カテゴリー「005 Japanese」の記事

2017/12/07 Thu *その気にならないで / キャンディーズ

20171207sonokinisasenaide


その気に。
させないで。
ではなくて。
その気に。
ならないで。

直ぐに。
その気に。
なるのが。
悪いところ。
そうなのだ。

直情径行。
どうにも。
こうにも。
火がつきやすい。
燃え上がりやすい。

直ぐに。
周りが見えなくなって。
ただただ。
一直線。
思いのままに走りだす。

だから。
躓く前に。
転ぶ前に。
気をつけて。
気がついたのなら。

その気に。
ならないで。
その気に。
なる前に。
立ち止まって・・・なのだけど。

『その気にさせないで』'75年リリース。
キャンディーズの5枚目のオリジナル・アルバム。
収録曲が総てオリジナル・ナンバーになった2枚目のアルバムでもあります。
その気にならないで・・・と言われても。このジャケットで言うかと思いますが(笑)。
この写真、大磯海岸で撮影されて。スーちゃんが海に落ちたって話もあったなぁ。
同じ写真をジャケットに利用した先行シングル「その気にさせないで」がA面1曲目に。
当時のオリコンでは17位止まりだったと。もっとヒットしていた印象があるのですが。
未だ完全にはブレイクする前だったのですかね。凄く印象的なナンバーで。
何でも元々の歌詞は世に出たものより際どくて。ナベプロからNGが出たのだとか。
サウンドは、もろフィリー・ソウルと言うか、歌謡ソウルと言うか。
そう、スリー・ディグリーズの「にがい涙」を彷彿とさせ、凌駕する完成度の高さで。
よく言われることですが。キャンディーズについていたスタッフの優秀さが伺えます。
更には、その要求に応えてみせるキャンディーズの3人の才能の輝きも見事です。
総ての作曲は穂口雄右で。作詞は千家和也と竜真知子とキャンディーズを支え続けた面々。
その中で「二人のラブトレイン」では初めてミキちゃんの自作詞が採用されています。
実はキャンディーズの総てのオリジナル・ナンバー中、二番目に作詞作品が多いミキちゃん。
その才能の萌芽ともなった記念すべきアルバムでもあったのですね。
その「二人のラブトレイン」はビートの効いた勢いのあるナンバーで実にご機嫌です。
(タイトルはスリー・ディグリーズの「ミッドナイト・トレイン」の影響下にあるかな)
「その気にさせないで」「二人のラブトレイン」を始めとしてライヴの定番ナンバーも多く。
収録されているナンバー、特に3人のコーラスの素晴らしさはやはり特筆ものだと。
歌謡曲でも。洋楽に互するクオリティを発揮できる、その証となるアルバム、そしてキャンディーズなのです。

その気に。
させないで。
ではなくて。
その気に。
ならないで。

直ぐに。
その気に。
なるのが。
悪い癖。
そうなのだ。

猪突猛進。
どうにも。
こうにも。
加速しやすい。
踏み込みやすい。

直ぐに。
周りが消え去って。
ただただ。
一本道。
思いのままに走り続ける。

だから。
怪我する前に。
火傷する前に。
気をつけて。
気がついたのなら。

その気に。
ならないで。
その気に。
なる前に。
歩調を緩めて・・・なのだけど。

これまで。
どれだけ。
どれほど。
躓いて。
転んで。

いままで。
それだけ。
それほど。
怪我して。
火傷して。

直ぐに。
周りを。
見失い。
一直線に。
一本道を。

どうにも。
火がつきやすい。
燃え上がりやすい。
加速しやすい。
踏み込みやすい。

こうにも。
直情径行。
猪突猛進。
思いのままに走りだす。
思いのままに走り続ける。

直ぐに。
その気に。
なるのが。
悪いところ。
悪い癖。

その気に。
させないで。
ではなくて。
その気に。
ならないで。

そいつは。
わかっているけれど。
どうにも。
こうにも。
浪漫の地平を走り続けてみたくなる。

その気にならないで・・・



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2017/12/06 Wed *跨いでいこう / 沢田研二

