« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年10月

2017/10/29 Sun *いつでも、どこでも、どれでも、なんでも / Lee Dorsey

20171029doremifunky


いつでも。
どこでも。
どれでも。
なんでも。
笑ってしまおう。

取り敢えず。
なんか。
いいなと。
感じたら。
思えたら。

いつでも。
どこでも。
どれでも。
なんでも。
笑ってしまえれば。

それで。
うまく。
回りだす。
うまく。
転がりだす。

考えるのは。
後でいい。
先ずは笑って。
乗ってしまおう。
踊ってしまおう。

雨が降ろうが。
槍が降ろうが。
嵐が来ようが。
そいつで先ずは。
何とかなるだろう。

『Do Re Mi Funky』'87年リリース。
リー・ドーシーのP-ViNEによる日本独自編集アルバム。
邦題?は『どれもファンキー』・・・やるなぁ、P-VINE。
ニュー・オーリンズを代表するシンガー、ドーシーの'60年代録音を18曲。
大ヒットを連発して、ミスターTNTとの異名を取っていたドーシー。
その泥臭くて、いなたく。只管にファンキーなドーシーの魅力が満載です。
元々はプロ・ボクサーだったらしく。引退後に自動車修理の職について成功して。
自らの工場を経営するに至って。子宝にも10人以上恵まれて。
そんなある日、鼻歌を口ずさみながら直した車の持ち主がレコード・プロデューサーで。
その場でスカウトされたと言う・・・眉に唾をつけたくなる逸話があるそうで。
まぁ、いずれにせよかなり軽い乗りでの転身、デビューであったことは確からしく。
最初のヒット曲「Ya-Ya」はたまたま近所の子供達が口ずさんでいたメロディ。
それをヒントにスタジオで、即興で録音したのだとか。その乗りの良さがドーシーで。
続く「Do Re Mi」なんかも、とぼけているものの、その乗りの良さは天下一品で。
更には、乗りが良く楽しいのに。どこかしんみりともさせるところが心憎いのです。
これらの作品のアレンジに関わったのが、アラン・トゥーサンで。
プロデュースを担当、演奏にも参加して。ますますドーシーの魅力を引き出したのが。
「Get Out Of My Life Woman」「Working In A Coal Mine」といったところで。
実に絶妙に緩い塩梅の効いた、ファンキーなドーシー節が全開となります。
歌の中で、俺のやることは総てファンキーだぜと豪語するドーシー、絶好調です。
更にはミーターズをバックに迎えたナンバーなどは、もうまごうことないファンクで。
ドーシー、そしてトゥーサンの新たな時代への挑戦、その意気込みが感じられます。
邦題に偽りなし。どれも、そしていつ、どこで針を落としてもファンキーなドーシーなのです。

いつでも。
どこでも。
どれでも。
なんでも。
笑い飛ばしてしまおう。

取り敢えず。
なんか。
楽しいなと。
感じたのなら。
思えたのなら。

いつでも。
どこでも。
どれでも。
なんでも。
笑い飛ばしてしまえれば。

それで。
いい具合に。
回りだす。
いい塩梅に。
転がりだす。

考えるのは。
先でいい。
今は笑って。
乗ってしまおう。
踊ってしまおう。

雨が降ろうが。
槍が降ろうが。
嵐が来ようが。
そいつで先ずは。
何とかしてしまおう。

いつでも。
どこでも。
多かれ。
少なかれ。
不安はある。

どれでも。
なんでも。
多かれ。
少なかれ。
不満はある。

そいつは。
変わらない。
ならば、いいなと。
感じたら。
思えたら。

そいつは。
変えられない。
ならば、楽しいなと。
感じたのなら。
思えたのなら。

いつでも。
どこでも。
どれでも。
なんでも。
笑ってしまえれば、笑い飛ばしてしまえれば。

それで。
うまく、いい具合に。
回りだす。
うまく、いい塩梅に。
転がりだす。

雨が降ろうが。
槍が降ろうが。
嵐が来ようが。
いつでも、どこでも、どれでも、なんでも。
何とかなるだろう、何とかしてしまおう。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/28 Sat *泥んこ道のダンス / Various Artists

20171028bayoudrive


秋の長雨。
それにしても。
降り過ぎだろう。
続き過ぎだろう。
湿気が纏わりついて。

ぬかるみに。
足を取られそうで。
どうにも。
スッキリしない。
何もかもが不順になりそうで。

もう。
この国からは。
温暖で。
穏やかで平準な。
気候など失われてしまったかと。

雨期ではなくて。
雨季ができてしまったかと。
あぁ。
それならそれで。
やりようもあるかと。

振り続く。
雨に合わせて。
リズムを刻んで。
ステップでも。
踏んでみればいいだろうと。

光る。
水溜りに飛び込んで。
飛沫を上げて。
ダンスでも。
踊ってみればいいだろうと。

『Bayou Drive』'85年リリース。
P-VINEによるチェス音源の発掘編集アルバム。
アルバム・タイトルからをわかる様にルイジアナ・ブルースに焦点をあてて。
クリフトン・シェニエ、ライトニン・スリム等、4人の'50年代録音から選曲しています。
シェニエと言えばスペシャルティかアーフリー、スリムと言えばエクセロ。
そんな印象が強いのですが。流石はチェス。多方面に網を張っていたのだなと言うか。
やはり、チェスへの録音と言うのはある種のステータスだったのかなとも。
シングル盤としてリリースされていたものもあれば。完全にお蔵入りになっていたものも。
シェニエのザディコも、スリムの無骨なブルースも。後年に比べると荒々しくて。
言わば、原石の魅力があって。何でこれがお蔵入りと首を傾げたくなるほどのものです。
雨の多い、湿地帯の広がるルイジアナ。そこでの日常がどの様なものか。
ジメジメとして、スッキリしなくて、何もかも不順になりそうで。そんな日々も多いかと。
そんな時は。シェニエのザディコに合わせてステップを踏んで、ダンスを踊って。
スリムの洗練とは無縁の、緩くも渋いブルースに合わせて軽くリズムを刻んでやり過ごす。
泥臭くも愛らしいルイジアナのバイユーで生まれたブルースの誕生経緯を感じもします。
しかし、本当にシェニエは踊っているし。スリムはひたすらに激渋なのですよね。
ジャケットにも、その2人の写真しかなくて。他の2人はどうしたのだと言うところですが。
ブギー・ジェイクとヘンリー・タルバート。写真も残っていないほど無名なのでしょう。
でも、この2人がまた。いい味を出していて。線が細かったり、個性には乏しかったり。
しかし、明らかにルイジアナなブルースをやっていて。無名が故の生々しさを感じるかな。
振り続ける雨も、纏わりつく湿気もものともしない、水溜りを、泥んこ道もお構いなし。
そんな、笑い飛ばす、我が道を貫き通す。ルイジアナ・ブルースの逞しさが堪りません。

ススキ梅雨。
それにしても。
降り過ぎだろう。
続き過ぎだろう。
湿気に纏わりつかれて。

ぬかるみに。
搦めとられそうで。
どうにも。
スッキリしない。
何もかもが不純になりそうで。

もう。
この国からは。
温暖で。
優しくて安らかな。
気候など失われてしまったかと。

雨期ではなくて。
雨季だと認めてしまおうと。
まぁ。
それならそれで。
やりようもあるぞと。

振り続く。
雨の中に飛びだして。
リズムを刻んで。
ステップでも。
踏んでみればいいだろうと。

ぬかるんだ。
水溜りを踏みつぶして。
飛沫を上げて。
ダンスでも。
踊ってみればいいだろうと。

秋の長雨。
降り過ぎだろう。
続き過ぎだろう。
湿気が纏わりついて。
どうにもならない。

ススキ梅雨。
降り過ぎだろう。
続き過ぎだろう。
湿気に纏わりつかれて。
どうしようもない。

雨期ではなくて。
雨季ができてしまったかと。
雨期ではなくて。
雨季だと認めてしまおうと。
覚悟を決めようと。

ぬかるみに。
足を取られて。
搦めとられて。
何もかもが不順になりそうで。
何もかもが不純になりそうで。

振り続く。
雨の中に飛びだして。
リズムを刻んで。
ステップでも。
踏んでみるしかないだろうと。

ぬかるんだ。
水溜りを踏みつぶして。
飛沫を上げて。
ダンスでも。
踊ってみるしかないだろうと。

そう。
不順で。
不純な。
リズムで、ステップで。
泥んこ道のダンスを踊ろう。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/26 Thu *大雑把で、いい加減で、陽性で、そして・・・ / Faces

20171026oohlala


微塵も。
無いかと。
言われれば。
躊躇いなく。
頷くことはできないが。

いま。
ここにいる。
そこまでの。
歩みに。
悔いなどないのだと。

あの時。
その時。
その積み重ね。
その繋がり。
偶然が必然に。

それで。
千鳥足の。
酔いどれ人生を。
なんとか。かんとか。
歩いてきたのだから。

ただ。
ふとした瞬間に。
ガキの頃の自分に。
いまの自分の心持ち。
そいつを話せたらなと。

あんなことも。
そんなことも。
あんなもので。
そんなもので。
そう、たいしたことなどないのだと。

『Ooh La La』'73年リリース。
フェイセスの4枚目にして最後のスタジオ・アルバム。
改めてフェイセスのスタジオ・アルバムの少なさに驚かされますが。
まぁ、ロッド・スチュワートのソロ・アルバムもフェイセスのアルバムみたいなもので。
恐らくはスタジオで演奏している時は、あまり意識して区別もしていなかったかなとか。
それ程に。違和感なく千鳥足の一体感がどのアルバムにも溢れているのですけどね。
ただ、ロッドがソロ・シンガーとしてあまりにも大きな成功を手にしてしまった。
それが悲劇の始まりで。フェイセスはバック・バンド扱いをされる様になってしまって。
このアルバムのレコーディングには多忙なロッドが参加できないことも多かったと。
それでロニー・レイン主導となったこのアルバムをロッドはメディアで貶してしまって。
それで(それだけじゃないでしょうが)ロニーはこのアルバムを最後に脱退してしまうと。
ただ。ロニーの脱退を知らされたロッドが他のメンバーと泥酔している写真もあるので。
言われる様に。ロッドと他のメンバーとの間にそこまで決定的な亀裂は無かったかなとも。
さて。ロッドの不在もあってかロニーの個性、志向や嗜好が大きく反映されたアルバムで。
トラッド、カントリー、そしてスワンプと。スリム・チャンスの萌芽が聴きとれます。
それをロニー自身が歌っているナンバーは勿論、ロッドが歌っているナンバーも味があり。
ボタンの掛け違えが無ければ、フェイセスの新たな歩みがあったかなとも惜しまれます。
ロニーのベース、そしてイアン・マクレガンの鍵盤がまた実にいい塩梅で弾んでもいてねぇ。
「Silicone Grown」「Cindy Incidentally」「My Fault」「Glad And Sorry」、佳曲揃いで。
中でもラストに配された「Ooh La La」に漂う陽気な哀感とでも呼ぶべきものは絶品で。
何故かロッドでもロニーでもなく。ロン・ウッドが歌っているのですが。これが絶妙。
ロッドなら陽気に過ぎる、ロニーなら哀感が溢れすぎる。ロンだからこそのいい加減さ。
もっと早く色んなことを知っていればと。若干の苦みと共に若き日々を振り返りつつ。
まぁ、いいかと。何とかなるさと。鼻歌でも口ずさみながら千鳥足で歩き続ける。
この大雑把で、いい加減で、陽性な前向きさ。そんなフェイセスの真骨頂がこのロンの歌声にはあるのです。

