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2016/04/06 Wed *この道 / シーナ&ロケッツ

20160406mainsongs


この道。
この歩き方。
この転がり方。
それ以外は。
出来ないのだ。

何と言われようと。
どう思われようと。
これで。
こいつで。
ここまで来たのだ。

今更。
他の道。
他の歩き方。
他の転がり方。
そんなものなど。

受け付けられない。
受け入れられない。
頑固と言われようと。
依怙地だと思われようと。
構いはしない。

この道を。
この歩き方で。
この転がり方で。
行けるところまで。
行くだけ。

それだけだ。
それだけでいい。
それでいい。
それがいい。
思い悩む暇など無い。

『Main Songs』'85年リリース。
シーナ&ザ・ロケッツ、シナロケの通算6枚目のアルバム。
ビクターに移籍してからはシナロケとしては2枚目となるアルバムだったかな。
アルファ時代は細野晴臣や糸井重里が関わるなどしていて。
それはそれで効果的ではあったし、良かったのだけれど。時代に乗り過ぎた・・・
まぁ、それは大袈裟にしても。本来の姿からすると若干装飾過多だったのかな。
移籍して心機一転。シーナの産休によりロケッツ、シーナそれぞれのアルバム。
そいつを転換点にして。原点回帰の過程で、決意表明したアルバムかなとも思われて。
モノクロのシンプルなジャケットに。このアルバム・タイトル。
そしてザラザラとした肌触りのギターを中心として無骨なサウンドがのたうち回り。
その上をシーナのキュートにして妖艶な歌声が自由に飛び跳ねている。
これこそが。シナロケのロックンロールなのだと。改めて世間に宣言しているかの様で。
鮎川誠、誠ちゃんの強い拘り、そして強い意志、固い決意を感じるかな。
ややそれが前面に出過ぎて。聴く人によっては地味な印象を受けるかもなのですが。
でも。無骨で、荒々しく、刺々しく、ドロドロと。それが本質にあるからこそ。
そのサンハウス以来、変わらないものがあるからこそ。シーナの歌声も映えたのだし。
その時々で時代に寄り添いながらも。決して時代に寝取られることは無かったのだと。
そんな。シナロケの本質、凄味がアルバム全体の芯として一本貫かれているかな。
故に「今夜はたっぷり」「プラザへ行こう」と言ったキャッチーなナンバーでも。
シーナの歌声はキュートでありながらも、凄味の増した妖艶さがより魅力的だと。
シナロケのアルバムの中ではあまり語られない、やはり地味なアルバムなのでしょうが。
だからこそ。外せないアルバムだと断言してしまってもいいかなと。
B面ラストの「この道」のカヴァー。そう。やはりシナロケ、誠ちゃんの決意表明だよね。

この道。
それを行く。
そこを転がる。
それ以外は。
考えられないのだ。

誰が何を言おうと。
誰が何を思おうと。
それで。
そうして。
ここまで来たのだ。

今更。
他の道を。
他の歩き方で。
他の転がり方で。
そんなことなど。

あり得はしない。
思いもしない。
頑迷と言われようと。
意固地だと思われようと。
気にもならない。

この道を。
この歩き方のまま。
この転がり方のまま。
その時が来るまで。
進むだけ。

それだけだ。
それだけでいい。
それでいい。
それがいい。
思い惑う隙など無い。

この道は。
いつかきた道。
あぁ。そりゃ。
そうだろうよ。
ずっとこの道の上。

そいつを。
歩いてきたのだ。
時に。
逸れて。
寄り道をすることはあっても。

そいつを。
転がってきたのだ。
偶に。
迷って。
道草をすることはあっても。

そうして。
ここまで来た。
そうして。
いま。
ここにいる。

これからも。
このまま進む。
そうして。
いつも。
ここにいる。

それだけ。
そして。
その時を迎えたら。
この道の上で。
果てるまで。

改めて。
その思いを。
胸に刻んで。
この道を。
踏みしめている。



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