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2018年12月

2018/12/29 Sat *誰もが夫々の / Willie Dixson

20181229iamtheblues


俺には。
俺の。
あの娘には。
あの娘の。
そう言うことだ。

あなたには。
あなたの。
誰かには。
誰かの。
そう言うことだ。

何が。
何で。
そうなるのか。
そいつは。
わからないが。

いつ。
どこで。
憑りつかれるのか。
そいつも。
わかりはしないが。

どうしても。
逃れられないもの。
堕ちてしまう時。
そんなもの、そんな時。
そいつはあるのだ。

誰もが。
夫々の。
ブルースとある。
そいつばかりは間違いない。
そう言うことだ。

『I Am The Blues』'70年リリース。
シカゴ・ブルースの大番頭、裏番長、ウィリー・ディクソン。
そう、シカゴ・ブルースの影の立役者、ウィリーの初めてのアルバム。
元々はビッグ・スリー・トリオ等で活躍していたウィリー。
チェスに入社した経緯も諸説あってハッキリとはしないのですが。
ベーシストとして、そしてソングライターとして早くから重宝されていたのかな。
そして、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルター等が。
ウィリーのナンバーを、ブルースを次々とヒットさせて。その重みも増してと。
「Back Door Man」「I Can't Quit You Baby」「Spoonful」ときて。
「I Ain't Superstitious」「You Shook Me」「(I'm Your) Hoochie Coochie Man」に。
「Little Red Rooster」とか。このアルバムでセルフ・カヴァーしているだけでも。
どれだけのブルース・クラシック。そしてロック・クラシックになったナンバー。
ウィリーがいなかったら。シカゴ・ブルースどころか。ロックもどうなっていたかと。
尤も。チェスではその貢献に見合った待遇を与えられていなかったと言う話もあって。
コブラに走って、オーティス・ラッシュを世に出したりもしていて。
更には、'60年代に入ってからは欧州のブルース・フェスティヴァルを仕切っていたとか。
まぁ、その精力的な活動が。特にロック界でその名を馳せる結果を呼んだのでしょうし。
それだけの才覚がウィリーにはあったと。とどのつまりはそう言うことかなと。
そんな自らの存在を殊更に誇示するでもなく。自らのブルースが広まった御礼に。
さらりと、自ら歌って。その普遍性を改めて聴かせてみせた。そんなアルバムなのかな。
その歌声は明るく、大きく。マディ、ウルフ、ウォルター程の毒や色気は無いかなと。
でも。そんなウィリーだからこそ。これだけの、数多のナンバー、ブルースを書けたと。
誰にも。夫々に。皆にあるブルース。それを普遍的にわかりやすく示し、表現する。
毒や色気、強烈な個性を持たなかった故の、一歩引いた冷静な視点を持てたのかなと。
それが、そのことがウィリーの、ウィリーにとってのブルースだったかもですが・・・

俺には。
俺の。
あの娘には。
あの娘の。
そう言うことだ。

あなたには。
あなたの。
誰かには。
誰かの。
そう言うことだ。

何が。
何で。
そうなるのか。
そいつは。
わからないが。

いつ。
どこで。
憑りつかれるのか。
そいつも。
わかりはしないが。

どうしても。
逃れられないもの。
堕ちてしまう時。
そんなもの、そんな時。
そいつはあるのだ。

誰もが。
夫々の。
ブルースとある。
そいつばかりは間違いない。
そう言うことだ。

俺が。
俺だけが。
あの娘が。
あの娘だけが。
選ばれたわけじゃない。

あなたが。
あなただけが。
誰かが。
誰かだけが。
特別なわけじゃやない。

何がで、あろうと。
何でで、あろうと。
そんなことは。
別に。
大したことではない。

いつで、でも。
どこで、でも。
そんなことも。
別に。
大したことでもない。

どうしても。
囚われてしまう。
魅入られてしまう。
そんなもの、そんな時。
それがあるだけだ。

誰もが。
夫々の。
ブルースに襲われる。
そいつばかりは避けられない。
それだけのことだ。

誰もが。
夫々の。
ブルースに憑りつかれ。
ブルースを生きている。
そう言うことだ。それでいい。


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2018/12/28 Fri *異端審問 / Muddy Waters

20181228electricmud


異端審問。
そんなものが。
普通に。
罷り通っている。
そんな世の中だ。

そんな馬鹿なと。
思うかもしれないが。
いまも。いつでも。
鵜の目鷹の目。
異なる者を炙り出し。

摘まみ上げ。
吊し上げ。
弾き出し。
石をもって。
追い立てる。

そんなことが。
あちらでも。
こちらでも。
巧妙に。
姿を変えて行われている。

だからこそ。
恐れずに。
望むものがあるのなら。
境界を越えて。
挑んでしまおう。

異端審問。
上等じゃないかと。
裁けるものなら裁いてみろと。
異端児であれと。
胸を張る。

『Electric Mud』'68年リリース。
マディ・ウォーターズの最大の問題作とされるアルバム。
頑固なブルース・ファンからは無視され続けているアルバムでもあります。
まぁ、完全にチェス主導のサイケデリック・ロック・ブームへの便乗企画ではあって。
バックも当時のマディ・バンドのメンバーではなくて。チェスが用意したメンバー。
何故かジャズとかフュージョン系の白人を中心とした顔触れが揃っていたりします。
そんなメンバーが奏で、弾き出す歪んだサイケデリック・サウンドをバックに。
マディはギターを弾かずに。歌に徹して。ドスの効いた歌声で押しまくっていると。
尤も。同様の企画で。不承不承の凄味を漂わせたハウリン・ウルフとは違っていて。
マディは、最初は兎も角。途中からかなり乗り気になっていたのではないかと。
そう思わせるのは。その歌声の所々に、隠し切れない楽しい感じ。それが滲んでいて。
そうか。若い衆、白人の間ではこう言うのが流行っているのかと。だったら乗っかって。
俺の歌声で、飛びっきりに飛ばせて、酔わせてやろうじゃやないかと思った・・・
それは分かりませんが。手応えを感じてはいたかなと。そして越えていってやろうと。
どんなもんだいと。これくらいどうってことはないと。軽いものだぜと。
その心意気が、サイケデリック・ブルースを産み落としたとも言えるのではないかなと。
この強引に、そして柔軟に越境してしまう感覚。それを実践してしまったマディ。
既に大御所の地位にあったマディが何もこんな言わば無謀な挑戦をしなくてもですが。
その勇気が、その実は。例えばスライ・ストーンとかファンカデリックとか。
そんな越境者達の心に火を点け、背中を押したのではないかとも思わされるのです。
まぁ、ブルースとしては異端である。それは確かですけどね。ファンクなら、ロックなら。
そう。異端なんて。所詮、その程度のものなのです。壁は、境界は越える為に存在するのですよね。

異端審問。
そんなものが。
平然と。
執り行われている。
そんな世の中だ。

そんなまさかと。
思うかもしれないが。
いまも。いつでも。
矯めつ眇めつ。
馴染まぬ者を燻り出し。

爪弾き。
寄って集って。
糾弾し。
鬼の首を取ったかに。
騒ぎ立てる。

そんなことが。
あそこでも。
ほら、ここでも。
陰湿に。
姿を隠して行われている。

だからこそ。
恐れずに。
求めるものがあるのなら。
境界を越えて。
やってしまおう。

異端審問。
なにするものと。
裁かれる故など何もないと。
異端児であると。
胸を張る。

こうでなきゃと。
そんなことは。
一体。
誰が決めたのだ。
誰に決められるのだ。

こうあるべきだと。
そんなものは。
一体。
誰が決めるのだ。
誰に許されるのだ。

前例。
通例。
そんなものが。
総てだと。
本当にそう思うのか。

常識。
規範。
そんなものが。
間違いないと。
本当にそう言えるのか。

壁も。
境界も。
誰かが、自分が。
勝手に決めたこと。
それだけのこと。

壁も。
境界も。
疑問を感じたのなら。
自分で。
越えていくだけのもの。

異端審問。
恐れずに。挑んで。
越えていくのだと。
異端児こそがと。
胸を張る。



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2018/12/26 Wed *夜ごとの枕、夜ごとの夢 / Robert Nighthawk

20181226bricksinmypillow


夜ごとの枕。
どうやら。
そいつが。
色々と。
問題であるらしい。

いったい。
何が。
入っているのか。
何を。
考えているのか。

なかなかに。
寝つけない。
そんな。
悶々とする様な。
夜には。

漸く。
眠りに落ちても。
どうにも。
浅いところを。
彷徨っている様で。

揺れ動き。
落ち着かない。
そして。
重苦しい。
そんな夢が訪れる。

目覚めても。
頭が重く、痛く。
いったい。
何がと。
枕を見つめてみる。

『Bricks In My Pillow』'78年リリース。
戦前から活躍していたスライド・ギターの名手、ロバート・ナイトホーク。
その'51年~'52年のユナイッテドへの録音から12曲を収録したアルバム。
ユナイテッドがナイトホークに興味を示したのはチェス(チェッカー)からの。
数枚のシングル盤をチャートに送り込んでいた。それで二匹目の泥鰌をと目論んで。
声を掛けて(引き抜いて)録音を行い、続けざまにシングル盤をリリースしたと。
ところが売り上げは芳しくなかった様で。挙句二回の録音のみで契約を解除して。
それで。ナイトホークはシカゴを離れて故郷のヘレナへと帰ってしまったと。
故にその全貌を纏めて聴ける様になるまでに四半世紀以上の時を要したと。
致し方ない部分もあるのでしょうが。どうにも口惜しい感は拭えません。
さてと。エレキ・ギターに、ウッド・ベース、ドラムスにピアノと。そう、その編成は。
典型的なシカゴ・バンド・ブルースなのですが。これ年代的に考えると実に興味深くて。
そう、マディ・ウォーターズのバンドがその姿を整えるその前なのですよね。
マディ、そしてエルモア・ジェイムスはナイトホークがエレキを弾いているのを目にして。
衝撃を受けて、エレキを手に取ったとも言われていますが。バンド・スタイルに関しても。
マディ達に影響を与えていた可能性は大いにあるのではないかと思えてきます。
さて。その咽び泣く様なスライドと、低く深く、重く沈み込む様な歌声。
咽かえる様なシカゴ・バンド・ブルース。その濃厚な様が何とも堪らなく絶品なのですが。
存外とアップ・テンポなナンバーも演っていて。これが、ロックンロールなのですね。
チャック・ベリーやボ・ディドリーの登場以前に、そんな音楽が生まれていたのだと。
何でもナイトホークはラジオで冠番組を持っていたとかで。影響を与えたのかなと。
まぁ、それでも本領は何と言っても。本当にブルーに沈み込むスロー・ブルースですけどね。
悪夢に魘されているかの様でもあり、艶夢に誘われているかの様でもあり。
ナイトホークの枕の中にあったのはレンガだったのか、それとも別の何かいいものだったのか・・・

夜ごとの枕。
どうやら。
そいつが。
何かと。
悩みどころであるらしい。

いったい。
何が。
見えてくるのか。
何を。
思っているのか。

すんなりと。
眠りに落ちた。
そんな。
嬉々としてしまう。
夜には。

さっさと。
眠りに落ちたまま。
どうにも。
深いところで
耽溺している様で。

落下したまま。
沈み込み。
そして。
淫らに美しい。
そんな夢に囚われる。

目覚めても。
瞼が重く、怠く。
いったい。
何故と。
枕を見つめてみる。

夜ごとの枕。
夜ごとの夢。
その落差。
その狭間。
何故、これ程までに。

ある夜は。
揺れ動き。
落ち着かず。
延々と。
訪れて。

ある夜は。
落下して。
沈み込み。
そのままに。
囚われて。

ある夜は。
悶々と。
浅瀬で。
彷徨い続けて。
逃れられず。

ある夜は。
嬉々として。
深水で。
耽溺したままに。
逃れようとも思わず。

夜ごとの枕。
夜ごとの夢。
その振幅。
その境界。
何故、これ程までに。

悪い夢は。
逃れられず、醒めず。
いい夢は。
逃げて、醒めて。
ままならず。

夜ごとの枕。
夜ごとの夢。
何が入っているのか。
何が詰まっているのか。
思うに任せたのならなば・・・



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2018/12/24 Mon *鳩が、鳶に、人を / Lefty Dizz