一点も。
無いかと。
言われれば。
躊躇いつつも。
首を左右に振ってしまうが。

いま。
ここにある。
そこまでの。
行いに。
悔みなどないのだと。

あの時。
その時。
その貯え、蓄え。
その連なり。
偶然が必然に。

それで。
千鳥足の。
酔いどれ人生が。
なんとか。かんとか。
続いてきたのだから。

ただ。
ふとした瞬間に。
ガキの頃の自分に。
いまの自分の胸の内。
そいつを話せたらなと。

あんなものも。
そんなものも。
あんなところで。
そんなところで。
そう、たいしたことなどないのだと。

この道。
ではなくて。
あの道。
それもあったかと。
そうしていたらと。

この歩き方。
ではなくて。
あの歩き方。
それもあったかと。
そうしていたらと。

この選択。
ではなくて。
あの選択。
そうしていたら。
どうなっていたかと。

この決断。
ではなくて。
あの決断。
そうしていたら。
どうなっていたかと。

いまなら。
どの道。
どの歩き方。
どの選択。
どの決断。

いまだから。
わかる。
見える。
感じる。
それをあの時に。

迷い。
怯え。
震え。
立ち尽くす。
ガキの頃の自分。

その背中に。
声をかけられたら。
その耳元に。
囁いてやれたら。
そんな思いを感じつつ。

その背中を。
軽く叩いて。
その耳元で。
胸を張ろうぜと。
そんなところかなと。

まぁ、いいかで。
何とかなるさで。
たいしたことなどないのだと。
鼻歌でも口ずさみながら。
千鳥足で歩いていけばいいのだと。

大雑把で。
いい加減で。
陽性で。
そして・・・切なくて。
それも・・・それが人生だと、ね(笑)。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/25 Wed *心、乱れても、心、破れても / Free

20171025heartbreakerukorg


心、乱れても。
それでも。
ひと時は。
乱れるままに。
あったとしても。

ふと。
吹き抜ける。
一陣の風を。
感じるなら。
感じられるのなら。

乱れた心を。
抱えたままでも。
立ち上がり。
一呼吸おいて。
いってみるかと。

売りものにも。
ならない。
乱れた心。
そいつを共に。
いってみるかと。

新たな。
一歩を踏み出してみる。
足跡が。
新たな道となるか。
それはわからなくても。

未だ。
立てるのだと。
未だ。
歩けるのだと。
それを示せればと、願いを込めて。

『Heartbreaker』'73年リリース。
フリーの通算7枚目にして最後となったアルバム。
その高い評価とは裏腹に。ごたごたの絶えなかったフリー。
音楽性の相違、人間関係の軋轢、そして薬物の問題。
デビューして数年、5枚のアルバムを残して一旦は解散してしまいます。
その後、それぞれの活動が思わしくなかったりもして。
また薬物に苦しむポール・コゾフを再起させる意図もあってか再結成。
ポール・ロジャース、サイモン・カーク、アンディ・フレイザー、そしてコゾフ。
オリジナル・メンバー4人で『At Last』をリリースするも。
やはり軋轢。特にコゾフとの確執に耐えられずフレイザーが早々に離脱して。
フリーもこれまでかと思われたもののロジャースとカークは活動の継続を選択。
新たにラビットと山内テツをメンバーに迎えて。当然の様にコゾフも残したのですが。
薬物に蝕まれたコゾフの状態が悪化。数曲でしかギターを弾くことができず。
結局はクレジット上もメンバーからは外されてゲスト扱いになってしまっています。
(英国オリジナル盤のインナーではコゾフも含めたメンバー・ショットがありますが・・・)
そう。なので。このアルバムをフリーのアルバムと認めていいものかとの声もありますが。
この言わばボロボロの状態を晒しても前進する姿勢、その往生際の悪さもフリーかなと。
ロジャースとラビットを中心に書かれたナンバーの出来の良さもあって。
そして、変わらぬロジャースのソウルフルな歌声。そして閃光の欠片を放つコゾフのギター。
フレイザーの不在故に。真っ直ぐに過ぎる、硬すぎる感があるのは否めないものの。
やはり、このアルバムで聴ける重心の低い、間の活きたサウンドはフリーなのですよね。
大ヒットした「Wishing Well」に溢れる前向きな躍動感、漲る生命力。そこには。
リーボップのコンガも加わり。昂揚するこのナンバー。コゾフに向けて歌われたと言うのは。
今では否定されていますが。コゾフも含め、乱れた、破れた心を抱えた者達を立ち上がらせる力があるのです。

心、破れても。
それでも。
ひと時は。
破れたままで。
あったとしても。

ふと。
射し込む。
一筋の光を。
感じるなら。
感じられるのなら。

破れた心を。
抱えたままでも。
立ち上がり。
伸びの一つでもして。
やってみるかと。

売りものになど。
ならはずもない。
破れた心。
そいつと共に。
やってみるかと。

新たな。
一撃を放ってみる。
軌道が。
新たな標となるか。
それはわからなくても。

未だ。
立てるのだと。
未だ。
闘えるのだと。
それを信じられればと、願いを込めて。

隠さなくて。
覆わなくて。
それで。いい。
ありのまま。
そのまま。

隠し通せない。
覆い尽くせない。
そんなものだから。
ありのまま。
そのまま。

いらないもの。
余分なもの。
重すぎるもの。
脱いで。
脱ぎ捨てて。

ありのまま。
そのまま。
乱れた心も。
破れた心も。
晒したままで。そのままで。

一陣の風を。
一筋の光を。
感じるなら。
感じられるのなら。

未だ。
立てるのだと。
歩けるのだと。
闘えるのだと。
信じられるのなら。

心、乱れても。
心、破れても。
一歩を踏み出してみる。
一撃を放ってみる。
願いを込めて。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/24 Tue *その次 / The Who

20171024whosnextukorg


それが。
革命なのか。
ただの暴動なのか。
それは。
わからないにしても。

何かが。
変わり。
何かが。
消え去る。
その後にくるもの。

その次が。
それが。
革命だったのか。
暴動だったのか。
それを決する。

その次を。
どう捉えて。
その次に。
何を描き。
何を築いていくのか。

それが。
その権利が。
その可能性が。
我らの手の中にあるならば。
掌を握りしめて。

暴動の後の。
再興を果たしてしまえば。
それは革命となる。
体制とやらの前に。
跪くのは未だ早すぎる。

『Who's Next』'71年リリース。
ザ・フーの6枚目、スタジオ録音としては5枚目となるアルバム。
寡作だったのだなと改めて思わされますが。
その一枚、一枚の内容が濃密で。駄作と言う言葉とは無縁なだけに。
その一枚、一枚の産みの苦しみは想像以上のものがあったのだろうなとも。
特に。ピート・タウンゼントの創造における苦悩は尋常なものではなかったと。
『Tommy』における華麗で壮大で。そしてとてつもなく繊細な世界の構築。
史上初のロック・オペラかどうかはともかく。その完成度の高さと、相次ぐ称賛の声。
そこから生じた重圧に押し潰されること、枠にはめられることへの拒絶を体現する様に。
圧倒的な肉体性を以て怒涛の迫力で迫りくる『Live At Leeds』をリリースして。
その次が、このアルバムだったので。ピートの苦悩も極限まで高まっていたのだろうなと。
故に『Tommy』をも凌駕する、あまりにも壮大過ぎる『Lifehouse』構想にのめり込み。
底なし沼に足を取られた様に、どうにもこうにも身動きが取れなくなってしまい。
その一方で『Tommy』の映画化を推し進めるマネージメントの意向にも振り回されてと。
もう。にっちも、さっちも。恐らくはピート自身も進退窮まって。混乱したいたと。
救ったのはロデューサーのグリン・ジョーンズで。『Lifehouse』の放棄を迫って決断させて。
楽曲を絞り、構成を変えて。アルバム一枚に集約させることで贅肉を削ぎ落してみせたと。
結果、フーならではの高い演奏技術も相まって。素晴らしい、次の世界を構築したと。
「Baba O' Riley」「Behind Blue Eyes」そして「Won't Get Fooled Again」と。
一際粒ぞろいのピートによる楽曲、それを更なる工事へと押し上げるバンドとしての底力。
それがこのアルバムでは特に威力を発揮している様に感じられるのですが。背景として。
言ってみれば半ばやけくそ、自暴自棄でグリンの助言を受け容れたが故の開き直りと。
その上で。跪かず、諦めず。新たな地平を切り拓こうとした姿勢。それがあっての稀代の傑作かと思うのです。

それが。
革命なのか。
ただの破壊なのか。
それは。
判断が難しいとしても。

何かが。
始まり。
何かが。
消えゆく。
その後にくるもの。

その次が。
それが。
革命となるのか。
破壊で終わるのか。
それを決する。

その次を。
どう感じて。
その次に。
何を思い。
何を築いていくのか。

それが。
その義務が。
その蓋然性が。
我らの手の中にあるならば。
拳を握り締めて。

破壊の後の。
再生を果たしてしまえば。
それは革命となる。
体制とやらの前に。
諦めるのは未だ早すぎる。

その手に。
その掌に。
僅かでも。
微かにでも。
可能性を感じる限り。

跪いて。
諦めて。
体制とやらの前に。
屈して。
拳を解いてしまわない限り。

何を。
感じても。
思っても。
結局は同じことだと。
終止符を打たない限り。

次は。
ある。
次は。
くる。
その次を。

再興に。
再生に。
結べれば。
繋げられれば。
暴動に、破壊に終わりはしない。

その次の。
権利と義務。
可能性と蓋然性。
手の中にあるならば。
胸の内にあるならば。

その次を。
どうしたいのか。
その次に。
何を求めるのか。
革命となるか否かはそこにある。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/22 Sun *越えていく、超えていく / The Beatles

