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2018年10月

2018/10/29 Mon *強行 / UFO

20181029forceit


強行。
そう。
力づくで。
強引に。
突破を試みる。

そうしないと。
開けない。
そんな。
状況も。
あると言うこと。

そいつを。
認めたのなら。
後は。
やるか。
やらないか。

その二択。
どっちつかず。
そいつは。
状況を。
悪化させるだけのこと。

ならば。
さして。
失うものが。
あるでもなし。
ここはひとつ。

何が何でも。
その一念で。
心を決めて。
やってみるしかないだろう。
強行の外に道は無い。

『Force It』'75年リリース。
UFOのクリサリスでの2枚目、通算で4枚目となるオリジナル・アルバム。
解散の危機を迎えて、半ば強引に引き込んだマイケル・シェンカー。
言葉の違いもあって。コミュニケーションもままならなかったらしいマイケルですが。
その才能と技量はずば抜けていて。現に前作での手応えは確かなもので。
その手応え、勢いを逃してなるものかと。マイケルのギターをより前面に押し出して。
一方で。サポートでキーボードを迎えるなどバンドとしての体制も強化してと。
相当の意気込みの下で録音、制作されたと思われるアルバムで。その甲斐もあってか。
初めて全米チャートに、その名を記したアルバムともなっています。
さてと。A面頭の「Let It Roll」「Shoot Shoot」の連発からしてマイケルのギターが炸裂。
そして最後まで。徹頭徹尾、マイケルのギターが鳴り響くアルバムとなっていて。
その繊細で流麗な凶暴さ、とでも言うべきプレイとサウンドがこれでもかと堪能できます。
もう完全にマイケルのアルバムになってしまっていますが。それも仕方のないところかな。
フィル・モグとか、ピート・ウェイとか。他のメンバーとの力量、センスの差が明らかで。
いや、マイケルがあまりにも優れているのだと。そう言えなくもないのですが。
フィルも、ピートも。何と言うか、そのセンスが垢抜けないのですよね。それも味ですが。
ブリティッシュ・ハード・ロックを標榜するとなると。売りはマイケルのギターしかないと。
それはソングライティングにおいても同様で。ピート単独のナンバーとか・・・ねぇ。
その落差はメンバーが一番痛感していたのかな。だからマイケルの自由度が増していて。
何でも。今でもこのアルバムのナンバーをプレイしているそうで。充実していたのだなと。
この時点でマイケルは未だ二十歳そこそこなのかな。考えると恐ろしくもあって。
やはりどこかに無理と言うか緊張感もあって。やがてそれが度々、抑えられなくなって。
確か、このアルバムのリリース後に失踪騒ぎを起こして。その時は元の鞘に収まったものの。
その精神状態が落ち着くことは無く。やがて『Strangers in the Night』リリース直後に脱退。
来日公演直前で。どれだけのファンが悲嘆にくれたか。強行だったUFOへの加入。
その歪みは解消されることはなく。しかしその歪み故に。強行的なハード・ロックの魅力も増したのかも・・・

強行。
そう。
無理を。
道理にしても。
突破を試みる。

そうしないと。
拡がらない。
そんな。
状況も。
あると言うこと。

そいつが。
認められるのなら。
後は。
進むか。
止まるか。

その二択。
どっちつかず。
そいつは。
状況を。
絶望へと導くだけのこと。

ならば。
さして。
惜しむものが。
あるでもなし。
ここは一発。

何がどうでも。
その一念で。
腹を括って。
進んでみるしかないだろう。
強行の外に選択肢は無い。

別に。
そこまで。
困っているかと。
言われれば。
そうでもない。

別に。
そこまで。
弱っているかと。
問われれば。
そうでもない。

だが。
それが。
それこそが。
一番の。
問題なのだ。

浸かって。
澱んで。
そいつに。
馴れている内に。
窮まって。

そいつが。
重苦しく。
漂って。
溜まって。
沈んでいくのみ。

そいつを。
その状況を。
認めたのなら。
認められるのなら。
一択しかありはしない。

何が何でも。
何がどうでも。
やってみるしかないだろう。
進んでみるしかないだろう。
強行、それ以外には何も無い。



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2018/10/28 Sun *対峙 / Uriah Heep

20181028lookatyourself


さてと。
こうなると。
他に。
取り立てて。
することもないし。

偶さかだ。
いい機会だと。
そこは。
ものは考え様。
そう言うことにして。

ゆっくりと。
何とはなしに。
向き合ってみるのも。
いいかなと。
そんなところ。

見ている様で。
その実は。
殆ど見えていない。
そんなものだと。
思わないでもないし。

騒いでも。
栓の無いこと。
向き合って。
見つめて。
そこに何が浮かんでくるのか。

己との。
自身との。
対峙。
はてさて。
何が表れるのやらと。

『Look At Yourself』'71年リリース。
ユーライア・ヒープの通算3枚目にして代表作となったアルバム。
先ずはこのアルバム・タイトルと、このジャケットが秀逸だなと。
そしてそれに優るのが当時の邦題、『対自核』で。訳の分からない造語ながら。
その説得力が凄いなと。この邦題をつけた担当者のセンスに脱帽するのみです。
なんか。もうここで勝負ありと言うか。日本での人気は決定づけられたのかなと。
本国、英国では初のチャート・インも30位代止まりだったのが、この日本では。
オリコンの5位迄上昇して。ザ・ピーナッツもライヴで「Look At Yourself」をカヴァーと。
確かに。日本人好みの様式美に溢れたハードなナンバーと、荘厳な哀感漂うバラードと。
そう、言わばディープ・パープルと共通するところも多いのですが。
ディープ・パープルの『Machine Head』より先にリリースされていますからね。
ユーライア・ヒープが、ディープ・パープルを凌ぐスターになっていた可能性もあったと。
そうはならなかったのは。メンバーがね、落ち着かず、また全般的に地味だったと。
それだけの差に過ぎなかったのではないかと。本当に、真剣にそう思うのですけどね。
まぁ、音楽的にもこのアルバムがピークで。しかも頭抜けていて。越えられなかったと。
特に「Look At Yourself」と「July Morning」と。この2曲のあまりの素晴らしさ。
これは、もう。それこそ音楽の神様が気紛れを起こしたのかと思う程で。
「Look At Yourself」のオルガンとギター。更にオシビサのメンバーが叩くパーカション。
それらが一体となった怒涛の迫力と、華麗なコーラスの融合した問答無用のカッコ良さ。
「July Morning」の荘厳に哀感を、そして哀愁を漂わせながら歌い上げて胸に迫りくる。
そのオルガンとヴォーカルの。リリカルとさえ言える響きに涙腺を刺激されるのです。
そうだな。このオルガンの響きが日本人の琴線に触れたのだろうなと。その一方で。
ギターに、オルガンと対抗するまでの個性や迫力が無いのがディープ・パープルとの差かと。
実は。「July Morning」にはガキの頃の切ない思い出が絡みついていて。ついつい己と対峙してしまうかな・・・

さてと。
こうなると。
特に。
急ぎ立てて。
やることもないし。

偶さかだ。
天の思し召しだと。
そこは。
ものも考え様。
そう言うことにして。

のんびりと。
何とはなしに。
向かい合ってみるのも。
いいかなと。
そんなところ。

見えている様で。
その実は。
殆ど見えてもいない。
そんなものだと。
感じていないでもないし。

焦っても。
埒の明かないこと。
向かい合って。
見つめて。
そこに何かが浮かんでくるのか。

己との。
自身との。
対峙。
はてさて。
何が現れるのやらと。

さてと。
こうなると。
逃げようにも。
にっちも。さっちも。
いかないし。

そう。
こうなると。
誤魔化そうにも。
どこにも。かしこにも。
いけないし。

まぁ。
その実は。
今更。
改まって。
みるまでもないこと。

そう。
その実は。
とうの昔に。
気づいていて。
後回しにしていただけのこと。

覗き込んで。
向き合えば。
思った通り。
そんなものが。
表れていやがる。

覗き込んで。
向かい合えば。
見ない振りをしていた。
そんな者が。
現れていやがる。

もう。
あの。
朝には戻れない。
でも。あの時に決まっていた。
対峙。それはそいつを認めるだけなのだ。



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2018/10/27 Sat *骨まで / Wishbone Ash

20181027wishboneash


骨まで。
いかなくて。
いかれなくて。
未だ。
良かったのかと。

何とか。
繋がって。
そろそろとでは。
あるけれど。
明日へと。

歩める。
そのことには。
感謝する。
それ以外は。
無いのだけれど。

それにしても。
この痛み。
この代償。
鋭くも。
鈍い重さもありもして。

これなら。
いっそ。
骨まで。
逝っていれば。
スッキリしたかなどと。

それも。
まぁ、少しばかり。
先が見えたからの。
それ故の。
戯言ではあるけれど。

『Wishbone Ash』'70年リリース。
ブリティッシュ・ハード・ロック・バンド、ウィッシュボーン・アッシュ。
その流麗で哀感を帯びたツイン・リード・ギターが早くも飛翔している1stアルバム。
尤も。当初は、ギタリストは一人のトリオ編成のバンドを構想していたとの話もあり。
オーディションでアンディ・パウエルとテッド・ターナーに甲乙がつけられなかったとか。
キーボードを募集したら勘違で現れたアンディのギターが素晴らしくて構想を変えたとか。
諸説ある様ですが。ウィッシュボーン・アッシュと言うバンド名。そして。
ウィッシュボーンに形状の似たフライングVを愛機としているアンディがフロントにと。
どうもね、よくあるロック伝説の一つの様な気がしないでもないですけどね。どうでしょう。
さて。実はそのサウンドには。例えばオールマン・ブラザーズ等のサザン・ロックの。
その影響も大きいかなと思われるウィッシュボーン・アッシュ。勇壮で豪快でと。
それでいて。大きく異なる個性、どうにもブリティッシュ・ハードだなと感じさせるのが。
アンディとテッドによるツイン・リード・ギターで。これが何とも緻密に計算されていて。
一曲の中でリフから、ギター・ソロまで寄り添う様に奏でられるそのハーモニーの繊細さ。
それが生み出す荘厳とも言える美しさ。それを支える緻密なツイン・リード・ギター。
一体、どれほどの鍛錬を積んだら。ここまで緻密にと。しかも1stアルバムですからね。
やはり。最初からアンディとテッドの二人ありきの編成で、その世界を構想していたと。
そう思わざるを得ないですね。特に10分を越えるインスト、「Phoenix」の完成度の高さ。
後々までウィッシュボーン・アッシュを代表することとなる不死鳥の羽ばたきは見事です。
ルドルフとマイケルのシェンカー兄弟はウィッシュボーン・アッシュが大好きだったとか。
そう言えば二人ともフライングVを愛用していましたっけ。他にもシン・リジィとかね。
後進に与えた影響は大きくて。それはそれこそブリティッシュ・ハード勢の骨まで、骨の髄まで及んでいるかな。

骨まで。
いかなくて。
いってなくて。
未だ。
助かったのかと。

何とか。
固めて。
恐る恐るでは。
あるけれど。
大地を。

踏める。
そのことには。
安心する。
それ以外は。
無いのだけれど。

それにしても。
この痺れ。
この代償。
激しくも。
鈍い面映ゆさもありもして。

それなら。
いっそ。
骨まで。
逝っていれば。
ハッキリしたかなどと。

それも。
まぁ、少しばかり。
落としどころが見えたからの。
それ故の。
戯言ではあるけれど。

思うに。
任せない。
思うままに。
ならない。
もどかしさ。

スッキリと。
しない。
ハッキリとも。
しない。
あやふやさ。

先程までの。
苦痛に。
比べれば。
どうってことでは。
ないけれど。

寸前までの。
苦悶に。
比べれば。
どうってことでも。
ないけれど。

身動きの。
取れない。
その不自由さに。
どうにも。
こうにも。

羽ばたきの。
できない。
その不自由さに。
なんとも。
かんとも。

いっそ。
骨まで。
逝っていれば。
諦めもついたのにと。
戯言が口をついて出てしまう(苦笑)。



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2018/10/26 Fri *溢れちゃう / Led Zeppelin