20171206gsiloveyou


いつのまにか。
別に。
望んだわけでもないのに。
半世紀を。
生き延びてしまって。

あれは。
いつだったか。
世紀の。
代替わりにも。
立ち会って。

そうしたら。
今度は。
どうやら。
元号とやらも。
三つも跨ぐことになりそうで。

まさか。
こんなことになるとは。
こんな目に合わされるとは。
ガキの頃には。
思いもしなかったが。

そうか。
そうだな。
跨がせてくれると。
そう言うのならば。
どうせなら。

今のまま。
今までのまま。
我が儘に。
我が道を。
そのままに。派手に。頑固に。

『G. S. I Love You』'80年リリース。
沢田研二、ジュリーの(たぶん)15枚目のオリジナル・アルバム。
前作『Bad Tuning』から僅か五ヶ月。この頃の勢いを感じさせます。
バンドは前作に引き続きオールウェイズで。このアルバムの後に面子が変わって。
エキゾティックスになったのだと記憶しています。吉田建と柴山和彦が残留したのかな。
さて。アルバム・タイトル通りに。ブームから十数年振りに再びGSに挑むと。
GS、グループ・サウンズへの愛情、オマージュをテーマにしつつ新しい時代と対峙して。
新時代のグループ・サウンズに挑んでいると。それは何かと言うと・・・
当時の言葉で言えば。ストリート・ロックと言うのかな。シンプルなロックンロール。
そいつにジュリーならではの華麗な意匠を施して。派手に、煌びやかに決めてみせると。
歌謡界のトップを疾走していたジュリーですが。その本質はタイガース時代から変わらず。
硬派なロックンローラーであって、ロック・ヴォーカリストとしてもトップであると。
それが時代を超えるものであると、敢えて懐古的ともとられかねないテーマに挑んで。
その存在の大きさ、変わることの無い芯の太さを示したアルバムだと思います。
未だメジャーになる前の佐野元春が3曲ほど提供していて。今ではそれが目玉なのかな。
しかしながら。後にセルフ・カヴァーされるそれらのナンバーですが。
特にヴォーカルに関しては、このアルバムのジュリーの圧勝かなとも思われて。
この当時で、十数年。芸能の世界でトップを張ってきたのは伊達じゃないのだぞと。
その底力を余すところなく伝えてくれているのですよね。流石はジュリーなのです。
たぶん。そのまま懐古的な楽曲、サウンドでアルバムを作っても。成功したと言うか。
寧ろ、その方が世間の受けは良くて、商業的にはより大きな成功を得ていたかもですが。
敢えて、新時代のソリッドなサウンドをバックに歌って見せたと。
そこに、ジュリーの世代や時代を股にかけて。軽々と跨いでいく、そんな頑固な魅力を感じて痺れるのです。

いつのまにか。
特に。
望んだつもりもないのに。
半世紀を。
生きさらばえてしまって。

もはや。
忘れかけているけど。
世紀の。
代替わりにも。
遭遇して。

そのうちに。
今度は。
なんだか。
元号とやらも。
三つ目を跨ぐことになりそうで。

まさか。
こんなところまで来るとは。
こんな目を見ることになるとは。
少し前には。
思いもしなかったが。

そうか。
そうだな。
跨いでくださいと。
そう言うのならば。
どうせだから。

今のまま。
今までのまま。
思う儘に。
我が思いを。
そのままに。派手に。頑固に。

思う間もなく。
いつの間にか。
随分と。
遠くまで。
来た様で。

思いの外。
あっと言う間に。
来てしまった。
それ程に。
近い様で。

時代が。
変わろうと。
世代が。
変わろうと。
世紀を越えようと。

元号が。
移り替わり。
三つ目が。
やってこようと。
跨ぐことになろうと。

昔のまま。
そのまま。
今のまま。
今までのまま。
変わらないものは変わらない。

あの頃も。
いつかの日も。
今も。
今日と言う日も。
変わらないものは変わらない。

今のまま。
今までのまま。
我が道を。
我が思いを。
そのままに。派手に。頑固に。

股にかけて、跨いでいこう。



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2017/12/05 Tue *旧い奴、旧い男 / 萩原健一