20171022abbeyroadukorg


まぁ。
今更。
一喜一憂など。
している場合でなく。
慌ててもしかたがない。

ただ。
かなり。
追い詰められてきた。
そいつばかりは。
否定のしようもないけれど。

でも。
だからこそ。
止めなければいい。
諦めなければいい。
それだけのことでもある。

そう。
どのみち。
どっちに転ぼうが。
この歩き方しかできないし。
この生き方しかできはしない。

そのことを。
改めて。
心に決めて。
ぶれずに歩いていくだけ。
揺るがずに生きていくだけ。

リングを。
下りる気持ちなど。
さらさら無いのだから。
それならば。
このまま、向こうへと越えていくだけ。

『Abbey Road』'69年リリース。
ビートルズの実質的なラスト・アルバム。
最終的に『Let It Be』となったセッションに納得がいかず。
再びスタジオに集結した4人が放ったビートルズ最後の輝き。
などと言うのは。随分後になって裏事情を知ってから感じたことだけど。
(実際には『Abbey Road』の録音終了後に『Get Back』用の追加録音もあったとか)
しかし。何だろう。よくもう一度やろうと思えたよなと。
幾ら納得がいかなかったからと言って。既にバンド内外の人間関係は最悪で。
とてもじゃないけど。スタジオの空気を想像するだけで二の足を踏みそうだけど。
まぁ、それだけ『Let It Be』が4人になっては許せなかったってことでもあると。
そして。その意地だけでこんな傑作が創造できる筈もないので。
やはり。真剣に、その気になった時の4人、ビートルズと言うのはとんでもないなと。
立ち止まったまま。それもどこか諦めてしまった様な、心ここにあらずの様な。
そんなものを最後にしたくない、そんなもので最後としたくない。その一心。
恐らくは解散は避けようがないのは知っていて。だからこそ越えていくのだと。
最後まで前進を続けるのだと、諦めて立ち止まりはしないのだと。
そう。例え結末が見えていようと。新たな可能性の種は蒔かねばならないのだと。
それは4人がビートルズを越えていく為にも、そしてロックが、更には社会が。
次の時代へと越えていく為には必要なことだったと。そんな気がしてならないのです。
そう。新たな時代、'70年代の扉を開けたアルバムの1枚であったことは間違いないかと。
それを最も意識していたのは「Come Together」で俺を越えていけと歌ったジョンで。
そして「Something」「Here Comes The Sun」で新たな光を歌ったジョージかなと。
(ポール主導のB面のメドレーは。素晴らしいけれど。'60年代の残照に思えて・・・)
激しく、そして明るく。越えていく、そして超えていく。そこにビートルズの凄味を感じるのです。

まぁ。
今更。
浮き沈みなど。
追っている場合でなく。
焦ったところでしかたがない。

ただ。
かなり。
時間は限られてきた。
そいつばかりは。
認めざるを得ないけれど。

でも。
だからこそ。
辞めなければいい。
投げ出さなければいい。
それだけのことでもある。

そう。
どのみち。
どっちに出ようが。
この歩き方しかするつもりはない。
この生き方しかするつもりはない。

そのことを。
改めて。
心に定めて。
ぶれずに歩き続けるだけ。
揺るがずに生き続けるだけ。

リングに。
上がったその時から。
わかっていたのだから。
それならば。
このまま、いまを超えていくだけ。

そう。
どう考えても。
それほど。
時間は。
残されてはいない。

そう。
どう考えても。
とても。
楽観的に。
なれはしない。

そう。
どう見ても。
そこら中。
どん詰まりで。
行き止まりで。

砂時計の。
砂は落ち続ける。
ブレーキの壊れたダンプカーは。
坂道を転げ落ちる。
止める手立ては見当たらない。

それでも。
今更。
試合を放棄して。
このリングを下りる。
そんな気にはなれはしない。

ならば。
もっと。
どこまでも。
闘うだけ。
楽しむだけ。

向こうへと。
越えていく。
いまを。
超えていく。
新たな光など、そこにしかありはしない。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/20 Fri *もう一度、歩き始めるのだ / The Rolling Stones

20171020somegirlsjporgwposter


誰かに。
奴等に。
走らされる前に。
踊らされる前に。
その前に。

立ち止まって。
自分で。
見て。
聞いて。
総てはそれからだと。

焦らず。
慌てず。
この足で。
自分の足で。
歩いていくのだと。

鞭打たれる前に。
嘘を見抜いて。
ボロボロになる前に。
あの娘たちの中から。
飛び切り輝く瞳を見つけるのだと。

そう。
思って。
夢想して。
ここまで。
やってきたのだが。

余計な荷物を。
背負いこまされたのか。
どうにも。
身体が重たくて。
あの娘のことも見失いそうなのだ。

『Some Girls』'78年リリース。
パンクとディスコの時代に一発回答したローリング・ストーンズのアルバム。
当時、このアルバムから米国を除いた配給元が変更になったとかで。
日本盤は東芝EMIからの発売となって。帯には内田裕也のよるコピーが載っていて。
あぁ、ストーンズ移籍したのか。ジョン・レノンと同じレコード会社じゃないと。
それが、なぜか不思議に思えてならなかったのを今でも覚えていたりします。
移籍第一弾とあって東芝EMIも力が入っていたのか初版はポスターが封入されていて。
更にはレコード屋さんで、もう一種類別のポスターももらえて。今でも実家の壁に・・・
スタジオ・アルバムとしてはこのアルバムが初めてのリアル・タイムのストーンズで。
発売日を指折り数えて待って。発売日に買って。家へ帰ってドキドキしながら針を落として。
「Miss You」には、おいおいストーンズもディスコかよと戸惑ったものの。
「When The Whip Comes Down」「Lies」「Respectable」「Shattered」ときたところで。
なんか今度のストーンズやたら元気じゃないかと。ブッ飛ばされて。
なんだ。結局はパンクもストーンズも。同じカッコいいロックンロールじゃないかと。
ここらのはりきり具合は。ミックなどはかなり意識して、そういう方向にもってきたかなと。
まぁ、キースの旦那は。端からパンクなんて目じゃないぜとか思っていたのでしょうが。
当時は例のトロントでの事件もあって。キース、ストーンズの先行きは不安視されていて。
だからキースの歌う「Before They Make Me Run」がもう、凄く胸に迫ったのですよね。
未だ、ブルースとかソウルとかカントリーとか。知りもしなかった頃だったので。
「Some Girls」とか「Just My Imagination (Running Away With Me)」とか。
そして「Far Away Eyes」とか。正直わからなかったと言うか、かったるいなとか。
それが徐々に効いてきて。この3曲がこのアルバムに絶妙なアクセントを与えていると。
そんなことを感じらえる様になったのはそんなに昔の話ではなかったりもしますが。
ロニー加入後のストーンズのスタジオ・アルバムとしては、実は一番針を落とす機会は多く。
なんだろう。今のストーンズの立ち位置を再確認したい時には必ず聴いているかもしれません。

誰かに。
奴等に。
走らされる前に。
唆される前に。
その前に。

立ち止まって。
自分で。
感じて。
考えて。
総てはそれからだと。

急かず。
騒がず。
この足で。
自分の足で。
歩いていくのだと。

鞭打たれても。
嘘に騙されても。
ボロボロになりながらでも。
あの娘たちの中から。
敬える様な娘を見つけるのだと。

そう。
思って。
夢想を。
現実にと。
やってきたのだが。

誰かの重荷まで。
背負いこまされたのか。
どうにも。
精神も重たくて。
あの娘のことも見失いそうなのだ。

誰かが。
奴等が。
走らせようとするから。
躍らせようとするから。
その前にと。

誰かが。
奴等が。
走らせようとするから。
唆そうとするから。
その前にと。

知らず知らずのうちに。
焦って。
慌てて。
急いて。
騒いで。

いつの間にか。
足どりが。
歩調が。
早くなって。
走りだしていて。

どうやら。
そのまま。
走り続けてしまって。
そのつけが。
溜まってきているらしい。

立ち止まって。
自分で。
見て。聞いて。
感じて。考えて。
もう一度そこからだと。

そう。
深呼吸して。
もう一度。
自分の足で。
歩き始めるのだ。

だって。
やっと。
そうさ。
飛び切り輝く瞳の娘を。
見つけたのだから。

俺の勝手な夢想だとしてもね・・・



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/19 Thu *隣は何をする人ぞ / Bootsy Collins

20171019whatsbootsydoin


隣は。
何をしているか。
秋に限らず。
その深さに限らず。
気になるものなのか。

まぁ。
人の振り。
人の行動。
学ぶことも。
多くはあるけれど。

人のことを。
隣人のことを。
他人のことを。
気にしているだけでは。
始まらないよなと。

人が。
お隣が。
あの人が。
皆が。
何をしていようが。

自分は。
自分のことを。
自分の思うところを。
自分の感じるところを。
やるだけのこと。

なれど。
どうにも。
隣は。
何をしているか。
そいつが気になるらしい。

『What's Bootsy Doin ?』'88年リリース。
ファンクの怪人ベーシスト、ブーツィー・コリンズの3枚目のソロ・アルバム。
前作からは数年の空白があり。その間パーラメントやラヴァー・バンドも動いていなくて。
何でも音楽業界に嫌気がさしたらしく。故郷に帰って半ば隠棲していたのだとも。
しかしブーツィーですからね。その存在、その才能が放っておかれる訳もなく。
ビル・ラズウェルに引っ張り出されて前線に復帰。このアルバムの制作を開始して。
同時期にはセッション活動も活発化。キースの旦那の『Talk Is Cheap』にも参加したと。
さて。時代はデジタル全盛時代。打ち込み主体の機械的で薄っぺらなサウンドが持て囃され。
このアルバムも。ドラムは総て打ち込みだと思われるのですが。
ブーツィーのファンクネスでソリッドなベースがうねっていて。
機械的なのに、とてつもなく肉感的でもあると。故に今に至るまで時代に囚われることなく。
殆どが安易に消費されてしまった同時代のアルバムとは違う次元で命脈を保っていると。
これはもうブーツィーの生来の強靭なグルーヴを発する力。それによるものなのだろうと。
どうにも独特な空間構成力と。JBズ以来の個性的はタイム感と、弾ける様。
そしてメロディがキャッチーでポップなとことろ。唯一無比のブーツィーのファンクです。
沈黙を守ってきたブーツィーの復活。周囲は興味津々。何をしているのか、やらかすのか。
で、そんな世間の視線など我、関せずと。己を貫き、おもねることなく時代を超越したと。
隣は、ブーツィーは何をしているのだと。それが知りたいのだろう?聴きたいのだろう?
その答えは機械にも血を通わせ、魂を宿すファンキーなグルーヴ。どんなもんだいと。
ファンキーに、キャッチーに。極上の弾みと、うねり、それを叩き出すのみ。
隣人を、他人を、皆を気にする前に。大切なものはあるだろう。それを体現してみせるブーツィーです。

隣は。
何をどうしているか
季節を問わず。
いつであろうとも
気になるものなのか。

まぁ。
人の行い
人の道程。
学ぶものも。
多くはあるけれど。

人のことを。
隣人のことを。
他人のことを。
窺っているだけでは。
始められないよなと。

人が。
お隣が。
あの方が。
誰が。
何をしていようが。

自分は。
自分のことを。
自分の思いを。
自分の感じたものを。
信じるだけのこと。

なれど。
どうにも。
隣は。
どうしているか。
そいつが気にかかるらしい。

何をしているのかな。
どうしているのかな。
気にかけて。
思いを馳せる。
それは大切なことだけど。

何をしている。
どうしている。
鵜の目鷹の目。
窺ってばかりいる。
そいつは取るに足らぬこと。

隣の。
顔色ばかり。
芝生ばかり。
気にしたところで。
何にもなりはしない。

人の振り。
人の行動。
人の行い
人の道程。
他山の石は他山の石。

自分の。
行く道は。
歩き方は。
自分で選ぶしかない。
自分で決めるしかない。

人でなく。
お隣でなく。
あの人でなく。
皆でなく。
自分の思い、感じるもの。

それだけが。
それこそが。
自分の行いに。
血を通わせる。
魂を宿らせる。

なれど。
どうにも。
隣は。
何をしているか。
そいつは気になるものらしい(苦笑)。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/18 Wed *街にやってくる / The Dirty Dozen Brass Band

