
別れが無ければ。

出逢った人々との。
永訣が無ければ。
出逢った人々と。
今も共にあれたのならば。
触れ合えたのならば。

いま。
ここにいる。
自分の。
塞がらぬ傷口も。
取り戻せぬ欠損もなかったのだから。

出逢いへの。
感謝。
別れへの。
呪詛。
綯交ぜに繰り返しながら。

感謝の。
思い。言葉。
呪詛の。
思い。言葉。
どちらも。消え去りはしない。

ただ。
塞がらぬ傷口。
止まらない血。
戻らない欠損。
埋まらない喪失感。

そいつが。
年々。
色を濃くし。
何故との疑問が。
つきまとう。

故に。
制御を失い。
呪詛を唱え。
天に唾する。
日々が増えていく。

それでも。
出逢えたことの。
幸せが。
出逢いがもたらしてくれたものの。
大きさが。

いま。
ここに。
自分を。
存在させているのだと。
導いてくれたのだと知っている。

それでも。
尚。
感謝より。
呪詛が勝ってしまう。
それは。

自分にも。
その時が近づいているのだと。
再び。彼等に会えるのだとの。
思いに。感傷に。誘惑に。
支配されつつあるからなのか。

今日も。
今夜も。
感謝と呪詛の。
狭間で揺れながら。
グラスを傾け。歌を口ずさむのだ。



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2015/12/02 Wed *銃をとれ / Snooks Eaglin

20151202babyyoucangetyourgun


銃をとれ。
今こそ。
この手に。
銃を握りしめ。
狙いを定めろ。

無駄に。
死にたくないなら。
無意味に。
殺されたくないなら。
銃をとれ。

大丈夫。
誰もが誰もの。
銃を。
武器を。
持っている。

そいつを。
探して。
そいつを。
手にして。
自分なりの闘いを。

始めるのだ。
続けるのだ。
簡単に諦めるな。
未だ終わっちゃいない。
未だ終わらせちゃいけない。

銃をとれ。
今こそ。
奴等に思い知らせてやるのだ。
そう簡単に。
思うままにはなりはしないと。

『Baby, You Can Get Your Gun !』'87年リリース。
ニュー・オーリンズの盲目達人ギタリスト、スヌークス・イーグリン。
'50年代から録音を残しているものの表舞台にはなかなか浮上できずに。
熱心なブルース・ファンにも忘れかけられていたイーグリン。
そのイーグリンが突如としてシーンを賑わせ、その存在を知らしめたアルバム。
兎にも角にも。その超絶的なギター・テクニックで世間を驚かせたのですが。
何も。急にイーグリンの腕が上達した訳ではもちろん無くて。
昔から達人ではあったものの。フォーク・ブルース的な弾き語りの録音が多くて。
そのテクニックの凄さが、十分に世間には伝わり切らかかったと。
せっかく持っている武器、その銃であるギターを存分にぶっ放せなかったと。
ここらは。レコード会社の意向に従った結果で。それにこりて沈黙してもいたかなと。
それが。新たにブラック・トップとの契約を結んで。ベースとドラムスとのトリオで。
録音に望んだ結果。そスリリングでファンキーで、尖がったギター。
その魅力が一気に爆発して、世間に風穴を開けてみせたと。そんなところかな。
とにかく。そのリズム感が、そのノリが素晴らしくて。そのノリ熟し具合は。
同じく'80年代に復活を遂げたクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンにも通じますが。
ゲイトマウスより更に雑食性が高いと言うか、胃袋が強靭だった模様で。
ヴェンチャーズやトラブル・ファンクのナンバーももの見事に咀嚼してしまっています。
ここまでのスピード感を感じさせるブルース・ギタリストもそうはいないかなと。
長い雌伏の時を経て。未だ死んじゃいないぜ、未だ終わりにさせないぜと。
そんな気骨をもって再び、銃を、ギターをとったイーグリン。そのしぶとさが好きです。
勿論、ブルースなので。ガン、銃には、別な意味も込められていると思いますが(笑)。

