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2019年3月

2019/03/17 Sun *くたばるまでは / The J.B.'s

20190317doingittothedeath


一時、一時。
一夜、一夜。
一日、一日。
その瞬間に。
近づいていると。

その事実。
それだけは。
変えようがない。
それからは。
逃れようがない。

ならば。
その時まで。
やれるのなら。
やりたいことを。
やるだけのこと。

そう。
その瞬間まで。
やれる間は。
やりたいことを。
やり続けるだけ。

たとえ。
それが。そのことが。
少しばかり。
その時を、その瞬間を。
早めるものだとしても。

やれる。
その事実。
そいつに感謝して。
やるだけ。
やり続けるだけ。それだけ。

『Doing It To Death』'73年リリース。
フレッド・ウェズリーに続きメイシオ・パーカーも復帰したJBズの二枚目のアルバム。
オリジナルのJBズのメンバーだったブーツィ・コリンズ等は脱退した後で。
アルバムの冒頭では12名のメンバーによると紹介されていますが。まぁ、そこらは。
ナンバー毎に、参加メンバーも異なっている様で。多分に流動的なところもあったのかなと。
フレッドがリーダーなのは確かで。メイシオも全面的に参加しているとは思いますが。
さて。クレジットでは8曲収録となっていますが。実質的には5曲収録と言ったところかな。
ジョン”ジャボ”スタークスとフレッド・トーマスのリズム隊によるワン・コードのグルーヴ。
それにフレッドやメイシオのソロとか、勿論、御大JBの叫び声が乗っかってきて。
延々と長尺の黒く、熱く、クールなジャズ・ファンクのジャムが繰り広げられると。
もう。殆ど。垂れ流しとも言えるものなおですが。その尽きることの無い様がなんとも。
心地が良くて。繰り返し針を落としている内に、中毒になって止められなくなる、その快感。
こいつを知ってしまうと。もう真人間には戻れなくなる。その恐れがまた堪らないのです。
3連もあれば、4ビートもあり、スローもありと。何でもありで自在にファンクする。
その黒光りする生命体とも呼べそうな、その全身、生命を操っているのは当然JBで。
その掛け声、号令一家の下で、見事に反応、触発し合う様が何とも見事なのです。
「Doing It To Death, Part1, Part2」では楽しそうにメイシオをこき使うJBがいたりして。
ここらは出戻りに際しての御大からの愛の鞭なのかなとか。応えるメイシオも見事ですが。
JBと演奏する、仕事をすることの楽しさと共に厳しさが窺い知れたりもするのです。
それも、これも極上のファンク、グルーヴを生み出し、この世に蔓延らせる為であって。
それこそ。くたばるまでは。その時、その瞬間までは。このファンク、グルーヴが。
身体に、そして精神に行き渡ってくれるのなら。それほど幸福なことはないかも知れないと。
そんなことすら感じられて。やりたいことをやること、やり続けることの大切さを改めて思うのです。

一時、一時。
一夜、一夜。
一日、一日。
その瞬間に。
近づいていると。

その事実。
それだけは。
変えようがない。
それからは。
逃れようがない。

ならば。
その時まで。
やれるのなら。
やりたいことを。
やるだけのこと。

そう。
その瞬間まで。
やれる間は。
やりたいことを。
やり続けるだけ。

たとえ。
それが。そのことが。
少しばかり。
その時を、その瞬間を。
早めるものだとしても。

やれる。
その事実。
そいつに感謝して。
やるだけ。
やり続けるだけ。それだけ。

労わることも。
勿論。
必要ではあるだろう。
それは。
解ってはいるけれど。

ほどほどと言うのも。
勿論。
大切ではあるだろう。
それも。
解ってはいるけれど。

安全運転。
勿論。
それが好ましいのは。
言を待たない。
そんなことではあるけれど。

それでも。
頑張ってしまう。
そんなもの。
そんな時。
それも必要なのだと。

それでも。
ラインを超えてしまう。
そんなもの。
そんな時。
それも大切なのだと。

暴走。
そいつが。
好ましくはなくても。
言葉にならない。
ものを生む時もあるのだと。

一時、一時。
一夜、一夜。
一日、一日。
くたばるまでは。
やるだけ、やり続けるだけ。それだけ。



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2019/03/14 Thu *みんな、違って、異なって / Betty Davis

20190314theysayimdifferent


みんな、違って。
それでいい。
それがいい。
みんな、違うから。
面白い。

誰かの真似して。
誰かと同じで。
それの。
何処が面白い。
何が面白い。

右を見て。
左を見て。
倣って。
揃えて。
はみ出さずに並んで。

いつのまにか。
いつから。
それを受け入れて。
それを当たり前だと。
飼い慣らされたのか。

それは。
求めたことなのか。
望んだことなのか。
いつから。
疑いを忘れたか。

誰かと違う。
誰もと違う。
それを恐れる。
そんな馬鹿げたことは。
止めにしてみないか。

『They Say I'm Different』'74年リリース。
褐色のファンキー・クイーン(1stアルバムの邦題)、ベティ・ディヴィス。
その強烈な個性全開のジャケットにも魅せられる、2ndアルバム。
モデルとして名を馳せ、あのマイルス・ディヴィスの夫人でもあったベティ。
モデル時代から、その筋(どの筋?)では有名だったらしく。
マイルスにジミ・ヘンドリックスを引き合わせたのは、ほかならぬベティだったとか。
そんなベティ。マイルスと別れた後はヨーロッパに渡っていたのだとか。
そこでジミの訃報に接して、ショックと、そして天啓を受けてアメリカに帰国して。
自作のナンバーを旧知のミュージシャンに聴かせたところ、気に入られてデビューしたと。
その1stアルバムには様々な大物が参加したものの。独立独歩の気風が強いベティ。
プロデュースも含めて自らが制作の指揮を執りたいと。マイルスに頼んで勉強して。
全曲がベティのオリジナル、念願のプロデュースも手掛けてこのアルバムを創り上げたと。
ギターであのコーネル・デュプリーが全面的に参加している以外は。
ベティが自ら選んだメンバーによる、自らのバンドが主体で。そこにもベティの意思が。
何故かバディ・マイルスが一曲だけギターで参加しているのが興味深いところかな。
さて。適度にラフなサウンドで奏でられる、ゴリゴリのヘヴィーなファンク。
この洗練され過ぎていないところがツボで。リズム隊が生み出す、適度な間も素晴らしいと。
その上で、デュプリーのギターがシャキシャキと切れまくり。そしてベティが登場と。
その何とも個性的で。敢えて潰して、敢えて引っ掻いた様な、強烈な歌声。癖になります。
シャウトしながら、何かを引き摺る様に、何かを目の前に突き付ける様に。
目を逸らせるものなら、逸らしてみなと。耳を塞げるものなら、塞いでみなと。
自らを開放することで、聴く者にも開放をせまる。個性とは何か。そんな問いを投げ掛けているのかと。

みんな、異なって。
それでいい。
それがいい。
みんな、異なるから。
楽しい。

誰かの模倣で。
誰かの代用で。
それの。
何処が楽しい。
何が楽しい。

前を見て。
後ろを見て。
倣って。
揃えて。
はみ出さずに紛れて。

いつのまにか。
いつから。
それをやらされて。
それをやり始めて。
従順な羊になってしまったか。

それを。
求めたことはあったのか。
望んだことはあったのか。
いつから。
闘いを止めたのか。

誰かと異なる。
誰もと異なる。
それを怖がる。
そんな下らないことこそ。
止めにしてみないか。

私は私。
誰かとは違う。
それでいい。
それがいい。
それだけのこと。

あなたはあなた。
誰かとは違う。
それでいい。
それがいい。
それだけのこと。

誰かは誰か。
私とも、あなたとも違う。
それでいい。
それがいい。
それだけのこと。

真似して。
倣って。
みんな、同じが。
いいなどと。
馴らされるな。

模倣して。
揃って。
みんな、同じで。
いいなどと。
騙されるな。

前例とか。
慣例とか。
常識とか。
適用されることを。
疑ってみろよ。

みんな、違って、異なって。
それでいい。
それがいい。
みんな、違うから、異なるから。
面白くて、楽しい。それでいい。それがいい。



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2019/03/13 Wed *明日なき / Dobie Gray