20171018theneworleansalbum


酔っ払いが。
飲んだくれが。
街にやってくる。
千鳥足で。
やってくる。

街から。
街へと。
街角から。
街角へと。
やってくる。

美味しい酒には。
目がないらしい。
旨い肴には。
目がないらしい。
どうしようもなく好きらしい。

会いたい人を。
見つける。
訪れたい店を。
嗅ぎ分ける。
それだけは得意らしい。

陽気に。
鼻歌の一つや二つ。
口ずさみながら。
横揺れで。
リズムを刻みながら。

千鳥足の。
マーチに乗って。
酔っ払いが。
飲んだくれが。
街にやってくる。

『The New Orleans Album』'90年リリース。
ニュー・オーリンズを代表するブラス・バンド、ダーティ・ダズン・ブラス・バンド。
その通算で4枚目、メジャーであるコロンビアでは2枚目となるアルバム。
当時はエルヴィス・コステロの参加が話題になったのか。
お礼にコステロのアルバムにダーティ・ダズン・ブラス・バンドも参加したのかな。
さて、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの真価、それはライヴにあると。
そう思っているので。あまりスタジオ・アルバムに針を落とすことは無いのですが。
コロンビア時代の、最初の2枚はそれでもダーティ・ダズン・ブラス・バンドの個性、魅力。
それらが比較的上手く捉えられて音盤として残されているかなとは。
恐らくメンバーにも手応えがあって。それがアルバム・タイトルにも表れているかな。
セカンド・ラインを奏でるニューオリンズ・ブラスバンドの代表格であり。
その陽気で豪快で、聴く者を昂揚させるブラスの響きは天下一品。それだけで最高。
更に、その上に。ファンクとの融合を果たして。唯一無比の怒涛のブラス・ファンクだと。
こいつは。もう本当に下手な精力剤や強壮剤、強心剤なんかよりも効くのではないかと。
元々。セカンド・ラインと言うのはニュー・オーリンズで行われる葬儀の際に。
身内の葬列であるファースト・ラインに続く、ブラス・バンドと身内以外の人による葬列で。
墓所からの帰りに死者を陽気に天国に贈ろうとブラス・バンドに合わせて踊るのですが。
このアルバムの、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの強烈さには死者も蘇るかなと。
この濃厚で、陽気で、そして生と死が交差する神聖な瞬間を祝福する音楽。
思わずその葬列に連なりたくなるその響き。それがダーティ・ダズン・ブラス・バンドだと。
このアルバムに針を落とすと、いつでも踊り出し、行進したくなるのですが。
ライヴだと何倍、何十倍も倍化されて。今はバンドの形態も変わってしまったとかですが。
もう三十年近く前に経験したそれは今も自分の中で強烈な響きを放ち続けています。

酔っ払いが。
飲んだくれが。
街を練り歩く。
千鳥足で。
練り歩く。

街から。
街へと。
街角から。
街角へと。
練り歩く。

楽しい空気には。
鼻が利くらしい。
面白そうな匂いには。
鼻が利くらしい。
どうしようもなく惹かれるらしい。

気の置けない人と。
巡り会う。
身も心も安らげる店に。
辿り着く。
そこだけは運がいいらしい。

陽気な。
鼻歌の一つや二つ。
口に上らせながら。
横揺れで。
リズムに乗りながら。

千鳥足の。
マーチと共に。
酔っ払いが。
飲んだくれが。
街を練り歩く。

あの街に。
この街に。
美味しい酒がある。
旨い肴がある。
ならば歩いていこう。

あの街にも。
この街にも。
気の置けない人がいる。
身も心も安らげる店がある。
ならば歩いていこう。

あの街に。
この街に。
楽しい空気がある。
面白そうな匂いがする。
ならば歩いていこう。

あの街にも。
この街にも。
会いたい人がいる。
訪れたい店がある。
ならば歩いていこう。

目がない。
鼻が利く。
それをいかそう。
特異なら特異なだけ。
運にも乗ってしまおう。

陽気な。
鼻歌と共に。
横揺れの。
リズムと共に。
あの街へ。この街へ。

千鳥足の。
マーチに乗って。
あの夜も。この夜も。
酔っ払いが。飲んだくれが。
街にやってくる。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/13 Fri *新しい歌が / Donny Hathaway

20171013donnyhathaway


ひょっとしたら。
もしかしたら。
新しい歌が。
聴こえてくるかも。
そんな期待が過る。

今は。
未だ。
微かな。
ざわめきだとしても。
確かに。何かが。

芽を出し。
その息吹が。
風になろうと。
その機を捉えようと。
窺っている。

その。
小さな。
ささやかな。
鼓動に。
期待を寄せてみる。

そっと。
背中を押しながら。
ぐぃっと。
手を引きながら。
語りかける。

焦るなかれ。
騒ぐなかれ。
そうして。
少しずつ。
歌声を高めてごらんと。

『Donny Hathaway』'71年リリース。
ダニー・ハサウェイの2枚目となるアルバム。
その生涯に。ソロとしてのスタジオ・アルバムは僅かに三枚。
その中でも。一際、穏やかで。故に地味な印象を持たれがちなアルバムです。
全8曲の殆どがカヴァーで。ダニーのオリジナルは一曲のみ。
そのことも。このアルバムの印象を薄いものにしているのかもしれません。
あまりにも内省的で。あまりにも静かで。静謐などと言う言葉が浮かびもします。
しかし。それが故にダニーの才能。選曲のセンスや、アレンジャーとしての能力の高さ。
正規な音楽教育を受けて。ジャズやクラッシクの素養もあったダニー。
そのミュージシャン、アーティストとしての才能が如何に素晴らしいものであったかと。
否が応でも、そのことを痛感させられ、痺れてしまう。そんなアルバムです。
柔らかで、優しくて、温かくて、そして力強くて。そしてやはり繊細で。
そんなダニーの個性と言うか、ダニーと言う人間、そのものが滲み出てきていて。
その鍵盤の音色、その歌声。そして寄り添う様なストリングス。その総てに。
ダニーの創造した総てのものに。その懐に深く抱かれている様な感覚が呼び起こされます。
人の思い、意思。それは声高に叫ばなくても。伝わり、届き、共鳴し、広がるものだと。
そう感じさせてくれる。そこにダニーの新しさ、ニュー・ソウルの旗手たる所以があったと。
「Little Girl」はその穏やかな昂揚感でもって作者のビリー・プレストンを驚愕させて。
そして。あの。レオン・ラッセルの「A Song For You」も完全にダニーの歌になっていて。
そのソウルフルな歌声と、ジャージーでクラシカルなアレンジによって。
まるで別の世界へと飛翔したかの様な。そんな新しい歌へと生まれ変わっているのです。
内省的で。繊細で。そんな新しい感覚をソウルに持ち込んだダニーならではの新しい歌。
その歌声があまりにも早く失われてしまったことを、やはり惜しまずにはいられないと強く感じす。

ひょっとしたら。
もしかしたら。
新しい歌が。
歌えるかもしれない。
そんな期待が浮かぶ。

今は。
未だ。
ほんの。
囁きだとしても。
確かに。何かが。

頭を擡げ。
その視線が。
礎になろうと。
その機を逃すまいと。
輝いている。

その。
小さな。
ささやかな。
胎動に。
希望を乗せてみる。

しっかりと。
背中を支えながら。
時には。
道を示しながら。
語りかける。

慌てるなかれ。
逸るなかれ。
そうして。
少しずつ。
歌声を高めていこうと。

その。
瞳の。
その。
笑顔の。
語るもの。

そこにある。
思い。
そこにある。
意志。
その輝き。

それが。
本物ならば。
それが。
真っ当ならば。
迷うことはない。

思いが。
無ければ。
意志が。
無ければ。
何も始まらないのだから。

その。
思いが。
意志が。
新しい歌を。
生むだろう。

だから。
焦るなかれ。
騒ぐなかれ。
慌てるなかれ。
逸るなかれ。

微かな。
ざわめきを。
ほんの。
囁きを。
結実させるため。

少しずつ。
歌声を高めてごらん。
歌声を高めていこう。
ほら。新しい歌が。
聴こえてくる、歌えている。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/12 Thu *愛でなくていい / Betty Davis

20171012antilove


愛でも。
恋でも。
何でもいい。
否。
どうでもいい。

この気持ち。
そいつは。
確かなのだから。
呼び名など。
どうでもいい。

例え。
愛とは呼べない。
恋とも呼べない。
そうなら。
それでもいい。

身を切られるほど。
切なくて。
心を乱されるほど。
苦しくて。
そして。何よりも。

震えるほどに。
それほどに。
愛しくて。
抱きしめたくて。
堪らない。

愛でも。
恋でも。
何でもいい。
この気持ちに。
忠実でいたいだけ。

『Anti Love The Best Of Betty Davis』'95年リリース。
褐色のファンキー・ディーヴァ、ベティ・デイヴィスのベスト・アルバム。
あのマイルス・デイヴィスと結婚していたこともあり創造のディーヴァでもあったベティ。
元々は今で言うスーパー・モデルで。ジミヘンとかクラプトンとも交流(?)があって。
マイルスとジミヘンを引き合わせたのは他でもないこのベティだったのだとか。
マイルスとはあっさり別れたものの。そのままデイヴィス性を名乗り続けて。
そして。超ド級のファンキーなアルバムを引っ提げて音楽シーンに颯爽とデビューしたと。
活動期間そのものは短くて。'73年にデビューして。'70年代後半にはフェード・アウト。
しかしながら。残された3枚のアルバムは。どれも素晴らしくファンキーな傑作で。
特に、1stアルバムは数多あるファンクのアルバムの中でも最高峰に近いかなと。
そんな3枚のアルバムから12曲が選ばれて収録されているのですが。
まぁ、何とも。実にファンキーで、実にご機嫌で。その迫力、凄味に改めて震えがきます。
ラリー・グラハム、コーネル・デュプリー、グレッグ・エリコ、ニール・ショーンと。
豪華で、腕の確かな面子がこぞって参加して叩き出しているそのサウンドの素晴らしさ。
そして。それを従えて。ある意味では奇声とも言える歌声で迫ってくるベティ。
その咆哮に宿る、タフで、ラフで、セクシーで、エロティックなファンクネス。
傍若無人とさえも言えそうな。その自信に満ち溢れたあり様、存在が痛快なのです。
間違っても上品とは言えないし。お洒落でもなく、お行儀もよくないのですが。
それが。どうしたと。そんなことはどうでもいい。これがいいなら、これが気持ちいいなら。
必要なのは。それに忠実であること。それに素直であること。それだけだと。
それが何と呼ばれようと、それで何を言われようと。構いはしないとの揺るぎなさ。
好きなら、もっと好きに。好きなら、とことん好きに。その潔いまでの愛しさに殉ずる様が堪りません。