20181224somebodystolemychristmas


鳩が。
豆鉄砲を。
食らった様。
あぁ。
きっと、そんなもの。

そんな。
顔になっている。
そうなのかも。
知れないなと。
きっと、そうなのだ。

何で。
このタイミングで。
そうくるのか。
そうなるのか。
わからないが。

虚を突かれて。
唖然と。
そのままに。
判断もできぬままに。
この状態。

いや、まぁ。
そりゃ。
そういうことも。
あるのだろうけれど。
何で、今なのだろうと。

この。
豆鉄砲。
存外に。
威力がある様で。
やれやれと。

『Somebody Stole My Christmas』'79年リリース。
シカゴのローカル・ブルース・マン、レフティ・ディズ。
何とも強烈な個性の持ち主だったと思われるディズの初めての(?)アルバム。
アーカンソー生まれで。デトロイト、そしてシカゴへと流れ着き終の棲家としたと。
ギターのスタイルはアール・フッカーからの影響が大きいのかな。
そして芸名通りに左利きながら。右利き用のギターを逆さまに構えてそのまま弾いていた。
その辺りが一部ではジミヘンにも影響を与えたと伝えられている所以かもしれません。
ジュニア・ウェルズ、そしてハウンド・ドッグ・テイラーと活動を共にして。
シカゴで名を馳せて。'75年に自らのバンドを率いて活動する様になったのだとか。
そうは言っても。恐らくは、終生シカゴのローカル・スターであったと思われて。
それが故の、臭味を存分に発揮していたのが。ストーンズとマディ・ウォーターズの共演。
その模様が収録された『Checkerboard Lounge Live Chicago 1981』で。
特に、映像ではその、ブルース史上において特筆される芸能臭の濃さを存分に発揮していて。
瞬間風速的には、ストーンズもマディも食っていたと言う。地元に密着した生き様。
その臭味、その凄味。ブルースと言うのは本来こう言うものだったのかなと思わされたと。
そんなディズですが。このアルバムで聴けるのは、存外にストレートなシカゴ・ブルースで。
正直、ライヴでの強烈さからすると拍子抜けする程なのですが。何でもディズ。
大学で経済学の学位を取得しているらしく。実は生真面目な知性派でもあったのかと。
このアルバム、フランスのレーベルからのリリースで、録音もフランスで行われていて。
フランス人がブルースに求めるイメージ、それに誠実に応えたのかなと。
そう言いつつ、「Somebody Stole My Christmas」なんて剽げた感じのオリジナルを。
アルバムのタイトルにもしている。そこらの人を喰ったセンスはディズらしいかなと。
『Checkerboard Lounge Live Chicago 1981』のイメージで聴くと、少し物足りないものの。
このアルバムの真っ当さ。そこにディズのブルース・マンとしての芯、底力が表れてはいるの、かもです。

鳶に。
油揚げを。
攫われた様。
あぁ。
きっと、そんなところ。

そんな。
思いに晒されている。
そうなのかも。
知れないなと。
きっと、そんなところなのだ。

何で。
このタイミングで。
そうなってしまうのか。
そうされてしまうのか。
わからないが。

不意を襲われて。
呆然と。
そのままに。
理解もできぬままに。
この状態。

そう、まぁ。
そりゃ。
そんなことも。
起きるのだろうけれど。
何で、今なのだろうと。

この。
油揚げ。
存外に。
大きかった様で。
やれやれと。

別に。
今が。
この時が。
この時期が。
それ程に。

特別とか。
大切とか。
そんなことは。
思いもしない。
それはそうなのだが。

しかし。
何も。
この時期。
この季節。
押し詰まってから。

鳩に。
豆鉄砲とか。
鳶に。
油揚げとか。
それはなくてもいいだろうと。

虚を突かれて。
唖然と。
不意を襲われて。
呆然と。
やれやれと。

そのままで。
このままで。
終わらせるのは。
終わらされるのは。
それは敵わないなと。

ならば。
こちらも、遠慮なく。
人を。
食らって。
返り討ちにて終わらせたくなるのだな・・・



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2018/12/23 Sun *あぁ、またか / Pee Wee Crayton

20181223thingsiusedtodo


あぁ、またか。
そう言うことか。
なんだかな。
やれやれと。
がっかりもするけれど。

まぁ。
なんとなく。
そんなことだろうと。
そう。
察しはついていて。

そりゃ、そうだ。
今までも。
何度も。
厭と言う程に。
目にしてきたしな。

そう。
もう慣れっこで。
今更、どうだと。
そんな話ではあるけれど。
それでも、あれだ。

気に障るものは。
障るのだ。
気に入らないものは。
入らないのだ。
それも、また厭になるけど。

あぁ、またか。
そうだとしても。
頑なに過ぎようが。
どうしようが。
そいつは変えられもしないのだ。

『Things I Used To Do』'71年リリース。
テキサス出身のブルース・ギタリスト、ピー・ウィー・クレイトン。
'40年代から活躍していたピー・ウィーですが。アルバムとしてはこれが2枚目。
この頃、既に50代半ばだったのかな。ジャケットの苦み走った強面な表情もいいなと。
T・ヴォーン・ウォーカーの流派(?)に連なるピー・ウィー。
実際にT・ヴォーンから直接手ほどきを受けたとか。その時、既に30代だったとかで。
代名詞となる「Blues After Hours」がヒットした時には30代半ばと言う遅咲きの人だと。
そして、'50年代半ばからはヒットにも恵まれず。表舞台から姿を消していたのですが。
ヴァンガードからの、このアルバムで突如復活。ブルース・ファンを大いに喜ばせたとか。
ヴァンガード。ジャズの名門なのですが。この頃はブルースにも手を伸ばしていたのですね。
さてと、ジャズの影響も多分にあると思われる洗練されたフレーズを奏でたりもして。
結構なテクニシャンでもあるのですが。それをあまり気に留めていないと言うか。
そんなことよりも、細かいことは気にせずに。ガンガンと切り込んで、攻め込んでと言う。
そのやんちゃなとも言えそうな、ラフな攻撃性。それが歳を重ねて増している様な。
幾つになっても、決して丸くなることはなく、角も取れずと。その辺りが素晴らしいなと。
T・ヴォーンの亜流みたいな言い方もされていたらしいので。それに対する反骨の心。
より荒く、より激しく。そんな己のスタイルを貫くことで、それを証明してみせたのかなと。
その一方で。歌はね。どうにも情熱的なのですが・・・まぁ、微笑ましいと言ったところ。
何でも来日時のインタビューでは質問をする間もないくらい喋り続けていたそうで。
元来、そう言う陽気な人ではあったのかな。強面なのだけど、その実はみたいなね。
ギター・スリムの「Things I Used To Do」はそんなピー・ウィーの手に合ったのか。
ジョニー・オーティス・ショーでの熱演もなかなかのものでした。まぁ、不遇時代も。
副業に就きながらもクラヴ回りは欠かさなかったとかで。その時代から馴染み、お手のものだったのかもですね。

あぁ、またか。
そうなのだなと。
なんだろうね。
おいおいと。
呆れかえりもするけれど。

まぁ。
おそらくは。
そんなものだろうと。
そんな。
予感は漂っていて。

そりゃ、そうだ。
今までも。
何度も。
厭になる迄も。
体感してきたしな。

そう。
もう骨身に沁みて。
今更、なんなのだと。
そんな事ではあるけれど。
それでも、あれだ。

癪に障るものは。
障るのだ。
受け入らないものは。
入らないのだ。
それも、また厭になる迄に。

あぁ、またか。
そうだとしても。
意固地だと言われようが。
どうしようが。
そいつは譲れるものでもないのだ。

あぁ、またか。
そうだよな。
あの流れ。
あの感じ。
おちは見えていたよなと。

もう。
いつからか。
それすらも。
忘れてしまった。
昔から。

もう。
何回目か。
そんなこと。
数えきれない程。
繰り返し。

この感覚。
この心持ち。
厭と言う程。
厭になる迄。
味わってきた。

この空気。
この雰囲気。
厭と言う程。
厭になる迄。
包まれてきた。

あぁ、またか。
そうだよな。
この流れ。
この空気。
落ちる先はここだよなと。

それでも。
あぁ、またか。
それで。
済ませはしない。
馴合いには加わらない。

そう。
あぁ、またか。
そう思われようと。
そう言われようと。
貫くだけのこと・・・



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2018/12/20 Thu *放電寸前 / AC/DC

20181220highvoltageusorg


放電。
その寸前。
まだまだ。
溜め込んで。
その時をと。

かなり。
限界に近く。
でも。
解き放つには。
足りないと。

いや。
今のまま。
そのままでも。
十分に。
高まってはいるものの。

どうせなら。
もっと。
もっと。
溜め込んで。
高めて。

その限界で。
一気に。
解き放って。
痺れさせてやるのだと。
そいつが必要なのだと。

だから。
目一杯、弓を引き絞って。
放電。
その寸前。
どこまで耐えられるかと。

『High Voltage』'76年リリース。
そのジャケットも最高なAC/DCの1stアルバム。
本国オーストラリアでの1stアルバムと2ndアルバムから編集された。
そんなこのアルバムで、満を持して世界に打って出ることになったのでした。
実は英国では一足先に同名、同内容で、ジャケットだけ異なる。
そんなアルバムがリリースされていたりしますが。今ではこのジャケットのこのアルバム。
それこそがAC/DCの初めてのアルバムとして世界共通で認識されているかなと。
さてと。アルバム・タイトルはオーストラリアでの1stアルバムと同盟ですが。
内容的にはオーストラリアでの2ndアルバムが基礎になっているこのアルバム。
何と言っても。その勢い、上り調子で、頂点を目指すその溢れんばかりのエネルギー。
それに尽きるかなと。とどのつまり。AC/DCとはそのエネルギーのことだったのかなと。
そう。明らかに原点であり。そして。今も変わることなく、そのままに突っ走っていると。
その旺盛で、猥雑なロックンロールのエネルギー、そして愛情こそがAC/DCの総てだと。
そう言い切ってしまえる程に。AC/DCの本質、それが見事に捉えられ、表されています。
そして。その本質が変わるどころか、揺らぐことさえなく今に至っているのが凄いなと。
「The Jack」「T.N.T.」「High Voltage」など今でもライヴの定番になっているナンバー。
そして「It's A Long Way To The Top (If You Wanna Rock 'N' Roll)」ですからね。
この時点で、AC/DC、アンガス・ヤングにはやるべきこと、目指すべきところ。
そいつが些かの迷いもなく見えていたのだなと。何だか嬉しくなってきてしまいます。
勿論、録音のレベルと言か、音圧とか音質は完璧に満足のいくものとは言えないし。
個々のナンバーや、アルバム全体の構成と言うか。力業での乗せ方も発展途上ではあるかな。
でも。だからこその。放電寸前に溜め込まれた高電圧電流のワクワク、ドキドキ。
そんな魅力に溢れているのですよね。ジャケットでは放電してしまっていますけど・・・(笑)。

放電。
その寸前。
まだまだ。
溜めに溜めて。
その時まで。

かなり。
極限に近く。
でも。
縛めを解くには。
薄いのだと。

いや。
今のまま。
そのままでも。
十分に。
昂ってはいるものの。

どうせなら。
もっと。
もっと。
溜め溜めて。
昂らせて。

その極限で。
一気に。
縛めを解いて。
震わせてやるのだと。
そいつを欲しているのだと。

だから。
目一杯、拳を引き絞って。
放電。
その寸前。
どこまで堪えられるかと。

溜め込んで。
その時を。
解き放つ。
その時を。
迎えようと。

溜めに溜めて。
その時に。
縛めを解く。
その時に。
備えようと。

限界に近く。
でも。
解き放つには。
足りないと。
感じているのだから。

極限に近く。
でも。
縛めを解くには。
薄いのだと。
知っているのだから。

目一杯、弓を引き絞って。
その時が。
訪れたら。
一気に解き放ち。
痺れさせてやるのだ。

目一杯、拳を引き絞って。
その時が。
来たのなら。
一気に縛めを解き。
震わせてやるのだ。

放電。
その寸前。
やるべきこと。
目指すべきところ。
それが見えているのだから。

放電。
その寸前。
溜め込んだ。
溜めに溜めた。
高電圧電流に、血を滾らせているのだ・・・



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2018/12/19 Wed *魔界、魔窟 / Hanoi Rocks