20190313driftaway


明日なき。
まぁ。
毎日が。
そんなところ。
そんなもの。

いつから。
そうだな。
たぶん。
あの日から。
あの時から。

そいつに。
出会ってしまった。
あの時に。
決まってしまった。
そう言うことだ。

それは。
偶然の様で。
おそらくは。
必然であったと。
運命ですらあったと。

だから。
もう。
それだけで。
それが総てで。
さすらうだけの日々。

明日なき。
根無し草。
苔生す暇もなく。
それでいい。
それがいい。

『Drift Away』'74年リリース。
テキサス出身のシンガー、ドビー・グレイの代表作とも言えるアルバム。
サム・クックに影響を受けたのかなと思わされるソウルフルな歌声の持主にして。
ポピュラー・シンガーとしての親しみやすさも備えていて。
更には、ブルースやカントリーをも歌いこなす柔軟さもあったと言われるドビー。
その柔軟さ、幅の広さが。その個性をわかりにくくしているきらいはあるのかな。
そんなドビーの名前を一躍知らしめたのが「Drift Away」の大ヒットでした。
「明日なきさすらい」の邦題でもしられるこのナンバー、その人気ぶりを語る伝説として。
サンフランシスコのラジオ局で八時間以上、ぶっつづけでオン・エアされたらしく。
何者かに占拠されたのではと。警察が出動する騒ぎになったのだとか。真偽は兎も角。
音楽、ロックンロールに魅せられ、愛した者の自由を謳い上げたこのナンバー。
アンディ・ウイリアムスの弟、メンター・ウイリアムスの手によるもので。
最初に歌ったのはスワンプ・ロックのシンガーだったとか。それを世に広げたのがドビーで。
その軽やかながらも、揺るぎない意志を感じさせる溌溂とした歌声にあっていたのかな。
後に、ロッド・スチュワートや、ストーンズも取り上げることとなりました。
未聴ですが。ブルース・スプリングスティーンやボン・ジョヴィも歌っているとか。
言わば、ロックンロール賛歌、アンセムになっていると。とても穏やかな曲調なのですが。
それが故に、ロックンロールを、自由を愛し、何ものにも囚われない自由さが感じられると。
正直。全編を通すとやや軽やかに過ぎて。アルバムとしては物足りなくもあるのですが。
「Drift Away」、その一曲だけで十分に価値があるかなと。後は、そうそう。
キース・リチャーズの愛唱歌でもある「We Had It All」もいい感じで歌い上げているかな。
そう。音楽、ロックンロールさえあれば。総てを手にしたと言ってもいい。そんな肯定感が良いのです。

明日なき。
そう。
毎日が。
そんなもので。
その連続で。

いつまで。
そうだな。
たぶん。
その日まで。
その時まで。

そいつと。
別れざるを得ない。
その時まで。
こちとらがくたばる時まで。
そう言うことだ。

それは。
腐れ縁の様で。
ここまできたら。
悪縁であっても。
運命共同体であると。

だから。
もう。
それだけで。
それが総てで。
さすらい続けるだけの日々。

明日なき。
はぐれ者。
落ち着く暇もなく。
それでいい。
それがいい。

明日。
何があるのか。
何が起きるか。
考えてところで。
わからない。

明日。
どうなるのか。
どうなってしまうのか。
思い煩っても。
しかたがない。

明日。
どうしようか。
どうしたらいいのか。
答えを探しても。
見つからない。

ただ。
明日も。
そいつと共に。
あるだけ。
それだけのこと。

ただ。
明日も。
そいつと共に。
転がるだけ。
それだけのこと。

ただ。
明日も。
そいつと共に。
さすらう。
それだけのこと。

明日なき。
さすらい。
それだけを。
愛し続けるだけのこと。
それでいい、それがいい。



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2019/03/12 Tue *外れた貴方 / Bootsy's Rubber Band

20190312thisbootismadeforfonkn


外れた貴方。
好奇心と。
妙に楽天的な何か。
それだけを武器に。
ずんずんずんと。

色々と。
考えてみるとか。
試行錯誤とか。
それなりに。
あるのだろうけれど。

最後は。
やってみて。
後は。
それから考える。
何とかなる。

そんな感じで。
先へと。
新しい何かをと。
そこを目指して。
歩いていく。

どうしたら。
そんな歩き方が。
できるのか。
そもそも。
思いつくのか。

何か。
特別な。
装備でも備えているのか。
そんなことすら・・・
外れた貴方。

『This Boot Is Made For Fonk-N』'79年リリース。
ブーツィー・コリンズ率いるブーツィーズ・ラバー・バンド。
その4枚目にして同名義では最後のアルバム・・・この時点では。
名義の使用を巡って訴訟になって。使用できなくなったとのことでしたが。
その後に復活させていたりもしたので。その辺りの事情には不明なところも。
さてと。このアルバム・タイトルは、恐らくはあのナンシー・シナトラのナンバーである。
「These Boots Are Made For Walkin'」、邦題「にくい貴方」の捩りなのだろうなと。
ここらの遊び心も如何にもブーツィーかなと。そのぶっ飛び具合が増しているアルバムで。
一節では。この頃のブーツィーは薬物やら、何やらで。相当に疲弊してもいた様で。
何と言うか、何かをやり遂げる、纏め上げる、その手の集中力には欠けていて。
アメコミ好きのブーツィーらしく封入されたブックレットのコミックスも未完であるとか。
その辺りにも破綻、綻びが見て取れるかなと。ただその纏まりに欠けるが故に。
箍が外れて、あのブーツィーの超絶的なベースが只管に唸り、鳴り響いていて。
それが、アルバム全編を覆っていて。そのグルーヴが何とも心地良かったりするのです。
おそらく、ブーツィーと言う人はグルーヴ命の人なので。そのグルーヴの波の中に。
身を置いていられれば、それで総て良しみたいな。まぁ、垂れ流しでもあるのですけど。
アップでも、ミドルでも、スローでも。曲調とか、テンポとかは大きな問題でなくて。
とにかく、そのグルーヴを持続させること。それに乗り、乗せていくことこそ命題だと。
そんな、破天荒な求道者みたいな。そんなグルーヴ・マスター振りが堪らないなと。
たいがい、やる方が飽きるか、聴く方が呆れるか。そんなことになりかねない。
そんなところを軽々とクリア、跳び越えていってしまうのがブーツィーならではで。
やっぱり。どこか外れているのでしょうが。それもにくいよなぁと思えてしまうのです。

外れた貴方。
スケベ心と。
妙に前向きな何か。
それだけを拠り所に。
ずんずんずんと。

色々と。
巡らせてみるとか。
暗中模索とか。
それなりに。
ありはしたとしても。

詰まりは。
やるしかない。
後は。
その時に巡らせる。
何とかする。

そんな感じで。
先だけ。
新しい何かだけ。
それだけを見ながら。
飛び込んでいく。

どうしたら。
そんな跳ね方が。
できるのか。
そもそも。
思い至るのか。

何か。
重大な。
欠陥でも抱えているのか。
そんなことすら・・・
外れた貴方。

それなりに。
嫌な思いも。
してきたろうし。
痛い目にも。
あってきたろうし。

その度に。
それなりに。
否、かなり。
凹みもしたろうし。
落ちもしたろうし。

反省とか。
学習とかも。
その都度に。
積み重ねてきたろうし。
染みついてもいるだろうし。

なのに。
どうにも。
楽しそうだと。
感じてしまうと。
忘れてしまうらしい。

そうさ。
どうやら。
面白そうだと。
感じてしまうと。
消し去ってしまうらしい。

気づけば。
身も心も。
自然と反応して。
やってしまえと。
跳び越えている。

好奇心と。
スケベ心と。
根拠のない。
楽天的な何か。
そいつが箍を外してしまう。

外れた貴方・・・そう、俺のことさ(笑)。



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2019/03/11 Mon *押し戻せ / Nina Simone