愛だろうが。
恋だろうが。
何でも構わない。
否。
どうでもいい。

この気持ち。
そいつは。
揺るがないのだから。
名称など。
どうでもいい。

例え。
愛とは言えなくても。
恋とも言えなくても。
そうなら。
それでもいい。

身が焼けるほど。
甘くて。
心が蠢くほど。
激しくて。
そして。何よりも。

震えるほどに。
それほどに。
愛しさが募って。
抱きとめたくて。
堪らない。

愛でも。
恋でも。
何でもいい。
この気持ちに。
素直でいたいだけ。

こんなのは。
そんなのは。
許されないと。
認められないと。
言うのなら。

愛でなくていい。
恋でなくてもいい。
そんな言葉には。
何の意味も。
何の価値も無い。

こんなのは。
そんなのは。
違うと。
間違いだと。
言うのなら。

愛なんかどうでもいい。
恋なんかどうでもいい。
その定義になど。
何の興味も。
何の力も感じない。

形式も。
結果も。
何でもいい。
否。
どうでもいい。

叶わなくても。
敵わなくても。
何でもいい。
否。
どうでもいい。

そう。
愛でなくていい。
恋でなくていい。
この思いに。
殉じられればそれでいい。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/11 Wed *夕暮れ時は / Bobby Womack

20171011womagic


夕暮れ時。
何の。
根拠も無いけれど。
何かが。
起きるのではと。

そんな。
不思議な。
予感が。
胸に浮かび。
過ったりする。

昼と夜の。
その間。
残照。
余熱。
静かな高鳴りを誘う。

そんな。
何ものかが。
空気の中に漂い。
街角で待ち構えている。
その気配。

これからの。
ひと時が。
少しだけ。
特別なものになる。
予感が確信へと。

そう。
真昼でもない。
真夜中でもない。
夕暮れ時は。
魔法の時間かもしれない。

『Womagic』'86年リリース。
ザ・ラスト・ソウルマン、ボビー・ウーマック。
傑作として名高いポエット三部作に続くアルバム。
そして、MCA第一弾となったアルバムでもあります。
そのポエット三部作の評判があまりに高い為に、その陰に隠れている様な。
もっと言えば。割を食った感じもあるアルバムとも言えるかもしれません。
確かにあの三枚が素晴らしいのは確かですが。少しばかり流行り過ぎた感じもあって。
それはボビー自身も意識してはいたのかな。レコード会社の移籍をきっかけにもしたのか。
一曲を除いては。メンフィスの手練れたちとのメンフィス録音となっていて。
原点回帰を目指したのかと思われるふしもあったりします。
旧知であろうアンドリュー・ラヴらが奏でる極上のサウンドをバックに。
これまた極上の歌声で、ソウルフルに迫ってくるボビー。胸に迫るものがあります。
時代が時代だけに。安易なアレンジや、安っぽい音が皆無とは言えないのですが。
それをものともしないボビーの情感のこもった熱い歌声。流石はラスト・ソウル・マンです。
伊達や酔狂でサム・クックに認められたわけではないと。そんな男の矜持を感じさせます。
時に狂おしいほどに官能的で。時に身を切るほどに切なく。男心を歌い上げています。
その歌声には、まさにアルバム・タイトル通りにボビーならではの魔法があるのかなと。
実のところ。この次のアルバムからのボビーは、どうにも物足りなくなってしまうと言うか。
ボビー・ウーマック、ボビー・ウーマックを演じるみたいな技巧に走り過ぎの感があって。
それを思うと。そのキャリアの転機、黄昏、夕暮れ時のアルバムであったとも思われて。
それ故に。黄昏、夕暮れ時ならではの魔法の時間が流れていたアルバムでもあったかなと。
それにしても。「(I Wanna) Make Love To You」の官能。「I Can't Stay Mad」の切なさ。
その両極をさらりと見事に歌いきってしまうボビー。魅せられてしまうのですよね。

夕暮れ時。
特に。
理由も無いけれど。
何かが。
変わるのではと。

そんな。
不思議な。
予兆が。
胸に起こり。
ざわめいたりする。

昼から夜へ。
その間。
ほとぼり。
残り香。
静かな昂ぶりを唆す。

そんな。
何ものかが。
空気の中を舞い。
街角で微笑みかけてくる。
その気配。

これからの。
ひと時が。
少しだけ。
一際なものになる。
予兆が現実へと。

そう。
真昼とも違う。
真夜中とも異なる。
夕暮れ時は。
魔法の時間かもしれない。

久し振りの。
この時間が。
いつもと。
少し。
違うのは。

重ねてきた。
この時間が。
いつもと。
少し。
異なるのは。

慣れ親しんだ。
その。
空気が。
動き始めた。
そう思えるのは。

馴染んでしまった。
その。
距離が。
変わり始めた。
そう感じるのは。

空気の中に漂い。
街角で待ち構えていた。
静かな高鳴りを誘った。
そんな。
何ものかのせい。

空気の中を舞い。
街角で微笑みかけてきた。
静かな昂ぶりを唆した。
そんな。
何ものかのおかげ。

そう。
陽の光と。
月の明かりが出会う。
夕暮れ時は。
魔法の時間に決まっている・・・



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/10 Tue *夢、希望、その自由 / Patti Smith

20171010dreamoflife


夢は。
見られない。
希望は。
抱けない。
そんな時代。

そんな時代だからこそ。
顔を上げよう。
上を向こう。
前を見つめよう。
そう、決めてしまおう。

刀、折れ。
矢、尽き。
翼、もがれようとも。
手が動くなら。
足も動くなら。

拳を握りしめ。
膝に力を入れて。
立ち上がり。
跪かぬ様に。
未だ、終わりではないのだと。

それこそ。
微笑みの一つでも。
口の端に浮かべて。
さぁ、いこうぜと。
誰かに笑いかけて。

夢も。
希望も。
ありゃしない。
ならば。
新しく生みだせばいい。

『Dream Of Life』'88年リリース。
パティ・スミス、5枚目にして長い沈黙を破ったアルバム。
デビュー以来、コンスタントに活動を続けて。
その言霊で、世界に問いを投げかけ、人々を鼓舞し続けていたパティ。
そんなパティが、絶頂期に伝えるべきことは伝えたと言い残して。
フレッド・ソニック・スミスとの結婚生活、そして育児の為に第一線を退いたと。
それは大きな驚きであると同時に。もう戻ってこないだろうなと思っていたのですが。
9年振りに、フレッドの支えもありカムバック。そしてリリースされたこのアルバム。
先ずはこのジャケットに驚かされたかな。強い意志のある眼差しは依然と同じ。
でも。その表情、そしてそこから醸し出される空気の穏やかであること。
あぁ、パティは妻に、そして母になったのだなと。その時に初めて実感したのかも。
アルバム全編を通してのサウンド、そして覆う匂いも以前とは異なっていて。
丸みを帯びて、潤って、豊かになったかなと。その変化にはかなり戸惑ったかな。
何せ。ニューヨーク・パンクの女王だったのですから。その剃刀の様な存在感。
それにやられて、痺れてしまっていた身としては。正直、これが同じパティなのかとも。
ただ。繰り返し聴いていくうちに。ふと気づかされて。そうかこれもパティなのかと。
表情は穏やかで、その歌声には慈愛が満ちて。それを破綻の無いサウンドが包んで。
それでも。パティの歌声は、その言霊は伝わってくると。いきなり鋭く刺さらなくても。
その厳しさと愛に満ちた歌声、言霊が。じわりじわりと胸の内に染み込んでくるのだと。
何故か。パティの眼に映るもの、言葉に、歌にしようと思うもの、伝えたいと言う意思。
それに些かの変化も無いからなのではと。変わらずに怒り、闘い、愛するパティだからだと。
当時も。時代や世界の状況は絶望的だったはずで。それでも。それだからこそ歌うのだと。
A面頭の「People Have the Power」の何と温かく、何と力強く、何と励まされることか。
恐らくジョン・レノンのことが頭にあったのでしょうが。歌い継ぐ決意表明でもあるのかな。
どんな時代でも、どんな世界でも。我々には夢を見る力、自由は残されている。それを忘れてはならないとね。

夢も。
見られない。
希望も。
抱けない。
そんな世界。

そんな世界だからこそ。
俯かずに。
空を見上げよう。
前だけを見よう。
そう、決めてしまおう。

刀は折られた。
矢は届かなかった。
翼も力を失っても。
意思は変わらない。
勇気も衰えていない。

息をいっぱい吸い込み。
胸を張って。
眼に力を宿して。
立ち続けよう。
未だ、終わりにはできないのだと。

それこそ。
冗談の一つでも。
口の端に上らせて。
なぁ、いけそうだぜと。
誰かと笑いあって。

夢も。
希望も。
失われた。
ならば。
もう一度生みだせばいい。

走れなくなった。
でも。
まだ。
歩けるだろう。
ならば、それでいい。

怒れなくなった。
でも。
まだ。
口惜しいだろう。
ならば、それでいい。

笑えなくなった。
でも。
まだ。
微笑みは浮かぶだろう。
ならば、それでいい。

泣けなくなった。
でも。
まだ。
涙、こぼれるだろう。
ならば、それでいい。

顔を上げよう。
空を見上げよう。
前だけを見つめよう。
やせ我慢でも。
構わないから。

拳を握りしめよう。
膝に力を入れよう。
胸を張ってみせよう。
震えていても。
構わないから。

夢も。
見られない。
希望も。
抱けない。
そんな時代。そんな世界。

それでも。
俺達には。
夢を見る。
希望を抱く。
力はある。自由はある。

夢も、希望も、まだここにあるのだ。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/09 Mon *傷だらけの人生 / Johnny Thunders

20171009hurtme


これでも。
実は。
気が小さくて。
臆病者で。
そんなものだから。

あっちで。
こっちで。
躓いて。
引っ掛かって。
その繰り返しで。

体の。
あちらも。
こちらも。
傷だらけで。
沁みたりする。

それでも。
傷だらけの。
そんな経験から。
感じられることもある。
知ることもある。

ひとつ。
ひとつの傷が。
呼び覚ます。
震わせる。
戒める。

一人。
一人で。
その傷を。
その代償を。
引き受けて、ここにいる。

『Hurt Me』'84年リリース。
ジョニー・サンダースの弾き語りによるアルバム。
全19曲、ただひたすらにアコギで弾き語るジョニーです。
ニューヨーク・ドールズやハートブレイカーズ時代に陽の目を見なかった。
そんなナンバーもあれば。『So Alone』に収録されていたナンバーの再演も。
勿論、新たなジョニーのオリジナル・ナンバーも聴くことができるし。
ボブ・ディラン、P.F.スローン、そしてローリング・ストーンズのカヴァーも。
嘘偽りのない、ジョニーの心象風景のスケッチと言ったところかな。
恐ろしく無垢で純粋な孤独の魂。ジョニーを聴くといつもそんな言葉が浮かぶのですが。
特にこのアルバムに針を落とすと。その思いが強くなるかな。
どうしたら、ここまで。無防備に己と言うものを晒すことを恐れずにできるのか。
どうしたら、その剥き出しの己と言うものをカッコいいロックンロールに昇華できるのか。
憧れ、焦がれ。でも永遠に届かない存在。そんなジョニーがここにいるのです。
シド・ヴィシャスに捧げられたと言うオリジナルの「Sad Vacation」に始まり。
スローンの「Eve Of Destruction」、ディランの「It Ain't Me Babe」ときて。
ストーンズの「I'd Rather Be With The Boys」なんてマニアックなナンバー。
そして「You Can't Put Around Your Memory」に「Lonely Planet Boy」など。
何らかの意図をもって選ばれたのか。それとも思いつくままに爪弾いた中から選んだのか。
恐らくは後者だと思われるのですが。結果としてあるものの姿が浮かんできているかなと。
それこそが。まさに傷つくことを、あるいは傷を晒すことを厭わない、恐れない。
そんなジョニーの姿勢、そして。ジョニーの無垢で純粋な孤独の魂そのものだと思うのです。
あまりに赤裸々でもあり。時に思わず目を背け、耳を塞ぎたくもなるのですが。
そんな姿勢、そんな魂。それをもってしか表現できない、伝えられないものもあるのです。
このアルバムから逃れること、それはロックンロールから逃れることにもなる気がするのです。