20181026ledzeppelinsecondukorg


溢れちゃう。
何故か。
何かが。
刺激される様で。
踏み出した、その瞬間。

痛みが。
痺れが。
駆け抜けて。
貫いて。
どうにもこうにも。

何だろうなと。
思い当たる節など。
無いのだが。
とにかく。
進退ままならず。

力業で。
強行突破と。
思わないでもなかったが。
どうやら。
その段階を越えていて。

こいつは。
日頃の行いがと。
柄にもなく。
反省しかけて。
否、負けるものかと。

しかし。
もう。
痛みやら、痺れやら。
思いやらが。
溢れちゃう。

『『Led Zeppelin Ⅱ』'69年リリース。
前作から僅か9ヶ月の間隔で制作、発表されたレッド・ツェッペリンの2ndアルバム。
人気が爆発してマネージメントやレコード会社から新作を矢継ぎ早に催促されて。
しかも。ツアーも続行で。結果ツアーの行く先々でスタジオを押さえて。
眠る時間を削ってまで、録音と編集を行って突貫工事で完成に漕ぎつけたと言うアルバム。
尤も。前作にはヤードバーズ時代からのレパートリーも含まれていたので。
早々にそのイメージを完全に払拭したいとのジミー・ペイジの意図もあったとも。
落ち着く暇もない、しかも継ぎ接ぎの制作環境だったことを殆ど感じさせないところ。
そこら辺りは、流石はプロデュースの能力とセンスに優れているペイジかなと。
ギタリストとしてはそこまでの魅力を感じないのですけどね。プロデュース能力と。
そしてアレンジとか、リフを生み出すセンス。そのアイデアの豊富さは卓越しているかな。
そんなペイジのアイデアに、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ。
そしてジョン・ボーナムが。圧倒的な力量で存在感を与えて実体化していく。
ここらは、因縁浅からぬ?ザ・フーと似通った方法論、成り立ちを思わせるものがあります。
この頃は。エネルギーが有り余っていて。もうとにかく、どんどん溢れ出てきていて。
それこそ「Whole Lotta Love」の邦題である「胸いっぱいの愛を」じゃないですけど。
色々なものが詰まっていて。溢れていて。それを表現したくて仕方なかったのだろうなと。
溜まりに溜まり、積もりに積もったものを解き放とうとする、そのパワーに満ち溢れていて。
その溢れちゃう様、それこそが初期。特にこのアルバムにおけるツェッペリンの魅力かな。
まぁ、「Whole Lotta Love」始め、「Lemon Song」「Bring It On Home」と・・・
少しばかり(かなりかな)借用、否、盗用が過ぎたのは些か問題ありだとは思いますが。
それでも。元ネタの魅力をセンスと力業で増幅して、換骨奪胎して。
ツェッペリン以外の何ものでも世界を創り上げてみせたのも事実ではあるので。そこは脱帽せざるを得ないかな。

溢れちゃう。
何故か。
何かが。
圧迫される様で。
着地した、その瞬間。

痛みが。
痺れが。
走り抜けて。
貫かれて。
にっちもさっちも。

何だろうなと。
思い当たる行いなど。
無いのだが。
とにかく。
進退、窮まって。

策を弄して。
騙し騙しでと。
思わないでもなかったが。
どうやら。
そんな段階の話ではなくて。

こいつは。
日頃の心構えがと。
柄にもなく。
反省しかけて。
否、それは信条に反すると。

しかし。
もう。
痛みやら、痺れやら。
悲鳴やらが。
溢れちゃう。

支点。
支えとなるもの。
普段は。
意識もしていない。
そんなもの。

そいつが。
いつの間にか。
知らず知らずの内に。
緩んで。
揺らいで。

ある日。
ある時。
溜まりに溜まったものが。
積もりに積もったものが。
爆発して。

溢れちゃう。
そうなるともう。
どうにもこうにも。
にっちもさっちも。
なりはしない。

支えが。
消えて。
支えを。
失い。
身動きも取れず。

痛みやら。
痺れやら。
思いやら。
悲鳴やらが。
溢れちゃう・・・

あぁ、揺らぎなき者に早く戻りたい(苦笑)。



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2018/10/25 Thu *凪も嵐も / Neil Young

20181025americanstarsnbarsusorg


凪である。
そう言っても。
だから。
心が穏やか。
そう言うものでも無い。

風が。
止んで。
空も。
澄んで。
明るい陽光の中。

その。
あまりの。
静けさに。
明るさに。
心が騒ぐ。

そんな筈は無い。
このまま。
何事も無く。
終わるなど。
あり得はしないと。

そんな。
空の端に。
湧き上がる。
黒雲を探す様な。
気持ちになって。

凪の中。
一人で。
拳を握りしめて。
唇を固く結んで。
そんなところ。

『American Stars N' Bars』'77年リリース。
ニール・ヤングの(クレイジー・ホース等との連名含む)ソロで10枚目のアルバム。
この時期のニールの活動はやや混乱期にあって。まぁ、安定期があるのかって話もですが。
CSN&Yの再結成に参加して、スティルス・ヤング・バンドなんかもやっていて。
なかなか腰を落ち着けてソロ・アルバムの録音に臨めないと言う結論に至って。
一旦はあの三枚組ベスト・アルバム、『Decade』の編集に取り掛かり完成させたと。
ところが。ここからが気紛れで、天邪鬼なニールの本領発揮で。閃いたとかで。
『Decade』のリリースを延期して、新曲の録音に着手してしまったと。面目躍如ですね。
尤も。その新曲の録音も数曲を終えたところでコンセプトに混乱を来して中断と。
結局、従前に録音されていた未発表曲と合わせて強引に一枚のアルバムに仕立てたと。
この混乱したジャケットが。アルバムの録音、制作過程、内容を代弁しているのですね。
さて。リンダ・ロンシュタットとかニコレット・ラーソンを迎えた新録がA面を占めていて。
かなりラフな音質で。ルーズなカントリー・ロックをやっていて。表情は穏やかながらも。
どうにも刺々しさを呑んでいる感じがあって。米国の歴史を描こうとしていたコンセプト。
頓挫してしまったそのコンセプトが描こうとしていたものが、只ならぬものであったと。
その証左になっているかなと。カントリー・ロックでそれをやれるのがニールの真骨頂。
そしてB面には'74年~'76年にかけての様々なシチュエーションでの録音が収録され。
それぞれに異なる魅力を放っていますが、白眉はやはり「Like A Hurricane」の凄味で。
基本的には恋愛の歌だとは思いますが。そのまさに嵐の様な激しい思いを歌いながらも。
どこか突き放した様な冷徹とも言えそうな視線を感じさせもするのですよね。
だからこそ。その荒れ狂うばかりの凄まじいギターの音が尚更、突き刺さる様でもあります。
アルバムとしては成立過程もあり、纏まりに欠け、統一感も薄いと言わざるを得ませんが。
そんなことは些末なことだと。そう感じさせる静と動、その落差と内包する綯交ぜな、何か。
実は、多くの人間が内包しているその何かをそのままに出してしまう。そんなニールだから信頼できるのです。

嵐である。
そう言っても。
だから。
心が騒ぐ。
そう言うものでも無い。

風が。
吹いて。
空も。
黒く立ち込めて。
荒んだ空気の中。

その。
あまりの。
荒々しさに。
禍々しさに。
心が穏やかに。

こんなものでは無い。
このまま。
総てが攫われ。
消えてしまうなど。
あり得はしないと。

そんな。
空の端に。
ポカっと広がる。
台風の目を探す様な。
気持ちになって。

嵐の中。
一人で。
両手を突き上げて。
目を見開いてと。
そんなところ。

凪には。
静けさだけでなく。
凪には。
凪の。
厳しさがある。

ただ。
心を穏やかに。
過ごせる筈も無く。
やり過ごし。
踏み越えなければならない。

嵐には。
荒々しさだけではなく。
嵐には。
嵐の。
虚しさがある。

ただ。
心が騒ぐままに。
過ごせる筈も無く。
やり過ごし。
踏み越えなければならない。

凪の。
静けさ。
明るさ。
そこに隠された。
狂気がある。

嵐の。
荒々しさ。
禍々しさ。
そいつが覆う。
諦念がある。

凪も。
嵐も。
踏み越えた。
その先にだけ。
あるものを感じていたい。



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2018/10/24 Wed *翼ある者に / Steve Miller Band

20181024flylikeaneagleukorg


翼あるものに。
なりたくて。
なろうとして。
此処へ来た。
それは間違いない。

ならば。
その翼を。
得る為に。
出来る限りのことは。
しなければならない。

そもそも。
それくらいの。
意志が無いのであれば。
翼ある者に。
なろうなどと。

そんな事は。
考えない方がいい。
そんな事は。
夢に過ぎないと。
諦めた方がいい。

そうでないのなら。
指し示された。
その滑走の手順を。
身につけるべく。
挑まなければ意味がない。

さぁ。
どうする。
もう一度。
己が胸に訊いてみるか。
翼あるものになりたいのか。

『Fly Like An Eagle』'76年リリース。
スティーヴ・ミラー・バンドの9枚目となるアルバム。
欧米での人気と比較して日本での人気はあまりに寂しいものがありますが。
その一因としては、その姿が見え辛いと言うか。変化に富んでいて掴みづらいと言うか。
ブルースをベースとした音楽性も、アルバム毎に様々な表情を見せるし。
スティーヴ以外のメンバー・チェンジも激しくて顔ぶれも一定しないしと。
ジャンルとか、カテゴライズとかが明確で無いものが日本人は苦手だったりしますからね。
このアルバムも前作である『The Joker』の後に契約上の訴訟に巻き込まれた関係か。
三年程のブランクもあり。またもやメンバーが一新されて。基本はトリオ編成となっていて。
曲によって。ジェームス・コットン等のゲストを迎えて録音、制作されています。
さて。音楽性の変化がアルバム毎にとは記しましたが。とは言え、そのベースにあるものは。
やはりブルースであり、骨太なロックンロールであることには間違いは無くて。
要は、その上でどう飛翔させるかを常に考え続け、挑み、実践しつづけていた結果なのだと。
その一点に関してはスティーヴと言う人はかなり頑固で、故にメンバーの変遷も多かった。
その実は、そんなところだったのではないかとも想像してしまうのですけどね。
このアルバムでも、シンセサイザーの多用が意表を突いたとも言われていますが。
「Fly Like An Eagle」にしても「Rock'n Me」にしても。その意匠の力を借りながらも。
骨太でキャッチーなロックンロールであると言うベース、骨格が揺らいでいないからこそ。
スペーシーに飛翔する様な爽快なナンバーに、その翼を得ることが出来たのではないかと。
特に「Fly Like An Eagle」の天高く舞い上がり、自由に飛び回る様は何とも痛快です。
そしてそれを支えているのが柔軟で腰の強いリズムで。そのファンキーな様も見事です。
何としてでも飛翔する、その翼を得る。その意思と覚悟の強さが気持ちのいいアルバムだと言えると思います。

翼あるものに。
なりたくて。
なれると信じて。
此処へ来た。
それは揺るがない。

ならば。
その翼を。
得る為に。
必要とされることは。
乗り越えなければならない。

そもそも。
それくらいの。
覚悟が無いのであれば。
翼ある者に。
なれるなどと。

そんな事は。
思わない方がいい。
そんな事は。
儚い夢だったと。
尻尾を巻いた方がいい。

そうでないのなら。
差し出された。
その滑空への課題を。
クリアすべく。
闘わなければ意味がない。

さぁ。
どうする。
もう一度。
己が心に訊いてみるか。
翼あるものになりたいのか。

人は人。
己は己。
それは。
それでいい。
それがいい。

武器も。
欠点も。
それは。
それぞれで。
それがいい。

多様性も。
多義性も。
それは。
守り抜く。
それがいい。

ただ。
この空へと。
羽ばたきたいのなら。
その翼を。
得たいのなら。

ただ。
この空を。
飛び回りたいのなら。
その翼を。
得たいのなら。

限りを尽くして。
乗り越えて。
挑んで。
闘う。
意志がいる、覚悟がいる。

翼あるものに。
なりたいのなら。
憧れや夢や。
根拠のない自信。
それだけでは足りないと言う事だ・・・



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2018/10/23 Tue *馬鹿になろう / Little Feat

20181023dixiechicken


この。
歪んだ。
そんな。
世の中を。
生きているのだ。

真っ当にと。
そう思えば。
思うほど。
絡め捕られて。
ままならず。

折角。
見つけた。
一筋の明かりさえも。
見失いそうで。
そんな時は。

無理に。
抗わず。
ここは。
一旦。
退いてみるのもありかなと。

見ずに。
聞かずに。
触らずに。
何も分からないと。
何も知りはしないと。

そう。
愚か者に。
馬鹿になろう。
そいつが。
歪んだ世界では有効だ。

『Dixie Chicken』'73年リリース。
リトル・フィートの3枚目となるアルバム。
ローウェル・ジョージを中心とした4人編成だったリトル・フィート。
このバンドの録音前にメンバー・チェンジがあって6人編成に。
ベースが交代し、二人目のギタリストと、パーカショニストが参加して。
ここからが、いよいよ稀代の変態バンド、リトル・フィートの本領発揮と。
そう、何を隠そう。隠してもいないか。リトル・フィートと言うのは変態ですからね。
あのフランク・ザッパのバンドを、薬物中毒を口実に追い出されたローウェル。
推測ですが。それは飽くまで口実で。ザッパはローウェルを扱いかねたのかなと。
さてと。基本は米国南部に根差したサウンドなのですが。一筋縄ではいかなくて。
ニュー・オーリンズ・ファンクを始めとした、様々なうねりを取り入れて。
引っ掛かり、引っ掛かりしながら。何ともご機嫌で心地良いサウンドを聴かせてくれていて。
聴いていると、ごく自然に横揺れしてしまうのですが。どうにもそれだけではなくて。
妙なスパイスと言うか、灰汁が効いていると言うか。不思議な痺れが残るのですよね。
相当に濃厚なコクがあるのですが。一方で微妙な浮遊感を漂わせてもいて。
そう。その辺りって。実はかなり特殊で、捉えようによっては気持ち悪いのですけど。
それを絶妙に混合してしまえるのはローウェルを始めとするメンバーの凄腕が故かな。
でも、やっぱりどこか奇妙で。そこはローウェルの薬物から得たものも作用しているのかな。
それが例えば「Dixie Chicken」にしろ「Fool Yourself」にしても爽やかさえ感じさせていて。
歌詞の内容もかなり奇妙なことも考え合わせると、やっぱり変態だよなと。
でも。そうですね。当時から世の中そのものが相当に歪んでいたとも思われもするので。
生き延びるには、変態、愚か者となって。奇妙な世界を偏愛するしかない。そんな先見性?もあったのかな・・・