20171205nekkyolive


旧い奴である。
旧い男である。
そいつばかりは。
どうしようもなく。
変えようとも思わない。

好きなもの。
愛するもの。
憧れるもの。
そんなものは。
例外なく時代遅れ。

そいつは。
如何ともし難く。
そして。
それでいいのだと。
腹を括っている。

平成すらも。
終わろうかと言う。
この時代になっても。
そう。
昭和の中にいる。

己の。
根っ子は。
規範は。
矜持は。
あの時代に作られた。

いまどき。
流行らなかろうが。
廃れていようが。
いまも。
胸が熱くなるのだからしかたがない。

『熱狂雷舞』'79年リリース。
萩原健一、ショーケンの2枚組ライヴ・アルバム。
テンプターズ、PYGとしてもライヴ・アルバムはありましたが。
ソロとなってからは初めてのライヴ・アルバムで。
'78年~'79年の全国ツアーから、東京、横浜、大阪、名古屋で収録されたと。
バックを務めるのは柳ジョージ&レイニー・ウッド。3管のホーンも加わって。
大野克夫、速水清司がゲストで参加しているナンバーもあります。
さて。ショーケンです。マカロニ、そして小暮修、アニキのショーケンです。
その歌声、溢れ出る、滲み出る空気がどうしようもなくロックであり、昭和なのです。
その演技、その役柄のままに。その生きざまそのものが掟破りでアウトロー。
そんなショーケンの歌声も。また掟破り、アウトローそのもので。
原曲など知ったことではない、決まり事に構うことはないとばかりに。
フェイクしまくる、崩しまくる。恐らくは毎回、毎回異なっていたのではと。
あまりと言えば、あまりなのですが。そのアウトローな突き抜け方こそがロックなのだと。
「大阪で生まれた女」とか「酒と泪と男と女」とか。ベタな歌を歌いながらも。
決してカラオケなどにならないどころか、危うい色気を放ってみせる。
ここに、ロック・シンガー、ショーケンの真骨頂があるのです。この過剰で過激な男振り。
規制されることも、去勢されることも拒み。安易な優しさに逃げることも許さない。
どんなに孤独だとしても。群れる安全よりも、死と隣り合わせの自由を選ぶ。
もはや時代遅れどころか、昭和と共に逝ってしまった絶滅危惧湯の類だろうと思われて。
でも。その歌声、その空気、その匂い。その危なさにこそ焦がれてしまうのです。
何故なら。その危うさ、そしてそれ故の愛しさ、儚さ、切なさこそがロックだろうと。
この妙に小綺麗で、清潔で、表面だけ取り繕った様な世の中、時代だからこそ。
ショーケンの、決して飼い馴らされないロックが一際、胸の奥に突き刺さるのです。
旧い奴で、旧い男で。そんなロック馬鹿でいいのだと背中を蹴とばされるのです。