20181219backtomysterycity


魔界、魔窟。
場所は変わっても。
この。
何とも。
澱んだ空気。

知らない者。
見知らぬ者。
そいつを。
愛想笑いで。
迎えながら。

その実は。
身内だけで。
寄り集まっている。
この。
息が詰まる閉鎖性。

形を変えても。
中身までは。
変えられないのだなと。
妙に。
腑に落ちたりもして。

それは。
それで。
好きにしてもらえばいいが。
こっちまで。
囚われない様に。

魔界、魔窟。
その中を。
一人、鼻歌でも。
口ずさみながら。
横断してみせる。

『Back To Mystery City』'83年リリース。
ハノイ・ロックスの3枚目となるオリジナル・アルバム。
ロンドンに本拠地を移して、新たなドラマーとしてラズルが参加して。
いよいよ、世界を視野に入れての活動を本格的に意識しだした頃で。
アルバム・タイトルなんかは、フィンランド出身と言うミステリアスな部分。
それを強調したかったのかなとかも思ったりします。フィンランドですからね。
それこそ。あぁ、ムーミンの国だったかな、くらいの印象しかなかったかな。
このマイケル・モンローのクローズ・アップ、これは確か日本独自のジャケットで。
ここらは例によって、MLとか専科とか。洋楽雑誌の煽りに乗っかった。
そんなロック女子を狙ったものだったのだろうと。そう、洋楽のバンドなのですよね。
さてと。このアルバム。プロデュースがデイル・グリフィンとオヴァレンド・ワッツで。
そう、あのモット・ザ・フープルのリズム隊なのですよね。どんな経緯だったのか。
更には、モーガン・フィッシャーが参加してキーボードを弾いていると言うね。
まぁ、マイケルなんかは。相当にモット・ザ・フープルとか好きだったのだろうなぁ。
で、ガイ・スティーブンスではなくて。グリフィンとワッツに頼む辺りがね。
そこが、クラッシュとの違いと言うか。なんか可愛いと言うか、少しズレがあると言うか。
そう。このズレ。このアルバム、アンディ・マッコイが共作を含めて全曲を書いていて。
なんともハノイ・ロックスらしい、カッコいいロックンロールが満載で。
また、メロディもキャッチーなのだけれど。どこか、微妙で、独特なズレがあって。
それこそが英国が出自ではないバンドならではのもので。そこが魅力的でもあったかなと。
例えば、ショッキング・ブルーとか、フォーカスとかもですが。その距離感かな。
それは日本人にも共通する部分があって。故にハノイ・ロックスも人気を博したのかな。
ミステリアス、未知なるものへの興味を武器にして、颯爽と闊歩している様がいいなと。

魔界、魔窟。
環境は変わっても。
この。
何とも。
排他的な空気は。

馴染まない者。
毛色の異なる者。
そいつを。
素知らぬ顔で。
遠巻きにしながら。

その実は。
強烈に。
拒絶してみせる。
この。
おぞましい程の非寛容。

場を変えても。
正体までは。
隠し通せないのだなと。
妙に。
腹落ちしたりもして。

それは。
それで。
勝手にしてもらえばいいが。
こっちまで。
取り込まれない様に。

魔界、魔窟。
その中で。
一人、ステップでも。
踏みながら。
闊歩してみせる。

その。
独自な。
特異性は。
世の中に。
打って出る為。

その。
独特な。
差別化は。
世の中と。
広く渡り合う為。

それが。
いつの間にか。
独り善がり。
閉じ籠って。
凝り固まって。

それを。
いつの間にか。
唯一のものだと。
勘違いして。
思い上がって。

澱んだ空気の。
その中で。
息が詰まる。
閉鎖性。
それに気づきもせず。

排他的な空気の。
その底で。
おぞましい。
非寛容。
それに馴れきって。

魔界、魔窟。
そこから。
外へと出てかないのなら。
外へとでていけないのなら。
直に崩れ落ちるだけ。

その前に、脱け出そう!



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2018/12/18 Tue *陽の目を / The Rolling Stones

20181218goatsheadsoupukorg


どうも、旦那。
なんでぇ、お前か。
一年のご無沙汰でした。
おう、てことは、またあの日か。
お誕生日、おめでとうございますってことで。
おう、まぁ、あれだ。幾つになっても目出てぇわな。

ご自分のお歳なんかは?
おう、その七十と五になったかな。
おっ、未だ、惚けとは無縁でやすね。
あたぼうよ、惚けもよ、俺には寄りつかねぇよ。
流石は旦那だ。そうでなくちゃね。
おう、その、なんだよ。俺を誰だと思ってるんだってな。

いやぁ、でも、その、なにですよ。
なにって、なんなんだよ?
いや、欧州ツアーも終わって、お草臥れかと思ったんですが。
おう、あんなもんよ、朝飯前ってとこだな。
相変わらず、威勢がいいや。まぁ、年甲斐がないと言えば・・・
ん?なんだ?なんか言ったか?

いや。こっちの話で。ところで。あれですよ、旦那。
どれだよ?
今年は、あれ、ですかい。このまましまいですかねぇ。
おう、なんでぃ。なんか、物足りなそうじゃねぇか。
いやね、今年くらいはね。そろそろ、新しいアルバムとかね。
馬鹿野郎、あれだよ。色々と蔵から出してやったじゃねぇか。

でも、あれでしょ。あれは、その何と言うか社長の仕事で、旦那は・・・
わかってねぇなぁ、お前もよ。あれだよ。俺も色々と意見してんだよ。
へ?どの辺りに旦那のお考えが反映してるんですかい?
そりゃ、あれだよ。選曲とか、カット割りとかな、細かいところをな。
そうなんでやすか?でも、選曲も何も完全版じゃないですか。
馬鹿野郎、ミックのしぶちんが出し惜しみするのを、俺が全部出させたんだよ。
へぇ、そうでやすかい。でも、カット割りっても社長のシーンが多くねぇですか。
だからお前は駄目なんだよ。俺が気を遣って出番を増やしてやったんだよ・・・

『Goats Head Soup』'73年リリース。
『山羊の頭のスープ』の邦題でも知られるローリング・ストーンズのアルバム。
自らのレーベルを設立して3枚目、そして初のジャマイカ録音となったアルバム。
この時期にジャマイカを選んだのは。やはりレゲエに意識が向いていたのかな。
常に、時代の先端を行くリズムやビートには敏感だったストーンズですからね。
そうは言うものの。どちらかと言うとファンクであるとか、所謂ニュー・ソウルの影響。
そう。次作である『It's Only Rock'n Roll』と共通する匂い、色合いのが濃いかなと。
ジャマイカ録音らしいなと思うのは。全体に、やや緩い空気が流れているところかも。
およそ一ヶ月のジャマイカ滞在で、一説では20曲程の録音が行われたと言われていて。
陽気に誘われ、乗せられたのか。勢いよく弾けたところもあったと思われますが。
「Doo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)」とかスリリングでシリアスなナンバーにも。
どこか緩い感じがあると言うか、詰めの甘さみたいなものが感じられて。
まぁ、それがこのアルバムならではの味わいになっていて。魅力でもあるのですけどね。
『Exile On Main St.』が前作ですからね。ギターが後退している感もあるサウンドだと。
そんな印象が強くなって、その分で割を食っているアルバムなのかもしれません。
その実、『Exile On Main St.』も緩いのですが。緩さの種類が違う・・・温い、のかもです。
「Star Star」なんかはその温さが、良い方向に効いているかな。実に能天気そのものでね。
さてと。キースは、この頃からいよいよ薬物中毒の症状が酷くなって、まさに夢うつつで。
ミックは、ハッキリとその影響があったと公言しているらしいですし。キース自身もなぁ。
「Coming Down Again」は薬物無しでは書けなかったとか言っているらしいですが。
そもそも、弾いたこと、歌ったことを憶えているのかも怪しいのではないかと。
それ程に。耽溺感、酩酊感が強く、深く。故にキースでしかない傑作になったのですが。
知られる様に『Tattoo You』にはこのアルバム用に録音されたナンバーが流用されてもいて。
それ等を除いても。未だ眠っているナンバーが何曲もある筈で。陽の目を見せてもいいのではないかとね。

ところで、旦那。
おう、なんでぃ。
来年はまたぞろ米国でツアーだとか、何だとか。
おう、まだまだ、やれるってところをだな、見せておかねぇとな。
そうでやすか、となると、あれですよ、当然、俺らのとこも。
おう、そうだな、お前のところは、俺が歌ってもトイレ休憩にならねぇしな。

でやしょう、世界中探したってね、そんな奇特な国はなかなかねぇ。
おい、お前、いまさり気なく、ディスらなかったか?
いやですよぉ、そんなねぇ、で、日本にはいつ頃お帰りに・・・
おい、お前、なんか話を逸らそうとしちゃいねぇかい?
ですから、いつ頃お帰りになられるんでやすかねぇ、待つ身もねぇ。
おう、その、なんだよ。そこのところはな、まぁ、色々とな。

まさか、その、なにですよ。
なにって、なんなんだよ?
いや、例の展覧会だかなんだかだけで、お茶を濁そうってんじゃ・・・
ば、馬鹿野郎、そんなこたぁなぁ、これっぽちもだよ。
なんで、急にどもってんですかい。なにか隠してんじゃねぇでしょうねぇ。
な?なんだよ?そ、そんなわきゃ、ねぇじゃねぇか。

そうですかねぇ、で、その展覧会とやらには旦那も・・・。
いや、あれはだなぁ、ミ、ミックだな。
へ?そうなんですかい、旦那は一切からんでないんでやすかい?
お、おう、そうだよ。あれはなぁ、一から十までミックだな。
てぇと、いつどこでやるとか、合わせてライヴをやる、やらねぇってのも・・・
そ、そうよ。ミックだよ。いや、なにね。俺は合わせて日本にもってなぁ、馬鹿野郎。

でも、あれですよ。あれ。俺らが一番待ってるのは、あれなんですけどねぇ。
わかってるよ、俺もよぉ、そろそろってぇか、いい加減にとはよ、思ってんだよ。
で、どうなんですかい。いやね、こんだけ待たされると。正直ネタ切れかなとね。
そりゃ、あれだよ。逆だよ、逆。ネタが浮かび過ぎてよ、選ぶのがてぇへんなんだよ。
そうなんでやすか?でも、前もそう言ってて、煮詰まって。で、あの青くて寂しいのが・・・
馬鹿野郎、あれはよぉ、ミックがな、どうしてもブルースをやりたいってな。
へぇ、そうでやすかい。でも、旦那も随分とご機嫌に弾いてやしたが。
だからお前は駄目なんだよ。俺はミックを立ててだなぁ、ご機嫌をとってだよ・・・

ねぇ、旦那。あの手があるじゃねぇですかい。
な、なんだよ、急に真面目な顔をして。どの手だよ?
おせぇてやろうか?
馬鹿野郎、死神じゃねぇんだから、勿体つけてんじゃねぇよ。
刺青の時に、使った手ですよ、刺青の。
お、おう、そうだなぁ、その手は悪くはねぇ、いや、いけるんじゃねぇかい。

あれでやしょ。実はまだまだ色々と隠してんじゃねぇですか?
そうだなぁ、実はよぉ、女たちのもあれで全部じゃねぇしな。
へ、そうなんですかい。じゃぁ、黒と青の頃のも色々と。
そうだな、あん時ゃ、色んな野郎に弾かせたからな、ロニーにやり直しさせるか。
そりゃ、いいでやすねぇ。こうなりゃ、あれですよ。
なんだよ、どれだよ?汚い仕事の時のはあれでいっぱいいっぱいだからな。

いやだなぁ、忘れちゃいませんかってんだ。山羊ですよ、山羊頭に陽の目をですよ。
や、山羊かよ、山羊頭なぁ、あ、あれはなんだよ。
なんです?まさか、本当になにも覚えていねぇとかはなしですぜ。
馬鹿野郎、覚えてるよ、まぁ、多少、ぼんやりと言うか、なんだけどよ。
じゃぁ、いいじゃないですか。なんです、なにを苦虫潰した様な顔していなさるんで?
あれはよ、手を出すとよ。もう一人のミックがうるさいんだよ、権利がどうとかよ、まったくミックてぇのには・・・

旦那、お誕生日おめでとうございます。



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2018/12/17 Mon *ふたりぼっち / Dave Mason