この。
捻じれた。
そんな。
世の中で。
生きているのだ。

正気でと。
そう思えば。
思うほど。
追い詰められて。
ままならず。

漸く。
出会った。
希望の灯火さえも。
消えてしまいそうで。
そんな時は。

無理に。
逆らわず。
そこは。
一旦。
流されてみるのもありかなと。

見ないと。
聞かないと。
触れもしないと。
何も分からないと。
何も知りはしないと。

そう。
愚か者に。
馬鹿になろう。
そいつが。
捻じれた世界には有効だ。

この。
世の中が。
まともだと。
そう思えるなら。
苦労はない。

この。
世界が。
真っ当だと。
感じるのなら。
自分を疑ったほうがいい。

歪んで。
平衡を。
失って。
崩れ去る。
その寸前。

捻じれて。
共感も。
失われて。
消え去るのも。
時間の問題。

そいつに。
気づいてしまったのなら。
焦っても。
慌てても。
どうにもならない。

ここは。
気づかぬ振りをして。
愚か者に。
馬鹿になろう。
時を待とう。

歪んだ世界で。
捻じれた世界で。
一筋の明かりを守る為に。
希望の灯火を絶やさぬ様に。
馬鹿になろう。



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2018/10/22 Mon *充血させて / The J. Geils Band

20181022bloodshotusredvynal


充血させて。
真っ赤にして、
そこまでして。
そんなになるまで。
何を考えて。

追って。
追って。
追われて。
追って。
駆けずり回っているのか。

そこまでしなくても。
そんなになるまで。
頑張らなくても。
程々でも良いのではと。
言われもするが。

追いたいのだ。
追われたいのだ。
そうさ。
ただの遊びかも知れないが。
だからこそ。

真剣に。
追い回して。
本気で。
追い回されて。
そうでなければ楽しくない。

だから。
目を真っ赤にして。
充血させて。
血を滾らせて。
駆け回っているのだ。

『Bloodshot』'73年リリース。
J.ガイルズ・バンドの通算4枚目となるアルバム。
前作があの傑作『"Live" Full House』で。その勢いを受けてと言うか。
定評のあったライヴの魅力を、スタジオに遂に持ち込むことに成功したアルバムかな。
いい塩梅に腰の落ちた、重心の低いロックンロール。ブルースやR&Bの香りも濃厚な。
その発条の効いた、深く強い弾力性も心地良いサウンド、そのリズム。
そして。泥だらけになるのが嫌でウッドストックのオファーを断ったとされる。
その粋で伊達なダンディズムが、何とも小気味よく黒光りしているのが堪らないのです。
A面の頭に「(Ain't Nothin' But A) Houseparty」、B面の頭に「Southside Shuffle」と。
必殺のナンバーを配している辺りからして。力の入れ様もわかるし、こなれてもきたかと。
ラジオ局のDJをやっていたと言うピーター・ウルフの巻き舌もご機嫌なヴォーカル。
そして、まさに魔法の如きフレーズが飛びだすマジック・ディックのブルース・ハープと。
この2人がやはり花形で。その絡みのカッコ良さにはもう痺れるしかないのですが。
更にJ.ガイルズのギター、セス・ジャストマンのキーボード、リズム隊も一体となって。
粋で伊達で。そして実にタイトでブルージィーなロックンロールをブチかますと。
これが痛快にならない訳が無いと言うか、これを聴いたら腰が震えるよなと。
後にEMIに移籍。「Centerfold」の大ヒットで大ブレイクしたJ.ガイルズ・バンドですが。
その本質、その本来の魅力はこのアルバムも含むアトランティック時代にこそあったと。
強がりや、ハッタリの部分も含めて。男の心意気がビンビンに感じられる。
そんなロックンロールを、それこそ充血する程にシャカリキになってやりながらも。
大したことないぜと。嘯いて余裕を見せようとすらする、そのええカッコしいの部分も含め。
あぁ、ロックンロール・バンドと言うのは、男と言うのは。こうでなくっちゃなと。
そう感じ、そう思わされるのです。そう男が惚れるロックンロール・バンドのご機嫌なアルバムなのです。

充血させて。
真っ赤にして、
そこまでして。
そんなになるまで。
何も考えずに。

求めて。
求めて。
求められて。
求めて。
飛び回っているのか。

そこまでしなくても。
そんなになるまで。
無理しなくても。
その程度でも良いのではと。
言われもするが。

求めたいのだ。
求められたいのだ。
そうさ。
ただの遊びなのは百も承知。
だからこそ。

真剣に。
求め続けて。
本気で。
求め続けられて。
そうでなければ面白くない。

だから。
目を真っ赤にして。
充血させて。
血を滾らせて。
飛び回っているのだ。

実のところ。
そんな。
大層な。
自信など。
ありはしない。

実のところ。
そんな。
大した。
実力なども。
あろうはずもない。

だから。
背一杯。
強がって。
ハッタリかまして。
粋がって。

そうさ。
目一杯。
血を滾らせて。
充血させて。
全力で。

真剣に。
追って。
追われて。
追って。
追い回すのだ。

本気で。
求めて。
求められて。
求めて。
求め続けるのだ。

ただの遊び。
だからこそ。
真剣に、本気に。
そうでなければ楽しくない。
そうでなければ面白くない。

だから。
目も、なにも。
真っ赤にして。
充血させて。
血を滾らせて。立ち向かうのだ。



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2018/10/21 Sun *制御など / The Doobie Brothers

20181021thecaptainandmeusorg


どこまで。
走るのか。
駆けていくのか。
そいつが。
どうにも。こうにも。

判然としない。
それも。
その筈で。
そんなことなど。
決めもせずに。

走り始めてしまって。
気づいたら。
未だに。
駆け続けていると。
そんなところ。

面白く。
可笑しく。
そのままで。
走り続けられるのならば。
それでいいと。

それだけ。
それで。
どうにか。こうにか。
未だ走っているのだから。
それでいいかと。

元来が。
制御など。
考えて走れるほど。
器用ではない。
そう言う事だ。

『The Captain And Me』'73年リリース。
ドゥービー・ブラザーズの3枚目にして代表作となったアルバム。
今も現役らしいドゥービー・ブラザーズ。息の長いバンドとなりましたが。
その活動の途中で大きく音楽性を変えていて。一時期は別のバンドみたいになって。
要はトム・ジョンストンが抜けて、マイケル・マクドナルドが加わったら。
それまでの豪快さとか、痛快さが消えて。腑抜けたバンドになってしまったと。
世間的にはその時期も人気があり、評価もされている様ですが。どこがいいのだか。
トムが薬物中毒になったのが悪いのですが。バンド名がバンド名で。身をもってかと・・・
さて。その剛毅なトムと、もう一人の主要メンバー、繊細なパット・シモンズ。
その二人のギタリストが中心となって。ツイン・ドラムスを擁して勇壮に駆け抜ける。
それこそがドゥービー・ブラザーズの最大の魅力だと。それを痛感させてくれる。
そんな傑作が、このアルバムで。何と言っても必殺の二曲、そうあの二曲が収録されていて。
「Long Train Runnin'」「China Grove」が連発されるのですから。もう堪りません。
豪快なうねりを上げて、痛快に走り、駆け抜けていく。これぞドゥービー・ブラザーズです。
トムのギターのカッティングと、リズム隊の跳ね具合も最高で。能天気と言えば能天気。
それがどうした。何が悪い。考えなくてもいいことは考えなくていいのだと。
そう言いきれてしまいそうな。そのノリの良さ。その一直線な無軌道さがいいのです。
一方で。パットによる「Clear As The Driven Snow」「South City Midnight Lady」と言った。
凛とした美しさのある繊細なナンバーも強い印象を残して。トムとパットと。
その対照的な二人が両輪となって疾走する、その心地良さが素晴らしいのです。
おそらくは自分達自身も。楽しむことが優先で。どこまでとか、どうやってとか。
その辺りは後回しだった、制御とは無縁とも思われた時代のドゥービー・ブラザーズは魅力的なのです。

どうやって。
走るのか。
駆けていくのか。
そいつも。
どうにも。こうにも。

整然としない。
それも。
その筈で。
そんなことなど。
考えもせずに。

走り始めてしまって。
気づかぬうちに。
ここまで。
駆けてきてしまったと。
そんなところ。

楽しく。
弾んで。
そのままで。
走り続けていられるのならば。
それでいいと。

それだけ。
それで。
どうにも。こうにも。
ここまで走ってきているのだから。
それでいいかと。

生来が。
制御など。
考えて走れる様な。
小器用さはない。
そう言う事だ。

ゴールとか。
目標とか。
あるにこしたことはない。
それは。
そうかもしれないが。

そいつに。
囚われて。
拘って。
柔軟さが失われては。
元も子もない。

スタイルとか。
流儀とか。
あればやり易い。
それは。
そうかもしれないが。

そいつに。
縛られて。
譲れなくなって。
臨機に挑めなければ。
本末転倒。

どこまで。
走るのか。
駆けていくのか。
そいつは。
やってみるしかない。

どうやって。
走るのか。
駆けていくのか。
そいつも。
やってみてのこと。

面白く。可笑しく。
楽しく。弾んで。
それでいい。
それがいい。
制御など、出来ない方がいい。

言い訳に過ぎないけれど(笑)。



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2018/10/20 Sat *仄かな灯だとしても / Roberta Flack

20181020bluelightsinthebasement


仄かな。
灯だとしても。
その煌めき。
その揺らめき。
それを感じられれば。

薄暗い。
地下室の様な。
そんな閉ざされた。
空間の。
片隅で膝を抱えている。

そんな。
気分で。
時を過ごして。
そのまま。
沈み込みそうな時。

ふと。
その気配を感じて。
顔を上げてみる。
姿は見えない。
見えないけれど。

囁きかける。
その声に。
確信をして。
手を差し伸べて。
抱き合う。

それだけで。
微かに。
安らぎの輪郭が姿を現す。
仄かな。
灯だとしても。

『Blue Lights In The Basement』'77年リリース。
才媛、ロバータ・フラックの通算で7枚目となるアルバム。
その7枚の中にはダニー・ハサウェイとの連名アルバムもあったのですが。
その後、ダニーは病を得て第一線から退いて療養生活に。数年を経て。
快方に向かいつつあったダニーに声を掛け、再び呼び戻したのがロバータで。
それが、このアルバムに収められている「The Closer I Get To You」となります。
データを見る限り。この一曲を録音する為だけに。ロバータはダニーが療養していた。
その先であるシカゴに出向いています。他は総てニューヨーク録音で。
如何にロバータが、ダニーに深い愛情と強い友情を感じていたかが窺い知れます。
そして、その「The Closer I Get To You」は見事にR&Bチャート1位のヒットとなって。
ダニーの復帰のきっかけとなったのです。残念ながらそれは僅かな期間ではありましたが。
それにしても。ダニーの歌声が聴こえてくるその瞬間はゾクゾクとします・・・
さて。元々がソウルと言う枠の中には収まり切れない、そんな志向と才能の持ち主。
そんな立ち位置と活動がロバータの魅力であって。その止まるところを知らずで。
決して声高にシャウト等はしないので、何とも落ち着いた抑制された雰囲気を保ちつつ。
その世界はどんどん境界を越えて、広がり続けていることが感じられます。
レゲエのリズムを取り入れた様なナンバーもあり。実にバラエティなナンバーを。
見事に歌ってみせるロバータです。その余りの破綻の無さは好き嫌いが別れるかもですが。
後は、そうだな。ちょっと全体にアレンジが華やかに過ぎる感はあって。それが故に。
必要以上にポップスに聴こえてしまう面もあるかなとは思いますけどね。
それでも。そう、仄かでもしっかりとした明るさ、そして温かさを感じさせる。
そんなロバータの歌声の魅力は十分に感じられる、伝わってくるアルバムです。そして・・・
ダニーとの二枚目の連名アルバムが、あの悲劇がなく完成されていたならば、と思ってはしまうかな・・・

仄かな。
灯だとしても。
その明るさ。
その温かさ。
それを感じれれれば。

薄暗い。
地下室の様な。
そんな行き場のない。
空間の。
片隅で頭を垂れている。

そんな。
気分で。
時を過ごして。
そのまま。
消えてしまいそうな時。

ふと。
その気配を感じて。
一点を見つめてみる。
姿は見えない。
見えないけれど。

笑いかける。
その声に。
確信をして。
手を取り合って。
抱きしめ合う。

それだけで。
確かな。
安らぎの輪郭に包み込まれる。
仄かな。
灯だとしても。

何処かで。
ふと。
その手を放して。
そのまま。
はぐれて。

いつの間にか。
その。
後ろ姿を見失って。
そのまま。
離れて。

それでも。
いつでも。
何時かは、何処かで。
再びと。
思っていても。

それは。
もはや。
二度と叶いはしないと。
感じている。
だから。

恐らくは。
何があったとしても。
それは。
幻に過ぎない。
そう思っている。

でも。
それでも。
仄かな。
灯だとしても。
それを感じられれば・・・救われる・・・



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2018/10/19 Fri *恩恵 / Aretha Franklin