20190311singstheblues


揺すり。
戻せ。
今なら。
未だ間に合うかも。
押し戻せ。

確かに。
風向きは。
逆風で。
逆らうのにも。
疲れてもきたが。

その。
目を背けたくもなる。
先に、向こうに。
その背中が。
未だ見え隠れしている。

今なら。
諦めずに。
その背中に。
呼びかければ。
何とか繋ぎとめられる。

微かな。
可能性だとしても。
諦めきれない。
そんな気持ちが。
少しでもあるのなら。

行くなと。
声にして。
この風向きに逆らって。
流れを変えよう。
押し戻せ。

『Sings The Blues』'67年リリース。
その凛とした力強い眼差しも印象的なニーナ・シモンのアルバム。
RCA移籍第一弾となり、通算では(恐らくは)二十枚目くらいのアルバムになるのかな。
ジャンルを超越し、幅広く精力的な活動を続けていたニーナです。
公民権運動へ積極的に関与した市民活動家でもあって。メッセージを歌に込めることも。
このアルバムでも、「Backlash Blues」で公民権運動の拡がりに対する白人の反発を。
それにより激化する差別、弾圧を歌い。その流れを揺すり、戻そうと語りかけているのです。
ニーナの深く、そして真っ直ぐな歌声は聴く者の胸に波紋を起こすもので。
時に、思わず。その波立つものから目を逸らしたくなるのですが。それを許さない力。
そんなものがニーナの歌声には宿っていて。それがニーナの魅力となっているのです。
さて。アルバム・タイトルから察するに。ニーナがブルースを歌うと言う企画盤にも思われ。
エリック・ゲイルやバーナード・パーディ等の演奏は明らかにその意図のもとにあり。
ニーナの歌声、唱法もそれを意識しているのですが。やっぱり根っ子はジャズなのだなと。
それはけしてニーナがブルースを歌えてないとか、ジャズの枠に囚われているとかでなく。
ブルースに染まらない、ブルースにも囚われない。そんなニーナの歌声、その存在感。
そこにニーナの、ニーナならではのジャズを感じると。そしてその力強さは外に向いていて。
その開かれている、開いていく様こそがニーナのメッセージを伝えてくれるのだと。
何だろうな。敢えて自らに枷を課しながら。それをものともしない奔放さで溢れ出ていく。
そうまでして、歌いたい、伝えたい。そんな意思の強さが真正面から向かってくるのです。
例えば「My Man's Gone Now」の胸に迫る、募る情感。そんなものと向き合わされるもの。
そんな有無をも言わせないものが、それこそがニーナのブルースだとするならば。
企画、意図は達成されていたとも言えるかな。そしてその有無をも言わせないもので。
諦めずに、揺すり、戻そうと。流れを変えよう、押し戻そうと同胞に有形無形の力を与えているのです。

揺すり。
戻せ。
今なら。
未だ手遅れではないかも。
押し戻せ。

確かに。
黒雲が。
立ち込めて。
一筋の光明を探すのも。
疲れてもきたが。

その。
蹲ってしまいたくなる。
前に、向こうに。
その兆しが。
未だ感じられるのなら。

今なら。
諦めずに。
その兆しに。
触れられれば。
何とか脱け出せる。

僅かな。
希望に過ぎないとしても。
棄ててはならない。
そんな思いが。
少しでも残っているのなら。

晴れろと。
声にして。
この黒雲を払って。
流れを変えよう。
押し戻せ。

どんなに。
状況が。
悪くても。
そのままに。
流されてしまいそうでも。

どんなに。
環境が。
酷くても。
そのままで。
潰されてしまいそうでも。

微かでいい。
諦められない。
そんな。
気持ちがあるのなら。
声にしよう。立ち上がろう。

僅かでいい。
棄てられない。
そんな。
思いがあるのなら。
声にしよう。立ち向かおう。

目を背けず。
諦めず。
風向きに逆らって。
流れを変えよう。
押し戻せ。

蹲らず。
諦めず。
黒雲を払って。
流れを変えよう。
押し戻せ。

揺すり。
戻せ。
間に合う筈だ。
手遅れなどではない。
押しも戻せ。



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2019/03/10 Sun *朝な、夕な / Elmore James, Eddie Taylor & Jimmy Reed

20190310southsideblues


朝な、夕なに。
南でも、北でも。
色々とあって。
色々と起きて。
追われている間に。

あぁ。
また一日が。
また週末が。
急ぎ足で。
去っていくと。

そいつは。
結構。
タフなことで。
それなりに。
草臥れもするのだと。

だから。
ちょいとばかり。
脇に逸れて。
やり過ごそうなどと。
思いもするが。

タフな日々に。
傷つきもするが。
そいつは。
また刺激でもあって。
それはそれで楽しくも。

だから。
そう、しっかりと。
栄養補給をしてでも。
このまま。
朝な、夕なに。乗っていこうと。

『South Side Blues』'71年リリース。
エルモア・ジェイムス、エディ・テイラー、ジミー・リードと。
名だたるブルース・ギタリストの録音を集めた傑作編集アルバム。
A面がエルモアのチーフへの録音、B面がエディのヴィージェイとヴィヴィッドへの録音。
年代的には殆どが'50年代で。エディのヴィヴィッドでの2曲のみ'60年代なのかな。
エディは、エルモアの録音にも参加していて。B面ではいつもとは主客転倒で。
ジミーを従えて主役を張っていると。なので、そうエルモアとエディのアルバムであると。
まぁ、ジミーの名前もクレジットしないとリリースができなかったのか。そこは不明ですが。
さて。先ずはエディが脇を固めているエルモアですが。あの唯一無二のスライドが炸裂。
それだけではなく。エディ以下のメンバーに煽られたか、十八番のブルーム調だけではなく。
何とも、豪快にして重みのあるバンド・ブルースで迫ってくるその迫力が堪りません。
エルモアと言う人は。若くして心臓発作を起こしてから。常に死の恐怖を感じていたらしく。
それもあってか、四十代半ばで亡くなるまでに、かなりの量の録音を残していて。
その総てを聴いたわけではありませんが。ここでのややモダンな感じもある晩年の録音。
その黒く、艶やかに光る様は。エルモアのブルースの中でもかなり、臓腑に沁みるのです。
そして。主役を張ったテイラーの。その、これまた独特な緩くもあるブギーと。
それに乗った、コクのある味わい深い歌声。こいつがまた何ともいい感じで。
脇に回った(回らされた?)ハーポのブルース・ハープがまたいなたく鳴っていたりして。
何とも言えない軽みもあるのに、その味わいは濃厚と言う。これはこれでまた沁みると。
ストーンズがお手本にしたと思われる「Ride 'Em On Down」での乗りなど絶品なのです。
エルモアとテイラー。異なる様で相通ずる、そしてやはり個性的なブルース。
そいつをA面とB面で味わえる。それこそ朝に、夜に摂取、聴きたくなる豊潤なアルバムなのです。

朝な、夕なに。
東でも、西でも。
様々にあって。
様々がやってきて。
やり合っている間に。

あぁ。
また一日が。
また一週間が。
逃げ足で。
遠ざかっていくと。

そいつは。
結構。
ハードなことで。
それなりに。
消耗もするのだと。

だから。
ちょいとばかり。
流れから外れて。
見送っていようかなどと。
思いもするが。

ハードな日々に。
血が滲みもするが。
そいつは。
また刺戟でもあって。
それはそれで面白くも。

だから。
そう、しっかりと。
滋養強壮をしてでも。
このまま。
朝な、夕なに。乗り続けていこうと。

朝は。朝で。
朝から。
タフで。ハードで。
そんなことも。
起きやがる。

夜は。夜で。
夜まで。
タフで。ハードで。
そんなものも。
ありやがる。

その間。
昼は。昼で。
一息などと思ったら。
隙を突かれる。
そんなもの。

そいつは。
何処でも。
何処にても。
南でも、北でも。
変わりはしないだろう。

そいつは。
何処へ。
何処までいっても。
東でも、西でも。
同じ様なものだろう。

そうさ。
隠れる場所など。
逃げる場所など。
いつにも、何処にも。
ありはしないだろう。

だから。
朝な、夕なに。
きっちりと。
影響補給、滋養強壮。
そうして立ち向かうのさ。



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2019/03/09 Sat *故き / John Lee Hooker

20190309vintagejohnleehooker1948195


故き。
そんなものを。
尋ねて。
訪ねて。
温ね。

何が。
得られるのかと。
そんな思いに。
囚われもするが。
実のところ。

もう既に。
振り返ることも。
顧みることも。
少なくなった。
殆どなくなった。

そんなものに。
その中にこそ。
いま、この時。
己が必要としている。
そんなものがある。

時を経て。
苔生して。
色合いも。
手触りも。
朽ちる寸前に思われる。

故き。
そんなものを。
もう一度。
胸に抱いて。
また始めてみるかと。

『Vintage John Lee Hooker 1948-1952』'79年リリース。
アルバム・タイトル通りに'48年~'52年の故き、年代物の味わい深い。
そんなジョン・リー・フッカーの録音から選曲された日本独自の編集アルバム。
元々は『Coast To Coast Blues Band Any Where/Any Time/Any Place』として。
'71年に米国でリリースされたアルバムと同内容で。タイトルを変更したと。
まぁ、ド迫力のジャケットはそのままに。タイトルは分かりやすくしたと言うことかな。
全14曲が収録されていますが。その内の12曲、殆どがジョン・リーの弾き語りで。
その独特な節回し、その反復により、情念が迫ってくる様な迫力が何とも言えません。
生年に諸説があるジョン・リーですが。おおよそ三十歳前後にデトロイトに出てきて。
レコード・ディーラー、バーニー・ベスマンの下で録音を始めて。
それをバーニーが大手のモダンに売ることによって全米に流通、一躍、大スターに。
ただ、モダンに渡らなかった録音も相当数に上っていて。その権利はバーニーにあって。
それが録音から約二十年以上の歳月を経て、様々な形で陽の目を見ることになったと。
モダンとの契約に縛られていたジョン・リーは別名での録音も数多く残しているので。
その時代のジョン・リーが如何に精力的で、そのブルースに、如何に需要があったのかと。
何せ五十年のキャリアを誇ったジョン・リーですので。どの時代、どの録音と言われても。
どれがベスト、どれが一番好きかは即答できないのですが。でも、まぁ。そうですね。
この最初期の、ダウン・ホームな味わいが濃厚なジョン・リー。それは格別かなと。
ジョン・リーと言う人は、その時の気分や感情が歌や演奏に出やすい人だったみたいで。
同じ様な曲調が多く、ワン・パターンと思いきや。微妙にその色合いとか、手触りに。
差異とか、落差もあって。弾き語り故にその辺りも顕わな年代物は楽しめたりするのです。
渋いと言えば渋いので。そう毎日の様に味わう類のものでは無いとは思うのですが。
この故き、ジョン・リーのブルースを温ねることで。見えてくるものも確かにあるのです。