20181217alonetogether


誰もいない。
見回しても。
その息吹もない。
本当に。
誰もいない。

そう。
俺と。
あの娘と。
それだけ。
ふたりだけ。

何故。
何で。
考えてはみるものの。
答えなど。
出そうにもない。

ただ。
どうやら。
この世界に。
ふたりだけ。
取り残されて。

喜びよりも。
不安がまさる。
そんな俺の。
指先に触れて。
あの娘が微笑む。

その瞳。
その輝き。
待っていたのだと。
惹き込まれていく。
ふたりぼっち。

『Alone Together』'70年リリース。
デイヴ・メイソンの初めてとなるソロ・アルバム。
トラフィックからの脱退、復帰を経て。終にトラフィックは解散。
実はトラフィックに参加する前にも渡米して米国南部の音楽に触れていて。
解散後は迷うことなく再び渡米して。レオン・ラッセルやデラニー&ボニーに声を掛けて。
この初めてのブリティッシュ・スワンプとも呼ぶべきアルバムを録音したメイソン。
その出来に手応えを得て。自らデラニー&ボニー&フレンズの一員となって。
デラニー&ボニー、そしてレオンを英国へと呼び寄せて。そのツアーが評判を呼んで。
デラニー&ボニーの『On Tour』、そしてレオンの1stアルバムを生むことになったと。
これ程、ブリティッシュ・スワンプの誕生、そしてスワンプ・ロックそのものの隆盛。
そこに多大な貢献をしたにも関わらず。その功績はクラプトンとジョジーに奪われたと。
と言うのも。このアルバム、録音からリリースまで一年以上掛かってしまっていて。
その間に。コンセプトを丸々と頂いたクラプトンの1stアルバムが先にリリースされて。
新興のブルー・サムからのリリースだったのが祟ったのか。何とも運が無かったかなと。
どうにもメイソンと言う人は先見の明もあり、積極的に行動するも詰めが甘いところがね。
そんな儚さもある故か。このアルバムに針を落とすと、その逞しくも、切ない様。
豊潤な米国南部の音楽に身も心も投じて吸収しながら。ふと漂う英国の残り香みたいな。
その熱く温かなサウンドと、心地のよい優しく哀感のあるメロディ。その絶妙な塩梅。
弾き過ぎないギタリスト、歌い過ぎないヴォーカリスト。メイソンの魅力が十二分にと。
異なるものに魅せられて、臆することなく飛び込んで、忌憚なく受け容れて、共鳴して。
自らを、そして関わった周囲も。新たな高み、深みへと誘う様な、そんな素晴さがあります。
一方で。アルバム・タイトルに象徴される様に。開放的な様で実は内省的でもあり。
そう。ごく親しい人と二人でいる空間、時間。その濃密で、穏やかで、優しい空気に満ちた。
そんな、とても私的な雰囲気を感じさせるアルバムでもあり。その親密な感じが。
どうにも、こう胸の柔らかいところの憧憬を刺激して止まなくなったりもするのです・・・

誰もいない。
振り返っても。
その気配もない。
本当に。
誰もいない。

そう。
あの娘と。
俺と。
それだけ。
ふたりだけ。

何故。
何で。
思ってはみるものの。
答えなど。
欲してはいない。

ただ。
どうやら。
この世界に。
ふたりだけ。
放り出されて。

不安よりも。
まさる喜びを抑える。
そんな俺の。
腕を引き寄せて。
あの娘が見つめる。

その瞳。
その輝き。
信じていいのだと。
溶き解されていく。
ふたりぼっち。

広い。
世界に。
ただ。
ふたりだけ。
その不安、それよりも。

この。
世界に。
そう。
ふたりだけ。
その喜び、それでいい。

触れている。
指先が。
そこだけが。
微熱を放ち。
温もりを帯びている。

引き寄せられた。
腕が。
そこだけが。
燃える様に。
熱を放っている。

微笑む。
見つめる。
その瞳の輝き。
待っていたのだと、信じていいのだと。
惹き込まれ、溶き解されていく。

濃密で。
穏やかで。
優しくて。
親密で。
もう離れられない。

触れる指先。
引き寄せられた腕。
震える胸。
覚悟を求める唇。
そして・・・

夢ならば。
夢だとしても。
覚めないで。
いつまでもと。
ふたりぼっち・・・



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2018/12/16 Sun *つづく / Back Street Crawler

20181216thebandplayson


つづく。
まぁ。
そいつは。
悪くはない。
そんなところだ。

別に。
そこまで。
本気だった。
そんな筈もなく。
言ってみれば。

ほんの冗談。
そいつが。
思わぬ。
弾みがついてと。
そんなところ。

だから。
別に。
続こうが。
続くまいが。
どちらでもいいと。

だけど。
何故か。
思わぬ程に。
楽しくなって。
そのままに。

こうなると。
どんな形でも。
どんな格好でも。
つづく。
そう言えるのがいいのかと。

『The Band Plays On』'75年リリース。
ポール・コゾフ率いる、バック・ストリート・クローラーの1stアルバム。
バンド名は、コゾフの最初のソロ・アルバムと同一で。思い入れを感じると共に。
その頃から、バンドとして活動する構想はあったのだろうなと。ところが。
コゾフは既に薬物中毒の症状が頻発していて。落ち着くのに時間が必要だったかと。
元来が繊細で。更にはフリーのメンバーとして成功を手にするものの。
レコード会社やマネージメントからのプレッシャーとか、メンバーの間の軋轢とか。
そんなものに耐え切れずに薬物に耽溺して。ギターを弾くのにも支障をきたして。
それでも。そんなコゾフに手を差し伸べようと、フリーは再結成したりしているので。
どこか、憎めないと言うか。放ってはおけない。そんな人物だったのかなと。
どうにも線が細かったのか。そう。バック・ストリート・クローラーにおいても。
知名度からリーダーと見做されていますが。実は誰かをサポートするタイプだったかと。
そう。例えば。そうポール・ロジャースの歌があってこその、コゾフのギターだと。
コゾフ自身も。それは分かっていて。だからこそあくまでもバンドに拘ったのかなと。
コゾフ以外は、殆ど無名に近いメンバー。そしてヴォーカルの歌がロジャースに近くて。
そこまでしての、その強い拘りが。コゾフの可能性を狭めてしまっている感もあって。
その啼きのギター、ビブラートやチョーキングを多用したソロ、フレーズは。
まさにコゾフならで。何とも堪らないものがあるのですが。それが総てなのですが。
何だろう。力強く、力づくで、バンドを牽引している感じではなくて。そこがね。
もうロジャースも、アンディ・フレイザーもいないのだから。一枚看板を張っても良かった。
でも。それをしなかった、できなかった。そこにコゾフの限界を感じなくもないかな。
おそらくこの時のコゾフにとっては新しいバンドを続けること、それだけが重要だったと。
そう言うことなのかな。確かにその思いがギターに乗り移っている瞬間は感じられて。
だからこそ、コゾフの物語。その続きを。つづくとのテロップ、クレジットをもっと見たかったかな・・・

つづく。
まぁ。
そいつも。
偶にはいいと。
そんなところだ。

別に。
そこまで。
真剣だった。
そんな筈もなく。
例えてみれば。

ほんの余興。
そいつが。
思わぬ。
転がりをみせてと。
そんなところ。

だから。
いつ。
止まろうが。
止められようが。
それでもいいと。

だけど。
何故か。
思いの外に。
楽しんでしまって。
そのままに。

こうなると。
あんな形でも。
そんな格好でも。
つづく。
そう言い続けてみたいかなと。

別に。
大した。
話でも。
ものでも。
ありはしないが。

そう。
いつかの日に。
夢に見た。
そいつとは。
違いはするけれど。

そう。
あの日、あの時。
辿り着きたいと。
思った場所とは。
異なりもするけれど。

別に。
細やかな。
話でも。
ものでも。
構いはしない。

そう。
それでも。
楽しくて。
止まらなくて。
ならばそれでいいと。

そう。
それなのに。
楽しんで。
笑ってくれる。
ならばそれもいいかと。

つづく。
いける限り。
許される限り。
そして、そう。
楽しい限り、楽しんでくれる限りはね。



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2018/12/15 Sat *一撃、一音 / Jeff Beck

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その。
一撃、一撃。
そいつが。
鳩尾に。
響いてくる。

そいつは。
痛みを。
そして。
重さを。
感じさせながら。

でも。
どこか。
優しくて。
そして。
温かくて。

その。
一撃、一撃。
その繰り出される。
そいつを。
受け止めながら。

その。
優しくて温かい。
痛みと重さ。
その意味を。
考えてみる。

じっくりと。
ゆっくりと。
その。
一撃、一撃に。
酔いしれながら。

『Blow By Blow』'75年リリース。
ジェフ・ベックの所謂、インスト三部作の一枚となったアルバム。
尤も。最初から三部作の構想があったとは思われず。例によって気紛れなベックですから。
ベック、ボガート&アピスが空中分解して。さてとと。何をやろうかと。
マハヴィシュヌ・オーケストラとか、ビリー・コブハムが面白そうなことやっていたなと。
ビリーのアルバムに参加していた、トミー・ボーリンなんてなかなかやるじゃないかと。
でも、自分ならもっと面白く、もっと凄いものができるぜと。そう思ってかはさておき。
興味を抱き、刺激を受けたのは確かで。マハヴィシュヌ・オーケストラを手掛けた。
あのジョージ・マーティンに声を掛けて、プロデューサーに迎えて。そして。
何と自らのギターと渡り合うキーボードを委ねる相手にマックス・ミドルトンを指名して。
そう。自らの我儘で解散させた第二期ジェフ・ベック・グループにいたあのマックスです。
そして。何とマックスも快諾したと。元々、嗜好も志向も似通っていたのですね。
だったら何で第二期を・・・と思いもしますが。まぁ、それは言っても仕方がないかな。
そして。このマックスの参加こそが、このアルバムを傑作とした一大要因だなと。
ベックと言うのは、気紛れで、我儘で、孤高な人なのは、まぁ、間違いないとは思いますが。
その実、その本領を発揮する時には。常に対等に張り合う人がいないと駄目なのですよね。
兎に角、ギターは超絶的に上手いし、その発想も常人の及ぶところではないし。
なので、傍で、そんなベックに誰かが対抗、もしくはフォローしないと。唯の独り相撲に。
実際に、そんなアルバムも結構あって。そこへいくと。このアルバムではミドルトンが。
そしてフィル・チェンなんかも。実に的確にフォローし、ベックの良さを引き出していると。
だからこそ。アルバム全編を通しての統一感もあるし、それが凄く高いレベルで保たれて。
また、その一撃、一撃。一音、一音が。凄く丁寧に織り込まれていて心地良いのです。
当時の邦題が『ギター殺人者の凱旋』で。何でも欧米の広告のコピーからの発送だったとか。
確かに。それ程に。強い衝撃を受けもするのですが。同時に優しく、温かくもあって。
それ故に。未だに針を落とす度に、素直に受け止め、安心して酔いしれることができる、許されるのかな。

その。
一音、一音。
そいつが。
臓腑を。
抉っていく。

そいつは。
激しさを。
そして。
熱さを。
感じさせながらも。

でも。
どこか。
爽快で。
そして。
痛快で。

その。
一音、一音。
その奏で、紡がれる。
そいつを。
受け入れながら。

その。
爽快で、痛快な。
激しさと熱さ。
その意味を。
考えてみる。

じっくりと。
ゆっくりと。
その。
一音、一音に。
酔いしれながら。

その一撃。
その一音。
そいつは。
吹き抜ける。
風の様でもあり。

その一撃。
その一音。
そいつは。
吹き続ける。
嵐の様でもあり。

でも。
目を凝らして。
耳を澄まして。
正面から。
受け止めると。
受け容れると。

その一撃。
その一音。
その繋がりは。
実に丁寧に。
織り込まれてもいて。

そう。
痛みと重さの。
裏側にある。
優しさと温かさ。
それに触れられて。

そう。
激しさと熱さを。
伴っていく。
爽快さと痛快さ。
それに抱き留められれば。

素直に。
安心して。
酔いしれていられる。
そんな一撃、そんな一音。
それを俺は知っているのだな・・・



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2018/12/14 Fri *おせっかいだと / Henry McCullough