20181019amazinggrace


神も。
仏も。
信じはしないが。
人智を越えた。
何ものか。

およそ。
人の及ぶところではない。
そんな。
目に見えぬ力の存在。
そいつは感じないでもない。

そう。
例えば。
空、風の匂い。
そこに宿る。
何ものかはあるだろうと。

そして。
時に。
そんなものと。
交感したくなる。
救いを求めてしまう。

そんな気持ちを。
抱く人々がいて。
彼等、彼女等を。
導く、導ける。
そんな選ばれた者がいると。

その歌声に。
その言霊に。
特別な何かを。
与えられ、それを分け与える。
そんな者もいるのだろう。

『Amazing Grace』'72年リリース。
アレサ・フランクリンの教会におけるゴスペル・ライヴを収めた二枚組。
今は、二日間に及んだその模様を完全収録したものもリリースされているのかな。
さて。多くのソウル・シンガーがそうである様に。アレサもまたゴスペルにルーツがあり。
特に父親が有名な牧師で、母親もゴスペル・シンガーだったこともあって。
ゴスペルから感じたもの、学んだもの、得たものは相当に色濃かっただろうなと思われます。
そんなアレサが何故、この時期にルーツに立ち返ったこのアルバムを企画したのかと。
アトランティックでのキャリアが絶頂を極まて。一度、立ち止まり振り返りたくなったのか。
一説では確執もあった父親との間での。何らかの思惑が働いていたのか。
そんな事情は兎も角として。ここで聴けるアレサの歌声。それはもう至上の一言に尽きます。
これほど、荘厳にして威厳があって。神秘的ですらあり。それでいながらの。
その総てを包み込む様な、慈愛とでも呼びたくなる様な温かさと優しさと。この歌声は。
やはり、天からの贈り物、天恵であり。それを聴けるのは、恩恵であると言いたくなるかな。
その昔、リトル・リチャードにあの迫力で説教されたら入信しちゃうよなと言った人がいて。
どうかと思いましたが・・・アレサのこの歌声に包まれたら・・・入信しちゃうかな・・・
アレサの歌声に呼応するクワイアと、そして集った聴衆の熱気も素晴らしくて。
その生々しさ、臨場感も半端ないのですが。必要以上に宗教色が前面に出てきていないのは。
コーネル・デュプリーやチャック・レイニーら。いつものメンバーが参加しているからで。
ゴスペルであるのと同時に極上のソウル・ライヴ・アルバムともなっているのですね。
そう、サム・クックのハーレムとか、オーティス・レディングのヨーロッパに近いかな。
それにしても。このアレサの歌声。それは、やはり人智の外にあると言いたくなるもので。
万物の理、それを司る大きな力が、この歌声を遣わしてくれたのだったとしたら。
その恩恵に感謝すると共に、その喪失に改めて弔意を表し、受けた恩恵を何らか語り継いでいけたらなと・・・

神も。
仏も。
いる筈もないが。
人智が及ばない。
何ものか。

およそ。
人の知るところではない。
そんな。
思いもつかぬ力の存在。
そいつは感じないでもない。

そう。
例えば。
大地、土の匂い。
そいつが育む。
何ものかはあるだろうと。

そして。
時に。
そんなものと。
共鳴したくなる。
導き求めてしまう。

そんな気持ちを。
抱く人々がいて。
彼等、彼女等に。
示す、指し示せる。
そんな選ばれた者がいると。

その歌声に。
その言霊に。
特別な何かを。
宿され、それを与え続ける。
そんな者もいるのだろう。

恩恵。
それを。
受けてしまった。
選ばれてしまった。
そんな者を思う。

それは。
明るく。
輝いて。
悦びに。
満ち溢れて。

同時に。
厳しく。
淋しく。
孤独に。
苛まれもするだろう。

受けた者。
選ばれた者。
その。
責任と覚悟。
それを背負える者だけが。

真に。
恩恵を受けた。
選ばれた。
そんな者となる。
そして。

そんな者だけが。
他の者に。
その与えられたものを。
分け与えられるのだ。
だから。

恩恵。
それを。
感じたのなら。
感じられたそのことへの。
感謝をしよう。



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2018/10/18 Thu *真夜中のギター / Steve Cropper

20181018withalittlehelpfrommyfriend


真夜中。
丑三つ時。
どこからともなく。
聴こえてくる。
そんなものがある。

夜の四十万を。
縫う様に。
這う様に。
そうして。
届けられるものがある。

そいつは。
どんな夜も。
こんな夜も。
この胸の内に。
穏やかに問いかける。

今日は。
どんな一日だったのかな。
そうか。
色々あるものだな。
そんなこともねぇ。

でも。
こうして。
夜が来て。
明日を迎えようとしている。
それは悪くないさ。

今日も。
それなりに。
いい一日だったのさ。
そう。
真夜中のギターが語りかける。

『With A Little Help From My Friends』'69年リリース。
スティーヴ・クロッパーの初めてとなるソロ・アルバム。全編インスト。
さて。ブッカー・T&MGズのギタリストにて数多のスタックスの録音に関わってきた。
そんな歴戦の強者のスティーヴ、一説では敬意を込めてカーネル(大佐)と呼ばれていたと。
スタックスの創成期、黎明期から活躍していたのに。何故ここまでソロで録音しなかったか。
些か不思議な気がしないでもありませんが。何せMGズと言うのはハウス・バンドですから。
兎に角、様々なソウル・シンガーの録音に呼ばれて。延々と録音を続けていて。
偶さか、時間が空いた時にMGズとしての録音をしていたと言う程の売れっ子だったので。
ソロ・アルバムなんて思いも及ばなかったと言うのが、実情だったのかも。
そんなスティーヴもスタックスがアトランティックから独立(見捨てられた?)して。
漸く少しは余裕ができたのか。満を持してのこのアルバムの録音、制作となったのかなと。
元々、ご存知の様にソロを弾き捲るタイプではないので。主役であるこのアルバムでも。
カッティング中心のそのスタイルは変わりませんが。その刻まれるリフ。
それだけで十二分に聴かせてしまう。万人を魅了するクロッパー節の魅力が堪能できます。
そしてリードを弾けば弾いたで。その味わいの深さで、これまた聴く者を魅了すると。
実になんとも。クロッパーのギターは歌心に、情感に溢れているのですよね。
スタックスでの、特に初期のそれと比較すると。このアルバムでのギターは洗練されていて。
そこには、時代の流れにも鋭敏であったスティーヴのセンスの良さも感じられます。
クレジットは無いのですが。参加しているのはやはりMGズとメンフィス・ホーンズかな。
アルバム・タイトルが、タイトルですからね。タイトル・ナンバーのカヴァーも見事です。
いつ聴いても。独りの真夜中に聴いても、寄り添ってくれるギター、サウンドなのです。
J.ガイルズはギターが上手くなりたければオーティス・ラッシュとスティーヴを聴けと。
そう語っていたらしいですが。二人とも亡きいま。スティーヴさんにはまだまだ元気で活躍してほしいなと。

真夜中。
丑三つ時。
どこからともなく。
響いてくる。
そんなものがある。

夜の四十万を。
潜り抜けて。
飛び越えて。
そうして。
届いてくるものがある。

そいつは。
どんな夜も。
こんな夜も。
この胸の奥に。
静かに耳を傾ける。

今日は。
そんな一日だったのか。
そうか。
色々あったのだな。
そんなことまでねぇ。

でも。
こうして。
夜を迎えて。
明日が来ようとしている。
それなら上出来さ。

今日も。
それなりに。
いい一日を過ごせたじゃないか。
そう。
真夜中のギターが頷いてみせる。

そう。
あんな一日も。
こんな一日も。
どんな一日も。
やり過ごせば。

そう。
あんな夜も。
こんな夜も。
どんな夜も。
迎えられれば。

真夜中。
丑三つ時。
この胸に。
届くものがある。
響くものがある。

独りの。
この胸に。
問いかける。
この胸に。
耳を傾ける。

その。
穏やかで。
静かで。
そして温かい。

その。
音色に。
あらゆるものが。
夜の四十万の中へと氷解していく。

語りかける様に。
頷く様に。
寄り添う様に。
包み込む様に。
真夜中のギターが聴こえる・・・



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2018/10/17 Wed *秘密の言葉たち / Billy Preston

20181017encoudationword


秘密の。
そんな言葉たち。
目にするだけで。
元気になる。
そんな言葉。

短く。
簡潔に。
一言。
大抵は。
そんなもの。

でも。
その。
僅か数文字が。
心を落ち着かせ。
宥めてくれる。

そして。
また。
明日への活力。
その源に。
なっている。

時には。
絵文字、一文字。
でも。
その一文字に。
救われる。

秘密の。
そんな言葉たち。
そいつが。
いまの俺を。
そっと支えてくれている。

『Encouraging Words』'70年リリース。
ビリー・プレストンのアップルでの2枚目にして最後となったアルバム。
通算では、恐らく5枚目だか、6枚目だかになるのかな。
若い頃から天才音楽少年と名を馳せていて。十代で既に一流のプロとなっていて。
リトル・リチャード、レイ・チャールズ、サム・クック等のバンド・メンバーに。そして。
レイの英国公演でジョージ・ハリスンの知己を得て、ビートルズとの関係が始まって。
セッションに参加、その流れでアップルへ迎えられたと。そんな時期のアルバムです。
ブラック・ミュージックの世界から、より広い世界へと。しかも媒介役はビートルズです。
この時のビリーは、野心に燃えてギラギラとしていたと思われて。
「My Sweet Lord」「All Things Must Pass」そして「I've Got A Feeling」と言ったカヴァー。
その選曲にも、その野心が透けて見えると。ただ単なるカヴァーに終わっていないのは。
やはり。十代から教会でゴスペルを演奏し、歌っていたビリーだからこそで。
どのナンバーも、実に何ともソウルフルでファンキーでと。生まれ変わっているのです。
そして。これまた当然ながら。そうしたビリーの資質、そして本質は。
共作も含めてビリー自身の手によるオリジナルでこそ、その真価が発揮されているのです。
そう。だから前述のカヴァーがね、若干浮いて聴こえもすると言う結果にもなっています。
まぁ、野心故の勇み足。それも含めて、奏でたい、歌いたい、弾ませたい、伝えたい。
そんなビリーの陽性で、前向きな言葉、メッセージはアルバム・タイトルの通りに。
聴く者の胸に響き、その身も心も躍らせる様なそんな活力に満ちたアルバムかなと。
商業的には成功は得られずに。このアルバムを最後にアップルとも契約切れに。
次いで移籍したA&Mで成功を手にするビリーですが。その原点は例えばこのアルバムに。
そこに記された、前進しようとする健全な野心を持ち続けたからこそだと思うかな。

秘密の。
そんな言葉たち。
目にするだけで。
勇気が湧いてくる。
そんな言葉。

短く。
いつもの。
一言。
殆どは。
そんなもの。

でも。
その。
僅か数文字が。
心を安らかにさせ。
慰撫してくれる。

そして。
また。
明日への希望。
その礎に。
なっている。

時には。
時間差で、数文字。
でも。
その数文字に。
励まされる。

秘密の。
そんな言葉たち。
そいつが。
いまの俺を。
そっと包んでいてくれる。

短く。
簡潔に。
いつもの。
一言。
それでいい。

変わらずに。
ほぼ毎日。
いつもの。
一言。
それがいい。

そして。
偶さか。
弾む様な。
数行の交感。
それでいい。

そして。
ある日の。
心の襞に触れる。
一文字。
それがいい。

誰にも言わない。
誰も知らない。
そんな。
自然に交わされる。
言葉たち。

心を落ち着かせ。
宥めて。救ってくれる。
心を安らかにさせ。
慰撫して。励ましてくれる。
言葉たち。

支えていてくれる。
包んでいてくれる。
秘密の言葉たち。
それを、そして発してくれる者を。
愛している・・・



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2018/10/16 Tue *生きているその証 / Tower Of Power