これでも。
実は。
神経が細くて。
甘ったれで。
そんなものだから。

あっちで。
こっちで。
転んで。
切りつけられて。
その繰り返しで。

心の。
あちらも。
こちらも。
傷だらけで。
血が流れ続けている。

それでも。
傷だらけの。
そんな経験でのみ。
感じられないものもある。
得られるものもある。

ひとつ。
ひとつの傷が。
思い出させる。
刻みつける。
諫める。

独り。
独りで。
その傷を。
その代償を。
引き受けて、ここにある。

そこまで。
どこまで。
この道を。
その道を。
いこうというのか。

そこまで。
どこまで。
頑なに。
譲らずに。
いこうというのか。

あっちで。
こっちで。
いたるところで。
躓いて。
引っ掛かって。

あそこでも。
ここでも。
いたるところで。
転んで。
切りつけられて。

体も。
心も。
傷だらけ。
沁みている。
血が流れている。

呼び覚まされる。
震わされる。
思い出される。
刻みつけられる。
そのことを。そのものを。

一人で。
独りで。
その傷を。
その代償を。その対価を。
引き受けて、ここにいる、ここにある。

受傷の。
受傷続きの。
傷だらけの人生。
そいつが愛しい。
夜がある。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/08 Sun *楽しい! / Flamin Groovies

20171008supernazz


ロックンロールは。
楽しい!
そう。
楽しいのだ。
聴くのも、観るのも。

別に。
難しいことじゃない。
大袈裟に構えることもない。
ただただ。
素直に反応して。

そのままに。
心の赴くままに。
揺れて、揺られて。
弾んで、跳んで。
それでいい。

有名だとか。
無名だとか。
売れているとか。
売れていないとか。
どうでもいい。

感じるか。
動くか。
反応するか。
その一点勝負。
ロックがロールしていればいい。

ロックンロールは。
楽しい!
それだけ。
意外と難しくもあるけれど。
楽しいと感じるなら、それがいい。

『Supernazz』'69年リリース。
ジャケットも楽しいフレイミン・グルーヴィーズの1stアルバム。
この正体不明のキャラクター、ネズミー・ランドのあれのパロディかな。
サンフランシスコ出身のフレイミン・グルーヴィーズ。実にご機嫌で正体不明。
キャッチーでポップなロックンロール。でもサイケで、ガレージで、パンキッシュでもあり。
国籍も不明で。この軽快なビートは、ブリティッシュ・ビートのそれだろうと。
なのに。そのサイケはアメリカ西海岸の香りがプンプン漂ってもいて。面白いなと。
まぁ、あの時のシスコですからね。サイケデリックとかフラワー・ムーブメントの影響下で。
でもやっている本人達は、ブリティッシュ・ビート勢に憧れていたと。
それが混じって、合わさって。その結果として自然と独自な世界に辿り着いたのかな。
思えば。ブリティッシュ・ビートの源流は、その実はアメリカのR&B、ロックンロールで。
そいつが一周して帰ってきて。こんなご機嫌なバンド、アルバムを生み出したと言うのが。
その因果応報と言うか、輪廻転生と言うか。音楽と言うのは面白い生き物なのだなと。
やっていることは。本当にシンプルで。大上段に構えるでもないし、大言壮語もしないと。
そんなに凄いテクニックもないし、明らかにチープなB級な匂いが漂っていると。
でも。理屈抜きに楽しいと。滲み出るアメリカならでは突き抜ける明るさ、陽性なメロディ。
支えているのはブリティッシュなビートである。雑種な感じも楽しさを倍加させていると。
カヴァーも、オリジナルも。同等に血肉と化している。その無差別なところも素晴らしく。
「The Girl Can't Help It」における消化力、換骨奪胎している様は痛快の一言です。
メンバー・チェンジを繰り返しながら活動を続けて。パワー・ポップなサウンドに接近。
更にはイギリスに渡って。それこそパブ・ロックとも言えるアルバムをリリースするし。
どこまでも、どこか捉えどころのない正体不明さを貫き続けたフレイミン・グルーヴィーズ。
でも。ロックンロールは楽しいのだと。そう感じさせてくれる。その一点に関しては。
このアルバムから、終始一貫として変わることはなかったのですよね。

ロックンロールは。
楽しい!
そう。
楽しいのだ。
歌うのも、弾くのも。

別に。
難しいことはできない。
大袈裟ななど構えられない。
ただただ。
素直な反応の。

そのままに。
心の赴くままに。
声にして、口ずさんで。
弾いて、刻んで、叩いて。
それでいい。

ずれていようが。
上ずろうが。
走っても、もたっても。
どさくさになっても。
それでもいい。

感じたまま。
動かされたまま。
反応したまま。
その一点勝負。
ロックがロールしていればいい。

ロックンロールは。
楽しい!
それだけ。
存外に難しくはあるけれど。
楽しいと感じるなら、それでいい。

軽快で。
浮く様に。
そして。
明るく。
輝いて。

この胸に。
届いて。
響いて。
この腰が。
揺れ始める。

簡単で。
真っ直ぐに。
そして。
力強く。
訴えて。

この胸を。
掴んで。
捕えて。
この足が。
駆けだしたくなる。

そのままに。
心の赴くままに。
体の感じるままに。
その反応のそのままに。
一点勝負。

難しいことじゃない。
大袈裟に構えることでもない。
声高に叫ぶ様なことでもない。
大言壮語も必要ない。
そのままでいい。

ロックンロールは。
楽しい!
それだけ。
意外と難しくもあるけれど。
楽しくあれるなら、楽しくやれるなら、それでいい。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/07 Sat *より深く愛した者は / Southside Johnny & The Asbury Jukes

20171007loveisasacrifice


より深く。
愛した者は。
より深く。
罰せられる。
そんなところ。

理由など。
ありもしない。
理屈など。
通りもしない。
そんなもの。

ただ。
愛してしまった。
それだけ。
それだけ故に。
罪となる。

止められなかった。
落ちてしまった。
それは。
耐え難くも。
甘くもあるもの。

それを。
知りながら。
その実を。
手にしてしまった。
その代償と言うこと。

まぁ。
いいだろう。
どれだけの。
犠牲を払ったとしても。
止まりはしないのだから。

『Love Is A Sacrifice』'80年リリース。
サウスサイド・ジョニー&アズベリー・ジュークス。
世界一のバー・バンドとも称されるジョニーとジュークス。
その通算5枚目にして、マーキュリーでは2枚目となるアルバム。
ニュージャージーはアズベリー、そうブルース・スプリングスティーンと同郷で。
ブルースの盟友、そんな文脈で語られることが殆どのジョニーです。
実際、その縁もあってか注目されて。エピックとの契約を獲得して。
ブルースのナンバーを含み、同じく盟友のマイアミ・スティーヴンも深く関わった。
そんなエピック時代の3枚のアルバムがそのキャリアに於いても注目されがちですが。
逆に言うと。あまりにもブルースの影が濃すぎて。そこから抜け切れていないと。
そんなジョニーにとって。移籍してスプリングスティーン達と距離を置くのは必然だった。
そう思えるほどに。このアルバムでのジョニーの歌声は実に生き生きと輝いています。
ブルースに深く傾倒して。ブルースばかり歌っていたからサウスサイドとの渾名を得た。
そんなジョニーにはブルースとは異なる魅力があって。それを生かさない手は無いと。
そう。その歌声に宿る黒っぽさ。ブルー・アイド・ソウル・シンガーとしての魅力。
それはこのマーキュリー時代により発揮されることになったと感じられるのです。
前作ではマッスル・ショールズに乗り込み、バリー・バケットにプロデュースを委ねて。
このアルバムではその成果をニュージャーニーに持ち帰り、自らプロデュースを手掛けて。
自らの魅力を自らの手で引き出すことに成功した。それがこのアルバムかなと。
「Why Is Love Such A Sacrifice」での女性コーラスとの掛け合いなど実に絶品なのです。
マーキュリーでのレーベル・メイト、グラハム・パーカー&ルーモアにも通じる。
パブ、そしてバーが似合う。そんな酒と煙草の匂いのソウルフルなロックンロールなのです。
結局。そんなバー・バンドに、その世界に殉じてしまった感もあるジョニーですが。
それだけ深く、自らの信じるところを愛してしまった故なのだろうなと。感傷的に過ぎるかもですが。

より深く。
愛した者は。
より重い。
罰を受ける。
そんなところ。

理性など。
利きもしない。
倫理など。
通じもしない。
そんなもの。

そう。
愛してしまった。
それだけが。
それだけだから。
罪となる。

抑えられなかった。
溢れてしまった。
それは。
苦しくも。
狂おしくもあるもの。

それを。
知りながら。
その実を。
口にしてしまった。
その生贄と言うこと。

まぁ。
いいだろう。
どれほどの。
犠牲を払ったとしても。
抑えられはしないのだから。

耐え難いのだと。
苦しいのだと。
そんなことは。
知りながら。
知りぬきながら。

それでも。
尚。
それ故の。
甘さが。
狂おしさが。

理由も。
理屈も。
理性も。
倫理も。
存在を失わせる。

止められなかったのも。
落ちたのも。
抑えられなかったのも。
溢れてしまったのも。
確信犯。

そう。
総てを。
知りながら。
その実に手を伸ばし。
その実に唇を寄せ。

代償。
生贄。
どれだけの。
どれほどの。
犠牲も厭いはしない。

愛してしまった。
ただ。
深く。
愛してしまった。
それが罪となる。

より深く。
愛した者は。
より深く。より重く。
罰せられる。
それならば。

その罪を受けるだけ。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/05 Thu *一人だとしても / George Thorogood And The Destroyers