20181214mindyourownbusiness


おせっかいだと。
そう言いたいのだろう。
自分の仕事に。
集中しろと。
放っておいてくれと。

悪いけど。
この、おせっかいが。
それこそが。
俺の仕事。
そう言うことなのだ。

だから。
煩かろうが。
どうだろうが。
おせっかいは続くから。
覚悟を決めて。

これからも。
当分の間は。
お付き合い願おうか。
それが嫌だと言うのなら。
さっさと独り立ち。

そいつが。
認められるだけの。
その証を立てること。
その為に。
必要なあれや、これやを。

そのヒントを。
あれも、これもと。
示してみせる。
そんな、おせっかい。
これでもかと。

『Mind Your Own Business !』'75年リリース。
北アイルランド出身のギタリスト、ヘンリー・マッカロウ。
グリース・バンド、そしてウィングスのメンバーとしても知られるヘンリー。
その初めてのソロ・アルバムにして、代表作として知られるアルバムでもあります。
ウィングスを離脱したヘンリーが所属したのはダーク・ホース・レコードで。
言わば、ポールの下からジョージの下へと移籍した形なのかな・・・違うか。
ウィングスの「My Love」の、あの印象的なギター・ソロで知られたヘンリー。
ウィングスを辞めたのは、『Band On The Run』のレコーディングに際して。
あるナンバーのギター・ソロを巡ってポールと対立したのが原因だとも言われていて。
例えポールが相手でも。ギターに関しては一歩も譲らない職人肌のギタリストだったか。
そこらは。アルバム・タイトルにも表れているのかな。まぁ、それだけの矜持があったと。
そんなヘンリーが目指し、憧れたのは米国南部で。それはジャケットに表れていると。
グリース・バンド時代の盟友達を中心としたメンバーの協力を得て。
何とも、いい塩梅のブリティッシュ・スワンプなロックを奏でて、歌っています。
そのギターの、弾き過ぎない、出しゃばり過ぎない。その匙加減が実に絶妙で。
足し算ではなくて、引き算のギター、その美学が何ともいい感じで心地良いのです。
朴訥とした歌声は、ヘタウマな味わいが滲み出ていて。これまた何ともねと。
派手さも、華やかさも無いのですが。それらを必要としない艶の様なものはあるかなと。
このスタイルを貫くのには。やはりそれなりの矜持、そして覚悟もあった筈で。
そこらの熱い思いからの意見、物言いがポールにはおせっかいだったのかなとも。
まぁ、ポールは何でも自分一人で出来ちゃうからなぁ。助言とか求めていないだろうし。
この味わい、この世界。そうだなぁ、ポールとは相容れなかったかな。でも、それでいいのだと思うかな。

おせっかいだと。
そう思っているのだろう。
自分の仕事に。
集中しろと。
構わないでほしいと。

申し訳ないけど。
この、おせっかいが。
それこそが。
俺の任務。
そう言うことなのだ。

だから。
面倒だろうが。
どうだろうが。
おせっかいは止まないから。
諦念を抱いて。

これからも。
暫くの間は。
お付き合い頂こうか。
それが嫌だと言うのなら。
さっさと卒業。

そいつが。
許されるだけの。
その証を見せること。
その為に。
必要ななにか、そいつの。

そのチャンスを。
何度も、何度でも。
ぶら下げてみせる。
そんな、おせっかい。
いつまでもと。

そうさ。
早く。
独り立ち。
してもらわないと。
困るのだな。

そうさ。
さっさと。
卒業。
してくれないと。
困るのだな。

だから。
あれも。
これも。
ヒントは総て。
示してみせよう。

だから。
何度も。
何度でも。
チャンスは繰り返し。
ぶら下げてみせよう。

それが。
おせっかいだと。
言われようが。
思われようが。
構いはしない。

これが。
俺の仕事。
俺の任務。
悪いけど。
申し訳ないけど。

おせっかいだと。
本当にその通り。
でも、まぁ。
一人ぐらいは。
そんなのがいてもいいだろう・・・うざいけど(笑)。



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2018/12/13 Thu *肖像など / 沢田研二

20181213portraitofcharcoalgray


肖像など。
描く側。
描く者。
それによって。
異なるものだと。

対象の。
その人の。
どこを見て。
描くのか。
それにもよるし。

対象に。
その人に。
何を見て。
描くのか。
それにもよるだろうし。

それこそ。
十人十色。
見方も。
見えるものも。
人、それぞれ。

あの人は。
どこを見ているのか。
この人は。
何を見ているのか。
そんなものが、それこそ見えてくる。

肖像など。
描かれる側でなく。
描く側の。
姿が表れる。
そんなものかもしれないと。

『チャコール・グレイの肖像』'76年リリース。
沢田研二、ジュリーの(おそらく)9枚目のオリジナル・アルバム。
これ以前に『JULIE IV 今僕は倖せです』と言う全曲がジュリーの作詞作曲による。
そんなアルバムがありましたが。このアルバムも作曲は全曲ジュリーによるもので。
作詞は、小谷夏(久世光彦)、阿木燿子、桃井かおり、松本隆、岸部修三らが手掛けていて。
ジュリー自身の作詞による2曲と合わせて全10曲から構成されています。
このアルバムが録音、制作された時期。ジュリーは暴力沙汰で活動を自粛していたのかな。
それもあってか。作詞を手掛けた面々にどんなオーダーがあったかは分かりませんが。
決して暗いトーンではないものの。どこか内省的な空気が全体を支配しているかな。
内省的、そう素顔のジュリー、沢田研二が描き出されていて。それを歌っていると。
メロディが総て自らによるものからかもしれませんが。その歌声はいつも以上に。
楽曲の世界を明確に捉えていて、その透明感に溢れた歌声が。そう、秋から冬にかけての。
陽光に輝くが如くに、一編、一編の物語を。そして紡ぎ合わせた長編となる物語を。
実に鮮やかに、聴く者の脳裏に描いてみせている。歌手、ジュリーの凄さがここにあると。
勿論、そこには信頼している井上堯之バンドの存在、中心となった録音と言うこと。
それが、特にこの時期のジュリーにとっては大きな力となっていたことも確かだと。
ここらは常にバンドの一員であることを意識し、大切にしていたジュリーらしいかな。
それにしても。それぞれの詞、当然ジュリーが歌うことを前提として書かれた詞に。
それぞれの、それぞれが見ていたジュリーの姿、肖像が窺える様で興味深いものがあって。
それは翻って。作詞したそれぞれの面々の、その姿、肖像の移し鏡にもなっているのかな。
久世さんの「コバルトの季節の中で」、修三、一徳さんの「あのままだよ」とかね。
そんな描かれた肖像、それを歌って、並べてみて。ジュリーの脳裏に浮かんできた色、風景。
それがチャコール・グレイだったのかな。おそらくは自らを省みるいい機会にもなったのではと思われます。

肖像など。
描かれる側。
描かれる者。
それによって。
異なるものだと。

対象の。
その者が。
どこを見せて。
描かれるか。
それにもよるし。

対象が。
その者が。
何を見せて。
描かせるのか。
それにもよるだろうし。

それこそ。
思惑次第。
見せ方も。
見せるものも。
人に応じて、それぞれ。

あの人には。
どこを見せるのか。
この人には。
何を見させているのか。
そんなものが、それこそ見えてくる。

肖像など。
描く側でなく。
描かれる側の。
思いが表れる。
そんなものかもしれないと。

そう。
肖像など。
描く側。
描かれる側。
それによって。

それこそ。
千差万別。
一つとして。
同じものなど。
ありはしないと。

それこそ。
一瞬、一瞬で。
移ろいゆく。
その光の加減で。
変化する。

現れる。
色の様に。
時や、場所や。
その時々の。
空気の様なもので。

そこには。
正解も。
誤りも。
ありはしない。
そんなものだと。

だから。
どこを見るか。
どこを見せるか。
何を見るか。
何を見せるか。

如何にでも。
変わる。
取れる。
肖像など。
たかが、だとも思うのだ。

されど、でもあるけれどね・・・



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2018/12/12 Wed *道を外れて何千里 / 外道

20181212jittokulive


道を外れて。
もう。
どれくらい。
どれほど。
何千里。

いや。
当の本人には。
外れている。
そんなつもりは。
ないのだが。

どうにも。
こうにも。
この道は。
人の道から。
外れているらしい。

ちょっと。
待てよと。
人の道。
何たるかなど。
誰がいつ決めたのだと。

問い返す。
どうやら。
そのこと自体が。
その発想が。
外れていると言うことらしい。

ならば。
そう言うことなら。
上等だと。
ますます外れて。
何千里。

『拾得Live』'75年リリース。
外道の通算4枚目のアルバムにして、3枚目となるライヴ・アルバム。
総てを把握してはいませんが。外道は殆どスタジオ録音が無いバンドで。
おそらく、最初の解散まではスタジオ・アルバムは1枚しかなかったのかな。
それだけ。ライヴに、その音に、その空気に。その瞬間に拘っていたのかなと。
まぁ、多少は戦略的側面もあったのでしょうが。常識に外れているのは確かかなと。
その辺りの自由奔放、傍若無人なところは、バンド名だけのことはあるかな。
しかしバンド名の由来が、加納秀人が警官に、この外道と呼ばれたからって・・・
さて。ドラムスの中野良一が元暴走族の頭だったとかで。暴走族の追っかけがいたとか。
そんな物騒で、興味本位の話題が先行しがちで。確かにそんな側面は。
このアルバムでもMCや観客とのやり取りにも感じられますが。それよりも、やっぱり。
その規格外で野放図な演奏、そのラフで、タフで。自由にドライヴする様が魅力的だなと。
ここまで、縛られないと言うか自由だと。そこはライヴこそが本領発揮だったのでしょうね。
なんか、もうどこへどう転がるのか、飛ぶのかわからない感じ。それが刺激的で。
実は、自由よりも不自由を好む習性のある暴走族が好き好むサウンドとは思えませんが。
そこは、ベースの青木正行の、それを意識した煽りとかが効いていたのかなと。
そして。メロディが存外にキャッチーなところ。そこは分かりやすかったかもですね。
それでも。全体的には粗雑、猥雑、混沌。そんな世界の中を縦横無尽に切り裂いていく。
そんな加納のギターが、その収まらなさ加減が、何とも道を外れていて、いいのですよね。
放送禁止用語が多く、メッセージ色も強いMCとか、最後のナンバーが途中でカットとか。
とにかく。枠に収まらない。規定とか企画の外にいる。その総てに惹かれてしまうのは。
道を外れた者としての共感なのかな(笑)。駄目な人は駄目でしょうけど。自分は・・・問答無用で好きです!

道を外れて。
もう。
戻れない。
戻らない。
何千里。

いや。
当の本人には。
外れている。
そんな自覚も。
皆無なのだが。

どうやら。
こうやら。
この道は。
人の道から。
外れているらしい。

どうでも。
いいけど。
人の道。
その範囲など。
誰に決められるものかと。

問い質す。
どうやら。
そのこと自体も。
その思考も。
外れていると言うことらしい。

ならば。
そう言うことなら。
結構だと。
どんどん外れて。
何千里。

大体が。
人が決めた。
その道になど。
何の興味も。
ありはしない。

そもそもが。
人と同じ。
そんな道になど。
何の未練も。
ありもしない。

別に。
逆らうこと。
そのものに。
意味など。
感じはしない。

ただ。
逸れること。
そのことに。
恐れなど。
感じもしない。

己が。
歩きたいと思う。
道を。
歩いていきたい。
それだけのこと。

己が。
歩きたいと感じる。
道を。
歩き続けたい。
それだけのこと。

それで。
それが。
道を外れて。
何千里。
それならそれでいいじゃない!



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2018/12/11 Tue *疑似 / サディスティック・ミカ・バンド

20181211sadisticmikaband


例えば。
いま。
どうしたって。
どう転んでも。
叶わないこと。

でも。
どうしても。
何とか。
そいつが。
手に入れられればと。

そう。
どうしても。
そいつが。
必要なのだと。
そうなってしまったら。

そうだな。
目を閉じて。
思い浮かべて。
飛べるものだけ。
それだけでも。

確かに。
そいつは。
本物とは。
言えないし。
異なるし。

でも。
その思いだけが。
飛んだものだけが。
生み出せる。
そんなものもあるかなと。

『サディスティック・ミカ・バンド』'73年リリース。
記念すべきサディスティック・ミカ・バンドの1stアルバム。
先ずはこのジャケット。この安っぽいアロハの柄が醸し出すチープなリゾート感。
完全に人を喰っていると言うか、ある意味では小馬鹿にすらしているかなと。
それでいて。針を落とすと。何ともセンスのいい、キャッチーなロックであると。
ここら辺の、いい意味での遊民的な軽やかさは加藤和彦ならではないかと。
意匠としても、サウンドとしても。意識していたのはグラム・ロックだったと思われ。
その時代の徒花的な匂いも、そしてそれを支える本格的なサウンドも。
英国発で世界を席巻していたそれを、実によく理解して巧みに取り入れているなと。
徒花の匂いを振りまくのがミカの存在。それを支える骨太なサウンドを奏でるのが。
加藤さんと、高中正義、小原礼、高橋幸宏で。その技量の高さには驚かされますし。
その人選の妙に。ディレクター、プロデューサーとしての加藤さんの才能を感じるかな。
それにしても。おそらく当時。日本のロックと言うのは欧米のそれにコンプレックスがあり。
故に、必要以上に求道的になったり、あるいは卑屈になったり。結果、スタイルも模倣して。
そんな状況だったと思われるのですが。そこへ、このスタイルで現れて。
どのバンドよりも本格的なブリティッシュ・ロックをやってしまったのが凄いなと。
商業的には成功しなかったのは。その凄さが理解される土壌が無かったと言うことかなと。
故に。やがて英国へと渡り。クリス・トーマスの力も借りてあの『黒船』へとなるのですが。
その実。そこは、加藤さんとしては微妙だったのではないかと思ったりもするのです。
だって。それをやったら本物になってしまう、本物になれてしまうのは分かっていて。
そこを敢えて。ギリギリの線で、疑似に止まること。それを狙って楽しんでいたのではと。
まぁ、今となっては確かめようもないのですが。疑似ゆえの面白さ、楽しさ。
加藤さんなら、そこで誰よりも遊べることが出来たのではないかと。だから。
『黒船』は間違いなく傑作なのですが。より個性的で、他の追従を許さないのはこのアルバムかなと思うのです。