20181016liveandinlivingcolor


何をもって。
自分は。
生きていると。
その証と。
してみせるのか。

まさか。
息をしているから。
それで。
それだけで。
生きていると。

満足しているのか。
否、勿論。
それは。
それも。
間違いとは言わないが。

何だろう。
これがあるから。
だから。
生きているのだと。
実感できるもの。

赤い血が流れる。
熱い思いが湧き上がる。
その瞬間。
そいつがあるから。
その為にと。

例えば。
挑むこと。
その意思があるからこそ。
それを実行しようとするからこそ。
生きている証なのではないかと。

『Live And In Living Color』'76年リリース。
ベイ・エリア・ファンクの雄、タワー・オブ・パワー。
燃え滾る血の様な、その赤いジャケットも印象的な初めてのライヴ・アルバム。
メンバー・チェンジを繰り返しながら今も活動を続けているタワー・オブ・パワー。
もう今が所謂、第何期に該当するのかも判然としませんし。
在籍していたメンバーの数も数えきれないほどになってしまっていますが。
その最盛期は。このアルバムに捉えられた熱いファンクのグルーヴをブッ放していた。
このワーナー時代ではなかったかなと。それ程にこのアルバムは凄まじいなと。
ロッコ・プレスティアとデヴィッド・ガリバルディの強靭なリズム隊。
その熱く、激しく、太く弾むグルーヴ。そこに黒くソウルフルなヴォーカルが絡みつく。
もう、それだけで。背筋が奮える程にゾクゾクする。そんな魅力に溢れていますが。
更には、何と言っても。エミリオ・カスティーヨが率いる五管のホーン・セクション。
その分厚くも、切れ味鋭い響きが加わるのですから。もはや無敵と言うか、反則と言うか。
何でも。非黒人のメンバーが主体であるが故に。ファンクと見なされないと言うか。
ジェームス・ブラウンの、JBズの単なる物真似だと言う批判を受けたこともある様ですが。
何とも馬鹿馬鹿しいと言うか。別に肌の色でファンクをやれる訳でもあるまいしと。
代表作である「What Is Hip ?」や。B面を丸々占めている「Knock Yourself Out」などを。
耳にしたら、そのうねり、そのグルーヴを浴びて。それでもファンクじゃないと言えるかと。
そんな輩は、きっとこのアルバムを聴いても。腰にもこないのだろうなと。悲しいかな。
うねりを吹き上げる、トランペットやサックスのソロ。ファンク以外の何だと言うのか。
そしてまたこの時期は。チェスター・トンプソンのオルガン・ソロも格別で。
リズム隊、ヴォーカル、ホーン・セクション、キーボードが一体となってうねる様は圧巻で。
それこそ。血が滾る思いがして。やっぱり熱い、渦巻く様な、そんなものがあってこそ。
そんな風に、燃え上がる思いがあってこそ。生きているってことだよなと感じたりもしてしまうのです・・・!

何があって。
自分は。
生きていると。
その証と。
して誇れるのか。

まさか。
心臓が動いているから。
それで。
それだけで。
生きていると。

充足しているのか。
否、勿論。
それは。
それも。
答えじゃないとは言わないが。

何だろう。
これをもってして。
だから。
生きているのだと。
矜持とできるもの。

流れる赤い血が。
滾るほどの熱い思い。
その刹那。
そいつをもってして。
それ故にと。

例えば。
戦うこと。
その意思があるからこそ。
先へ、前へ進もうとするからこそ。
生きている証なのではないかと。

挑まずに。
いつも。
同じことを。
ただ。
繰り返すだけなんて。

戦わずに。
いつも。
同じところを。
ただ。
巡っているだけなんて。

ましてや。
挑む前から。
戦う前から。
言い訳を考えて。
それを思いもしないなんて。

リスクを。
取らないことが。
再興のリスクヘッジ。
それでは。
生きている証など。

いつまで経っても。
どこへ行っても。
この手になど。
出来はしないだろう。
それこそリスクそのものだと。

警戒しつつ。
怯えつつ。
それでも。
突き動かされて。
挑み、戦う。

流れる赤い血が。
滾るほどの熱い思い。
それを感じて。
楽しくて笑みが毀れる。
それこそが、己の生きているその証なのだ・・・!



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2018/10/15 Mon *ならず者よ / The Rolling Stones

20181015exilonmainstukorg


ならず者よ。
お前の。
流した涙など。
誰も。
気に留めもしない。

ならず者よ。
お前を。
眠らせる胸など。
この世の。
何処にもありはしない。

見果てぬ夢に。
見てはならない夢に。
焦がれ。
彷徨い続ける。
その代償を払い続ける。

探し求める。
真実など。
見つかりはしない。
偽りだらけの世界。
その片棒を担いでさえいる。

何が罪で。
何が罰か。
それを知れば知るほど。
身動きが取れなくなり。
それでも囚われはしないと。

今宵も。
孤独な魂を。
持て余し。
盃を傾け続ける。
そんな、ならず者よ。

『Exile On Main St.』'72年リリース。
ローリング・ストーンズの最高傑作の一角を占める2枚組アルバム。
およそ。ロック史上にその名が未来永劫に遺ると思われる傑物。
以上。終わりみたいな。ラフでルーズでありながら。その隙があるところ。
隙間だらけに転がる、このアルバムのストーンズには不思議な事ですが。
何も加えることはできなくて。何も引き去ることもできなくて。そんなアルバム。
極論してしまうと。この後のストーンズのナンバーもアルバムも。
その総ては、その根源、元ネタをこのアルバムの中に見出せさえするのではないかと。
混沌として、享楽的で。凶暴で、妖艶で。荒涼として、孤独で。そのどれもが。
ストーンズの魅力であり、ストーンズの底力の、その凄味を知らしめたアルバムであると。
スカスカで。フラフラで。しかし迂闊に近寄ろうものなら喉元にナイフを突きつけられて。
その妖しい笑みに魅了されて動けなくなり。泥の様な快楽に浸り続けることになる。
そんな、空恐ろしさ。血と、酒と、薬と、そして男と女の匂いに咽返る快感があります。
この時期、税金を逃れて。タックス・エグザイルとして英国を脱出し。
辿り着いたフランスの。キースが借りた邸宅の地下室での。文字通り、酒池肉林の日々。
その坩堝の中から生まれてきたのが。この音楽的にも最高な坩堝であったと言う事。
ロックンロール、ブルース、カントリー、ソウル・・・総てを呑み込み換骨奪胎してみせて。
自らも、二度とは辿り着けない境地に達してみせたと。まったくもってとんでもないと。
それを成し得たのは。既に成功者であり、億万長者であり。何も不自由が無いはずが。
生国を飛びだしたこともあり、それでもつき纏う不安や流浪の心。そんなものが。
生来の流れ者、はみ出し者、ならず者であるその魂に火をつけて覚悟を決めさせたと。
流れるならどこまでも、はみ出すならどこまでも。ならず者として渡り歩いてやるとの。
その腹の据わり方が。このアルバムに。世界中のならず者の魂を揺さぶり、目覚めさせる力を与えたのです。

ならず者よ。
お前の。
失くした時など。
誰も。
興味など示しはしない。

ならず者よ。
お前の。
夢を託せる瞳など。
この世の。
何処にもありはしない。

戻らぬ時に。
戻ってはならない時に。
縋り。
流離い続ける。
その代償を払い続ける。

追い求める。
故郷など。
ありはしない。
虚ろなだけの世界。
その構築に手を貸してさえいる。

何が罰で。
何が罪か。
それを思えば思うほど。
身動きさえままならなくなり。
それでも止まりはしないと。

今宵も。
孤独な魂を。
焦げつかせ。
盃を空け続ける。
そんな、ならず者よ。

見果てぬ夢を。
いまも。
いまでも。
追い続けて。
独り、涙を流して。

眠れる胸に。
焦がれて。
彷徨い続ける。
そんな愚かな。
ならず者よ。
失くした時を。
いまも。
いまでも。
追い続けて。
独り、膝を折って。

託せる瞳の。
嘘を信じて。
流離い続ける。
そんな愚かな。
ならず者よ。

どれ程の。
代償を払おうとも。
探し求める。
真実など。
お前の手には入りはしない。

どこまで。
代償を払い続け様とも。
追い求める。
故郷など。
お前の目の前には表れはしない。

それでも囚われず。
それでも止まらず。
孤独な。
その身も心も。その魂までも。
焦がし続ける、ならず者よ。

ならず者よ、それはお前自身だ。



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2018/10/14 Sun *胸に刻め / Deep Purple

20181014deeppurpleinrockukorg


胸に刻め。
その心を。
初めて感じた。
その時の。
その心を。

何に触れた。
何に震えた。
そいつを。
その衝動を。
忘れることなく。

ぶれそうに。
なったりしたら。
その恐れに。
呑み込まれそうな時は。
いつでも立ち返れる様に。

クッキリと。
ハッキリと。
刻みつけておくのだ。
せいぜい。
安定剤だとしても。

刻まれたものが。
あるのと。
ないのとでは。
耐性が。体力が。
大きく変わってくる。

だから。
あの時の。
あの心を。
しっかりと。
胸に刻め。

『Deep Purple In Rock』'70年リリース。
ディープ・パープルの通算で5枚目、第二期としては2枚目となるアルバム。
それまでのアート・ロック路線や、クラッシックへの接近がパッとせずに。
業を煮やしたリッチー・ブラックモアがジョン・ロードから主導権を奪って。
思いっきりハード・ロックにシフトしてみせ、大きな分岐点となったアルバムです。
一説ではレッド・ツェッペリンの成功にリッチーが触発されたとも。
まぁ、とは言え。そのサウンドは別物ですけど。音の厚さとか激しさは参考にしたのかな。
直線的に突き進むそのサウンドの直裁な感じ。その迷いの無さ。それこそが。
ディープ・パープルの最大の魅力となり。後々まで聴く者の胸に深く刻まれたと。
荘厳なイントロに導かれて、美しい程に暴力的な「Speed King」の真っ直ぐなスピード感。
その瞬間に。ディープ・パープルは新たに生まれ変わったと。そこが回帰点となったと。
もっと言えば。所謂、様式美を重視するハード・ロックそのものが生まれたとも言えるかな。
イアン・ギランのハイ・トーンでのシャウトも。このサウンドでこそ生きているし。
第一期にも、例えば「Hush」に代表される様な魅力的なナンバーもあるのですが。
やっぱり、このアルバム。そこに刻まれたものこそがディープ・パープルの礎かなと。
そう考えると。この米国ラシュモア山の歴代大統領の彫像のパロディとなっている。
そのジャケットに刻まれたメンバーの彫像は自信と覚悟の表れともとれなくもないかな。
そして。その自信と覚悟の程は、見事に商業的な成功として報われたのですよね。
ただ、あまりにも深く刻み過ぎて。それがファンにも、そしてメンバーにも足枷となって。
それがやがて、ディープ・パープルと言うバンドそのものを硬直化させてもしまったと。
そうだとしても。このアルバム。特に「Speed King」の価値、意義は変わらないかな。
一方で「Child In Time」にはアート・ロック、サイケデリックな残り香も濃厚ですけどね。
(「Child In Time」はイッツ・ア・ビューティフル・デイの「Bombay Calling」のパクリみたいなものですけど・・・)

胸に刻め。
そのこころ志を。
初めて覚えた。
その時の。
その志を。

何に打たれた。
何を感じた。
そいつを。
その激情を。
忘れることなく。

折れそうに。
なったりしたら。
その闇に。
呑み込まれそうな時は。
いつでも立ち戻れる様に。

鮮やかに。
深く。
刻みつけておくのだ。
せいぜい。
気休めだとしても。

刻まれたものが。
あるのと。
ないのとでは。
抵抗力が。強度が。
大きく変わってくる。

だから。
あの時の。
あの志を。
どうにでも。
胸に刻め。

寂寞と。
打ちひしがれる。
そんな夜が。
訪れたなら。
振り返れ。

熱病に。
突き動かされる。
そんな夜が。
訪れたなら。
立ち止まれ。

胸に。
手を当てて。
そのものに。
刻まれたものに。
触れて。

思い出せ。
そう。
あの時の。
あの心を。
取り返せ。

思い新たに。
そう。
あの時の。
あの志を。
取り戻せ。

その恐れに。
その闇に。
呑み込まれそうな時は。
いつでも立ち返れる様に。
いつでも立ち戻れる様に。

初めて感じた。
その心を。
初めて覚えた。
その志を。
胸に刻め。



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2018/10/11 Thu *スクラム / Humble Pie

20181011rockon


顔も。
背格好も。
それぞれ。
バラバラ。
そんなもの。

年齢も。
性別も。
それぞれ。
バラバラ。
そんなところ。

多様であること。
それを。
目指していれば。
当然のこと。
その上で。

底に。
あるもの。
抱くもの。
そいつは。
共有して。

同じ。
目標に向かって。
それぞれの。
個性を生かしながら。
一致団結。

それぞれで。
バラバラで。
でも集まれば。
それなりに固い。
スクラムをと。

『Rock On』'71年リリース。
ハンブル・パイの通算4枚目となるアルバム。
A&Mに移籍してからは2枚目となるこのアルバムで方向性が定まったかと。
スティーヴ・マリオットとピーター・フランプトンの双頭バンドだったので。
その個性の違いを生かそう、際立たせようとして。結局はどっちつかずみたいな。
そんな不安定な、収まりの悪さが常につき纏っていた感じがあって。
まぁ、それがハンブル・パイの個性でもあって。その不安定故の魅力もあったのですが。
やっぱり。バンドとして突き抜けようとした時には。一体感には欠けていたかと。
それが。このアルバムではブルージィーでソウルフルなハード・ロックをブチかますと。
その一点に。マリオット、フランプト、そしてメンバー全員が心を決めて集結していて。
それが今までにない、熱く、激しく、そして強固な勢いを生み出しているなと。
多分にフランプトンが一歩引いて、マリオットの嗜好に合わせたのかなとは思いますが。
どうして、どうして。このアルバムでのフランプトンの火花が散る様なギターの魅力。
どうしても、甘く、繊細で、そしてポップなイメージが強いフランプトンなのですが。
実のところ、黒く激しいギターも十二分に弾けるし、好きなのだと思えるのですよね。
勿論、マリオットと比べれば。その思いの熱さ、濃さには差があったのでしょうが。
その濃淡故の、マリオットとフランプトンによる陰影がこのアルバムを魅力的にしていて。
それぞれの立ち位置とか、役割とか。その差を認め合ってこその一致団結した思いの力。
そいつが。何とも最高のスクラムとなって。ハンブル・パイは大きく前進したのだと。
そう思わずにはおれないほど。実に何とも見事なバランスの上にある傑作なのです。
このアルバムを携えてツアーに出て。あの『Performance Rockin' The Fillmore』に結実と。
フランプトンはその段階で方向性の違いにやはり違和感を覚えて脱退と言うのが定説で。
それは、まぁそうでもあるのでしょうが。どこかでやり切った感じもあったのではと。
そう。このスクラムにおける己の役割は全うしたとの思いもあったかなと思います。