故き。
そんなものを。
尋ねて。
訪ねて。
温ね。

何を。
求めているのかと。
そんな思いに。
襲われもするが。
実のところ。

もう既に。
振り向くことも。
思い返すことも。
少なくなった。
殆どなくなった。

そんなものに。
その中にこそ。
いま、この時。
己が必要としている。
答えを見ている。

時が流れて。
風雪に洗われ。
風合いも。
肌触りも。
消え去る寸前に思われる。

故き。
そんなものを。
いま一度。
噛み締めて。
また始めてみるのだと。

いまが。
何処なのか。
何なのか。
そんなものを。
見失ったら。

この先が。
何処へ向かうのか。
どうなるのか。
そんなものが。
わからなくなったら。

慌てずに。
騒がずに。
来た道を振りかえり。
顧みて。
探してみる。

焦らずに。
苛まずに。
来た方向を振り向き。
思い返して。
求めてみる。

忘れていた。
忘れてしまった。
そんなものの。
その中に。
あるかもしれない。

消した。
消してしまった。
そんなものの。
その中に。
見つかるかもしれない。

故き。
そんなものを。
尋ねて。
訪ねて。
温ね。

また、その感触から始まるものもある・・・



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2019/03/08 Fri *決まりごとなど / Ray Charles

20190308raychalesatnewport


決まりごと。
そんなものに。
囚われて。
縛られて。
身動きもままならず。

それどころか。
自ら好んで。
囚われると。
縛られると。
何で?とも思うが。

楽なのだろう。
やったことがない。
その一言で。
決まりごと。
その中に逃げ込んで。

外とは。
折り合うことも。
織り成すことも。
その努力すら。
放棄してそのままでいられる。

確かに。
そうすることで。
守られるものもあるだろう。
傷つかないものもあるだろう。
居心地はいいだろう。

だけど。
そこから外へと。
踏み出してみる。
踏み出そうとしてみる。
そんな者だけが得られるものもあるのだ。

『Ray Charles At Newport』'58年リリース。
映画、『真夏の夜のジャズ』にも記録された同年のニューポート・ジャズ・フェスティバル。
そのフェスティバルに於いて録音されたレイ・チャールズのライヴ・アルバム。
チャック・ベリーの演奏シーンも収められていた同映画にはレイも出ていたのかな?
残念ながら未見なので、そこはわからないのですが。溌溂としたライヴを展開しています。
ジャズと銘打ちながらも。その顔ぶれからも分かる様に。その決まりごと、垣根は。
取り払われつつあり。ゴスペル、ブルース、R&Bへと門戸が開かれつつあったと。
その意味でも。ゴスペルをルーツに持ち、ジャズも歌いながら。R&Bでヒットを放った。
そんなレイの存在、出演は。その性格を象徴的に表したものなのかなとも思われます。
「I've Got A Woman」、「Talkin' About You」と言う、そのR&Bのヒット曲で盛り上げて。
一方で、何とレイ自らがアルト・サックスを奏でるジャージーなインストもやっていると。
この雑多な、何でもありな。越境していく姿、それこそがパイオニアとしてのレイなのだと。
この時代の洗礼で。R&Bを歌い始めた時には、頭の固い聴き手、世間からは叩かれたと。
それにもめげずに。自らの意思を貫いて歌い続けたレイ。その熱意、その熱い歌唱が。
やがてR&Bを世間に認めさせ、旧弊な音楽界にも変化をもたらしたと。
勿論、その闘いは簡単に終わるモノではなく。この後も長く続いたのだと思われますが。
その闘いの初期の記録としても貴重なアルバムと言えるかな。そして、その主役である。
レイが、ジャケットの姿そのままに。実に楽しそうに、実にご機嫌に演奏していると。
その様が、すぐ目の前で繰り広げられているかの如くに感じられる臨場感も素晴らしくて。
実のところ、どうにもジャズと言うのは閉じている感じがして苦手意識があったりする。
そんな自分にとっても。ごく自然に受け容れ、溶け込んでいけるのです。そう。決まりごと。
そんなものに囚われていてはいけないのだと。そんなことを自然に感じさせてくれるアルバムなのです。

決まりごと。
そんなものに。
捕らわれて。
拘って。
思いさえもままならず。

それどころか。
自ら望んで。
捕らわれようと。
拘ろうと。
何で?とも思うが。

安心なのだろう。
経験したことがない。
その一言で。
決まりごと。
その中に立て籠って。

外との。
落としどころも。
共鳴するところも。
探そうともせず。
諦めてそのままを決めこむ。

確かに。
そうすることで。
救われるものもあるだろう。
血の流れないものもあるだろう。
安穏ではあるだろう。

だけど。
そこから外へと。
撃ってでてみる。
闘おうとしてみる。
そんな者だけがその手にできるものもあるのだ。

この世は。
そんなに甘くない。
失敗も、失策も。
ついて回る。
そんなものだろう。

この世は。
そんなに優しくない。
批判も、嘲笑も。
待ち受けている。
そんなものだろう。

だが。
この世はそこまで辛くない。
失敗も、失策も。
取り返す機会は与えられる。
それを信じよう。

そう。
この世はそこまで厳しくない。
批判も、嘲笑も。
見返す機会は与えられる。
そこに賭けてみよう。

自分の。
見えるもの。
触れられるもの。
それだけを。
総てと思い込むのは止めよう。

自分の。
経験したこと。
体験したこと。
それだけを。
拠り所にするのも止めよう。

決まりごと。
それを壊すのも。
それを変えるのも。
それを新たにするのも。
囚われず、捕らわれない越境者の特権なのだ。

そんな者に。
私はなりたい。
そんな者と。
私は歩みたい。
決まりごと。それに隷属する者には心、震えない。



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2019/03/07 Thu *私の彼は / Bo Diddley

20190307bodiddleyisalover


私の彼は。
私の恋人は。
ロックンロール。
そんな娘がいたら。
恋に落ちるな。

なんだかんだで。
この世で。
一番、好きなのは。
一番、ご機嫌なのは。
ロックンロール。

それに限る。
それに尽きる。
そんな人間にとっては。
他のものなど。
小さなもの。

何かに。
迷ったら。
その判断基準は。
ロックンロールか、否か。
そんなもの。

だから。
そう、女の娘も。
ロックンロールしているか、否か。
結局は。
それが総てかもしれないと。

勿論。
ロックンロールと言うのは。
スタイルのこと・・・
なんかではなく。
胸の内に宿っているもののこと。

『Bo Diddley Is A…Lover』'61年リリース。
ワン・アンド・オンリーな、ボ・ディドリーの6枚目のアルバム。
ここでもジャングル・ビート、ボ・ディドリー・ビートが炸裂しています。
デビューして三年強で、このアルバムの枚数。如何にボの人気が高いものであったか。
その証ともいえるかな。流石に粗製乱造気味な感じも拭えなかったりはしますが。
それがどうしたと。いつも通りに我が道を行くボです。それが何ともご機嫌です。
なんだかフラメンコを思わせるナンバーもあって。その食欲旺盛な胃袋の。
その咀嚼、消化力もますます強靭になっているのかなと。その猥雑な迫力が堪りません。
ここで参加しているもう一人のギタリストが初代女性ギタリストのレディ・ボなのかな。
なかなかに、いい感じで弾んで、ボに絡みついて華を添えています。
そんなレディ・ボも参加しているのか、女性コーラスがボに向かって囃し立てるナンバー。
「Bo Diddley Is A Lover」が、何とも賑やかで、姦しくて、楽しくてと。
鼻の下を伸ばしながら、ズンズンズンと突進するボの様が想像できたりもして。
なにせ、延々とボ・ディドリーは私の恋人と。甘い声で語りかけ続けられるわけですから。
それは、ボでなくても。気持ちよく弾いて、歌わない訳はないよなと。
一方で、「Bo's Blues」なんかでブルースを渋く、さり気なく決めていると。そこもいいと。
ボの魅力は。その唯一無二なビートだけではなくて。その懐の深さにもあるかなと。
ブルース、R&B、カリブ、ラテン、勿論ロックンロール。新たな音楽、新たなビート。
それが現れた時に。尻込みなどせずに、積極的に喰いついて、飲み込んで。
貪欲に吸収、消化して。己のものとして堂々と吐き出してみせる。その様に惹かれるのです。
スタイル、ジャンル。そんなものに囚われない、その心意気、意思こそが聴く者を惹きつけるのです。