例えば。
いま。
どうやっても。
どう考えても。
叶わないこと。

でも。
どうにかしてでも。
何とか。
そいつを。
我がものに出来ればと。

そう。
どうにかしてでも。
そいつが。
必須なのだと。
そうなってしまったら。

そうだな。
耳を澄ませて。
思い浮かべて。
翔べるものだけ。
それだけでも。

確かに。
そいつは。
現実とは。
言えないし。
異なるし。

でも。
その思いだけが。
翔んだものだけが。
辿り着ける。
そんなものもあるかなと。

そうなのだ。
どうしたって。
いま。
叶わないこと。
それはあるから。

そうなのだ。
どうやっても。
いま。
叶わないもの。
それもあるから。

どう転んでも。
どう考えても。
叶わないのなら。
そこは。
ひとつ、切り替えて。

目を閉じて。
思い浮かべて。
飛べるものだけ。
その思いだけでも。
飛ばしてみる。

耳を澄ませて。
思い浮かべて。
翔べるものだけ。
その思いだけでも。
翔ばしてみる。

どうしても。
どうにかしてでも。
必要なのだと。
必須なのだと。
そうなってしまったのだから。

空想して。
妄想して。
本物でなくても、現実でなくても。
疑似。
その空間に、その体験に遊んでみる。



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2018/12/10 Mon *真最中 / サンハウス

20181210uchoten


真ん中。
只中。
そう。
真只中。
真最中。

何がって。
そうだな。
何かが。
目覚めて。
動きだして。

もう。
それなりに。
時間が経った。
それなのに。
その筈なのに。

どうにも。
止まらない。
その気配すら。
ありはしない。
漂わない。

時には。
躊躇もある。
止めても。
止まっても。
いいかなとも思うのだが。

でも。
止められない。
止まらない。
そう。
真最中。

『有頂天』'75年リリース。
サンハウスの記念すべき1stアルバム。
最初の活動期間でのサンハウスのアルバムは僅かに3枚。
1枚はライヴ・アルバムなので、オリジナル・アルバムは2枚。
なかでも、この走り始めた、その最初の一歩には特別なものがあるかな。
菊、誠ちゃん、篠山、奈良、鬼平。やっぱり、この5人でこそのサンハウス。
実は後追いなので。最初の再結成時のサンハウスに一番、馴染み、思淹れがあって。
ですが。いま、一番しっくりくる、馴染むのは。このアルバムだったりします。
まぁ、それだけ聴いてきた、針を落としてきたと言うことではありますが。
それだけではなくて。何と言うか。自分にとってのロックンロール。
その根底、その根源。その始まりみたいなところに、ぴったりと収まっている。
不思議な話ですが。そんな感じかな。そう見事に腑に落ちるのですね。
あの時代。いまとはあらゆる面で、情報も市場も、社会そのものも。
ロックンロールなんてものを許容するにはほど遠かった時代の、日本の一地方都市。
そこに、この面子が集まって。走り始めて。このアルバムを産み落としたと。
ブルースへの愛情に溢れ。敬意と憧憬をもってして見事に換骨奪胎してみせたと。
それこそが。サンハウスによる日本のロックンロールだったのだと。
産み落とされたままの、毒々しくも瑞々しいその姿が見事に捉えられたアルバムです。
「キングスネークブルース」「風よ吹け」「レモンティー」「ロックンロールの真最中」
「ミルクのみ人形」「地獄へドライブ」「なまずの唄」・・・
その愛情、情熱、飢餓、焦燥。そんなものが放っている熱量。それはいまも変わらずに。
聴く者の胸に刺さり、腰を動かし、何処かへと駆り立てる。それは、そう。きっと。
菊も、誠ちゃんも。いまも変わらずに真只中にいるから。そんなものもあるのかな。

真ん中。
只中。
そう。
真只中。
真最中。

何がって。
そうだな。
何かが。
起き上がって。
蠢きだして。

もう。
それ程は。
時間もない。
それなのに。
それだからか。

どうにも。
止まらない。
その予兆すら。
ありはしない。
感じない。

時には。
諦念もある。
止めても。
止まっても。
何も変わらないとも思うのだが。

でも。
止められない。
止まらない。
そう。
真最中。

もう。
いい加減。
止まらないと。
時も経ったし。
疲れ果てると。

そう。
いい加減。
止まらないと。
時もないし。
砕け散ると。

なのだが。
どうにも。
止まる。
気配もなければ。
予兆もない。

どうやら。
どうにも。
こうにも。
止められない。
止まらない。

どうやら。
どうしても。
どうでも。
止められない。
止めたくない。

躊躇も。
諦念も。
振り払ってでも。
消し去ってでも。
止めたくない。

真ん中。
只中。
そう。
真只中。
真最中。

くたばるまで。くたばっても・・・



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2018/12/09 Sun *どんなんになっても / RC サクセション

20181209beatpops


どうなっても。
どうなろうとも。
どんなになっても。
どんなんになっても。
なっちゃっても。

大体が。
その昔に。
始める前に。
思い描いていた様には。
その通りには。

いくものではない。
いきはしない。
それにしても。
何でこんなことにと。
思うこともある。

あの日。
あの時の。
選択が過ちだったのか。
そこから狂ったのか。
そう言うことなのか。

だとしたら。
あの日、あの時に。
戻ってなどと。
でも。そうさ。
そいつは愚にもつかない。

選択したのだ。
どんなんになっても。
なっちゃっても。
引き受けていく。
そんな覚悟を決めるだけのこと。

『Beat Pops』'82年リリース。
RCサクセションのロンドン・レコード移籍第一弾アルバム。
通算では8枚目(編集アルバムは除く)となるのかな。
RCが乗りに乗っていた時期のアルバムでもあり。その勢いが表れていると。
一方で、このアルバムで曲のストックが尽きてしまったこともあって。
いま、振りかえると。大きな転換点の、その前の燃え尽きるかの感じもあるかなと。
ちょうどストーンズのデッカ時代の権利もロンドン・レコードが手に入れていて。
清志郎が、ストーンズと同じレコード会社になったぜと。はしゃいでいた記憶が。
まさか、僅か数年で。喧嘩別れして再び移籍するとは思っていなかっただろうなと。
さてと。このアルバム。収められているのは、言わばここ迄のRCの集大成。
そう、書き溜めて未だ公式に世に出していなかったナンバーを一気に吐き出してと。
だから、調子に乗っているロックンロールもあれば。拗ねて斜に構えたナンバーもあり。
そして、内省的で沈み込む様で。その実しぶとくうねるナンバーもあったりするのです。
この勢いに乗りながらも。自分達もどうにも馴染まないと言うか落ち着かないと言うか。
そんなアンバランスな不安定さ。そこらが実にRCらしいかなと思ったりもします。
不遜で自信満々の様で。そんな自分、そんな状況に懐疑的になってしまう。らしい、なと。
この少しずれた感じ、感覚。それがあるからRCは凡百の日本のロック・バンドとは違うと。
強迫観念、孤独感、不安と怒り、切なさ。そんなものがそのずれ故に沁みるのですよね。
個人的に。どん詰まりで。にっちもさっちもいかなくて。何とも煮え切らなくて。
諦めながら、どうしようもない焦燥感にも駆られてと。そんな季節に出会ったアルバムで。
だから。余計に沁みるのかな。まぁ、今でも状況はあまり変わってはいませんけどね・・・
「トラブル」「ナイ‐ナイ」「君を呼んだのに」「ハイウェイのお月様」とか堪りません。
一方で「つ・き・あ・い・た・い」「こんなんなっちゃった」「エリーゼのために」の。
そう不遜で、弾けて、突き抜けた感じがね、とても愛しくてならなかったりもするのです。
こんなんになっても、どんなんになっても。大丈夫。そんな根拠のない生きる勇気を貰えるアルバムなのです。

どうなっても。
どうなろうとも。
どんなになっても。
どんなんになっても。
なっちゃっても。

殆どが。
若き日に。
何も知らずに。
夢に見ていた様には。
その通りには。

いくわけもない。
いきはずもない。
それにしても。
何もここまでと。
思うこともある。

あの夜。
あの時の。
決断が過ちだったのか。
そこから迷ったのか。
そう言うことなのか。

だとしたら。
あの夜、あの時を。
やり直してなどと。
でも。そうさ。
そいつは愚の骨頂。

決断したのだ。
どんなんになっても。
なっちゃっても。
向き合っていく。
そう腹を括るだけのこと。

ちょっと。
かなり。
考えていたのと。
そいつとは。
様子が異なるけど。

少し。
だいぶ。
思っていたのと。
そいつとは。
様相が違うけど。

まぁ。
そんなことも。
あるだろう。
それでも。
何とかなるだろう。

まぁ。
そんなこと。
ばかりだろう。
それでも。
何とかするだろう。

そうして。
ここで。
こうして。
しぶとく。
やっているわけだ。

そうして。
ここまで。
こうやって。
不遜に。
やってきたわけだ。

どうなっても。
どうなろうとも。
どんなになっても。
どんなんになっても。
なっちゃっても。

その選択。
その決断。
その結果。
覚悟をもって引き受けて。
腹を括って向き合って。

これからも。
どんなんになっても。
なっちゃっても。
それだけのこと。
それでいい。それがいい。



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2018/12/08 Sat *売値も買値も / The Beatles

20181208beatlesforsaleukorgmono


どれ程の。
価値があるのか。
値打があるのか。
売るのなら。
売値を幾らにするのか。

そいつを。
決めるのは。
他の誰でもない。
己、自身。
そうでなければならない。

己の。
知恵、技量。
そして。
何よりも。
己の思い。

そいつは。
簡単に。
そうお安く出来る程の。
そんなものでは。
無いはずだ。

それくれいの。
矜持もない。
そんなものなど。
誰も欲しがりはしないだろう。
だからこそ。

己の。
価値や、値打。
そいつに関しては。
常に意識しておくこと。
己の決めた売価を守る為にも。

『Beatles For Sale』'64年リリース。
ビートルズの英国での4枚目となるオリジナル・アルバム。
当時のビートルズは、いよいよ米国を含めた全世界で大人気を博して。
いまからは信じられない程の殺人的なスケジュールをこなしていたと。
そんな中でも、クリスマス・シーズンに合わせたアルバムが必要だとされて。
全米ツアーと全英ツアーの間の。ほんの僅かの期間、スタジオに入って。
録音の主要部分はほぼ三週間で終わらせて。その後の作業も突貫作業で間に合わせたと。
アルバム・タイトルの素っ気なさが。何とも皮肉めいていて。ビートルズなりの反抗かとも。
流石のジョンとポールをもってしても、総てをオリジナルで埋めることはかなわなくて。
前作の『A Hard Day's Night』が総てオリジナルであったのに。言わば後戻りして。
カヴァーが6曲収録されていて。殆どがハンブルク時代からのレパートリーだったか。
カヴァーに関しては、一説では一日でほぼ録音を終えてしまったとも。結果的に。
どこか、やけくそな感じもある刹那なロックンロール・アルバムとしての魅力も備わったと。
そんな怪我の功名もありながら。ビートル、特にジョンとしては忸怩たるものもあったかと。
何故なら全米ツアー中に初めて顔を合わせたと言うボブ・ディランの影響もあってか。
このアルバムから。ジョンの作風に変化が表れてきていて。内省的、そして自叙的にと。
ただ勢いだけで、駆け抜けてきた季節が終わり。新たな季節へとその思いは巡っていたのか。
故に。もう少し時間があれば。より良いもの、己の目指すものになっていたと。
あの誇り高く、己の思いや信念に忠実で、己の価値を大切にしていたジョンであるならば。
その様に感じていたとしても不思議はないと思うのですよね。ただ、この段階では。
いかにジョン、いかにビートルズとしても。そこまでの権利は未だ手にしていなかったと。
まぁ、そんな葛藤する状況に置かれてこそ本領を発揮するのがジョンでもあって。
「No Reply」「I'm a Loser」と「Rock and Roll Music」「Mr. Moonlight」が同居している。そこに。
その真価と凄味を感じるし。故に半ばやっつけ仕事でも、十二分な価値をもたらしているのです。