出身も。
国籍とやらも。
それぞれ。
バラバラ。
そんなもの。

背景も。
志向も。
それぞれ。
バラバラ。
そんなところ。

多才であること。
それを。
標榜していれば。
当然のこと。
その上で。

基と。
なるもの。
思うもの。
そいつは。
共有して。

同じ。
目的に向かって。
それぞれの。
特性を生かしながら。
一致団結。

それぞれで。
バラバラで。
でも集えば。
それなりに熱い。
スクラムをと。

多様な。
顔ぶれが。
並んで。
それぞれに。
虎視眈々。

多彩な。
面子が。
揃って。
それぞれに。
垂涎三尺。

それでいい。
それがいい。
そうでなければ。
楽しくない。
面白くない。

されど。
集ったからには。
底にあるもの。
基となるもの。
そいつは共有して。

同じ。
目標に向かって。
目的に向かって。
ひと時でも。
一致団結。

それなりに。
固く。
熱い。
スクラムで。
突破を試みる。

多様で。
多彩な。
そいつが生かされて。
そいつが全うされれば。
そう簡単には止められない。



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2018/10/10 Wed *のどかに / Ronnie Lane & The Band Slim Chance

20181010anymoreforanymore


のどかに。
行こうよ。
それも。
また。
いいかもよ。

どうしても。
色々と。
自然と。
早足に。
なってしまうけど。

前を向いて。
一目散。
そいつも。
悪くはないし。
必要な時もあるけれど。

そんなに。
焦って。
何処へ行くの。
そう訊かれたら。
案外に答えられなくて。

あれ。
何で。
こんなに。
駆け出そうとばかりに。
なっていたのかと。

少し。
落ち着いて。
一息ついて。
のどかに。
そいつを取り戻してみよう。

『Anymore For Anymore』'74年リリース。
電撃的にフェイセスを脱退したロニー・レーン。
自らのバンドスリム・チャンスを率いての1stアルバム。
フェイセスがロッド・スチュワートのバック・バンド扱いされるのが嫌だったとか。
酒と女と旅から旅へのロックンロール・ライフに疲れ切ったとか。
フェイセス脱退の理由は色々と言われていますが。まぁ、要はのんびり生きたくなったと。
尤も。世界で一番酒量の多いロックンロール・バンド、フェイセスの中でも。
一番の、飛びっきりの大酒飲みは当のロニー、その人であったのですけどね。
兎にも角にも。農場に引っ込んで。ライフ・スタイルも一変させてと。
そんなロニーの思いが伝わってくる。実にほのぼのとしてしまう穏やかで長閑なアルバム。
この一面はフェイセス時代から垣間見せていたのですが。それを全面に打ち出したと。
一言で言ってしまえば。米国南部への憧憬を臆面もなく顕わにした英国人の音楽かな。
そのあまりの素直さ、純朴さに。思わず微笑が毀れてしまうのですよね。
アコギとリズム隊をベースに。ピアノだったり、バンジョーだったり、サックスが加わって。
土と干し草と、そして陽光の匂いがするかのサウンドが生み出されていて。
そして、ロニーの歌声が。それを胸いっぱいに吸い込んで満喫しているかの様でもあって。
そののんびり、ゆったりと。そして楽しくて堪らないといった歌声が沁みるのですね。
そして楽曲の良さも特筆もので。フェイセスのナンバーの再演、「Tell Everyone」とか。
タイトル・ナンバーの「Anymore for Anymore」とか。どれも素晴らしいのですが。
白眉は「The Poacher」で。ロニー自身も、自らの最高傑作と語っていたとか。
そこに聴かれるポップなセンス。そこにはモッズの顔役であったロニーの小粋なセンス。
そいつが存分に発揮されていて。それが穏やかで長閑でも。決して野暮ったくならない。
このアルバムを輝かせている核にもなっているかなと。何とも惹かれてしまうのです・・・

のどかに。
生きようよ。
それも。
また。
悪くないかもよ。

どうしても。
総てに。
自然と。
必死に。
なってしまうけど。

脇目も振らずに。
一直線。
そいつも。
いいだろうし。
必要な事ではあるけれど。

そんなに。
力んで。
どう生きたいのか。
そう訊かれたら。
案外に答えられなくて。

あれ。
何で。
こんなに。
あれもこれもとばかりに。
やっていたのかと。

少し。
肩の力を抜いて。
一息入れて。
のどかに。
そいつを手にしてみよう。

幹線道路だけが。
道でもない。
偶には。
脇道へと。
迂回してみよう。

真ん中だけに。
執着せずに。
偶には。
端っこを。
走ってみよう。

全速力だけが。
能でもない。
偶には。
速度を。
落としてみよう。

足早に。
前を向いて。
一目散。
それでは。
見えないものもある。

必死に。
脇目も振らずに。
一直線。
それでは。
わからないものもある。

自然だと。
思っていたものが。
その実は自然ではなく。
必要も、必死も。
その実は必ずしもではなく。

まぁ。
取り敢えず。
答えが見つかるまでは。
のどかに。
そいつでやってみよう・・・



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2018/10/09 Tue *過ぎゆくままに / Van Morrison

20181009inarticulatespeechofthehear


時の。
流れるままに。
過ぎゆくままに。
そのままに。
見送れればと。

森羅万象。
所詮は。
そのなすがまま。
棹をさすことなど。
思わぬようにと。

神秘とか。
スピリチュアルとか。
そんなものに。
傾倒はしないけれど。
耳は傾けようと。

音にならない音に。
声にならない声に。
ふと。
気づける程の。
余地は残しておきたいなと。

否が応でも。
巻き込まれる。
それが避けられないのであれば。
尚のこと。
忘れてはならないのだと。

過ぎゆくままに。
そのままに。
感じられるのなら。
そいつに。
応じてみようかと。

『Inarticulate Speech Of The Heart』'83年リリース。
ヴァン・モリソンの14枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム。
『Into The Music』で伸び伸びとした歌声を聴かせ。何かが吹っ切れたのか。
そこからヴァンは暫く凄く内省的な、精神世界に近づこうとするかのアルバムを連発。
終には。このアルバムの頃には宗教への傾倒の余りに引退をするとの噂も流れました。
結局のところは、それはレコード会社発信によるデマだと後に判明するのですが。
その余波もあって。このアルバムも含めて当時のヴァンは。聴かれもしないうちから。
どうにも難解そうだとの理由で敬遠されていたりします。罪作りなデマだったなと。
さて。そんなある意味でエキセントリックに騒いでいる世間をよそに我が道をゆくヴァン。
4曲ものインストを含む全11曲で構成されたこのアルバム。何とも穏やかな表情。
まるで鎮静とも表現できる様な、落ち着いた雰囲気を漂わせていて。
アイリッシュの香りが濃厚なサウンドの中で、まるで揺蕩っているかの様でもあります。
当時の邦題『時の流れの中に』などと言うのは実のところ的を射ていたかもです。
そのサウンド、そしてヴァンの歌声に身も心も委ねて。同じ様に揺蕩ってしまうのもいいと。
そう。あまり好きな表現ではありませんが。針を落とすと癒されるアルバムなのです。
決して声高にならず、力業に頼ることもなく。しかしどうしようもなくソウルフル。
そんなヴァンの歌声には。例えば国境とか人種とかを軽々と乗り越えてしまう情熱があり。
それが優しく、温かく、そして力強く聴く者の胸に届き、響いてくるのです。
確かに。孤独で、内省に過ぎるのかも知れませんが。そんなもの、そんな時間も必要だと。
群れず、恃まず、焦らず、力まず。ただあるがままに。喧噪を見送り、やり過ごす様な。
そんな、時の過ぎゆくままに、時の過ぎゆくままを。受け容れる、楽しむことの大切さが感じられるのです。

時の。
流れるままに。
過ぎゆくままに。
そのままに。
やり過ごせればと。

有象無象。
所詮は。
そのなすがまま。
角を立てることなど。
考えぬようにと。

宗教とか。
精神世界とか。
そんなものに。
執着はしないけれど。
胸は開いておこうと。

形にならない思いを。
像にならない祈りを。
ふと。
感じられる程の。
余裕は持っておきたいなと。

否応なしに。
引き込まれる。
それが避けられないのであれば。
尚のこと。
失ってはならないのだと。

過ぎゆくままに。
そのままに。
触れられるのなら。
そいつと。
響いてみようかと。

時の。
流れる中に。
過ぎゆく中に。
あるもの。
そのものの。

その音を。
逃さぬ様に。
その声を。
見失わない様に。
慌てずに。

時の。
流れの中の。
過ぎゆく中の。
あるもの。
そのものの。

その思いを。
忘れぬ様に。
その祈りを。
絶やさぬ様に。
焦らずに。

神秘とか。
スピリチュアルとか。
そんなものに。
依存はしないけど。
森羅万象は感じよう。

宗教とか。
精神世界とか。
そんなものに。
飼い馴らされはしないけど。
有象無象と響き合おう。

時の。
心の。
思いの。
そのままの。
過ぎゆくままに。



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2018/10/08 Mon *天国なのだと、地獄なのだと / Champion Jack Dupree

20181008backhomeinneworleans


そこが。
天国だと。
そこしかないと。
天国なのだと。
分かっていても。

天国の。
だからこその。
自由を。
存分に。
謳歌して。

夢の様な。
そんな時間を。
そんな日々を。
そして。
そんな年月を。

過ごしている。
そんな時にも。
片隅に。
どこか。
刺さっているものがあって。

ふとした時。
そいつが。
疼きだして。
そいつを。
無視できなくなって。

そんな時。
人は。
魔が差したかの様に。
地獄を。
思ってしまうのだろうか。

そこが。
地獄だと。
そうでしかないと。
地獄なのだと。
知っていても。

地獄の。
だからこその。
不自由を。
存分に。
熟知して。

悪夢の様な。
そんな時間を。
そんな日々を。
そして。
そんな年月を。

過ごしてきた。
そんな時であっても。
片隅に。
どこか。
灯っていたものがあって。

ふとした時。
そいつを。
思い出して。
そいつに。
微笑みが零れてしまって。

そんな時。
人は。
魅入られたかの様に。
地獄を。
目指してしまうのだろうか。

『Back Home In New Orleans』'90年リリース。
ニュー・オーリンズ出身のブルース・ピアニスト、チャンピオン・ジャック・デュプリー。
幼い頃に、あのKKK団による放火で両親を失い、幼くして孤児となってしまい。
浮浪時の為の施設で育ち。そこでピアノに出会い、才能に恵まれていたのか。
十代の頃にはクレォール地区の路上や、安酒場、売春宿等で演奏して生計を立てていたと。
その後、更なる活動の場を求めてシカゴへ出るも。思ったほどのチャンスにも恵まれず。
やがて密造集の販売に手を染めて。更にはデトロイト、インディアナへと流れて。
一時期はプロ・ボクサーに本格的に転向。ローカルなチャンピオンにまで上り詰めるも。
音楽への夢を捨てきれず。様々な職業を転々としながらもピアノを弾き続けることに。
海軍のコックとして働いていた時には日本軍の捕虜になり二年間を過ごしたとも。
戦後、'50年代になると。漸くチャンスにも恵まれ。録音の機会も多くヒットも飛ばして。
単純に、その演奏の質だけで言えば。'50年代中頃~後半が全盛期かなと思われます。
そして。渡欧の機会を得たデュプリー。大西洋を渡るたびに欧州に惹かれていきます。
何故か。欧州は米国と比較して人種差別が無いこと。そのことに深く感銘を受けて。
やがて移住を決意して。白人女性との結婚を機にデンマーク(ドイツ?)に永住しています。
それから数十年。米国には戻らず。欧州を中心に活動を続けることになります。
デュプリーが欧州に見たもの、感じたもの。それは自由だったのか。そこは天国だったのか。
さて。この数十年ぶりに米国、それも故郷であるニュー・オーリンズに戻り、録音したと。
その心境に。どの様な変化があったのかは計りかねますが。その心の片隅には。
常に、故郷への思いがあったのかな。例えそこでの体験は幸福では無かったとしてもね。
正直。その指のさばきにはかっての凄味や色気、弾けるものは失われていますが。
何かを愛しむ様な、穏やかなピアノの音と歌声が深く静かに胸に残るアルバムと言えます。
個の翌年にはニュー・オーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティヴァルに出演。
そしてその翌年に欧州で亡くなっています。最期にどんな思いがその胸を過ったのか・・・