銃をとれ。
今こそ。
この手で。
銃を構えて。
引き鉄に指をかけろ。

無駄に。
死んでたまるかと。
無意味に。
殺されてたまるかと。
銃をとれ。

大丈夫。
誰もが誰もの。
銃を。
武器を。
信じれば。

そいつを。
磨いて。
そいつを。
手に馴染ませて。
自分なりの闘いを。

見つけたら。
しぶとくいくのだ。
簡単に諦めはしない。
未だ終わっちゃいないぜと。
未だ終わらせやしないぜと。

銃をとれ。
今こそ。
奴等に突き付けてやるのだ。
そう簡単に。
思う通りにはいかないぜと。

銃をとれ。
自分の武器を。
見つけて。
磨きをかけて。
狙いをつけて。

熱く。
激しく。
素早く。
引き鉄を弾いて。
連射しよう。

百発百中で。
無くていい。
撃ち続けることで。
威嚇になればいい。
まぐれで当たれば尚更いい。

死ぬのも。
野垂れ死にも。
恐れはしない。
ただ。
犬死はしないぞと。

この社会に。
この世間に。
この世界に。
風穴の一つでも空けてやれ。

まぁ。
出来ればな。
柔らかで。
時にいきり立つ。
銃の方をぶっ放す方が気持ちいいのだが(笑)。

銃をとれ。



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2015/12/01 Tue *リセット / Elmore James

20151201theoriginalmeteorandflairsi


リセット。
一旦。
ここで。
今日で。
白紙に戻して。

頭の中も。
心の内も。
掃き清めて。
明日からに。
備えよう。

そうだ。
師走でもあるし。
何故か。
追込みではなく。
これから走り始めると。

そんな。
状況だからこそ。
総てを。
掃いて。
攫って。

その上で。
もう一度。
一から。
思い描く。
考える。

だから。
一旦。
リセットしよう。
白紙に戻そう。
掃き清めよう。

『The Original Meteor & Flair Sides』'84年リリース。
'50年代の音源から選曲、編集されたエルモア・ジェイムスの英国編集アルバム。
その激しいスライド・ギターと野性味に溢れる歌声が有無をも言わせぬエルモア。
数々のレーベルに録音を残していますが。やはり最も熱いのが'50年代中頃で。
特に、このアルバムに収められたミーティア、フレアー時代は一際凄まじくて。
あのエルモアならではの、ブルーム調のナンバーで次から次へと襲いかかってくるが如く。
その場にあるものを、総て掃いて捨てる、掃き清めてしまう勢いがあります。
ワン・パターンと言えば、ワン・パターンなのですが。それ故の凄さ。
針を落として。耳を傾けていると。その熱さと勢いで身も心も真新にされてしまう様で。
雑念を追い払いたい時、頭の中を空っぽにしたい時には効果絶大かなと思われます。
ジョニー・ジョーンズを始めとする、その名もブルームダスターズを従えて。
(このアルバムにはアイク・ターナーの参加しているナンバーも収録されています)
1曲、1曲の熱さ。その沸騰する様は凄まじいものがあります。その燃焼度合。
そのあまりにも熱く、燃え上がる様に。この録音から約10年後に45歳で夭折する。
そんな運命を知っていたのではないかとさえ感じてしまう程なのです。
何だろうな。本当に先を考えていない、後がない。そうでもなければ。ここまで燃えないよなと。
そう思わされてしまうのですよね。そのスライドの響き、その歌声の一節。
そこに総てを注ぎ込んで。それで総てを掃いてしまう。更地にしてしまう。そこまでしてしまう。
何がエルモアをそこまで駆りたてたのかと。その駆りたてられるものがエルモアにとってのブルースだったかと。
特に。モノラルのアナログ盤の太い音で聴くエルモア。その鬼気迫る炎の蒼白さ。
憑依されたかの様に。繰り返し針を落としてしまう時があって。本当に真っ白になることができるのです。

リセット。
一度。
ここらで。
今日一日で。
更地に戻して。

頭の中も。
心の内も。
燃やし尽くして。
総ては。
明日からに。

そうさ。
師走だからと。
必要以上に。
焦らずに。
スタートラインに立つ前に。

こんな。
状況だからこそ。
総てを。
燃やして。
尽くして。

その上で。
もう一度。
一から。
新たに描く。
思ってみる。

だから。
一度。
リセットしよう。
白紙に戻そう。
燃やし尽くそう。

熱く。
溢れる。
思いのままに。
しかし。
冷静に。

熱く。
激しく。
駆られるままに。
しかし。
見失わずに。

頭の中も。
心の内も。
空っぽに。
真っ白に。
してしまおう。

一旦。
リセットして。
白紙に戻して。
総ては。
それからと。

一度。
リセットして。
更地に戻して。
総ては。
そこからと。

燃やし尽くして。
掃き清めて。
師走だからこそ。
その上で。
新た一から思い描いて。

それから。走り始めよう。



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2015/11/30 Mon *花も嵐も / Bobby Bland