どれ程の。
価値があるのか。
値打があるのか。
買うのなら。
買値を幾らにするのか。

そいつを。
決めるのは。
他の誰でもない。
己、自身。
そうでなければならない。

その人の。
知恵、技量。
そして。
何よりも。
その人の思い。

そいつは。
簡単に。
そうお安く出来る程の。
そんなものでは。
無いはずだ。

それくれいの。
矜持もない。
そんなものになど。
己の心も動きはしないだろう。
だからこそ。

その人の。
価値や、値打。
そいつに関しては。
常に意識しておくこと。
己の決めた買値を譲らない為にも。

そうは。
安くはないのだと。
そう腹を括るのは。
それなりの覚悟。
そいつも伴うけれど。

そうは。
易くもないのだと。
そう言い切れるだけの。
それなりの矜持。
そいつは必要だと。

誰に。
何に。
どれだけ。
賭けるのか。
払うのか。

そこは。
己も。その人も。
誰もが。
真剣勝負。
そうでないと意味がない。

己の、その人の。
知恵、技量。
そして。
何よりも。
己の、その人の思い。

誰かの、誰もの。
知恵、技量。
そして。
何よりも。
誰かの、誰もの思い。

どれ程の。
価値があるのか、値打があるのか。
売値も、買値も。
そいつを決めるのは。
己、自身。それ以外にありはしない。

そんなことも教えてもらったかな・・・



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2018/12/07 Fri *来る、きっと来る / Marianne Faithfull

20181207comemywayukmonoorg


来る。
きっと来る。
そう。
その日が。
その時が。

あの娘の。
歩んでいる。
その道に。
来る。
きっと来る。

それが。
いつなのか。
もうそこまで来ているのか。
未だ。
先のことなのか。

それは。
知る由もないが。
その笑顔。
それを見て入れば。
確かだと。

その。
才能が。
光り輝き。
希望に。
満ち溢れる。

その日が。
その時が。
きっと来る。
その時に。
立ち会いたいと心から願うのだ。

『Come My Way』'65年リリース。
マリアンヌ・フェイスフルの1stアルバム。
戦略家のアンドリュー・ルーグ・オールダムの仕掛けによって。
このアルバムと、『Marianne Faithfull』の2枚は同日リリースされて。
レコード番号の関係か何かで、このアルバムが1stとされているのだとか。
ポップでキュートなアイドルとしてのマリアンヌと同時並行で。
英国ならではのトラッド、フォークの歌い手としてのマリアンヌを世に問うたと。
そして2枚のアルバムに先駆けて。夫々の面を強調したシングルをリリースして。
世間の耳目を十分に引き付けておいてから2枚のアルバムで寄り添い、相反する。
そんなマリアンヌの魅力を一気に解き放って、世間を虜にしてみせたのでした。
さて。アイドルとしての華やかさ。それとは一転。アコースティックなサウンドをバックに。
トラッドナンバーを口ずさむマリアンヌ。そのシンプルで、そして優しい歌声。
マリアンヌの根本にあったのは。このアルバに捉えられているものだったのだなと。
その点では、そうメリー・ホプキンとの共通点もあったのかなと思われます。
その歌声には。微かにではありますが、後の日のあの凄味を感じる瞬間もあったりして。
トラッド、フォークと言うのは。単に優しいだけでなく。時に残酷なものでもある。
そのことを、その歌声、そしてその存在で示しているマリアンヌなのです。
貴族の血を引き、若くして結婚し。数奇な人生を歩み続けたマリアンヌ。その人生において。
何度か、好機や、転機。そして危機も訪れたのだと思いますが。その歌声には。そうだな。
何かの到来を信じ、待ち望み、そしてそれを生かそうとする逞しい生命力の様なもの。
そんなものが宿っていることを強く感じずにはいられないのです。ただ可愛いだけでない。
一人の女性、一人の人間としての強い魅力がね。マリアンヌにはあるのです。

来る。
きっと来る。
そう。
その時が。
その瞬間が。

あの娘の。
歩んでいく。
その先に。
来る。
きっと来る。

それが。
いつなのか。
もう明日にも訪れるのか。
未だ。
暫くはかかるのか。

それを。
知る術もないが。
その歌声。
それを聴いて入れば。
確かだと。

その。
才能の。
輝きが増し。
希望を。
その手に掴み取る。

その時が。
その瞬間が。
きっと来る。
その瞬間を。
共にしたいと心から願うのだ。

今でも。
そう。
その笑顔は。
輝きに。
溢れて。

今でも。
そう。
その歌声は。
愛に。
満ちて。

でも。
おそらくは。
未だ。
これは。
ただの途上なのだと。

そう。
間違いなく。
未だ。
これ以上の。
ものが表れると。

その。
笑顔が。
歌声が。
今以上に。
輝きを帯びて。

その。
才能が。
希望が。
周りをも。
幸福にする。

そんな。
日が、時が、瞬間が。
来る。
きっと来る。
そう信じて止まないのだ。



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2018/12/06 Thu *半月 / Small Faces

20181206ogdensnutgoneflake


半分。
輝いて。
半分。
闇の中。
半月。

その輝き。
その中に。
何を見るのか。
何を感じて。
何を思うのか。

その輝き。
そいつに誘われて。
その下へと、その中へと。
月明かりに魅せられて。
期待に胸を膨らませ。

そんな時。
ふと。
囁きかける声。
その方向へと顔を向けても。
何も見えはしない。

その声は。
闇の中から。
密やかに囁きかける。
見えているものだけ。
それだけでいいのかと。

何も見えない。
それは。
恐ろしくはあるけれど。
それが故に。
また、誘われもするのだと。

『Ogdens' Nut Gone Flake』'68年リリース。
煙草缶を模した円形の変形ジャケットでも知られている。
そんな、スモール・フェイセスのイミディエイトでの2枚目となるアルバム。
そして純粋なオリジナル・アルバムとしては最後となったアルバムでもあります。
スモール・フェイセスのオリジナル・アルバムと言うのは3枚しかないのですね。
デッカ、イミディエイトと。契約に翻弄されて。更には急激な時代の流れの中で。
モッズ・バンドから、サイケでポップなバンドへと生まれ変わって。
やがて軋轢からスティーヴ・マリオットが脱退と。激動を生きたバンドだったと。
さて。そのアルバム。A面は従来のR&B由来の泥臭さとハードさを残しながらも。
更にポップへと進化を遂げたご機嫌なナンバーを、畳みかけてくる様が圧巻で。
インストの「Ogdens' Nut Gone Flake」からの「Afterglow」への流れのカッコ良さとか。
「Lazy Sunday」の突き抜けた緩い感じとか。何とも堪らないものがあります。
そしてB面は。半月の光の無い、その闇の中にある半分。それを探しに出かける男の物語。
スタンと名付けられたその男の冒険譚を年老いた語り部が語ると、そんなコンセプトで。
より、サイケに。ある意味での狂気を描く、そんな新境地を鮮やかに展開しています。
当時の流行に乗ったと言えば、そうなのでしょうが。決して小難しくも大袈裟にもならずに。
ストレンジな香りを漂わせながらもポップなナンバーの連発で語ってみせるところ。
そこに粋で伊達なモッズである、スモール・フェイセスならではの魅力があります。
その矜持が揺るがないところ。それはまたどうにも英国ならではの香りを漂わせてもいて。
このアルバム。全英チャートを何週間か連続で制覇しているのですが。米国ではさっぱりと。
そこが。マリオットとかには物足らなかったのかもですが。それ故の愛しさもあるかなと。
改めて。じっくりと耳を傾けると。その確かで高い演奏技術にも気づかされて。
短命が故の魅力。それがあるのは認めつつも。もう少し、物語の先を聴きたかったかなと思わざるを得ません。

半分。
闇の中。
半分。
輝いて。
半月。

その闇。
その中に。
何を見ようと。
何を感じようと。
何を思おうとするのか。

その闇。
そいつに誘われて。
その下へと、その奥へと。
闇の深さに魅せられて。
戦きに胸を高鳴らせ。

そんな時。
ふと。
歌いかける声。
その方向へと顔を向ければ。
何もかもが明白で。

その声は。
光の中から。
穏やかに歌いかける。
見えているものだけ。
それだけでいいのだと。

何もかもが見える。
それは。
安らかではあるけれど。
それが故に。
また、疑いもするのだと。

輝くもの。
それだけで。
成り立つ世界が。
あるものかと。
いつも、心が騒いでいる。

月明かり。
その下の。
その明るさの。
その外には。
何があるのかと。

月光。
その光の。
届かない。
その外には。
何が蠢くのかと。

半分に。
切り取られた。
闇の中にも。
世界はあるのかと。
いつも、心が惹かれている。

月明かり。
そんなものの。
明るさの。
その外にこそ。
なにかがあるのだと。

月光。
その光など。
及びもしない。
その外で蠢くものに。
会いたいのだと。

半分。
輝いて。
半分。
確かに深い闇の中。
半月。

見てはならない。
感じてはいけない。
そこに。
呼ばれてやまない。
魅せられてやまない。



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2018/12/05 Wed *ノイズの向こう側 / The Kinks

20181205liveatkelvinhall


ノイズの。
その向こう側。
そこからだけ。
届けられる。
そんなものもある。

平坦で。
均一で。
そんな無機質な。
そんな世界では。
感じられないもの。

実のところ。
そんなものにこそ。
面白味が。
潜んでいて。
胸を躍らされる。

だから。
耳障りだと。
誰かが除外する。
そのものにこそ。
耳を傾向けて。

聞き分けて。
探し出すのだ。
己にとっての。
真に価値のあるもの。
そんなものを。

ノイズの。
その向こう側。
そこにこそ。
真実が隠されている。
そんなものかもしれないし。

『Live At Kelvin Hall』'68年リリース。
キンクスにとって初めてとなるライヴ・アルバム。
前年の4月にグラスゴーのケルヴィン・ホールで収録されたと言われていて。
米国では前年に『The Live Kinks』のタイトルでリリースされていたのですが。
「You Really Got Me」の前でファンが「Happy Birthday」を大合唱しているものの。
当時のキンクスのメンバーには誰一人として4月生まれはいないと言う。
どうやら、4月以外の、ケルヴィン・ホール以外での音源も使われている模様です。
まぁ、当時の話ですからね。よくある話と言うか。音源に関する認識も低かったかなと。
さて。昔からストーンズの『Got Live If You Want It !』と並んで音質の悪さで有名ですが。
針を落としていると。気にならないと言うか。言う程、悪いかとの印象です。
確かに。全体としてこもっているし、分離は悪いし。歓声は五月蝿いしと。
でも。それがどうしたと。そもそも当時のライヴなど。そんなものではないかと。
そして。それ以上に。キンクスの熱く激しいライヴ。それが捉えられているのが重要だと。
既に。スタジオではレイ・デイヴィスの捻くれた世界が全開となりつつあった当時に。
ライヴでは、あくまでもパンクに、アナーキーに弾けていたのだとの、その事実。
そこに。ブリティッシュ・ビート・バンドとしてのキンクスの真の姿があるかなとも。
そして。それに魅せられ、引き込まれた観客が熱くなって大歓声で応えていると。
凄いなと。捻くれ者のキンクスだって。アイドルだったのだと。それを実感できるだけでも。
そう。ノイズの向こう側に耳を傾けてみる価値は十二分にあるのですよね。
いくらヒットしていたとは言え、「Sunny Afternoon」なんてナンバーまで大合唱ですから。
曲順、曲数含めて。これが当時のキンクスのライヴの正確で完全な姿とは思いませんが。
B面を締めくくる「You Really Got Me」から、メドレーへの流れの圧倒的なカッコ良さ。
「Milk Cow Blues~Batman Theme~Tired Of Waiting For You~Milk Cow Blues」と。
そのカヴァーとオリジナルが混然一体となったロックンロールのカッコ良さ。ノイズなんて何するものなのです。