天国なのだと。
思える。
そんな日々。
そんな土地。
受け容れられて、認められて。

得られなかった。
自由も。
誇りも。
手に出来た。
それは十分に幸せで。でも。

どこか。
かりそめで。
いつまでも。
どこまでも。
根無し草にも思われて。

地獄なのだと。
思えた。
そんな日々。
そんな土地。
受け容れられず、はじかれた。

遠いままだった。
自由も。
誇りも。
手は届かなかった。
それはあまりにも不幸で。でも。

どこか。
懐かしくもあり。
いつか。
いつかは。
根を生やせそうにも思われて。

自由。
尊厳。
それを疑わせるほど。
それでも惑わせるほど。
天国なのだと。地獄なのだと。

恩讐を。
越えさせてしまう。
忘れさせてしまう。
そんな思いが。
目覚めてしまう時が来るのだろうか・・・



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2018/10/07 Sun *何と呼ばれ様とも / Hound Dog Taylor & The House Rockers

20181007bewareofthedog


この様を。
何と呼ばれ様とも。
構いはしない。
この様こそが。
己の姿。それだけだ。

追うものが。
追いたいものが。
あるならば。
とことん。
どこまでもと。

その。
執拗な様を。
例えば。
イヌの様だと。
言わば、言え。

どんな様を。
どんな姿を。
晒そうとも。
それでも。
追いたいものがあるのだと。

その思いだけで。
走り続けて。
駆けずり回って。
いつか。
喰らいついてみせると。

だから。
この様を。
何と呼ばれ様とも。
構いはしない。
止まれはしない。

『Beware Of The Dog』'76年リリース。
ハウンド・ドッグ・テイラーの3枚目にして初のライヴ・アルバム。
録音自体は'74年に行われていたものの。リリースに向けた準備が進む中。
主役のテイラーが病で逝去してしまい。追悼アルバムとなってしまったのでした。
その活動歴は長いものの。長年チャンスに恵まれなかったテイラー。
ブルース・イグアロが発見し、務めていたデルマークに推すも録音を断られて。
自腹を切ってテイラーのアルバムをリリースする為だけにアリゲーターを立ち上げて。
漸く陽が当たったかと思われた矢先。このアルバムを待たずして逝ってしまったと。
何とも。不遇、不運な話なのですが。テイラーのブルースにはそんな影は微塵もなく。
何とも。問答無用の迫力で、唸りを上げて迫ってくる。その様が堪りません。
恐らくは。シカゴのゲットーの奥深く、クラブで毎晩繰り広げられていたであろう。
そのままの真っ黒なブルースが、縦横無尽に奏でられて、のたうち回って、突き進むと。
そのノリは、緊張感を伴いつつも。妖しく、エロティックで開放的でもあって。
何と言うか、エグ味の強い陽性な生命力。そのエネルギーの塊の渦巻く様に圧倒されるかな。
影響を受けたと思われるエルモア・ジェイムズのカヴァー2曲を含めて炸裂するスライド。
実際のライヴでは。更にエルモアのカヴァーが多かったとの話もあって。
それこそ、これでもかとばかりに。弾き捲っていたのだろうなと。想像するだけで震えが・・・
そう。どうにも。この猟犬のブルースからは逃れる術などありはしないのだと。
もう、この猥雑なブルースに骨までしゃぶられてしまうしかないと覚悟を決めるのです。
どこまでも。只管に。追い、求め、唸りを上げる猟犬、テイラーのブルースなのです。
ところで。ジャケットにも写っている様に6本指で有名だったテイラーですが。
その6本目の指はギターを弾くにあたっては何ら貢献していないそうで。
その辺を誤解、曲解した話も目にしますが。そんなブルース伝説を生んでしまう程、その存在は強烈だったと。

この様を。
何と呼ばれ様とも。
気にも留めない。
この様こそが。
己の志。それだけだ。

求めるものが。
求めたいものが。
ある限りは。
とことん。
いつまでもと。

その。
貪欲な様を。
まるで。
イヌの様だと。
言わば、言え。

どんな様が。
どんな志が。
顕わになろうとも。
それでも。
求めたいものがあるのだと。

その思いだけで。
突き進んで。
這い蹲ってでも。
いつか。
喰らいついてみせると。

だから。
この様を。
何と呼ばれ様とも。
気にも留めない。
止まることなどありはしない。

得たいもの。
そいつの。
匂いは。
それだけは。
逃がさない。

獲たいもの。
そいつの。
足跡。
そいつだけは。
見失わない。

どこまでも。
いつまでも。
追うものが。
追いたいものが。
ある限り。

どこまでも。
いつまでも。
求めるものが。
求めたいものが。
ある限り。

その。
執拗な様を。
何と呼ばれ様とも。
いつか。
喰らいつけるその日まで。

その。
貪欲な様を。
何と呼ばれ様とも。
いつか。
喰らいつけるその時まで。

そう。
何が何でも。
喉笛に喰らいつき。
我がものにするその瞬間まで。
何と呼ばれ様とも・・・



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2018/10/03 Wed *愛をください / Albert King

20181003lovejoy


愛をください。
なんだ。
かんだで。
結局は。
総ては愛でしょうと。

ならば。
今日も。
今夜も。
溢れんばかりの。
愛をください。

過剰で。
過激で。
思わず引いてしまう程の。
でも惹かれて止まない。
そんな愛をください。

上がるとか。
下がるとか。
色々あるけど。
そんな総ても。
最後はそこなのだと。

迷うとか。
悩むとか。
色々ありもするけど。
そんな何もかも。
最後はそれでしかないのだと。

泣いて。
笑って。
悦びが溢れる。
そんな。
愛をください。

『Lovejoy』'71年リリース。
その豪快な持ち味が時に大雑把だとも揶揄されたらしいアルバート・キング。
その持ち味、その魅力が最大限に引き出され、発揮されたのがスタックス時代で。
ブッカー・T&MGズらと息が合い、手が合った。それこそ大らかなアルバートならではで。
その総てを飲み込み、総てを受け容れる。その大きさ、懐の深さが生かされたかと。
このアルバム、録音はカリフォルニアとマッスルショールズで行われていて。
その双方を統括しているのがプロデューサーのドン・ニックスとなっています。
ドンは元々がマーキーズのメンバーで、スワンプ・ロックのシンガーとしても活躍して。
数多くの名曲の作者としても、そして数々の名盤のプロデューサーとしても知られていて。
このアルバムでも。アルバート、そしてバックの面々の実力を遺憾なく引き出しています。
カリフォルニアの録音にはジェシ・エド・ディヴィス、ドナルド・ダック・ダン等が参加。
マッスルショールズの録音にはデヴィッド・フッド、ロジヤー・ホーキンス等が参加。
どちらも好演していて。アルバートも何とも心地よさそうに弾き、歌っています。
アルバムとしてのスムーズな統一感は、流石はドンだなと言うところですが。
敢えて言えば。カリフォルニアはよりスワンプで。マッスルショールズはよりソウルフルで。
それが違和感なく聴き通せる辺り。無造作な様でいて。曲順などは相当、練られているなと。
A面頭の「Honky Tonk Woman」その換骨奪胎振りも見事なスワンプ化と。
B面ラストの「Like A Road Leading Home」の歌い上げるアルバートのソウル・マン振り。
そのどちらもが。あまりに見事で。そこが一部のブルース原理主義者には好かれないのかな。
そのどちらも堂々と大胆に取り込んでみせる、その懐の深さと溢れんばかりの愛。
親分肌だったと言われるアルバート。その巨躯に相応しい大きな愛に満ちたアルバムです。

愛をください。
どうにも。
こうにも。
とどのつまりは。
総ては愛でしょうと。

ならば。
今日も。
今夜も。
零れんばかりの。
愛をください。

濃厚で。
泥沼で。
思わず腰が引けてしまう程の。
でも笑いが止まらなくなる。
そんな愛をください。

浮き上がるとか。
沈み込むとか。
色々あるけど。
そんな何もかも。
最後はそこなのだと。

へこむとか。
草臥れるとか。
色々ありもするけど。
そんな総ても。
最後はそれでしかないのだと。

泣いても。
笑っても。
悦びが湧き上がる。
そんな。
愛をください。

あれも。
これも。
例えば。
逃げ出したくなる様な。
そんなものも。

あんな事も。
こんな事も。
例えば。
顔を背けたくなる様な。
そんな事も。

それで。
上がるとか。下がるとか。
迷うとか。悩むとか。
それも。
総ては愛に繋がるのだと。

それで。
浮き上がるとか。沈み込むとか。
へこむとか。草臥れるとか。
それも。
最後は愛に辿り着くのだと。

だから。
今日も。
今夜も。
溢れんばかりの。零れんばかりの。
愛をください。

過剰で。過激で。
濃厚で。泥沼で。
でも喜びが。
溢れる。湧き上がる。
愛をください。

そうさ。
そうなのだ。
結局は、総ては、最後は。
それしかないのだから。
愛をください・・・



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2018/10/02 Tue *見送るのは / Little Walter

20181002hatetoyouseego


さよならと。
別れを告げたら。
さっさと。
背を向けて。
その場を立ち去りたい。

別に。
見送られたい。
そんな気持ちが。
あるわけじゃない。
ただ。

誰かの。
背を見送る。
そいつが。
苦手なのだ。
そう言うことなのだ。

さっきまで。
共にあった。
その背が。
段々と小さくなり。
やがて見えなくなる。

そして。
そのまま。
もう二度と、と。
そんな思いを。
もう二度と味わいたくなくて。

見送るのは。
苦手なのだ。
嫌いなのだ。
我が儘と言われようと。
見送りたくないのだ。

『Hate To See You Go』'69年リリース。
リトル・ウォルターのチェスにおける2枚目のアルバム。
'50年代~'60年にかけての録音から15曲が収められています。
欧州、そして米国でのブルース・リヴァイヴァル・ブームに乗った。
そんなチェスのお家芸とも言える一連の便乗商法関連の一枚でもありますが。
ウォルターは前年、’68年に亡くなっているので追悼の意味もあったかなと。
さて。ストーンズは『Blue & Lonesome』で4曲もウォルターをカヴァーしていますが。
その中の「Blue And Lonesome」と「Hate To See You Go」が収録されていて。
更に言えばキースの十八番「Key To The Highway」もこのアルバムにと。
ブルースを、その魅力を再び世に知らしめたストーンズと、オリジネイターのウォルター。
その関係、その繋がり。そんなものをしみじみと感じさせられるアルバムにもなりました。
あの『The Best Of Little Walter』と比較すると’50年代中頃以降の録音が多くて。
よりR&Bに接近してダンサンブルになったウォルターのブルースが楽しめます。
例えば。「Hate To See You Go」の基本的にワン・コードで、ひとつのリフで突き進む。
この感覚は、明らかにマディ・ウォーターズと比較しても新しく斬新であって。
そこにウォルターの若さ、そして並外れたセンスの良さが感じられます。カッコイイの一言。
これが録音されたのが'55年だそうなので。その先進性は目を見張るもので。
そうだなぁ、チャック・ベリーやボ・ディドリーと並ぶロックンロールのオリジネイター。
ウォルターにはそんな側面もあって。実のところ本人も意識するところはあったかなと。
それだけに。その破滅的な性格故と言われる、失速、そして早すぎる死が惜しまれますが。
このジャケットにも写る、この早乙女主水之介も真っ青な額の三日月傷ですからねぇ。
お前が行くのは、見たくねぇと女を脅す歌のその迫力・・・にも真実味が増しそうで。尤も。それは淋しさの裏返し。
喧嘩の傷が元で逝ってしまうなんて。何とも遣り切れなくもあるかかなと。それがウォルターかもですが。

さよならと。
手を振ったら。
とっとと。
背を向けて。
その場を離れてしまいたい。

別に。
見送ってほしい。
そんな気持ちなど。
あるわけじゃない。
ただ。

誰でも。
背を見送る。
そいつが。
苦手なのだ。
どうにもならないのだ。

さっきまで。
傍らにあった。
その背が。
段々と遠ざかり。
やがて見えなくなる。

そして。
そのまま。
もう再びは、と。
そんな思いを。
再びは味わいたくなくて。

見送るのは。
苦手なのだ。
嫌いなのだ。
身勝手だと言われようと。
見送りたくないのだ。

別れを。
惜しむ。
その気持ちが。
無いのかと言われれば。
あるのだ。

少しでも。
長くと。
その気持ちが。
無いのかと言われれば。
あるのだ。

それも。
恐らくは。
人一倍。
淋しくて。
堪らない程には。

それでも。
その背を。
いつまでも。
見ていると。
どうしても。

ある日。
突然。
その背を。
見送れなくなる。
その時を思ってしまうのだ。

そんな思いは。
あの思いは。
もう二度と。
再びは。
味わいたくはない。

だから。
御免。
冷たく思われようと。どうでも。
駄目なのだ。
見送るのは。それだけは・・・



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2018/10/01 Mon *時と場所を / Otis Rush