20151130herestheman


花も嵐も。
踏み越えて。
行くが。
男の生きる道。
そうだねぇ。

花は。
兎も角として。
嵐はね。
立ち向かって。
踏み越えないと。

そうしないと。
にっちもさっちも。
どうにもならない。
そんな時もあるからね。
避けてばかりもいられない。

しかし。
まぁ。
月曜日から。
嵐と対峙するって言うのは。
なかなかにしんどいなと。

でもね。
月曜日が嵐なら。
火曜日も水曜日も。
似た様なものだから。
ここは一先ず。

受けて。
受け止めて。
対策を練りながら。
踏み越える力を。
蓄えてみますかね。

『Here’s The Man』'62年リリース。
時に激しく。時に温かく。硬軟使い分け。
その唯一無二の歌声でスターとなったボビー・ブランド。
今に続くブルース・シンガーのスタイルを築き上げたブランド。
そのスター街道の始まりとなったデュークでの2枚目のアルバム。
バンドの運転手を務めながらチャンスを窺い、身を起こしたブランド。
その男気に溢れる、味わい深い歌声は。これぞまさに男のブルースであり。
その男気をやや抑え気味に語りかける様に優しく歌声は。まさに伊達男のそれでありと。
アルバム・タイトル通りに、ブランドこそが。ブルース界の男の中なの男であると。
そう。高らかに宣言しているかの如きです。その男臭さと、男の色気。
男が惚れられる男であり、女は惚れずにはいられない男だったのだろうなと。
硬派で強面な男であり、伊達で鯔背で洒落者でもあると。その総ての面を。
その歌声、その喉一つで巧みに表現してみせる。その力量には只管、驚嘆するのみです。
そうですね。ブルース・シンガーとして超一流であるのみならず。
R&Bシンガーとしても超一流なのですよね。ここまで歌える男も世にそうはいないよと。
残念ながら。日本においてはブルース・マン、すなわちギタリストなる傾向が強いので。
その実力に見合った知名度も、人気も博したことのないブランドですが。
こと、その歌声に魂を感じさせる。その点ではサム・クック、オーティス・レディングと並び立つかなと。
それを強く感じさせるのが「Stormy Monday Blues」における感情表現の素晴らしさで。
T.ボーン・ウォーカーを始めとして数々のヴァージョンがあるこのナンバーの最上のものではないかと。
抑えた表現の中にも、嵐に立ち向かう凛とした力強さを感じさせる特筆すべきものだと感じられるのです。

花も嵐も。
踏み越えて。
行くが。
男の生きる道。
だからねぇ。

花は。
兎も角として。
嵐でもね。
向いあって。
踏み越えないと。

そうしないと。
あっちもこっちも。
どうともしようがない。
そんな時が来たならば。
かわしてばかりもいられない。

しかし。
まぁ。
月曜日から。
嵐と対決するって言うのは。
なかなかに厳しいなと。

しかし。
月曜日から嵐なら。
木曜日も金曜日も。
吹き止まないこともあるし。
ここはやっぱり。

受けて。
受け止めて。
練った対策を。
繰り出してみて。
踏み越えてみますかね。

月曜日だろうと。
火曜日だろうと。
水曜日だろうと。
木曜日だろうと。
金曜日だろうと。

嵐なら。
嵐で。
立ち向かって。
受け止めて。
何とかしてみようと。
少なくとも。
試みて。
挑んで。
踏み越えられる。
可能性を模索して。

月曜日だろうが。
火曜日だろうが。
水曜日だろうが。
木曜日だろうが。
金曜日だろうが。

花も嵐も。
素知らぬ顔で。
さらっと。
踏み越えて。
男気でもみせたいなと。

おっと。
尤も。
花は。
踏み越えずに。
粋に摘み取ってしまいたい・・・かな(笑)。



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