ノイズの。
その向こう側。
そこからこそ。
伝えられる。
そんなものもある。

平滑で。
均質で。
そんな無味乾燥な。
そんな世界では。
捉えられないもの。

実のところ。
そんなものにこそ。
醍醐味が。
溢れていて。
胸を昂らされる。

だから。
目の毒だと。
誰かが排除する。
そのものにこそ。
目を皿にして。

見分けて。
見出すのだ。
己にとっての。
真に意味のあるもの。
そんなものを。

ノイズの。
その向こう側。
そこにこそ。
事実が埋もれている。
そんなものかもしれないし。

雑然と。
混然と。
それを。
避けずに。
臨んでこそ。

騒然も。
猥雑も。
それを。
厭わずに。
挑んでこそ。

必要以上に。
洗浄される。
消毒される。
その前に。
感じてこそ。

不必要な。
矯正を施される。
補正を施される。
その前を。
捉えてこそ。

己の。
真に望む。
そんなものに。
出会える。
その手に出来る。

己が。
真に欲する。
そんなものと。
巡り会える。
その手を掴める。

ノイズの。
その向こう側。
そこにこそ。
本当に、大切で大事な。
そんなものがある。



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2018/12/04 Tue *愛なんて / The Yardbirds

20181204foryourloveusmono


愛なんて。
目に見えないし。
形も無いだろうし。
どうにも。
捉えどころがない。

そうなると。
どうしても。
その存在。
そのものを。
疑ってみたくもなる。

否、別に。
見えなかろうが。
形など無かろうが。
それでも。
信じているもの。

そんなものも。
ありはするけれど。
愛となると。
どうにもこうにも。
胡散臭くなると言うか。

恥ずかしげもなく。
堂々と。
愛などと言う輩は。
どうにも。
信じられないと言うか。

でも。
親しさであるとか。
愛おしさであるとか。
結局のところ。
そんなものの為に生きている気もするし。

『For Your Love』'65年リリース。
ヤードバーズの米国での1stアルバム。
別にアルバムの為にセッションや録音が行われたのではなく。
エリック・クラプトンからジェフ・ベックへとギタリストが交代して。
クラプトン在籍時最後のシングルである「For Your Love」がヒットしてと。
やっと米国でのブレイクの兆し、それを逃すまいとしてアルバムが編集されたと。
従ってジャケットにはベックが写っているものの。殆どがクラプトン在籍時の音源で。
英国でのクラプトン在籍時のシングル盤と、ベックが参加してからのEP盤。
そこから選ばれた11曲が収録されていて。統一感には欠けるのは否めないかなと。
それでも。やさぐれたキース・レルフの歌声を中心にしたチンピラでモッドなバンド。
その尖がった空気感こそがヤードバーズの魅力だったのだなと思わされます。
どうにも日本ではクラプトン、ベック、そしてジミー・ペイジと。
所謂、三大ギタリストを輩出したバンドとして語られがちで。レルフは過小評価されたまま。
そんな感じが強いのですが。それは、どうやら誤りだったと。兎に角、カッコいいなと。
線は細くて、ぶっきらぼうで。でも、どこか憎めないと。その纏っている空気が独特で。
だからこそ、個性的なギタリスト達を向こうに回して看板を張れたのだなと思います。
さて。「For Your Love」のあまりのポップさに嫌気がさしてクラプトンは辞めたと。
そいつが定説で。確かに、それ以前に比べればポップではあるものの。そこまでかなと。
まぁ、気持ちとしてはブルースにより強く惹かれていたのは確かだとは思うのですが。
結構、他のナンバーも意外にポップだぞと。要は方向性が他のメンバーとは合わなくて。
その新たな方向性、よりポップにサイケにと言うのにはベックのが、合っていたと。
そんなところだったかなと。ベック、そしてレルフも根っこにはブルースもありながら。
それだけには拘らない、拘り切れずに。よりポップで、サイケにと。そうして。
あのブリティッシュ・ビートの時代に挑んでいったと。その過程、その姿が愛しくて。
ヤードバーズへの愛なんて、そんなもの。でも、その感覚、距離感がいいのだと思うのですけどね。

愛なんて。
定義もあやふやだし。
実体など触れられないし。
どうにも。
疑わしくてならない。

そうなると。
どうしても。
その実存。
そのものを。
否定してみたくもなる。

否、別に。
あやふやだろうが。
触れなかろうが。
それでも。
感じられるもの。

そんなものも。
ありはするけれど。
愛となると。
どうにもこうにも。
綺麗ごとに過ぎると言うか。

臆面もなく
高らかに。
愛などと謳う輩は。
どうにも。
好きになれないと言うか。

でも。
高鳴りであるとか。
狂おしさであるとか。
結局のところ。
そんなものの為に生きている気もするし。

愛なんて。
本当のところ。
あるのか。
どうなのか。
そいつはわからない。

愛なんて。
本当のところ。
ただの言葉。
ただの言葉遊び。
そんなものかもしれないし。

だから。
面と向かって。
大真面目に。
口にしたり、表したり。
そんなのは好きになれない。

愛なんて。
目に見えなくても。
形が無くても。
世間様とやらが定めた。
そんなものでなくてもいい。

愛なんて。
あやふやでも。
触れられなくても。
世界とやらが認めた。
そんなものでなくてもいい。

そう。
この親しみも。
この愛おしさも。
この高鳴りも。
この狂おしさも。

愛なんて。
そんな。
自分が信じられる。
自分が感じている。
そんなものでしかない・・・それでいい。



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2018/12/03 Mon *漆黒 / Toots And The Maytals

20181203inthedark


漆黒。
闇の中。
気づけば。
元通り。
そんなところ。

昨日。
微かに。
感じた。
光など。
既に遠く。

右も。
左も。
闇の中。
慣れたもので。
やれやれと。

ため息の。
一つでも。
ついたのなら。
後は。
そのままで。

無理に。
動こうともせずに。
その闇に。
溶け込んで。
しまうだけ。

微かな光の。
その残像。
瞼の裏の。
そいつだけを。
友として。

『In The Dark』'74年リリース。
スカの時代から活動を続けていたトゥーツ・アンド・メイタルズ。
アイランドと契約を得て。全世界を相手に活動を始めてから3枚目か4枚目のアルバム。
アイランドのクリス・ブラックウェルはトゥーツ・アンド・メイタルズと契約しようとして。
最初は断られて。代わりにボブ・マーリー、ウェイラーズと契約したとの逸話もあって。
それほどに。ジャマイカ、レゲエの世界では大物、破格の存在であったと。
そもそもが。よく勘違いされていますが。レゲエと言うのは。それほど歴史は古くなくて。
ジャマイカの音楽と言えば。距離的に近かったアメリカのR&Bやソウルの影響が大きく。
そこに南米の音楽なども入ってきて。やがてスカになり、ロックステディになり。
そしてレゲエへと変化していったと。その総ての時代にトゥーツ・アンド・メイタルズは。
関わっていたと言うか。そもそもレゲエの語源は、そのヒット・ナンバーから来ているとも。
それほどに。息が長く、時代を超越できたのはトゥーツ・ヒバートの才能に負うところかな。
ジャマイカのオーティス・レディングとも称されたその歌声の魅力。
そしてソングライターとしてのセンスもかなりのものがあってと。そんなところかなと。
特に、その黒くソウルフルな歌声。そこに宿る陽性の艶の様なものは、なんとも。
優しくも、力強くもあって。聴く者を自然と昂揚させる力に満ちている気がするのです。
英国の若者達にも支持されたのは。その辺りに鍵があったとも思われて。
ジャマイカと英国。国籍も肌の色も異なるけれど。それこそ闇の様な社会の底辺を生きて。
それでも。一筋の光の様な希望を感じさせる、そんな歌声が強い共感を呼んだのかなと。
また。その歌声と共に。そのサウンドには例えばスタックスとかアトランティックとか。
あの時代のソウルを思わせるものがあって。それもソウル好きの英国の若者たちにとって。
親しみやすさが増したのかもと。そう。レゲエの音楽的成り立ちにも思いが及ぶアルバムなのです。

漆黒。
闇の中。
目覚めたら。
元の木阿弥。
そんなところ。

昨日。
目にした。
一筋の。
光など。
既に無く。

上も。
下も。
闇の中。
馴染んだもので。
やれやれと。

苦笑いの。
一つでも。
浮かべたのなら。
後は。
そのままに。

無理に。
脱け出そうともせずに。
その闇に。
同化して。
しまうだけ。

一筋の光の。
その残像。
胸の奥の。
そいつだけを。
友として。

夜目が利く。
そんな訳でも。
ないけれど。
慣れれば。
馴染んでしまえば。

闇の中。
そいつも。
案外と。
居心地は。
悪くはない様で。

闇の中。
だからこそ。
見えてくる。
感じられる。
そんなものもある様で。

好んで。
夜目が利く。
そんな生き方を。
選んだ訳では。
ないけれど。

闇の中。
何かを。
何ものかを。
避けて。やり過ごす。
そいつにはちょうどいい。

闇の中。
だからこそ。
見なくていい。
見ないでいい。
そんなものは確かにあって。

漆黒。
その中に。
逃避して。
己だけが感じる光に。
静かに昂揚して過ごしてみたりする・・・



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2018/11/30 Fri *与えられた / Bob Andy And Marcia Griffiths

20181130younggiftedandblack


与えられた。
そんなものが。
あるのなら。
生かさない手はない。
勿体ない。

気づいているのか。
いないのか。
そいつは。
微妙なところだけど。
だとしても。

誰かと違う。
何かが。
何ものかが。
何故だか。
自分にはあるのではと。

僅かでも。
そう感じたのなら。
そいつに賭けて。
そいつを武器に。
打って出る。

それ程の。
思いきりは。
あってもいい。
それくらいは。
許されるだろう。

何故なら。
それは。
誰にでも。
与えられる。
ものではないからだ。

『Young Gifted And Black』'70年リリース。
ボブ・アンディとマーシャ・グリフィス。ロック・ステディやスカ。
レゲエの前身となる、その時代から活躍していた二人が組んだ(恐らくは)初のアルバム。
マーシャの幸せそうな笑顔が印象的ですが。この当時、二人は交際していたのだとか。
また、男社会だったジャマイカの音楽シーンでマーシャが頭角を表すのには。
ボブの多大なる支援があったとも言われていて。その信頼関係は強かったのだろうなと。
さて。時代を考えても。レゲエのアルバムのジャケットの二人がアフロ・ヘアーと言うのは。
どうにも違和感があるのですが。このアルバム。ソウルやロックのカヴァー・アルバムで。
マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルとか、デラニー&ボニーとか。
更にはボブ・ディランのナンバーもあって。レゲエが未だ欧米での認知が低かった時代に。
如何にして、外へと打って出ていくか。その試行錯誤の末に生まれたアルバムだったのか。
ボブも、マーシャもその歌声は素晴らしく。ソウル・アルバムとしても優れている・・・
でも。その歌声に呼応するリズム、ビートはレゲエ以外の何ものでもない。そこがいいかな。
アルバム・タイトルにもなっている「Young Gifted And Black」はニーナ・シモンの曲で。
アレサ・フランクリンのカヴァーも良く知られるところ。若く才能を与えられていること。
そして黒人であることを誇りに思いなさいと歌われる、時代を考えると過激であるとも。
それを、明るく、前向きに、陽気に歌うボブとマーシャ。希望や可能性が光り輝いていると。
そこに、何と言うか。このアルバムの魅力も意義も集約されている感じもあるかな。
誰もが、選ばれ、祝福されているのだと。与えられた、持って生まれたものを誇りにして。
堂々と世の中を、このリズム、ビートと共に歩んでいこう。そんな意思を感じるのです。
このアルバム、全英ではTOP5にまで上がったそうで。そのメッセージは海を越えたと。
それにしても。そうか。マーシャはアイ・スリーズ以前に成功を収めていたのだなと、改めて認識をね。

与えられた。
そんな者で。
あるのなら。
活かさない手はない。
許されない。

気づいているのか。
いないのか。
そいつとは。
関係の無いところで。
どうにでも。

誰とも違う。
何かだと。
何者かだと。
何故だか。
自分はらしいと。

僅かでも。
そう思えたのなら。
そいつを信じて。
そいつを看板に。
大勝負に出る。

それ程の。
傲慢さは。
あってもいい。
それくらいは。
背負わなければ。

何故なら。
誰もが。
与えられた者。
そいつに。
なれはしないからだ。

そして。
実は。
誰にも。
与えられた。
ものがあって。

それを。
そうとは。
思わずに。
見落としている。
そうかもしれない。

そう。
実は。
誰もが。
与えられた。
者でもあって。

それを。
そうとは。
思えずに。
蔑ろにしている。
そうかもしれない。

若さも。
与えられたものならば。
年輪も。
与えられたもの。
そうではないかと。

その推進力。
それは与えられた者。
この調整力。
それも与えられた者。
それでいいのではと。

与えられた。
そんなもの。
与えられた。
そんな者。
生かして、活かして。誰もが誇りと共に。



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