20171005maverick


忘れて。
流されて。
組して。
あぁ。
そうなのだろうな。

こんなはずじゃと。
そう思いながら。
その居心地の良さに。
埋没してしまえば。
楽なのだろうな。

考えなくていい。
感じなくていい。
昂揚を手放せば。
失望も手放せるのだ。
安らぐのだろうな。

目を閉じて。
耳を塞いで。
否。
見えない振りをして。
聞こえない振りをして。

あれも。
これも。
総て忘れてしまったのだと。
総て流されてしまったのだと。
そういうことにしてしまう。

楽なのだろうな。
安らぐのだろうな。
だとしても。
冗談じゃない。
全力で逆らってやろう。

『Maverick』'85年リリース。
ジョージ・サラグッド&デストロイヤーズ。
もう40年程は。愚直にロックンロールとブルースをやり続けている。
そんないかした奴等の何枚目かのスタジオ・アルバム。
商業的には一度も大ブレイクしたことは無いのだけれど。一度も立ち止まらず。
故にそのアルバムの枚数も結構な数に上るのだけれど。
正直、いい意味で変わらないので。どれがどれだかで。枚数も判然とせず。
否、調べればわかるのだろうけど。そんなことは意味が無いかなと。
その中でもこの頃は比較的、その名前や音をよく耳にした記憶があるのだけれど。
恐らくは。下らない、箸にも棒にも掛からない。そんな音、音楽が氾濫していた時代に。
真っ当なロックンロールやブルースを必要とする。そんな天邪鬼、反逆者達が結構いたと。
そんなことの証なのかも。どんな時代にも良心と言うのは死に絶えないと。
大袈裟に言えばそんな感じで。その良心のオアシスの一つではあったのだろうな。
何の衒いも、ハッタリも無い。一本気で、無骨で、本当に骨太で。
その正面突破を図るかの如きの、ゴリゴリな力技が何とも言えずにご機嫌なのです。
その潔さ。わき目も振らず、徒に振り返りもせず。前だけを見つめて進み続けて。
寄らない、群れない、組みしない。忘れず、流されず、屈せず。折れずに貫く。
頑固と言えば頑固。頑なと言えば頑な。それもここまでやれば立派なものだと。
軽佻で、浮薄で、華美で。どんなに持て囃され様と。そんな風潮には目もくれなかったと。
アルバム・タイトル通りの、異端者、反逆者、一匹狼。その佇まいには痺れざるを得ない。
世の中には素晴らしいロックンロールやブルースがある。オリジナルなんて必要ないと。
確かそう嘯いていたジョージ。このアルバムにはオリジナル・ナンバーも含まれていますが。
カヴァーであろうと、オリジナルであろうと。総てジョージのロックンロール、ブルース。
その血の通った様、血となり肉となっている様。それが堪らなく好きなのだな。

寄って。
群れて。
烏合して。
あぁ。
そうなのだろうな。

これはおかしいと。
そう思いながら。
その程よいぬるま湯に。
耽溺してしまえば。
楽なのだろうな。

考えることを放棄して。
感じることも投げ棄てて。
希望を手放せば。
絶望も手放せるのだ。
安らぐのだろうな。

頭を止めて。
心を閉じて。
否。
愚者の振りをして。
不感症の振りをして。

あれも。
これも。
誰かの言うとおりなのだと。
皆と同じでいいのだと。
そういうことにしてしまう。

楽なのだろうな。
安らぐのだろうな。
だからこそ。
我慢できない。
全力で背いてやろう。

忘れてたまるか。
流されてたまるか。
組してたまるか。
そう簡単に。
諦めはしない、できない。

寄ってたまるか。
群れてたまるか。
烏合の衆になれるか。
そう簡単に。
納得はしない、できない。

居心地の良さ。
そいつを。
疑うのだ。
そいつに。
埋没する前に。

ぬるま湯から。
そこから。
上がるのだ。
そいつに。
耽溺する前に。

見えている。
聞こえている。
それが事実。
目を閉じるな。
耳を塞ぐな。

考えている。
感じている。
それも事実。
頭を止めるな。
心を閉ざすな。

昂揚があれば。
失望もある。
希望もあれば。
絶望もある。
そいつを恐れるな。

楽だとしても。
安らぐとしても。
それは。
欲していたものではない。
求めていたものではない。

頑固に。
頑なに。
風潮などに目もくれず。
異端者でいよう。
一人だとしても。

それに。
実のところ。
一人じゃない。
そのことは。
知っているしね(笑)。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/04 Wed *走り抜けなくちゃ / The Motors

20171004one


戦場では。
走れなくなったら。
最後だ。
そんな。
台詞があったけど。

戦場だけじゃなくて。
いつだって。
どこだって。
走れなくなったら。
そこで終わりだと。

退屈で、
平凡に思える。
そんな日常でも。
走らなくちゃ。
走れなくちゃ。

それでも。
息をするだけなら。
それだけなら。
それだけでいいなら。
生きていることにはなる。

でも。
楽しみたいなら。
面白おかしく。
それでこそ生きている。
そう思いたいのなら。

モーターを。
エンジンを。
フルに稼働させて。
全速力で。
走り抜けなくちゃいけないのだ。

『1』'77年リリース。
愛すべきB級パワー・ポップ・バンド、モーターズ。
そのあまりと言えばあまりな、ジャケットに先ずは惹かれます。
お揃いの?ダサいTシャツとデニムに身を包んで気勢を上げる四人の男。
とりたててルックスも良くないし、それほど若くも無いかなと。
一体、どんなサウンドなのか。そもそも、これで売れる気があるのかと。
それが針を落とすと。鳴り響くのは実にラウドで痛快なロックンロールであると。
しかもそれがどこかあか抜けていなくて、どこか時代遅れな空気を身に纏っていると。
なのに、その疾走する感覚と。妙にキャッチーなメロディに心を鷲掴みにされると。
もう、B級パワー・ポップとしての必要十分条件を余さず満たしているのですね。
好きなのですよね。この無性に走りだしたくなる、叫びだしたくなる、そんなロックンロールが。
邦題の『暴動野郎』ってのは。恐らくはパンクを意識した担当者がやっちゃったのかな。
でも、その実は言いえて妙だったりもして。隠れた名邦題かもしれないなと。
「Dancing The Night Away」「Dancing In The Morning Light」「Whiskey And Wine」…
そして「Summertime (Is Calling)」と。各ナンバーのタイトルも如何にもで。
そう。大人になれない、精神は高校生のままの、そんな男達がやっているのだなと。
パンクと呼ぶには、あるいはニュー・ウェイヴと呼ぶには微妙に達者すぎる感もあって。
それもそのはずで。元ダックス・デラックスのメンバー2人が中心となって結成されたと。
その中途半端な?キャリアに裏打ちされた安定感が実は重要でもあって。
その土台がある故のタフな足腰が、このラウドで痛快な疾走感を支えているのだろうなと。
そう考えると。実はステイタス・クォーの系譜に繋がるバンドとも言えるのかなと。
もし長続きしていたら英国の国民的バンドに・・・なってはいないよな(笑)。
でも。走ること、走り抜けること。それが大事なのだ、必要なのだと感じさせてくれるいいバンドなのです。

戦場では。
走れなくなったら。
最後なのだろう。
たぶん。
台詞通りなのだろう。

戦場じゃなくても。
いつだって。
いままでだって。
走れなくなっていたら。
そこで終わるのだろう。

凡庸で、
平坦に思える。
そんな日常だから。
走らなくちゃ。
走れなくちゃ、なのだろう。

そう。
息をするだけとか。
それだけとか。
それでは。
生きているとは思えないから。

そうさ。
楽しくないと。
面白おかしくないと。
生きていることを。
感じられないから。

モーターを。
エンジンを。
フルに駆動させて。
全出力で。
走り抜けなくちゃいけないのだ。

だいぶ。
随分と。
ガタはきている。
油は切れかけて。
部品も欠けて。

もう。
かなりの。
旧式で。
最新の機能など。
何ひとつ無いけれど。

ここまで。
いままで。
走ってきた。
走行距離。
経験値だけは持っている。

いまも。
これからも。
走ってやろうと。
アクセルを踏み込む。
意欲だけは衰えていない。

何よりも。
タイヤの一つや二つ。
外れたところで。
それでも走る。
しつこさだけは頭抜けている。

そう。
モーターが。
エンジンが。
心臓が。
止まるまでは。

その瞬間までは。
面白おかしく。
楽しもう。
生きてやろう。
そのしぶとさだけは自信がある。

だから。
モーターを。エンジンを。
フルに駆動させて。
全速力で。全出力で。
走り抜けなくちゃいけないのだ。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/03 Tue *踊り場 / Graham Parker And The Rumour

20171003theupescalator


上がる時も。
あるし。
下がる時も。
あるし。
その繰り返し。

上がるのが。
その方が。
いいかなと。
そう。
思いもするが。

ひたすらに。
上がり続ける。
それは。
それで。
どんなものだろうと。

ふと。
踊り場で。
立ち止まって。
少し外れて。
考えたりもする。

上りと。
下りと。
交差する。
その様を。
眺めながら。

偶には。
下がってみるかと。
それで。
そう。
上りと下りの繰り返し。

『The Up Escalator』'80年リリース。
グラハム・パーカーがルーモアと組んだ最後のアルバム。
(数年前に三十数年ぶりに再び組んでアルバムをリリースしましたが)
これがライヴ・アルバムを含むと6枚目のアルバムだったかな。
それまでのヴァーティゴからスティッフへ移籍してのアルバムでもありました。
ルーモアのキーボード、ボブ・アンドリュースは既に脱退していて。
ニッキー・ホプキンスがキーボードを弾いているナンバーもあったりして。
グラハムとニッキー。なんか意外な顔合わせかなとも思うのですが。
そこはニッキー。実に見事にグラハムとルーモアの世界に溶け込んでいます。
そして目玉はブルース・スプリングスティーンの参加と言うことになるのかな。
何でもグラハムはブルースのファンだったと言う説もあって。嬉々としていたとか。
確かに。同時期のブルースのアルバムとの似通ったところもあるのかな。
その溌溂とした様が、少しばかり強すぎて違和感がないこともないのですが。
ただ。ルーモアと一体となった疾走感は相変わらずで。結局、そこが魅力なのだと。
またグラハムの手によるナンバーが粒ぞろいで。いい塩梅に引っかかるのですよね。
この一直線に、ただの力技に陥らないところ。そこがグラハムらしいなと。
だからこそ、グラハムの力強い歌声がより深く聴く者の胸に響くのですよね。
実のところ。商業的にはこのアルバムまでが上り坂で。その後は下り坂に。
かなり長い雌伏の期間に突入してしまうので。ちょうど踊り場に位置するアルバムかな。
上りも、下りも味わって。そもそもが、酸いも甘いも噛みわけていたグラハム。
その歌声にはますます陰影や、濃淡が濃くなっていって。何とも味わい深くなるのです。
その点でも。このアルバムでのやり切った感は、必要だったのかもしれません。

下がる時も。
あるし。
上がる時も。
あるし。
その繰り返し。

下がるのが。
その方が。
気楽かなと。
そう。
思いもするが。

ひたすらに。
下がり続ける。
それは。
それで。
如何なものだろうと。

ふと。
踊り場で。
立ち止まって。
少し逸れて。
考えたりもする。

下りと。
上りと。
交差する。
その様を。
眺めながら。

偶には。
上がってみるかと。
それで。
そう。
下りと上りの繰り返し。

上がれる時に。
上がれるところまで。
上がってしまおうと。
限界など。
考えずに。上を見て。

それはそれで。
その時は。
楽しいし。
昂ぶりもするのだが。
疲れもするよなと。

下がれる時に。
下がれるとこまで。
下がっておこうと。
限界だと。
感じたら。下を見て。

それはそれで。
その時は。
気楽だし。
安らぎもするのだが。
物足りなくもあるよなと。

だから。
時々。
立ち止まって。
列を外れて。
列から逸れて。

上りと。
下りと。
交差する。
その様を。
踊り場から眺めながら。

上がるか。
下がるか。
どちらかと。
その選択を。
踊り場で考える。

今日は。
どちらへ。
向かおうか。
踊り場から。
上りと下りの繰り返し。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/02 Mon *思い出にならない / Rachel Sweet