20181001rightplacewrongtimejp


時と場所を。
そいつを。
そいつさえ。
誤らなければ。
随分と違っていたのだろうなと。

そう思う。
そんなことが。
稀にある。
否、度々ある。
そんなところ。

ここに。
この場所に。
いること。
そいつは。
間違いでは無いと。

ここで。
この場所で。
こうしていること。
そいつも。
理には適っていると。

それどころか。
適材適所。
望まれて。選ばれて。
そいつを。
楽しんでさえいるかもしれない。

だが。
何故、それが。
いまなのだと。
何故、あの時ではなかったのかと。
そんな思いがふと過る。

『Right Place, Wrong Time』'76年リリース。
‘71年に録音されながらキャピトル・レコードがお蔵入りにしてしまった音源。
そいつをオーティス・ラッシュ、本人が買い取り漸く陽の目を見たアルバム。
当時、日本ではP-VINEが発売権を獲得して。この独自ジャケットでリリースされたと。
前年である'75年に初来日公演が実現していて。相乗効果でかなり話題になったのだとか。
ラッシュと言う人は。本当に不思議なくらいに録音の機会や契約に恵まれなかった人で。
コブラであれ程の鮮烈なデビューをしながら。その後チェス、デュークと塩漬けにされて。
特にアルバム単位の録音は、その最初が'69年になってからだったりもして。
その時にニック・グレイヴナイツと言う、素晴らしい理解者と知り合い手応えを得て。
再び、そのニックをプロデュースに迎えての意気込みに溢れた録音がこのアルバムでした。
勿論、コブラのラッシュは必殺ですし。チェスやデュークにも素晴らしい録音はありますが。
後年にアルバムとして纏められたコブラも含めて総てシングルを前提としての録音で。
最初からアルバムとして、ラッシュのブルースを聴かせようとしたのはこれが二枚目。
そして。恐らくは。ラッシュのアルバムとしての録音で言えばこれが最高傑作かなと。
ニックとの息も合って。ラッシュが実に伸びやかに弾き、そして歌っていると。
元来が、内に秘めた情念を一気に爆発させるかの如きブルース。それがラッシュで。
その最たるものがコブラ時代なのですが。あまりにも内に秘めたものが重すぎたりもして。
(まぁ、自分などは。その重さも含めてコブラのラッシュが大好きなのですが・・・)
その点、このアルバムに於けるある意味で吹っ切れたかの伸びやかさは新鮮でもあると。
ラッシュとしては異色なブルック・ベントンのカヴァー、「Rainy Night In Georgia」なども。
その気持ちよさそうな表情が浮かぶかの様でもあり。好調振りが窺えるのです。
それだけに。何故。これだけのアルバムがお蔵入りになったのかと。実に悔やまれます。
繊細で、そして恐らくは人の良さ、欲の無さが裏目出ることも多かったらしいラッシュ。
この録音後は長く低迷状態に陥ってしまって。ことスタジオ・アルバムに限って言えば。
次にまともなアルバムがリリースされたのは'90年代半ばに入ってからだったと言う・・・
時と場所を。神様が誤らなければ。時と場所をラッシュ本人が選べたならばと思ってしまうのです。

時と場所を。
そいつを。
そいつさえ。
選べたならば。
随分と異なっていたのだろうなと。

そう感じる。
そんな瞬間が。
稀に訪れる。
否、度々襲われる。
そんなところ。

ここに。
この場所に。
辿り着いたこと。
そいつは。
悪くはなかったと。

ここで。
この場所で。
こうしていられること。
そいつも。
幸せなことではあると。

それどころか。
水を得た魚。
求められて。嵌って。
そいつを。
面白がってさえいるかもしれない。

だが。
何故、それが。
いまになってなのだと。
何故、あの時ではなかったのかと。
そんな思いがふと滾る。

あの時だろうが。
いまだろうが。
結果的に。
良かったと思えるなら。
それでいいのかもしれない。

あの時だろうが。
いまだろうが。
結果など。
同じ様なものだった。
そうなのかもしれない。

でも。
例えそうだとしても。
どうしても。
拭えない思いが残る。
そいつに囚われる。

あの時。
ここに。
この場所に。
辿り着けたのなら。
いられたのなら。

そうしたら。
あるいは。
あの場所が。
この場所になっていた。
そんなこともあったかもと。

あの時。
この思いに。
気がつけていたのなら。
この場所は。
必要なかったのかもしれない。

時と場所を。
そいつを。
そいつさえ。
誤らなければ。選べたのならば。
そいつが小骨の様に引っ掛かる・・・



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2018/09/30 Sun *夏が終わる / 真島昌利

20180930natsunonukegara


夏が終わる。
夏が往く。
やっと解放されるのかと。
暑さが骨身に染みた。
体は言うけれど。

未だに。
尻尾がとれない。
蒼いままの。
心はどこかで。
名残を惜しんでいる。

夏は。
はしゃがせる。
昂らせる。
その暑さと。
その空の青さと。

そいつは。
そんな夏の匂いは。
いつまでも。
幾つになっても。
心を弾ませる。

だから。
体がついていけない。
そんな季節を迎えても。
夏が去るのは。
未だに寂しいのだ。

きっと。
この切なさを。
重ねる度に。
何かを失いながら。
ここまで生き延びてきたのだろう。

『夏のぬけがら』'89年リリース。
真島昌利、マーシーの初めてのソロ・アルバム。
この2枚組アナログ盤がリリースされたのは2017年だったかな。
一応、リマスターされているみたいですが。それ程の音質の違いは・・・
まぁ、その辺りは環境や、好みにもよりますからね。ヴォーカルが前に出ているかな。
さて。結論から言うと。自分がマーシーを好きなのは、信頼しているのは。
ブルー・ハーツよりも、ハイロウズよりも、クロマニヨンズよりも、何よりも。
このアルバム、そこに描かれている世界があるからなのです。断言できるな。
ブルー・ハーツは衝撃的で。特にマーシーの詞にはやられたなと思ったのですが。
何処かで一歩退いてもいて。一緒にライヴを観に行ったある娘の一言が象徴していて。
高校生でこれを聴いていたら、後戻りできないくらいにハマっていたよねと。
そう。既に社会に出ていた自分達にとっては何処か過ぎてきた世界で。故に眩しいのかと。
そんな時に。このアルバムがリリースされて。聴いた瞬間から、もう言葉を失って。
こうきたかと。これをやるかと。やられたなと。悔しいけど、敵わないなと。
マーシーとは、ほぼ同年代、同学年みたいなものなので。そうなのだよなと。
だからこそ、感じられる、受け止められる、共にあれる世界があるのだなと。
特に、ここに描かれている、恐らくはマーシーの十代が反映されているであろう、その世界。
その匂いとか、その空気とか、その情景とか。こいつは、こいつばかりは同年代ならではの。
その特権だなと。あの夏の終わりに、見上げた青い空、白い雲、そして夕焼け。
そんなものが、見事に歌われている、描かれている。それが胸に刺さり、震わせるのです。
一瞬にして。あの日、あの時、あの町に帰れてしまうのです。勿論、実際には違うものの。
同じ、似通った空の下で、空気の中で、匂いを感じて駆け抜けてきたのだなと。
あまりにもノスタルジックに過ぎるとの批評もあった様ですが。それがそうしたと。ロックンロールなんて。
所詮はノスタルジックで、切ないものだと。それを真正面から描いてみせたマーシー、大好きなんだよなぁ・・・

夏が終わる。
夏が逝く。
やっと解放の時が来たのだと。
暑さに消耗させられた。
体は言うけれど。

未だに。
夏休みが恋しい。
ガキのままの。
心はどこかで。
別れを惜しんでいる。

夏は。
駆け出させる。
騒がせる。
その暑さと。
その雲の白さと。

そいつは。
そんな夏の残り香は。
いつも。いまも。
幾つになろうが。
心を跳ねさせる。

だから。
体がもちはしない。
そんな年齢になっても。
夏が去るのは。
未だに哀しいのだ。

きっと。
この哀しさを。
重ねる度に。
何かを喪いながら。
いままで生き延びてきたのだろう。

夏が終わり。
夏が去り。
新たな季節が。
新たな息吹が。
やって来る。

その巡り。
その繰り返し。
そいつが繋ぐもの。
そいつが紡いできたもの。
それもまた、大切なのだと。

それは。
そのことは。
体にも、心にも。
染みる程に。
感じている、知っている。

それでも。
それだから尚。
夏は。
その匂いは。
特別なのだ。

空の青さ。
雲の白さ。
熱気、喧騒。
そして。
一瞬の静寂。

その中に。
終わらない何かを。
終わらせたくない何かを。
永遠を見てしまった。
それは幻に過ぎないとしても。

夏が往く。
夏が逝く。
秋が訪れ。
秋が深まる。
夏が終わる。

惜しまずにはいられないのだ…



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2018/09/29 Sat *土曜の夜の / 泉谷しげる

20180929eigtiesballad


土曜日だから。
土曜の夜だから。
月末だから。
嵐の前だから。
なんだかんだと。

理由を。
探そうと思えば。
幾らでも。
探せるだろうなと。
そいつもあるだろうと。

でも。
この胸に。
燻っている。
この。
苛立ちの。

理由は。
おそらくは。
そんな単純な。
ものなどでは。
ありはしないと。

否。
逆にあまりにも。
単純で。
その理由を。
認めたくはないのか。

いずれにせよ。
土曜の夜の。
焦燥。
そいつに。
感情が波立っている。

『'80のバラッド』'78年リリース。
泉谷しげる、ワーナー・パイオニア移籍第一弾となったアルバム。
数多い(20枚以上はあるのかな)泉谷のオリジナル・アルバムの中でも。
一、二を争う傑作と思われるアルバム。ここらが最初の頂点だったかなと。
「翼なき野郎ども」「デトロイト・ポーカー」「裸の街」「エイジ」と言った。
後々までライヴでも取り上げられる代表的なナンバーも数多く含まれていて。
収められているナンバーの水準、その出来が高いのが先ず素晴らしいかなと。
それを意外にも。端正とも言える程に丁寧に歌い、聴かせる泉谷がここにはいます。
これはプロデューサーである加藤和彦の貢献も大きいかと思われます。
泉谷と、加藤和彦。何だか正反対な感じですが。結構馬は合ったのだとか。
余程の力量があって、信頼の置けるプロデューサーでないと。泉谷、言うこと聞かないし。
手綱を緩めすぎると、野放図にやり過ぎて。纏まりがなくなるので。流石は加藤和彦。
そして泉谷もその手腕を認めていたのだろうなと改めて思わされます。
さて。粗暴で、意固地で、手に負えない暴れ者で、トラブル・メーカーでと。
そんなイメージの強い泉谷ですが。それは実のところ、繊細で優しく、そして弱さの裏返し。
特に自らの弱さを自覚しているが故に。何ものかに巻かれてしまう、呑み込まれてしまう。
それを恐れるが故に、自らを鼓舞しなければいられない。それが泉谷の表現だと。
そして。それは実は多くの人間が抱いているもので。だからこそ、泉谷の歌うもの。
その焦燥であったり、虚無であったりが。聴く者の胸倉を掴んで離さないのだと。
そう感じるし、それこそが泉谷の魅力であり。このアルバムは見事に捉えているなと。
惜しむらくは。これだけのアルバムも商業的な成功は得られずに。その反動なのか。
俳優としての活動に力を入れて。それがまた評価されてしまったことで。どうにも。
その俳優、タレントとしてのイメージが。ロッカー泉谷の正統な評価を妨げている様で。
まぁ、自業自得な感もあるのですけど。このくそ爺の真価はこのアルバムにこそあると思うのですよねぇ・・・

土曜日だから。
土曜の夜だから。
秋が深まるから。
嵐がやって来るから。
なんだかんだと。

原因を。
求めようと思えば。
幾らでも。
求められるだろうなと。
そいつもあるだろうと。

でも。
この胸に。
刺さったままの。
この。
諦念の。

原因は。
おそらくは。
そんな簡単には。
見つかるものでは。
ありはしないと。

否。
逆にあまりにも。
明白で。
その存在を。
認めたくはないのか。

いずれにせよ。
土曜の夜の。
虚無。
そいつが。
感情を粟立てている。

焦燥。
そいつは。
今日に始まったことじゃない。
そいつは。
今夜に限ったことじゃない。

そうさ。
おそらくは。
もう、忘れた頃から。
この胸に。
燻ったまま。

虚無。
そいつも。
今日に始まったことじゃない。
そいつも。
今夜に限ったことじゃない。

そうさ。
恐らくは。
もう、遥か昔から。
この胸に。
刺さったまま。

だけど。
何なのだろう。
この苛立ちの高まりは。
この諦念の深まりは。
どうしたのだろう。

だけど。
何なのだろう。
この感情の波立ちは。
この感情の粟立ちは。
どうしたのだろう。

土曜の夜の。
焦燥。
土曜の夜の。
虚無。
そいつが俺を狂わせる・・・



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