私の彼は。
私の恋人は。
ブルース。
そんな娘がいたら。
恋に堕ちるな。

なんだかんだで。
この世で。
一番、惹かれるのは。
一番、魅入られるのは。
ブルース。

それに限る。
それに尽きる。
そんな人間にとっては。
他のことなど。
些細なこと。

何かに。
悩んだら。
その判断基準は。
ブルースか、否か。
そんなもの。

だから。
そう、女の娘も。
ブルースであるか、否か。
結局は。
それが総てかもしれないと。

勿論。
ブルースと言うのは。
スタイルのこと・・・
なんかではなく。
胸の内に巣食っているもののこと。

なんだ。
かんだと。
煩いのだ。
もっと。
簡単なことだろう。

ああだ。
こうだと。
煩わしいのだ。
もっと。
単純なことだろう。

感じるか。
感じないか。
それだけ。
それだけのこと。
それでいい、

震えるか。
震えないか。
それだけ。
それだけのこと。
それがいい。

面白いと。
感じるのなら。
下らない。
プライなど捨てて。
喰らいつけばいい。

楽しいと。
震えるのなら。
どうでもいい。
拘りなど捨てて。
飲み込んでしまえばいい。

私の彼は。
私の恋人は。
ロックンロール、ブルース。
そんな娘に惹かれるか、否か。
判断基準はそれだけでいい。



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2019/03/06 Wed *その息遣いまで / B.B. King

20190306bluesisking


その体温が。
感じられないと。
そうでもないと。
どうにも。
落ち着かいのだと。

別に。
殊更に。
仲良くしたいとか。
そんな訳ではなく。
ただ命あるものだと。

それを。
相手にしているのだと。
そいつを。
確認しないことには。
どうにも。

調子がでない。
その気になれない。
どうやら。
そう言う体質。
そうであるらしい。

無機物を。
相手に。
芝居を続けられる。
それ程には。
人間が練れてはいないらしい。

だから。
その息遣いまで。
感じさせてくれないか。
そこから。
始めてみたいのだ。

『Blues Is King』'67年リリース。
ABCがブルース専門に設立したレーベルであるブルースウェイ。
その第一弾としてリリースされたB.B.キングのライヴ・アルバム。
録音されたのはシカゴの小さなクラブに於いてだったらしく。バンドも小編成でと。
言わば、余所行きではない。普段の、日常の、生身のB.B.のライヴを捉えていると。
そんな狙いもあったせいなのか。録音が、何と言うか粗くて雑な感じもあって。
そう、まるで隠密録音の海賊盤を聴いているかの如くの臨場感、生々しさがあります。
もう小さなハコの反響もそのまま録音してしまいました、みたいな迫力で。
まぁ、恐らくはわざと反響、エコーを強調して処理をしているのかもしれませんが。
それにしても、B.B.のギターも、歌も何とも生々しいのですよね。
その息遣いまで感じられる、伝わってくる、そんな剥き出しの質感が堪らないのです。
同朋が集まるクラブで、同胞を前にして。余所行きではないブルースを奏で、歌う。
一切の手加減はなく、全身全霊で弾き、歌い、叫ぶB.B.がここにいるのです。
観客の歓声も生しく、身近で。まるで自分もその一人になったかの錯覚を覚える程で。
ともすれば。なにやらスクエアで、上品な、非同朋向けのブルースのイメージもあった。
そんなB.B.が何処から来て、何処で生きていたのか。その事実をも思い知らされます。
粗く、雑で、如何わしくもあって。でもそんなブルースの息遣いが好きなのですよね。
実は一説では。一部にはオーバー・ダビングも施されているとも言われていて。
それどころかスタジオ録音に歓声を被せた疑似ライヴも混ざっているとも。
しかし、その一方で。弦が切れたと思われる瞬間と、それに呼応するかのB.B.の雄叫び。
そのまま力業でエンディングに移行し、終わらせたと思われる模様が捉えられてもいて。
それを残しているところに。このアルバムの狙い。B.B.が思うところ、信ずるところの。
そのブルースの息遣いまでも伝えようと言う意思が感じられて、嬉しくなってくるのです。

その体温に。
触れられないと。
そうでもないと。
どうにも。
腑に落ちないのだと。

別に。
取分けて。
馴れ合いたいとか。
そんな筈もなく。
ただ命あるものだと。

それと。
相対しているのだと。
そいつを。
認識できないことには。
どうにも。

調子に乗れない。
やる気にならない。
どうやら。
そう言う性分。
そうであるらしい。

無機質な。
世界で。
演技を貫ける。
それ程には。
人間が出来てはいないらしい。

だから。
その息遣いまで。
触れさせてくれないか。
そこから。
始まると思うのだ。

無味。
無臭。
その味気無さ。
そいつを。
感じはしないのか。

無音。
無温。
その不気味さ。
そいつも。
感じはしないのか。

均整。
均質。
そこに潜む。
居心地の悪さに。
気づかないのか。

四角四面。
杓子定規。
そこに隠された。
排他的な意図に。
気づかない振りをするのか。

味もない。
匂いもしない。
そんな建前だけの。
話は聞き飽きた。
もう必要ない。

音もない。
温もりもない。
そんな綺麗ごとだけの。
やりとりが何になる。
もう御免だ。

その体温を。
感じたいのだ。
その体温に。
触れたいのだ。
だから。その息遣いまで・・・くれないか。



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2019/03/05 Tue *次の手、二の矢 / Rory Gallagher

20190305deuce


そう。
そうとなれば。
ここは。
次の手を。
二の矢を。

どうやら。
今までの手は。
ここからは。
さほど。
有効ではなさそうだと。

突き刺さっていた。
一の矢は。
心の蔵を貫く。
そこまでは。
至らなかったと。

ならば。
手を変えて。
二の矢を番えて。
今度こそは。
一射でもってと。

未だ。
見せていない。
知られていない。
そんな攻め手で。
展開を変えてみせようと。

どの手を。
次の手、二の矢。
そいつに選ぶかを。
暫し熟考しながら。
機会を窺ってみる。

『Deuce』'71年リリース。
ロリー・ギャラガーの2枚目となるアルバム。
テイストを解散させてソロに転向して。初めてのアルバムをリリース。
同年中に矢継ぎ早にこのアルバムをもリリースしたと。
前作が少しばかり畏まり過ぎていた、あるいはテイストを引き摺っていた。
そんなことを感じていたとも言われて。このアルバムを録音、制作したと。
故に、前作と比較するとライヴ感、生々しさを生かそうとしたラフな手触りがあって。
また、アコースティック・ギターによる演奏も増えていて。
ただ熱く激しいだけではない繊細な面、それをよりダイレクトに伝えたかったのかと。
そう。ロリーと言うと。一心不乱に脇目も振らずにギターを弾いている。
そんなイメージがあったりもしますが。一方で実に繊細で哀愁が漂うギター、フレーズ。
それもまたロリーの魅力であり。その相反し、共存する魅力がよく伝わるアルバムかなと。
その真摯な歌声とも相俟って。ロリーの本質が伝わってくるいいアルバムなのです。
ところが。商業的にはさほど振るわず。またロリー本人もサウンドに不満があったとかで。
結局、その本領をとのことで。次作はあの『Live in Europe』となるのですよね。
それもあってか。内容に反して。あまり語れることもなく。埋もれがちで。
更には長らくCD化されずに。更にCD化の際には曲順が変更されてと。どうにも。
不運な感じがつき纏うのですが。心のこもった温かい、佳作であると思うのですけどね。
派手さには欠けるものの。そのプレイ、フレーズや一音、一音の使い方とか。
豊富な曲調と、それに合わせた音の選び方とか。ロリーのセンスの良さが存分にね。
まぁ、テイストに続く、変わる次の手、二の矢としての己の在り方を模索していた時期。
そんな時期ではあったのだろうけれど。それがこの後に大いに効果を発揮していくのです。

そう。
こうとなれば。
そこは。
次の手を。
二の矢を。

どうにも。
今までの手は。
この先では。
さほど。
効き目はなさそうだと。

突き刺していた。
一の矢は。
心の蔵を貫く。
その前に。
抜かれようとしていると。

ならば。
手を変えて。
二の矢を放って。
今度こそは。
貫いてみせると。

未だ。
匂わせてもいない。
知る由もない。
そんな攻め手で。
戦況を拓いてみせようと。

どの手が。
次の手、二の矢。
そいつに相応しいかを。
暫し熟慮しながら。
機会を狙っている。

そう。
勝負事など。
短期戦に見えて。
実のところ。
そう単純でもない。

そう。
いまの戦いは。
局所的だとしても。
その実は。
次へと繋がっている。

有利だと。
思っていた。
盤面が。
いつの間にか。
塗り替えられても。

不利だと。
思えても。
盤面には。
いつ、いかなる時も。
蠢くものがある。

慌てず。
騒がず。
機を待ちながら。
次の手を。
二の矢を。

演じて。
誑かして。
機を生み出して。
次の手を。
二の矢を。

さぁ。
逃さずに。
先ずは五分に戻そうと。
次の手、二の矢。
そいつを番えて、弓を弾く時を・・・



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2019/03/04 Mon *明けない夜の / Ten Years After

20190304ssssh


明けない夜の。
その先。
その続き。
明けない朝が。
やって来る。

いつか。
陽はまた昇る。
そうだとしても。
その為には。
この闇の中で。

いま暫くは。
闇を照らす。
光明を。
捜し、迷い。
そんな時が続くのか。

澱んで。
溜まった。
行く手を塞ぐもの。
そいつを。
取り除く。

その為の。
突破口を。
求めて闇の中。
見えそうで見えない。
敵に向かい。

時に探り。
時に歯向かい。
明けない夜の。
その先を。
照らすことができればと。

『Ssssh』'69年リリース。
『夜明けのない朝』の邦題で知られるテン・イヤーズ・アフターのアルバム。
通算では4枚目で、スタジオ・アルバムとしては3枚目で代表作とされることも多いと。
テン・イヤーズ・アフターと言えばウッドストックでの強烈なライヴ。
その印象があまりにも鮮烈なのですが。このアルバム、ウッドストック直後のリリースで。
その勢いも駆ってか、英米でヒット・チャートを大いに賑わせたのだとか。
テン・イヤーズ・アフターと言うと、どうしてもアルヴィン・リー、その速弾きがと。
それのみで語られがちだと。まぁ、実際いま聴くとそこまで速いかとも思いますが。
アルヴィンの場合はそのギターに向ける、一音、一音に賭ける熱量も含めての速弾きかなと。
そんなアルヴィンを中心に。前面に立てながらも。バンドが一体、一丸となっている様が。
そのドライヴする様と、アグレッシヴな姿勢にバンドとしての勢い、底力を感じるのです。
アコースティックな小品みたいなナンバーとか、ジャズを思わせる展開をみせるナンバー。
そんな試みもあって変化を持たせようとしていて。それが結果的にいいスパイスとなって。
テン・イヤーズ・アフターならではの王道なブルース・ロック。その魅力を際立たせていて。
それが、このアルバムを代表作にしているのだなと。熱く、高く張り詰めたテンション。
そのままに奏でられ、繰り出される。そんな溢れんばかりのブルースへの愛情。
まぁ、その愛情が強すぎて。またその印象が鮮烈過ぎて。時代に囚われてしまったのかな。
それでも、例えば「Good Morning Little Schoolgirl」や「I Woke Up This Morning」と。
その持てるもの、情熱も技量も総てを叩きつけた様なナンバーはブルース・ロックの白眉で。
ブルース・ロックの新時代の扉を開けたと。ただ時代はハード・ロックへ、みたいな。
その辺りの、微妙な運の悪さ。ボタンの掛け違い。それもテン・イヤーズ・アフターかなと。
結局は新時代の夜明けには乗り損ねた。その間の悪さも含めてどうにも愛しい、テン・イヤーズ・アフターです。

明けない夜の。
その先。
その続き。
明けない朝が。
また、やって来た。

いつか。
陽はまた昇る。
そうかもしれないが。
その為には。
この闇の中を。

いま暫くは。
闇を追い払う。
光源を。
求め、流離う。
そんな時が続くのか。

沈んで。
積もった。
行く手に立ちはだかる。
そいつを。
蹴破る。

その為の。
秘策を。
捜して闇の中。
届きそうで届かない。
敵に向かい。

時に欺き。
時に牙を剥き。
明けない夜の。
その先を。
見出すことができればと。

明けない夜の。
なんと。
長くて。
焦れて。
落ち着かないことか。

明けない朝の。
なんと。
重くて。
苛まれて。
打ちひしがれることか。

これを。
それを。
明けていると。
思えと言われても。
それは意に反する。

これを。
それを。
明けたのだと。
思い込んでしまったら。
それは嘘になる。

いつか上る。
陽を信じているのなら。
それを呼ぶ
光明を、光源を。
捜して、求めて。

迷っても。
流離っても。
その時を待って。
その時を信じて。
明けない夜の、その中で。

息を潜めて棲んでいる・・・



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2019/03/03 Sun *答えなど / The Kinks

20190303muswellhillbillies


どこかの小説に。
こんな一節があったと。
どうしてそんなにお酒を飲むの?と。
その答えなど。
もはや正確に覚えてもいない。

思い出そうとしても。
思い出せない。
それなら読み返すかと。
いやいや。
そう答えなど・・・

正しくなくていい。
そもそも。
そんな問いに。
正解など。
端からある筈もない。

酒を飲むのに。
いちいち理由など。
あるものか。
いやいや。
あるにはあるけれど。

その多く、その殆どが。
考えたくもないもの。
忘れてしまいたいもの。
であれば。それならば。
そう答えなど・・・

いらない。
欲しくない。
どうしてそんなにお酒を飲むの?と。
そいつは。
自分の胸の中にあればいい。

『Muswell Hillbillies』'71年リリース。
キンクスのRCA移籍後、第一弾となったアルバム。
パイの後期からアルバムを通して物語を描くことに固執しだしたレイ・デイヴィス。
なかなか理解を得られず、セールスも落ち込み。パイはヒット曲をと要請を続けて。
かねてからパイのプロモーション能力に疑念を抱いていたレイは決別を判断。
大手であるRCAと契約。RCAもキンクスのネーム・バリューに大いに期待してと。
まぁ、その期待は直ぐに裏切られるのですが。レイは我が道を突き進んでいくことに。
さてと。アルバム・タイトルはレイとデイヴのデイヴィス兄弟が生まれ育った街の名前で。
ジャケットはそこに実在したパブで撮影されていると。そんな市井の生活を背景にして。
そこで暮らす様々な少し奇妙で、大いに愛すべき人々の物語が語られていくと。
勿論、その人々と言うのはレイの分身でもある訳で。レイが己の目を通して見た、感じた。
英国社会や、現代の生活に対する醒めて、捩れて。しかしどこか楽天的にも思える。
そんな皮肉、風刺、そしてどうしようもない愛着、愛情が歌われている・・・のかなと。
思う様にならない、上手くいかない。どうして?と。答えを探しながら馴染みのパブへと。
そうして、昨日も今日も明日も。酒を飲み、酔っぱらって。そんな毎日の繰り返し。
それでも。いつかは、どこかでと。諦めずに夢を見続けてもいると。そんな物語を。
旧き良き、既に失われた米国への憧憬に仮託して。カントリーの香りも色濃く奏でていると。
夢見ているものは、既に失われているもの。とどのつまりはいまの日常しかないのだと。
ここらの螺旋構造がレイならではで。素直になれないが故の愛情の深さが沁みるのです。
まぁ、わかり辛いことは確かで。商業的には成功する筈もないと納得もしてしまいますが。
レイと言う人は。おそらくはデカルトとかに似ていて。実存主義の人なのだろうなと。
だから、その視線、視点は醒めているのだけれど。突き抜けてもいて。それがどうしたと。
現実は現実として受け止めて。それを楽しんでいる。達観、楽観した酔っ払いみたいなね。
答えなど。探さなくていいと、ありはしないと。この境地に近づきたいものです。難しいけれど・・・

どこかの小説の。
一節を捩ってみると。
どうして下手な歌を歌っているの?と。
その答えなど。
探したこともありはしない。

考えようとしても。
考えられない。
それならこじつけるかと。
いやいや。
そう答えなど・・・

見つからなくていい。
そもそも。
そんな問いに。
正解など。
端からある訳もない。

歌を歌うのに。
いちいち理由など。
あるものか。
いやいや。
あるにはあるだろうけれど。

その多く、その殆どが。
考えざるを得ないもの。
忘れようにも忘れられないもの。
であれば。それならば。
そう答えなど・・・

いらない。
求めもしない。
どうして下手な歌を歌っているの?と。
そいつは。
自分の腹の底にあればいい。

どうして?
何故?
その答えなど。
思い出せないのなら。
それでいい。

どうして?
何故?
その答えなど。
探せない、見えない。
それでもいい。

そう答えなど。
理由など。
簡単ではない。
単純ではない。
それでいい。

そう答えなど。
正解など。
端からある筈もない。
端からある訳もない。
それでもいい。

どうして。
酒を飲むのか。
その理由など。
その答えなど。
自分の胸の内にあればいい。

どうして。
歌を歌うのか。
その理由など。
その答えなど。
自分の腹の底にあればいい。

だから。
今夜も。
この店で。
飲んで、歌っている。
そう答えなどに、大した意味はない・・・



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2019/03/02 Sat 咽び泣くもの・・・ / Free

20190302tonsofsobsukorg


溢れるもの。
どうしても。
こうしても。
溢れてしまうもの。
そんなもの。

そいつに。
惹かれて。
引き付けられて。
彷徨いながら。
辿り着いてみれば。

その。
切なさに。
その。
やるせなさに。
どうにも。

胸を。
掻き毟られる。
そんな思いが。
浮かび上がり。
抑えられずに。

そして。
また。
溢れた、そのままに。
更に。
彷徨い続けると。

そうだ。
この胸の内にも。
溢れるものが。
咽び泣くものが。
あるのだと。

『Tons Of Sobs』'68年リリース。
フリーの記念すべき最初の一歩となったアルバム。
米国盤は、この英国盤の内ジャケのメンバー四人の写真を使った別ジャケでしたが。
このアルバムは、やはりこの不気味でありながら哀感が漂う英国盤のジャケでないと。
そう。このジャケが。そのままこのアルバム、そしてフリーと言うバンドのサウンド。
そしてその本質を見事に捉えているかなと思われてならないのです。
深く沈み込む様な、内省的でさえあるかのサウンド。どうにも英国的な匂いと香りを纏い。
そう。音を詰め込んでいるわけではなく、間があるのに。重く引き摺り込むリズム、ビート。
アンディ・フレイザーとサイモン・カークのリズム隊のそんな通奏低音を土台として。
その上で、ポール・ロジャースの歌声とポール・コゾフのギターが空気を震わせると。
それにより描かれるもの、溢れるもの。それにより呼び起こされるもの。
そんなものが、結局のところフリーのサウンドであり、本質であって。それに魅了されたと。
フリーが何者で、フリーが何たるか。それはこの1stアルバムに表わされていたのだと。
あまりに渋いと言えば、あまりに渋いのですが。故に強く惹かれもするのです。
それにしても。この時、メンバーは全員十代だった筈で。十代でこれを創ったと言うのは。
凄い、素晴らしい。それは間違いないものの。あまりに早熟にも過ぎたかなとも思われて。
つまりは。このアルバムの地平をどう離れ、どう飛び立つのか。それを見いだせなかった。
それこそがフリーが短命に終わってしまった大きな要因であったかとも感じてしまいます。
まぁ、短命であったが故に。その遺されたものに、より一層の愛しさが募るのですが。
さて。ロジャースも、フレイザーも、カークも。それぞれに何とも魅力的ではありますが。
このアルバムは、やっぱり。コゾフのギター。その咽び泣く様に尽きるのかなと。
一音、一音に全身全霊を込めて泣かせ、その余韻で空気を震わせている、そんなギター。
どれほどのものが、思念が、情念がその胸の内にあったのか。それを解き放つのには。
ここまでギターを泣かせなければ、咽び泣く者にならなければならなかった。その壮絶な様に震えがきます・・・

溢れるもの。
どうにも。
こうにも。
溢れてしまうもの。
そんなもの。

そいつに。
魅せられて。
引き寄せられて。
彷徨いながら。
辿り着いてみても。

その。
刹那な様に。
その。
虚しい様に。
どうしても。

胸を。
引き裂かれる。
そんな思いが。
湧き上がり。
止められずに。

そして。
そう。
溢れた、そのままに。
尚も。
彷徨い続けると。

そうだ。
この胸の底にも。
溢れるものが。
咽び泣くものが。
あるのだと。

いつから。
溢れていたのか。
いつから。
それは。
始まっていたのか。

いつから。
惹かれ。
引き付けられていたのか。
魅せられ。
引き寄せられていたのか。

いつから。
掻き毟られ。
引き裂かれ。
抑えられず。
止められず。

いつから。
彷徨っているのか。
いつまで。
それは。
続いていくのか。

どうしても。
こうしても。
溢れてしまうもの。
止まないもの。
そんなもの。

どうにも。
こうにも。
溢れてしまうもの。
震わせるもの。
そんなもの。

いつから。
咽び泣くもの。
そいつは、ここにあり。
咽び泣く者。
そんな者になっていたのだろう・・・



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2019/03/01 Fri *今日も、明日も / Rod Stewart

20190301gasolinealleyukorg


今日も。
明日も。
歩くこの道は。
恐らくは。
迷い道。

何処へ。
向かうのか。
何処へ。
辿り着くのか。
分からないまま。

それでも。
歩くその足が。
踏みしめる。
その感触を。
確かめながら。

一歩、また一歩。
進んでいるのか。
戻っているのか。
それすらも。
判然としないけれど。

この道の。
その上で。
この街角を。
その空気を。
感じながら。

今日も。
明日も。
迷いながらも。
歩いてみる。
それしかないのだろう。

『Gasoline Alley』'70年リリース。
キーフによるジャケットも深い印象を残す。
そんなロッド・スチュワートの2枚目のソロ・アルバム。
ちょうどフェイセスに参加した頃に録音、制作されたと思われて。
ごく当然の様にフェイセスのメンバーもロン・ウッドを始めとして参加しています。
確か、リリース時期もフェイセスの1stアルバムとほぼ同じだったのかな。
このロッドのソロとフェイセスの区別も曖昧な活動が後にフェイセスの首を絞めたと。
それはそうなのですが。その実、一連の英国時代のロッドのソロ・アルバムは。
実質的にはフェイセスのアルバムとして考えてもいいのではないかと。
そうするとフェイセスのアルバムは、おおよそ二倍の枚数存在することとなって。
それはそれで。素晴らしいことではなかったのかと。まぁ、勝手な思い入れですが。
さてと。いまやその面影の欠片すら残っていないのですが。英国時代のロッドは。
実に真摯に、真正面から歌と向き合っていて。その歌声は実に素晴らしいものがあります。
英国の路地、街角。そこに漂い、染み込んだ。実に何とも切なく滲み出る哀感。
そんなものを歌わせたら、そう、この頃のロッドに並ぶ者はいなかったですよね。
確かに、後の大西洋を渡った後と比較すると。華やかさには欠けて、地味ではあるものの。
故に、そう湿り気の様なものも感じさせて。その中にしかない味わいを醸し出していると。
陽の当たらない裏道、そしてそのキャリアにおいては途上であり、迷い道ではあったのか。
そうだとしても。このアルバムで聴ける、その真摯な歌声は色褪せることはないのです。
カヴァーの名手としても知られるロッド。そのセンスの良さはこの頃から発揮されていて。
「It's All Over Now」も「Cut Across Shorty」も。そして言わば禁じ手とも言える。
スモール・フェイセスの「My Way Of Giving」も実に素晴らしいのですが。
青春の残照を感じさせる「Gasoline Alley」、ロッドとロンによるオリジナルがやっぱり白眉かなと。

今日も。
明日も。
流離うこの道は。
間違いなく。
迷い道。

何処へ。
行きたいのか。
何処を。
目指しているのか。
分からないまま。

それでも。
流離うその足に。
伝わってくる。
その感触に。
導かれる様に。

一歩、また一歩。
前を向いているのか。
振り返っているのか。
それすらも。
漠然としているけれど。

この道の。
その途で。
この街角を。
その匂いを。
吸い込みながら。

今日も。
明日も。
迷いながらも。
歩き続けてみる。
それしかないのだろう。

今日も。
明日も。
そして。
昨日も。
この道を。

踏みしめて。
立って。
そうして。
ここに。
こうしている。

今日も。
明日も。
そして。
明後日も。
この道に。

導かれて。
歩いて。
そうして。
ここで。
こうしている。

恐らくは。
迷い道。
そうだとしても。
この道を。
歩くだけ。

間違いなく。
迷い道。
そうだとしても。
この道を。
行くだけ。

そう。
この道の。
この街角の。
そこにしかいられない。
今日も、明日も。

それでいい、それがいい。



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2019/02/28 Thu *信じなくても / Santana

20190228santana


別に。
信じなくても。
寄らなくても。
それでも。
開けると。

そう思わなければ。
そうでなければ。
ここで。
こうしている。
意味がない。

その扉を。
開きたい。
その思いだけ。
その願いだけ。
それしかない。

それは。
確かに不安で。
何かに縋りたい。
そんな誘惑に。
かられもするけれど。

そこを。
断ち切って。
己の熱意だけ。
それだけを武器に。
挑んでみると。

信じる前に。
寄る前に。
明けてみようとする。
それが。
跳躍の切欠になるかもしれない。

『Santana』'71年リリース。
カルロス・サンタナ率いるサンタナの3rdアルバム。
1stアルバムのタイトルも同名なので。こちらは『Santana Ⅲ』とも呼ばれています。
サンタナは、その時々で音楽性が大きく異なるバンドだったりするのですが。
このアルバムまでは割と一貫していて。それが所謂ラテン・ロックのイメージなのかなと。
特に1stの荒々しさと、2ndの県制度の高さ。それを融合して高みに上ったかの。
このアルバムこそが、ラテン・ロック期のサンタナの最高傑作かなとも思われます。
ゲスト参加のタワー・オブ・パワーやコーク・エスコヴェードからの刺激もありながら。
やっぱり、このアルバムでの飛翔の引き金となったのはニール・ショーンの参加なのかなと。
そう、後にジャーニーとか言う面白くもなんともないバンドで売れたあのニールです。
この頃は弱冠十七歳だったのかな。若さ溢れる、溢れすぎるフレーズで切り込んでいて。
こちらも未だ二十代半ばと若かったカルロスも、溌溂と応えていてギターが鬩ぎ合うと。
タイプは異なる二人ですが、異なるからこそ、大いに響き合い、引き出し合うものが合って。
ベース、ドラムス。更に複数のパーカッション奏者を加えた編成ならではの。
情熱的で、更には可能的でもあるラテン・パーカッションの洪水、波状攻撃に乗って。
これでもかとばかりに弾け、迸るエネルギーを吸収して増幅して奏で響かせているかなと。
その実。意味不明なジャケットが象徴する様に。混沌として猥雑で意味不明。
そんな側面もあるのですが。その禍々しくも陽気なエネルギーの総量が半端じゃなくて。
多分に。酒とか薬とかお姉ちゃんとか。そんなものが動力源として大きいのでしょうけど。
何よりも。「Everybody's Everything」の邦題である「新しい世界」ではありませんが。
ラテン・ロック、そしてラテン・ファンクとも言える音楽を創造しようと言う。
そのカルロスの熱意。それだけを頼みとしている潔さがエネルギーに昇華したのかなと。
この後のカルロスは。妙に抹香臭いと言うか・・・何かを信じ始めると、寄り始めると。
まぁ、カルロスに限らずですが。そうなると途端に面白く無くなるのですよね・・・

別に。
信じなくても。
拠らなくても。
それでも。
行けると。

そう思わなければ。
そうでなければ。
ここに。
こうしてある。
意義もない。

その道を。
行きたい。
その思いだけ。
その望みだけ。
それしかない。

それは。
確かに恐ろしくて。
何かを掴みたい。
そんな誘惑に。
襲われもするけれど。

それを。
振り捨てて。
己の情熱だけ。
それだけを武器に。
闘ってみると。

信じる前に。
拠る前に。
行ってみようとする。
それが。
飛翔の切欠になるかもしれない。

新しい。
世界への。
扉を。
開けたいのは。
誰なのだ。

新しい。
世界への。
道を。
行きたいのは。
誰なのだ。

それは。
そう。
他の誰でもない。
己だと。
それならば。

不安でも。
その思いに。
その願いに。
賭けてみる。
それしかない。

恐ろしくても。
その思いを。
その望みを。
頼みにしてみる。
それしかない。

己の熱意だけ。
己の情熱だけ。
それだけを武器に。
挑んでみる。
闘ってみる。

別に。
信じなくても。
開けられると。
行けると。
その思いの強さだけでいい。



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2019/02/27 Wed *変えられるのか / Buddy Miles

20190227themchange


変わるのか。
本当に。
この流れに沿って。
変わるのか。
変われるのか。

そんな話は。
前にもあった。
それなりに。
期待もして。
参加もして。

でも。
結論としては。
大山鳴動して。
何とやら。
あの話はなんだったのだと。

表紙は。
変わったかもしれないが。
中身に関しては。
そのまま。
旧態依然のままで。

またぞろ。
似た様な話が。
聞こえてきて。
動きだして。
今度も噛めと言うけれど。

変わるのか。
本当に。
この流れのままに。
変わるのか。
変われるのか。

『Them Changes』'70年リリース。
バディ・マイルスの初めてのソロ名義でのアルバム。
若い頃から父親のジャズ・バンドに参加してドラマーとのキャリアをスタートさせて。
その後はウィルソン・ピケットのバンドへの在籍経験もあるらしいバディ。
最初にその名を馳せたのはマイク・ブルームフィールド等とのエレクトリック・フラッグ。
そして、何と言ってもジミ・ヘンドリックスに誘われてのバンド・オブ・ジプシーズでの。
そのジミにとっては初めての全員アフロ・アメリカンでとなったトリオで注目を浴びたと。
何でもジミとはあのモンタレーで出会って意気投合して。数年後に誘われたと。
残念ながらバンド・オブ・ジプシーズではジミとも衝突したらしく短命に終わってしまい。
その直後に録音、制作されたのがこのアルバムでした。シンガーでもあるバディ。
一説ではその歌声や、ジャズやファンクに精通したセンス。その辺りにジミは惹かれたとか。
でも。まぁ、一番はそのドラムのスタイル。タイトでシンプルなところが良かったのかなと。
なに前任?のミッチ・ミッチェルが変幻自在、時に暴走気味のスタイルだったので。
それとは正反対のスタイルを求めたのかと。そう、バディは暴走しないのですよね。
何と言うか、シンガーでもあるからか。バンド全体のグルーヴとかバランスを重視すると。
如何にバンドとして心地よく、演奏して。そして聴く者を乗せるかに徹しているかなと。
なので。このアルバムでも。ファンキーでソウルフルに。そして実に心地良くと。
「Them Change」はバンド・オブ・ジプシーズでも演奏していたバディのオリジナルで。
ジミを意識したギターが随所に聴かれるのはご愛敬ですが。心地よさでは優っているかな。
まぁ、その分、刺激と言うか緊張感では及ばないものの。温かく大らかなグルーヴ。
実はそれこそがバディが求めていたものかと。だからジミとも袂を分かったと。
ニール・ヤングの「Down By The River」のカヴァーのソウルフルな感じもいいのです。
バンド・オブ・ジプシーの、ジミの影を求めることは出来ないものの。ここでのバディの変化、好きなのです。

変わるのか。
本当に。
この風に乗って。
変わるのか。
変われるのか。

こんな話は。
何どもあった。
その度に。
期待もして。
参加もして。

でも。
結果としては。
会議を繰り返して。
踊りつかれて。
この話もなんだったのかと。

化粧は。
上手くなったかもしれないが。
素顔に関しては。
そのまま。
新陳代謝もないままで。

またぞろ。
同じ様な話が。
思い出したかの様に。
動きだして。
今度も絡めと言うけれど。

変わるのか。
本当に。
この風向きのままに。
変わるのか。
変われるのか。

形式とか。
そんなものは。
どうでもよくて。
それだけ変えても。
意味がない。

規則とか。
そんなものも。
どうでもよくて。
それだけ変えるのも。
意味がない。

縄張りとか。
そんなものこそ。
どうでもよくて。
それだけに拘るから。
変わる筈もない。

目指すものは。
目的は。
何なのか。
何の為に。
変わるのか。

求めるものは。
目標は。
何なのか。
何の為に。
変えるのか。

望むところは。
到達点は。
何処なのか。
何の為に。
変えなければいけないのか。

変わるのか。
本当に。本気で。
自分の意思で。
変わるのか。
変われるのか・・・変えられるのか。

それが問題なのだ。



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