20171002foolaround


破れていたのか。
ギザギザだったのか。
そもそも。
そいつを。
過去形で語れるのか。

あの時。
あの日。
あの頃。
尖がって。
傷だらけで。

怒って。
泣いて。
刹那で。
切なくて。
脆くて壊れやすい。

そんな。
胸の内は。
いつでも。
波紋が浮かんでいて。
たびたび大きく揺れて。

そんな。
蒼い。
甘酸っぱい。
思いが。
懐かしくならない。

いまでも。
蒼くて。
甘酸っぱくて。
そんな思いが。
思い出にならない。

『Fool Around』'79年リリース。
アクロン出身のレイチェル・スウィート。
スティッフと契約して英国でデビューしたレイチェル。
母国に錦を飾る米国での1stアルバムです。
英国でのそれとはジャケットも、収録されているナンバーにも違いがあって。
ここらは。新たにコロンビアと契約を結んだステッィフの戦略かなと。
英国盤ではクールだったレイチェル。このジャケットではあどけなさを前面に。
この頃、16歳だか、17歳だか。こちらが素顔に近いのかな。
選曲的にも。A面の頭から「B-A-B-Y」「I Go To Pieces」と立て続けで攻めていて。
このキャッチーなナンバーを、シングル曲を惜しまずにアルバムに収録するところ。
ストーンズやビートルズ。更にはその時代のブリティッシュ・ガール・ポップ。
その米国盤アルバムの編集方針を敢えて踏襲しているのだろうなと。
レイチェル自身がジャニス・ジョプリンとドリー・パートンの交雑種だと言う。
その個性的な歌声と、ブロックヘッズやルーモアのメンバーが弾き出すサウンド。
(新たな、メンバーで再録音しているナンバーも含まれている様ですが)
そいつは結構、尖がっているのですが。狙いはブリティッシュ・ガール・ポップの再来だと。
そんなステッィフの戦略がやはり色濃くて。またそれが魅力的でもあるのです。
でもコーラスにリーナ・ラヴィッチと言う毒を忍ばせているのが、またステッィフかな。
それにしても。「B-A-B-Y」「I Go To Pieces」の連発の破壊力は凄まじいなと。
そのオリジナルがリリースされた、その時代へのノスタルジアを掻き立てながら。
更なる魅力が加わって。極上のポップ・チューンに仕上がっているのが何ともご機嫌です。
ただのセンチメンタルなカヴァーには終わっていなくて。蒼く、甘酸っぱくはあっても。
今を生きている、パンクの匂いも纏っている。そこが色褪せない理由なのかな。

破れたまま。
ギザギザのまま。
そうだな。
そいつは。
現在進行形のまま。

この時。
この日。
この頃。
尖がって。
傷だらけで。

哀しくて。
笑って。
刹那で。
切なくて。
危うくて儚くて。

そんな。
胸の奥は。
いまでも。
新たな波紋が浮かんでは。
たびたび大きな波となる。

そんな。
蒼い。
甘酸っぱい。
思いは。
懐かしくならない。

いつでも。
蒼くて。
甘酸っぱくて。
そんな思いは。
思い出にならない。

きっと。
能天気。
きっと。
ネジが外れている。
そんなところ。

時が。
過ぎても。
歳を。
重ねても。
変われない。

何かが。
大きな。
何かが。
欠落している。
そんなところ。

でも。
それは。
大きな。
大切な。
何かを失いたくないから。

破れたまま。
ギザギザのまま。
繕えない。
傷だらけ。
そこにその何かがある。

胸の。
内の。
奥の。
波紋は。
消えることなく、生まれ続ける。

蒼く。
甘酸っぱく。
そんな思いは。
懐かしくならない。
思い出にならない。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/01 Sun *薬も / Dr. Feelgood

20171001doctorsorders


病は。
気から。
そして。
薬も。
気の持ちよう。

良薬は。
苦いものと。
まぁ。
おおよそ。
そんなもの。

でも。
時には。
稀には。
甘い、甘い。
良薬もある。

まぁ。
そこは、
あれだ。
多少は疑わしくても。
信じれば。

そう。
この甘ったるいのも。
体にいいのだと。
体に効くのだと。
思ってしまえば。

あの。
先生ならば。
間違いないと。
大丈夫だと。
言い聞かせてしまえば。

『Doctor's Orders』'84年リリース。
ドクター・フィールグッドのアルバムの中でも影の薄いアルバム。
リー・ブリロー以外のメンバーが全員脱退すると言う瀕死の状態に追い込まれて。
もう流石に解散して。リーも新たなバンドを結成するか。ソロに転向かと。
そう思われたのですが。そこは、どうして、どうして。しつこく、しぶとくて。
キム・シモンズやスタン・ウェッブなんて先達に倣ったのかはわかりませんが。
自分さえいれば、それがドクター・フィールグッドなのだと。
新しいギタリストとリズム隊を見つけてきて、活動を継続する道を選んだと。
この諦めの悪さ、往生際の悪さ。男だぜ、リー・ブリローとその姿勢は買うのですが。
アルバムの出来としては。これがなかなかに厳しいものがあるかなと。
特にギターのゴードン・ラッセル。この人のギターは線が細いかなと。
リーは例によってあの濁声で胡散臭さを振りまいて、孤軍奮闘しているものの。
どうにも。突き抜けていない、煮え切らない、全体的に詰めが甘いのですよね。こうにも。
リーも自覚はあったみたいで。このメンバーではライヴ・アルバムを作っていないのですね。
まぁ、サウンドや、志向は。原点回帰しようとしているのは感じられるし。
曲そのものも。そこまで悪くはないと思うのですが。どうにも刺激に欠けるのですよね。
口に苦いと言うか、それこそ劇薬を処方してこそのドクター・フィールッグドなのに。
口に・・・耳に甘すぎませんかと。そこがですね、物足りないのです・・・ですが。
ドクター・フィールッグドを愛する者としては、リーの濁声にやられた身としては。
それでも。リーがロックンロールを、R&Bを歌っているのだから。いいじゃないかと。
甘いかも、甘すぎるかもしれないが。これもドクター・フィールグッドだと言い聞かせると。
そう。要は気の持ちようなのだと。この処方も、この薬も信じれば効いてくるはずだと。
そうです。ドクター・フィールグッド中毒の度合いを測るのには相応しいアルバムなのです。
殆ど踏み絵と化していますが。男、リー・ブリローに惚れたのだから仕方がないのです。

病は。
気から。
そして。
薬も。
気の持ちよう。

良薬は。
苦いものと。
まぁ。
おおよそ。
そんなもの。

でも。
時には。
稀には。
甘い、甘い。
良薬もある。

まぁ。
そこは、
あれだ。
多少は疑わしくても。
信じれば。

そう。
この甘ったるいのも。
心にいいのだと。
心に効くのだと。
思ってしまえば。

あの。
先生ならば。
間違いないと。
大丈夫だと。
言い聞かせてしまえば。

十人十色。
千差万別。
それは。
病でも。
同じではないかと。

ならば。
薬も。
それに応じて。
受任十色。
千差万別。

口当たりも。
効能も。
一人一人。
異なっても。
当然なのではと。

そうさ。
だから。
口に苦いばかりが。
俺にとっての。
良薬とは限らないと。

そうさ。
だから。
口に甘いこいつが。
俺にとっては。
良薬かもしれないと。

それにしても。
些か。
否。
かなり。
甘いに過ぎるけれど。

病は。
気から。
そして。
薬も。
気の持ちよう。

そう言うことにしておこう。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/30 Sat *身近に、親密に / The Pretenders

20170930getclose


もっと。
近くに。
少しずつ。
身近に。
そして。

ふと。
感じた。
ふと。
思った。
それだけのこと。

そうして。
そんな。
機会があって。
渡してみたら。
温かな思いがして。

それから。
否。
もう。
その前からでは。
あったのだけれど。

いいなと。
こんな風に。
身近に。
感じたいのだと。
確信に変わって。

もっと。
側に。
少しずつ。
越えて。
そして。

『Get Close』'86年リリース。
プリテンダーズの4枚目となるアルバム。
ジャケットには一人、クリッシー・ハインドの姿が。
これが、当時のプリテンダーズの状況を象徴していて。
デビュー以来、薬物の影響で次々とメンバーを失うことになったプリテンダーズ。
解雇せざるをえなくなったり、オーヴァー・ドーズで逝ってしまったり。
唯一残っていたドラマーもこのアルバムでは一曲だけの参加にとどまっていて。
それでもロビー・マッキントッシュやT.M.スティーブンスをメンバーに迎えて。
続ける道を選んだクリッシー。そのクッリシーの姉御の覚悟の表れでもあり。
そして、やはりこの後、徐々にクリッシーのソロ・プロジェクトに近くなっていく。
そんな過渡期のアルバムであることの表れでもあるのかなと。
さて。硬派なロックンロール・バンドであったプリテンダーズですが。
その本質は変わらないまま。よりポップに、そしてファンキーにと。幅を広げていると。
メンバーの変遷に伴う試行錯誤もあるのでしょうが。より幅広く、そして懐深く。
多くの人々に近づこう、身近な存在になろう、胸を開こう。そんな意思を感じもするかな。
その試みが総て成功しているとは言えないものの。明らかにこちら側に近づいていて。
開かれて、弾けて。「Don't Get Me Wrong」なんてその象徴的なナンバーかな。
誤解しないでと言うナンバーが、誤解を助長する日本のワイドショーのテーマに使われた。
それは悪い冗談みたいですが。そのメロディ、曲調が朝、動き出すには相応しかったと。
その点では、クッリシーの意図が正しく伝わったとも言えるのかなと。
この後のプリテンダーズ、クリッシーは暫くの間、迷走してしまった感が拭えないだけに。
このアルバムのタイトル通りの親密さ。そして筋の通った開放感が愛しくもあるのです。

もっと。
近くに。
少しずつ。
親密に。
そして。

ふっと。
湧いた。
ふっと。
降ってきた。
それだけのこと。

そうして。
そんな。
機会を逃さず。
渡し続けていたら。
温かな思いが満ちてきて。

それだから。
否。
もう。
初めからでは。
あったのだけれど。

いいなと。
こんな風に。
身近に。
思っていたいのだと。
確信を抱いて。

もっと。
傍らに。
少しずつ。
触れて。
そして。

もっと。
近くに。
側に。
傍らに。
それだけ。

いつも。
そう。
思いながら。
そう。
感じながら。

そんな。
時間を。
そんな。
日々を。
過ごしながら。

一年に。
一度だけ。
渡して。
渡し続けて。
その瞬間の温かさ。

そう。
こんな風に。
身近に。
感じたいのだと。
思っていたいのだと。

もっと。
身近に。
親密に。
越えて。
触れて。

少しずつ。
近くに。
側に。
傍らに。
そして。

この。
共感が。
共振が。
共鳴が。
深まればいいなと。

そう言うことなんだ。



web拍手 by FC2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »