カテゴリー「005 Japanese」の記事

2018/12/13 Thu *肖像など / 沢田研二

20181213portraitofcharcoalgray


肖像など。
描く側。
描く者。
それによって。
異なるものだと。

対象の。
その人の。
どこを見て。
描くのか。
それにもよるし。

対象に。
その人に。
何を見て。
描くのか。
それにもよるだろうし。

それこそ。
十人十色。
見方も。
見えるものも。
人、それぞれ。

あの人は。
どこを見ているのか。
この人は。
何を見ているのか。
そんなものが、それこそ見えてくる。

肖像など。
描かれる側でなく。
描く側の。
姿が表れる。
そんなものかもしれないと。

『チャコール・グレイの肖像』'76年リリース。
沢田研二、ジュリーの(おそらく)9枚目のオリジナル・アルバム。
これ以前に『JULIE IV 今僕は倖せです』と言う全曲がジュリーの作詞作曲による。
そんなアルバムがありましたが。このアルバムも作曲は全曲ジュリーによるもので。
作詞は、小谷夏(久世光彦)、阿木燿子、桃井かおり、松本隆、岸部修三らが手掛けていて。
ジュリー自身の作詞による2曲と合わせて全10曲から構成されています。
このアルバムが録音、制作された時期。ジュリーは暴力沙汰で活動を自粛していたのかな。
それもあってか。作詞を手掛けた面々にどんなオーダーがあったかは分かりませんが。
決して暗いトーンではないものの。どこか内省的な空気が全体を支配しているかな。
内省的、そう素顔のジュリー、沢田研二が描き出されていて。それを歌っていると。
メロディが総て自らによるものからかもしれませんが。その歌声はいつも以上に。
楽曲の世界を明確に捉えていて、その透明感に溢れた歌声が。そう、秋から冬にかけての。
陽光に輝くが如くに、一編、一編の物語を。そして紡ぎ合わせた長編となる物語を。
実に鮮やかに、聴く者の脳裏に描いてみせている。歌手、ジュリーの凄さがここにあると。
勿論、そこには信頼している井上堯之バンドの存在、中心となった録音と言うこと。
それが、特にこの時期のジュリーにとっては大きな力となっていたことも確かだと。
ここらは常にバンドの一員であることを意識し、大切にしていたジュリーらしいかな。
それにしても。それぞれの詞、当然ジュリーが歌うことを前提として書かれた詞に。
それぞれの、それぞれが見ていたジュリーの姿、肖像が窺える様で興味深いものがあって。
それは翻って。作詞したそれぞれの面々の、その姿、肖像の移し鏡にもなっているのかな。
久世さんの「コバルトの季節の中で」、修三、一徳さんの「あのままだよ」とかね。
そんな描かれた肖像、それを歌って、並べてみて。ジュリーの脳裏に浮かんできた色、風景。
それがチャコール・グレイだったのかな。おそらくは自らを省みるいい機会にもなったのではと思われます。

肖像など。
描かれる側。
描かれる者。
それによって。
異なるものだと。

対象の。
その者が。
どこを見せて。
描かれるか。
それにもよるし。

対象が。
その者が。
何を見せて。
描かせるのか。
それにもよるだろうし。

それこそ。
思惑次第。
見せ方も。
見せるものも。
人に応じて、それぞれ。

あの人には。
どこを見せるのか。
この人には。
何を見させているのか。
そんなものが、それこそ見えてくる。

肖像など。
描く側でなく。
描かれる側の。
思いが表れる。
そんなものかもしれないと。

そう。
肖像など。
描く側。
描かれる側。
それによって。

それこそ。
千差万別。
一つとして。
同じものなど。
ありはしないと。

それこそ。
一瞬、一瞬で。
移ろいゆく。
その光の加減で。
変化する。

現れる。
色の様に。
時や、場所や。
その時々の。
空気の様なもので。

そこには。
正解も。
誤りも。
ありはしない。
そんなものだと。

だから。
どこを見るか。
どこを見せるか。
何を見るか。
何を見せるか。

如何にでも。
変わる。
取れる。
肖像など。
たかが、だとも思うのだ。

されど、でもあるけれどね・・・



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2018/12/12 Wed *道を外れて何千里 / 外道

20181212jittokulive


道を外れて。
もう。
どれくらい。
どれほど。
何千里。

いや。
当の本人には。
外れている。
そんなつもりは。
ないのだが。

どうにも。
こうにも。
この道は。
人の道から。
外れているらしい。

ちょっと。
待てよと。
人の道。
何たるかなど。
誰がいつ決めたのだと。

問い返す。
どうやら。
そのこと自体が。
その発想が。
外れていると言うことらしい。

ならば。
そう言うことなら。
上等だと。
ますます外れて。
何千里。

『拾得Live』'75年リリース。
外道の通算4枚目のアルバムにして、3枚目となるライヴ・アルバム。
総てを把握してはいませんが。外道は殆どスタジオ録音が無いバンドで。
おそらく、最初の解散まではスタジオ・アルバムは1枚しかなかったのかな。
それだけ。ライヴに、その音に、その空気に。その瞬間に拘っていたのかなと。
まぁ、多少は戦略的側面もあったのでしょうが。常識に外れているのは確かかなと。
その辺りの自由奔放、傍若無人なところは、バンド名だけのことはあるかな。
しかしバンド名の由来が、加納秀人が警官に、この外道と呼ばれたからって・・・
さて。ドラムスの中野良一が元暴走族の頭だったとかで。暴走族の追っかけがいたとか。
そんな物騒で、興味本位の話題が先行しがちで。確かにそんな側面は。
このアルバムでもMCや観客とのやり取りにも感じられますが。それよりも、やっぱり。
その規格外で野放図な演奏、そのラフで、タフで。自由にドライヴする様が魅力的だなと。
ここまで、縛られないと言うか自由だと。そこはライヴこそが本領発揮だったのでしょうね。
なんか、もうどこへどう転がるのか、飛ぶのかわからない感じ。それが刺激的で。
実は、自由よりも不自由を好む習性のある暴走族が好き好むサウンドとは思えませんが。
そこは、ベースの青木正行の、それを意識した煽りとかが効いていたのかなと。
そして。メロディが存外にキャッチーなところ。そこは分かりやすかったかもですね。
それでも。全体的には粗雑、猥雑、混沌。そんな世界の中を縦横無尽に切り裂いていく。
そんな加納のギターが、その収まらなさ加減が、何とも道を外れていて、いいのですよね。
放送禁止用語が多く、メッセージ色も強いMCとか、最後のナンバーが途中でカットとか。
とにかく。枠に収まらない。規定とか企画の外にいる。その総てに惹かれてしまうのは。
道を外れた者としての共感なのかな(笑)。駄目な人は駄目でしょうけど。自分は・・・問答無用で好きです!

道を外れて。
もう。
戻れない。
戻らない。
何千里。

いや。
当の本人には。
外れている。
そんな自覚も。
皆無なのだが。

どうやら。
こうやら。
この道は。
人の道から。
外れているらしい。

どうでも。
いいけど。
人の道。
その範囲など。
誰に決められるものかと。

問い質す。
どうやら。
そのこと自体も。
その思考も。
外れていると言うことらしい。

ならば。
そう言うことなら。
結構だと。
どんどん外れて。
何千里。

大体が。
人が決めた。
その道になど。
何の興味も。
ありはしない。

そもそもが。
人と同じ。
そんな道になど。
何の未練も。
ありもしない。

別に。
逆らうこと。
そのものに。
意味など。
感じはしない。

ただ。
逸れること。
そのことに。
恐れなど。
感じもしない。

己が。
歩きたいと思う。
道を。
歩いていきたい。
それだけのこと。

己が。
歩きたいと感じる。
道を。
歩き続けたい。
それだけのこと。

それで。
それが。
道を外れて。
何千里。
それならそれでいいじゃない!



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2018/12/11 Tue *疑似 / サディスティック・ミカ・バンド

20181211sadisticmikaband


例えば。
いま。
どうしたって。
どう転んでも。
叶わないこと。

でも。
どうしても。
何とか。
そいつが。
手に入れられればと。

そう。
どうしても。
そいつが。
必要なのだと。
そうなってしまったら。

そうだな。
目を閉じて。
思い浮かべて。
飛べるものだけ。
それだけでも。

確かに。
そいつは。
本物とは。
言えないし。
異なるし。

でも。
その思いだけが。
飛んだものだけが。
生み出せる。
そんなものもあるかなと。

『サディスティック・ミカ・バンド』'73年リリース。
記念すべきサディスティック・ミカ・バンドの1stアルバム。
先ずはこのジャケット。この安っぽいアロハの柄が醸し出すチープなリゾート感。
完全に人を喰っていると言うか、ある意味では小馬鹿にすらしているかなと。
それでいて。針を落とすと。何ともセンスのいい、キャッチーなロックであると。
ここら辺の、いい意味での遊民的な軽やかさは加藤和彦ならではないかと。
意匠としても、サウンドとしても。意識していたのはグラム・ロックだったと思われ。
その時代の徒花的な匂いも、そしてそれを支える本格的なサウンドも。
英国発で世界を席巻していたそれを、実によく理解して巧みに取り入れているなと。
徒花の匂いを振りまくのがミカの存在。それを支える骨太なサウンドを奏でるのが。
加藤さんと、高中正義、小原礼、高橋幸宏で。その技量の高さには驚かされますし。
その人選の妙に。ディレクター、プロデューサーとしての加藤さんの才能を感じるかな。
それにしても。おそらく当時。日本のロックと言うのは欧米のそれにコンプレックスがあり。
故に、必要以上に求道的になったり、あるいは卑屈になったり。結果、スタイルも模倣して。
そんな状況だったと思われるのですが。そこへ、このスタイルで現れて。
どのバンドよりも本格的なブリティッシュ・ロックをやってしまったのが凄いなと。
商業的には成功しなかったのは。その凄さが理解される土壌が無かったと言うことかなと。
故に。やがて英国へと渡り。クリス・トーマスの力も借りてあの『黒船』へとなるのですが。
その実。そこは、加藤さんとしては微妙だったのではないかと思ったりもするのです。
だって。それをやったら本物になってしまう、本物になれてしまうのは分かっていて。
そこを敢えて。ギリギリの線で、疑似に止まること。それを狙って楽しんでいたのではと。
まぁ、今となっては確かめようもないのですが。疑似ゆえの面白さ、楽しさ。
加藤さんなら、そこで誰よりも遊べることが出来たのではないかと。だから。
『黒船』は間違いなく傑作なのですが。より個性的で、他の追従を許さないのはこのアルバムかなと思うのです。

例えば。
いま。
どうやっても。
どう考えても。
叶わないこと。

でも。
どうにかしてでも。
何とか。
そいつを。
我がものに出来ればと。

そう。
どうにかしてでも。
そいつが。
必須なのだと。
そうなってしまったら。

そうだな。
耳を澄ませて。
思い浮かべて。
翔べるものだけ。
それだけでも。

確かに。
そいつは。
現実とは。
言えないし。
異なるし。

でも。
その思いだけが。
翔んだものだけが。
辿り着ける。
そんなものもあるかなと。

そうなのだ。
どうしたって。
いま。
叶わないこと。
それはあるから。

そうなのだ。
どうやっても。
いま。
叶わないもの。
それもあるから。

どう転んでも。
どう考えても。
叶わないのなら。
そこは。
ひとつ、切り替えて。

目を閉じて。
思い浮かべて。
飛べるものだけ。
その思いだけでも。
飛ばしてみる。

耳を澄ませて。
思い浮かべて。
翔べるものだけ。
その思いだけでも。
翔ばしてみる。

どうしても。
どうにかしてでも。
必要なのだと。
必須なのだと。
そうなってしまったのだから。

空想して。
妄想して。
本物でなくても、現実でなくても。
疑似。
その空間に、その体験に遊んでみる。



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2018/12/10 Mon *真最中 / サンハウス

20181210uchoten


真ん中。
只中。
そう。
真只中。
真最中。

何がって。
そうだな。
何かが。
目覚めて。
動きだして。

もう。
それなりに。
時間が経った。
それなのに。
その筈なのに。

どうにも。
止まらない。
その気配すら。
ありはしない。
漂わない。

時には。
躊躇もある。
止めても。
止まっても。
いいかなとも思うのだが。

でも。
止められない。
止まらない。
そう。
真最中。

『有頂天』'75年リリース。
サンハウスの記念すべき1stアルバム。
最初の活動期間でのサンハウスのアルバムは僅かに3枚。
1枚はライヴ・アルバムなので、オリジナル・アルバムは2枚。
なかでも、この走り始めた、その最初の一歩には特別なものがあるかな。
菊、誠ちゃん、篠山、奈良、鬼平。やっぱり、この5人でこそのサンハウス。
実は後追いなので。最初の再結成時のサンハウスに一番、馴染み、思淹れがあって。
ですが。いま、一番しっくりくる、馴染むのは。このアルバムだったりします。
まぁ、それだけ聴いてきた、針を落としてきたと言うことではありますが。
それだけではなくて。何と言うか。自分にとってのロックンロール。
その根底、その根源。その始まりみたいなところに、ぴったりと収まっている。
不思議な話ですが。そんな感じかな。そう見事に腑に落ちるのですね。
あの時代。いまとはあらゆる面で、情報も市場も、社会そのものも。
ロックンロールなんてものを許容するにはほど遠かった時代の、日本の一地方都市。
そこに、この面子が集まって。走り始めて。このアルバムを産み落としたと。
ブルースへの愛情に溢れ。敬意と憧憬をもってして見事に換骨奪胎してみせたと。
それこそが。サンハウスによる日本のロックンロールだったのだと。
産み落とされたままの、毒々しくも瑞々しいその姿が見事に捉えられたアルバムです。
「キングスネークブルース」「風よ吹け」「レモンティー」「ロックンロールの真最中」
「ミルクのみ人形」「地獄へドライブ」「なまずの唄」・・・
その愛情、情熱、飢餓、焦燥。そんなものが放っている熱量。それはいまも変わらずに。
聴く者の胸に刺さり、腰を動かし、何処かへと駆り立てる。それは、そう。きっと。
菊も、誠ちゃんも。いまも変わらずに真只中にいるから。そんなものもあるのかな。

真ん中。
只中。
そう。
真只中。
真最中。

何がって。
そうだな。
何かが。
起き上がって。
蠢きだして。

もう。
それ程は。
時間もない。
それなのに。
それだからか。

どうにも。
止まらない。
その予兆すら。
ありはしない。
感じない。

時には。
諦念もある。
止めても。
止まっても。
何も変わらないとも思うのだが。

でも。
止められない。
止まらない。
そう。
真最中。

もう。
いい加減。
止まらないと。
時も経ったし。
疲れ果てると。

そう。
いい加減。
止まらないと。
時もないし。
砕け散ると。

なのだが。
どうにも。
止まる。
気配もなければ。
予兆もない。

どうやら。
どうにも。
こうにも。
止められない。
止まらない。

どうやら。
どうしても。
どうでも。
止められない。
止めたくない。

躊躇も。
諦念も。
振り払ってでも。
消し去ってでも。
止めたくない。

真ん中。
只中。
そう。
真只中。
真最中。

くたばるまで。くたばっても・・・



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2018/12/09 Sun *どんなんになっても / RC サクセション

20181209beatpops


どうなっても。
どうなろうとも。
どんなになっても。
どんなんになっても。
なっちゃっても。

大体が。
その昔に。
始める前に。
思い描いていた様には。
その通りには。

いくものではない。
いきはしない。
それにしても。
何でこんなことにと。
思うこともある。

あの日。
あの時の。
選択が過ちだったのか。
そこから狂ったのか。
そう言うことなのか。

だとしたら。
あの日、あの時に。
戻ってなどと。
でも。そうさ。
そいつは愚にもつかない。

選択したのだ。
どんなんになっても。
なっちゃっても。
引き受けていく。
そんな覚悟を決めるだけのこと。

『Beat Pops』'82年リリース。
RCサクセションのロンドン・レコード移籍第一弾アルバム。
通算では8枚目(編集アルバムは除く)となるのかな。
RCが乗りに乗っていた時期のアルバムでもあり。その勢いが表れていると。
一方で、このアルバムで曲のストックが尽きてしまったこともあって。
いま、振りかえると。大きな転換点の、その前の燃え尽きるかの感じもあるかなと。
ちょうどストーンズのデッカ時代の権利もロンドン・レコードが手に入れていて。
清志郎が、ストーンズと同じレコード会社になったぜと。はしゃいでいた記憶が。
まさか、僅か数年で。喧嘩別れして再び移籍するとは思っていなかっただろうなと。
さてと。このアルバム。収められているのは、言わばここ迄のRCの集大成。
そう、書き溜めて未だ公式に世に出していなかったナンバーを一気に吐き出してと。
だから、調子に乗っているロックンロールもあれば。拗ねて斜に構えたナンバーもあり。
そして、内省的で沈み込む様で。その実しぶとくうねるナンバーもあったりするのです。
この勢いに乗りながらも。自分達もどうにも馴染まないと言うか落ち着かないと言うか。
そんなアンバランスな不安定さ。そこらが実にRCらしいかなと思ったりもします。
不遜で自信満々の様で。そんな自分、そんな状況に懐疑的になってしまう。らしい、なと。
この少しずれた感じ、感覚。それがあるからRCは凡百の日本のロック・バンドとは違うと。
強迫観念、孤独感、不安と怒り、切なさ。そんなものがそのずれ故に沁みるのですよね。
個人的に。どん詰まりで。にっちもさっちもいかなくて。何とも煮え切らなくて。
諦めながら、どうしようもない焦燥感にも駆られてと。そんな季節に出会ったアルバムで。
だから。余計に沁みるのかな。まぁ、今でも状況はあまり変わってはいませんけどね・・・
「トラブル」「ナイ‐ナイ」「君を呼んだのに」「ハイウェイのお月様」とか堪りません。
一方で「つ・き・あ・い・た・い」「こんなんなっちゃった」「エリーゼのために」の。
そう不遜で、弾けて、突き抜けた感じがね、とても愛しくてならなかったりもするのです。
こんなんになっても、どんなんになっても。大丈夫。そんな根拠のない生きる勇気を貰えるアルバムなのです。

どうなっても。
どうなろうとも。
どんなになっても。
どんなんになっても。
なっちゃっても。

殆どが。
若き日に。
何も知らずに。
夢に見ていた様には。
その通りには。

いくわけもない。
いきはずもない。
それにしても。
何もここまでと。
思うこともある。

あの夜。
あの時の。
決断が過ちだったのか。
そこから迷ったのか。
そう言うことなのか。

だとしたら。
あの夜、あの時を。
やり直してなどと。
でも。そうさ。
そいつは愚の骨頂。

決断したのだ。
どんなんになっても。
なっちゃっても。
向き合っていく。
そう腹を括るだけのこと。

ちょっと。
かなり。
考えていたのと。
そいつとは。
様子が異なるけど。

少し。
だいぶ。
思っていたのと。
そいつとは。
様相が違うけど。

まぁ。
そんなことも。
あるだろう。
それでも。
何とかなるだろう。

まぁ。
そんなこと。
ばかりだろう。
それでも。
何とかするだろう。

そうして。
ここで。
こうして。
しぶとく。
やっているわけだ。

そうして。
ここまで。
こうやって。
不遜に。
やってきたわけだ。

どうなっても。
どうなろうとも。
どんなになっても。
どんなんになっても。
なっちゃっても。

その選択。
その決断。
その結果。
覚悟をもって引き受けて。
腹を括って向き合って。

これからも。
どんなんになっても。
なっちゃっても。
それだけのこと。
それでいい。それがいい。



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2018/09/30 Sun *夏が終わる / 真島昌利

20180930natsunonukegara


夏が終わる。
夏が往く。
やっと解放されるのかと。
暑さが骨身に染みた。
体は言うけれど。

未だに。
尻尾がとれない。
蒼いままの。
心はどこかで。
名残を惜しんでいる。

夏は。
はしゃがせる。
昂らせる。
その暑さと。
その空の青さと。

そいつは。
そんな夏の匂いは。
いつまでも。
幾つになっても。
心を弾ませる。

だから。
体がついていけない。
そんな季節を迎えても。
夏が去るのは。
未だに寂しいのだ。

きっと。
この切なさを。
重ねる度に。
何かを失いながら。
ここまで生き延びてきたのだろう。

『夏のぬけがら』'89年リリース。
真島昌利、マーシーの初めてのソロ・アルバム。
この2枚組アナログ盤がリリースされたのは2017年だったかな。
一応、リマスターされているみたいですが。それ程の音質の違いは・・・
まぁ、その辺りは環境や、好みにもよりますからね。ヴォーカルが前に出ているかな。
さて。結論から言うと。自分がマーシーを好きなのは、信頼しているのは。
ブルー・ハーツよりも、ハイロウズよりも、クロマニヨンズよりも、何よりも。
このアルバム、そこに描かれている世界があるからなのです。断言できるな。
ブルー・ハーツは衝撃的で。特にマーシーの詞にはやられたなと思ったのですが。
何処かで一歩退いてもいて。一緒にライヴを観に行ったある娘の一言が象徴していて。
高校生でこれを聴いていたら、後戻りできないくらいにハマっていたよねと。
そう。既に社会に出ていた自分達にとっては何処か過ぎてきた世界で。故に眩しいのかと。
そんな時に。このアルバムがリリースされて。聴いた瞬間から、もう言葉を失って。
こうきたかと。これをやるかと。やられたなと。悔しいけど、敵わないなと。
マーシーとは、ほぼ同年代、同学年みたいなものなので。そうなのだよなと。
だからこそ、感じられる、受け止められる、共にあれる世界があるのだなと。
特に、ここに描かれている、恐らくはマーシーの十代が反映されているであろう、その世界。
その匂いとか、その空気とか、その情景とか。こいつは、こいつばかりは同年代ならではの。
その特権だなと。あの夏の終わりに、見上げた青い空、白い雲、そして夕焼け。
そんなものが、見事に歌われている、描かれている。それが胸に刺さり、震わせるのです。
一瞬にして。あの日、あの時、あの町に帰れてしまうのです。勿論、実際には違うものの。
同じ、似通った空の下で、空気の中で、匂いを感じて駆け抜けてきたのだなと。
あまりにもノスタルジックに過ぎるとの批評もあった様ですが。それがそうしたと。ロックンロールなんて。
所詮はノスタルジックで、切ないものだと。それを真正面から描いてみせたマーシー、大好きなんだよなぁ・・・

夏が終わる。
夏が逝く。
やっと解放の時が来たのだと。
暑さに消耗させられた。
体は言うけれど。

未だに。
夏休みが恋しい。
ガキのままの。
心はどこかで。
別れを惜しんでいる。

夏は。
駆け出させる。
騒がせる。
その暑さと。
その雲の白さと。

そいつは。
そんな夏の残り香は。
いつも。いまも。
幾つになろうが。
心を跳ねさせる。

だから。
体がもちはしない。
そんな年齢になっても。
夏が去るのは。
未だに哀しいのだ。

きっと。
この哀しさを。
重ねる度に。
何かを喪いながら。
いままで生き延びてきたのだろう。

夏が終わり。
夏が去り。
新たな季節が。
新たな息吹が。
やって来る。

その巡り。
その繰り返し。
そいつが繋ぐもの。
そいつが紡いできたもの。
それもまた、大切なのだと。

それは。
そのことは。
体にも、心にも。
染みる程に。
感じている、知っている。

それでも。
それだから尚。
夏は。
その匂いは。
特別なのだ。

空の青さ。
雲の白さ。
熱気、喧騒。
そして。
一瞬の静寂。

その中に。
終わらない何かを。
終わらせたくない何かを。
永遠を見てしまった。
それは幻に過ぎないとしても。

夏が往く。
夏が逝く。
秋が訪れ。
秋が深まる。
夏が終わる。

惜しまずにはいられないのだ…



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2018/09/29 Sat *土曜の夜の / 泉谷しげる

20180929eigtiesballad


土曜日だから。
土曜の夜だから。
月末だから。
嵐の前だから。
なんだかんだと。

理由を。
探そうと思えば。
幾らでも。
探せるだろうなと。
そいつもあるだろうと。

でも。
この胸に。
燻っている。
この。
苛立ちの。

理由は。
おそらくは。
そんな単純な。
ものなどでは。
ありはしないと。

否。
逆にあまりにも。
単純で。
その理由を。
認めたくはないのか。

いずれにせよ。
土曜の夜の。
焦燥。
そいつに。
感情が波立っている。

『'80のバラッド』'78年リリース。
泉谷しげる、ワーナー・パイオニア移籍第一弾となったアルバム。
数多い(20枚以上はあるのかな)泉谷のオリジナル・アルバムの中でも。
一、二を争う傑作と思われるアルバム。ここらが最初の頂点だったかなと。
「翼なき野郎ども」「デトロイト・ポーカー」「裸の街」「エイジ」と言った。
後々までライヴでも取り上げられる代表的なナンバーも数多く含まれていて。
収められているナンバーの水準、その出来が高いのが先ず素晴らしいかなと。
それを意外にも。端正とも言える程に丁寧に歌い、聴かせる泉谷がここにはいます。
これはプロデューサーである加藤和彦の貢献も大きいかと思われます。
泉谷と、加藤和彦。何だか正反対な感じですが。結構馬は合ったのだとか。
余程の力量があって、信頼の置けるプロデューサーでないと。泉谷、言うこと聞かないし。
手綱を緩めすぎると、野放図にやり過ぎて。纏まりがなくなるので。流石は加藤和彦。
そして泉谷もその手腕を認めていたのだろうなと改めて思わされます。
さて。粗暴で、意固地で、手に負えない暴れ者で、トラブル・メーカーでと。
そんなイメージの強い泉谷ですが。それは実のところ、繊細で優しく、そして弱さの裏返し。
特に自らの弱さを自覚しているが故に。何ものかに巻かれてしまう、呑み込まれてしまう。
それを恐れるが故に、自らを鼓舞しなければいられない。それが泉谷の表現だと。
そして。それは実は多くの人間が抱いているもので。だからこそ、泉谷の歌うもの。
その焦燥であったり、虚無であったりが。聴く者の胸倉を掴んで離さないのだと。
そう感じるし、それこそが泉谷の魅力であり。このアルバムは見事に捉えているなと。
惜しむらくは。これだけのアルバムも商業的な成功は得られずに。その反動なのか。
俳優としての活動に力を入れて。それがまた評価されてしまったことで。どうにも。
その俳優、タレントとしてのイメージが。ロッカー泉谷の正統な評価を妨げている様で。
まぁ、自業自得な感もあるのですけど。このくそ爺の真価はこのアルバムにこそあると思うのですよねぇ・・・

土曜日だから。
土曜の夜だから。
秋が深まるから。
嵐がやって来るから。
なんだかんだと。

原因を。
求めようと思えば。
幾らでも。
求められるだろうなと。
そいつもあるだろうと。

でも。
この胸に。
刺さったままの。
この。
諦念の。

原因は。
おそらくは。
そんな簡単には。
見つかるものでは。
ありはしないと。

否。
逆にあまりにも。
明白で。
その存在を。
認めたくはないのか。

いずれにせよ。
土曜の夜の。
虚無。
そいつが。
感情を粟立てている。

焦燥。
そいつは。
今日に始まったことじゃない。
そいつは。
今夜に限ったことじゃない。

そうさ。
おそらくは。
もう、忘れた頃から。
この胸に。
燻ったまま。

虚無。
そいつも。
今日に始まったことじゃない。
そいつも。
今夜に限ったことじゃない。

そうさ。
恐らくは。
もう、遥か昔から。
この胸に。
刺さったまま。

だけど。
何なのだろう。
この苛立ちの高まりは。
この諦念の深まりは。
どうしたのだろう。

だけど。
何なのだろう。
この感情の波立ちは。
この感情の粟立ちは。
どうしたのだろう。

土曜の夜の。
焦燥。
土曜の夜の。
虚無。
そいつが俺を狂わせる・・・



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2018/09/28 Fri *表が裏か、裏が表か / 山口百恵

20180928mobiussgame


表が裏か。
裏が表か。
どっちが。
どっちでも。
見分け難い。

どうやら。
そんなことも。
あるらしい。
だから。
ややこしい。

表だと。
思って。
付き合っていたら。
そいつが。
裏で。

何のことはない。
偶々。
裏が表に。
回っていた。
その時に出会っていた。

そのまま。
ひっくり返ったまま。
ねじれたまま。
気づかぬままに。
ここまで来たら。

表が表に。
裏が裏に。
その位置に戻ったと。
そう言うことらしい。
分かった様な、分からない様な。

『メビウス・ゲーム』'80年リリース。
山口百恵の(おそらくは)20枚目のオリジナル・アルバム。
そして、最後から3枚目にあたるオリジナル・アルバムでもあります。
実質の活動期間が7年強だったことを考えるとかなりの量産ペースだったのだなと。
何でも他にもライヴ・アルバムとかベスト・アルバムとかを合わせると。
現役時代にリリースされたアルバムは50枚近くに上るのだとか・・・
さて。このアルバム。その引退が公のものとなってから初めて制作されたアルバムと思われ。
それもあってか。かなり自由と言うか。弾けていると言うか、遊んでいると言うか。
意匠としては流行っていたテクノを纏いながら。その中で伸び伸びと歌っているなと。
そして。阿木燿子を始めとする作家陣、スタッフも吹っ切れたかの様に。
山口百恵と言う、この上ない極上の素材を思うままに扱って楽しんでいるなと。
まぁ、そうだよなと。引退に向けて盛り上がっている最中で。誰も何も言わないよなと。
シングルとは異なる、よりドライヴする「ロックンロール・ウィドウ」で始まって。
様々な詩の世界、サウンド。正直、そこには統一感など無いに等しいのですが。
唯一、山口百恵が歌っている。その事実によりメビウスの輪として繋がり、連なっていると。
山口百恵と言うのは。その歌の上手さは疑いようが無いのだけれど。興味深いのは。
凄い個性の持ち主の様でいて。その実は。まるっきり、白紙の様にも思えるところで。
ある意味。作家が持ち込んだものを完璧に歌いこなし、演じられるのは。白紙故かとも。
それでいて。やはり山口百恵の匂い、それはとてつもなく濃厚で。どちらが表だったのか。
捉えどころが無いかと思って油断して近づくと。すっかり虜にされているみたいな。
そのやりとり、駆け引きが山口百恵と仕事をする楽しさだったのか。そして永遠に続く筈が。
そのメビウスの輪が引き裂かれることになり。それを惜しみながら真剣勝負を楽しんでいた・・・のかもです。

裏が表か。
表が裏か。
どっちが。
どっちなのか。
判然としない。

どうやら。
そんなものも。
あるらしい。
だから。
面倒くさい。

裏だと。
思って。
距離を測っていたら。
そいつが。
表で。

何のことはない。
偶々。
表が裏に。
回っていた。
その時に出くわしていた。

そのまま。
ひっくり返ったまま。
捻ったまま。
疑わぬままに。
ここまで来たら。

裏が裏に。
表が表に。
その位置に返ったと。
そう言うことらしい。
分からない様な、分かった様な。

何が表で。
何が裏で。
どうにも。
そいつが。
難しい。

何が裏で。
何が表で。
どうにも。
そいつが。
判じられない。

その日。
その時。
偶々。
見えたものが。
表の様な。

あの日。
あの時。
偶々。
見逃したものが。
裏の様な。

時々で。
ねじれて。
捻って。
そのまま。
繋がり、連なり。

時々で。
表が裏に。
裏が表に。
見え隠れ。
入れ替わり。

分かった様な。
分からない様な。
だから。
そいつが。
面白いと言えば面白いけれど。

表が裏か、裏が表か・・・



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2018/09/27 Thu *微かな輝きだとしても / Teardrops

20180927teardrops


小さな。
微かな。
輝きだとしても。
その輝きの。
その鋭さ。

その。
一途な。
強さは。
半端な。
そんなものじゃない。

その輝き。
そいつを。
放つために。
どれだけの。
どれほどの。

思いを。
乗り越えてきたのか。
道を。
歩んできたのか。
そう言うことだ。

そいつが。
集まって。
固まって。
尖がって。
輝いてみせる。

小さな。
微かな。
輝きだとしても。
そいつを。
侮ったら火傷するのさ。

『Teardrops』'88年リリース。
山口冨士夫、富士夫ちゃん率いるティアドロップスの1stアルバム。
他のメンバーは青木真一、カズ中島、佐瀬ビッグ・ビート浩平と言う顔ぶれ。
村八分の解散後は、ソロとか、タンブリングスとか、散発的な活動が続いていて。
シーナ&ザ・ロケッツへのゲスト参加辺りから、シーンの前面に帰ってきた富士夫ちゃん。
盟友、旧友を集めて。村八分以来のパーマネントなバンドでの活動を始めたと。
SEXレコードなるインディーからのリリースで。正直、音質も良くはないのですが。
もう、そんなことはどうでもいいと。富士夫ちゃんのギターがレコードで聴けるのだと。
それだけで。ワクワクしながらリリースを待って。レコ屋さんに走ってと。
「いきなりサンシャイン」とかのシングル盤は、このアルバムの後に手に入れたのかな。
そのシングル盤のナンバーが収録されていないとか、やっぱり録音がしょっぱいなとか。
そんな若干の不満は感じつつも。富士夫ちゃんのギターには、それこそ尻を蹴り上げられて。
冨士夫ちゃんのギターが鳴り響けば、うねりを上げれば。それがロックンロールなのだと。
大袈裟ではなくて。震撼するものがあったかな。作りもかなりラフだとは思うのですが。
それが逆に、それ故に。当時の生身の冨士夫ちゃんを感じられるアルバムになっているかな。
ボ・ガンボスのライヴにもよく参加していて。そしてティアドロップスも軌道に乗って。
とにかく。冨士夫ちゃんのギターを聴きたい。冨士夫ちゃんのオーラを浴びたい。
それだけの理由で都内のライヴは、かなりの本数を追っかける様にもなったのでした。
おそらくは。翌年に東芝からメジャー・デビューする以前の方が回数は多く観ているかも。
兎に角。何が起こるか分からないと言うか。一回、一回が真剣勝負と言うか。
本当に。白刃、生身での立ちあい、斬りあいに挑むかの緊張感、凄味が堪らなかったな。
流石に。そこまでの迫力はこのアルバムは捉えきれてはいないと思いますが。
清志郎が参加した「ピッカピカダイヤモンド」「グッ・モーニン」なんてナンバーもあって。
今も、今でも変わらずにダイヤモンドの輝きを放ち続けている傑物なのです。

小さな。
微かな。
輝きだとしても。
その輝きの。
その温かさ。

その。
一途な。
深さは。
半端な。
そんなものじゃない。

その輝き。
そいつを。
放ち続けるために。
どこまでの。
どれほどの。

闘いを。
潜り抜けてきたのか。
志を。
貫いてきたのか。
そう言うことだ。

そいつが。
寄って。
凝って。
磨かれて。
輝き続けている。

小さな。
微かな。
輝きだとしても。
そいつを。
見くびったら大怪我するのさ。

光が。
見えるところ。
輝きが。
放たれているところ。
そこに人は集まる。

明りが。
灯っているところ。
輝きが。
放たれているところ。
そこに思いも集まる。

そんな。
鋭く。
温かい。
輝き。
そいつを支えているのは。

どうにも。
一途で。
半端ない。
強さ、深さ。
そいつを生んだのは。

乗り越えてきた思い。
歩んできた道。
潜り抜けてきた闘い。
貫いてきた志。
そいつが。集まって。固まって。尖って。

小さな。
微かな。
輝きだとしても。
その輝きに秘められたもの。
そいつは大きな力となるのだ。



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2018/09/26 Wed *警報発令 / コンディション・グリーン

20180926lifeofchange


警報発令。
変化が。
その予兆が。
胸に。
湧き上がる。

また。
新たに。
何かが。
大きく。
変わろうとしている。

そいつは。
どうにも。
どうしても。
止められるものでは。
無さそうで。

ひょっとしたら。
何かを。
何もかもを。
根こそぎに。
奪っていくかもしれないなと。

その変化への。
恐れと。
そして。
期待と。
その狭間で揺れながら。

警報発令。
変化の。
その予兆に。
鼓動が。
高鳴っていく。

『Life Of Change』'78年リリース。
沖縄出身のハード・ロック・バンド、コンディション・グリーン。
その恐ろしい程に超ド級の迫力を伝えることとなった1stアルバム。
結成されたのは'70年代初頭だったそうなので。デビューまでに時間がかかっていますが。
その間に米軍基地、キャンプを回りライヴを重ねることでその実力を高めていったと。
そして。当時の日本のバンドとしては破格のスケールを手に入れたのだろうなと。
その超ド級の迫力はまさに緊急警報(コンディション・グリーン)を必要とするものでした。
同時期に台頭、活躍した紫がブリティッシュ・ハード・ロックの影響下にあるのに対して。
コンディション・グリーンはアメリカン・ハード・ロックの影響が色濃いと言えて。
その点に関しては今に至るまで日本のロック・シーンにおいては稀有な存在でもあると。
さて。メンバーの出入りも多かったコンディション・グリーン。全部で十数人に上るとも。
このアルバムでは、カッちゃん、シンキ、エディ、ターケの四人が参加していて。
それぞれにR&Bだったり、ブルースだったり、ファンクだったり、ジャズだったりと。
それぞれに嗜好は結構バラバラだった様ですが。それが集まって一体となって鬩ぎ合うと。
恐怖を覚えるほどの迫力と、そしてどこか神秘的な美しさも感じさせるサウンドが発生。
その渦に巻き込まれ。身も心も任せていると。実に何とも心地良くなるのです。
当時、特に沖縄以外ではロック雑誌等に載ったその破天荒なステージの印象が強くて。
キワモノ扱いされたりもしていましたが。どうしてどうして。正統派のロック・バンドで。
おそらくはワールド・ワイドでも対等に勝負できるだけのものを持っていたと思います。
時代が違っていたら、その魅力はより広い世界に浸透し、警報が鳴り響いていただろうなと。
結局、当時はよりシンプルになった2ndアルバムをリリース後に解散していて。
そのことが惜しまれますが。今でも針を落とすと根こそぎ攫われそうになる、その魅力は輝いているのです。

警報発令。
波乱が。
その予感が。
頭を。
駆け巡る。

また。
新たに。
何かが。
激しく。
揺れ動こうとしている。

そいつは。
どうしても。
どうにも。
抑えられるものでは。
無さそうで。

おそらくは。
何かを。
何もかもを。
根底から。
覆すかもしれないなと。

その波乱への。
旋律と。
そして。
羨望と。
その狭間を彷徨いながら。

警報発令。
波乱の。
その予感に。
興奮が。
高まっていく。

何が。
起きるのか。
何が。
やって来るのか。
その襲来。

何が。
変わるのか。
何が。
覆されるのか。
その崩壊。

何が。
もたらされるのか。
何が。
生み出されるのか。
その誕生。

どうせなら。
そう。
総てが。
無に返ってしまう様な。
そんな変化。

どうせなら。
そう。
総てが。
元から問い直される様な。
そんな波乱。

どうせなら。
そう。
総てが。
想像を絶する様な。
そんな創造を生む変化と波乱。

そいつを。
恐れながらも。
期待と共に。
待ち望んでいる。
そいつは疑いようもない。

警報発令・・・



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