旧い奴である。
旧い男である。
そいつばかりは。
どうにもならない。
どうしようとも思わない。

惹かれるもの。
魅せられるもの。
焦がれるもの。
そんなものは。
揃いも揃って時代遅れ。

そいつは。
抗い様もない。
そして。
それがどうしたと。
腹を決めている。

平成すらも。
終わることになった。
この時代になっても。
そう。
昭和の中を生きている。

己の。
根源は。
基軸は。
気韻は。
あの時代を生きている。

いまどき。
鼻にもかけられなかろうが。
見向きもされなかろうが。
いまも。
胸が震えるのだからしかたがない。

外れていようが。
逸れていようが。
己が。
信じているのなら。
それだけのこと。

踏み外そうが。
弾き出されようが。
己が。
信じるものがあるなら。
それだけのこと。

安易に。
垂れ流される。
愛とか感動とか。
優しさとかに。
馴染めなくて。

小綺麗で。
清潔で。
表層的な。
社会に。
窒息しそうで。

規制と。
去勢と。
尻尾を振ることと。
引き換えの安全など。
欲しいものかと。

虚勢でも。
孤独でも。
野垂れ死にと。
隣り合わせででも。
自由を選ぶのだと。

旧い奴である。
旧い男である。
流行らなかろうが。
廃れていようが。
そうなのだからしかたがない。



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2017/05/25 Thu *リアル / 泉谷しげる

20170525realtime


何が。
己の。
リアルなのか。
事実なのか。
真実なのか。

そいつは。
結局は。
己が。
何を感じるか。
どう感じるか。

そこに。
そこだけに。
存在する。
そんなもの。
そんなところ。

誰かの。
リアルなど。
事実など。
真実など。
何の意味も無い。

己の。
目で見えない。
耳で聞こえない。
心が感じない。
口で語れない。

そんなものは。
己の。
リアルではない。
事実ではない。
真実などではありはしない。

『Real Time』'84年リリース。
泉谷しげる、'83年に渋谷公会堂で収録された2枚組のライヴ・アルバム。
かなりの数のライヴ・アルバムをリリースしている泉谷ですが。
その中でも屈指の出来と思われるのがこのアルバムではないかと。
泉谷のライヴと言うと。どうしてもルーザーとのライヴのイメージが強いのかなと。
確かに。吉田建、村上ポンタ、チャボ、下山潤、Kyonと錚々たる面子でしたが。
その数年前となるこの時代の泉谷を支えていたのが2019レプリカンツで。
その面子も吉田建に、鈴木さえ子、柴山和彦等と。ルーザーにも劣らないつわもの揃いで。
更にこのアルバムではチャボも参加していると。そのサウンドは実に個性的で。
無機質な様で生々しく。クールな様で何ともホットで。泉谷を支え、そして煽っています。
泉谷も絶好調で。毒舌を炸裂させて。客席と喧嘩腰でやり合いながら。
その勢い、その熱さで観客を巻き込みながら何とも強烈なライヴを繰り広げています。
実はこの頃に初めて泉谷のライヴを体験しているのですが。兎に角、その存在感。
その歌声と、その歌詞。その強烈な個性。それを伝える、突きさすバンドとの一体感。
それに驚かされた記憶が、このアルバムに針を落とすとまざまざと蘇るのです。
それこそ。RCに、清志郎に唯一対抗しうるのは、比肩するのは泉谷かなと思うくらいで。
まぁ、今の。特に清志郎が亡くなった後の泉谷はなんだかなぁ、なのですけどね。
間違いなく。あの頃の。このアルバムに収められている泉谷はリアル・タイムと言うか。
自分にとってはリアルであり、事実であり、真実であったのですね。
一度手放してしまって。つい最近再び入手して。久し振りに針を落としたのですが。
今でも、このアルバムは。リアルであり、事実であり、真実であると。
それは。このアルバムの泉谷がリアルであり、事実であり、真実であるからで。
自分と泉谷のリアルは異なっていても。それぞれが、それぞれのリアルを生きていた、生きているのです。

何が。
己にとって。
リアルなのか。
事実なのか。
真実なのか。

そいつは。
最後は。
己が。
何を求めるか。
どう求めるか。

そこに。
そこだけに。
現出する。
そんなもの。
そんなところ。

誰かにとっての。
リアルなど。
事実など。
真実など。
何の意味も持たない。

己の。
目で見ていない。
耳で聞いていない。
心が感じていない。
口で語っていない。

そんなものは。
己にとっての。
リアルにはならない。
事実にもならない。
真実などになる筈もない。

いつであろうと。
どこであろうと。
そんなことは。
問題ではない。
問題にもならない。

いつであっても。
どこであっても。
己が。
感じたのなら。
求めたのなら。

いつであろうが。
どこであろうが。
誰かが。
感じたのなら。
求めたのなら。

それが。
その時が。
その場所が。
己のリアル。
誰かのリアル。

己で。
見て。
聞いて。
感じて。
語ればいい。

それぞれが。
それぞれの。
リアルを。
事実を。
真実を。

生きればいい。
生きるしかない。
そこに。
何かが生まれたなら。
それもまたリアル。それだけさ。



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2017/05/24 Wed *閉ざされる自由 / カルメン・マキ&OZ

20170524tozasaretamachi


閉じていく。
閉じられていく。
その予感に。
慄き。
立ち尽くさずにはいられない。

確かに。
少し前から。
否。
遥か昔から。
その予感はあったのだが。

夕立前に。
急激に膨らむ。
黒雲の様に。
押しとどめようも無い力で。
閉じられていく。

閉じられる。
その扉の隙間から。
微かな光が。
見えているうちに。
何とか止めなければと。

そう。
思い。
焦り。
苛立ち。
そして慄くのだが。

どうやら。
あまりにも。
この街は。この社会は。
群れ集う人々は。
気づいてもいないらしい。それとも。

『閉ざされた町』'76年リリース。
カルメン・マキ&OZの2ndアルバム。
1stアルバムリリース後にカルメン・マキと春日博文以外のメンバーが交代して。
ベースには川上茂幸、ドラムスには久藤賀一、キーボードには川崎雅文と言う布陣に。
但しサウンド的には1stから大きな変化は無く。より深化したのかなと感じます。
よりハードに、よりヘヴィに。そしてより壮大に。そんな超ド級のサウンド。
そして。より繊細さになったかとも思われるメロディを歌い上げるカルメン・マキ。
その歌声の迫力・・・存在感の前には立ち尽くすしかない、震えるしかないと。
「Introduction」と「Epilogue」なる短いインストに挟まれた5曲、全7曲の構成。
当然、1曲、1曲は長尺になるのですが。決して冗長になることはなくて。
更に。その壮大さ、重厚さ、そして存在感は決して曲の長さによるものではなくて。
1曲、1曲の熱量、質量。あるいは密度。そんなものの熱さ、重さ、高さが生んでいるのか。
それ程に。1曲、1曲の。サウンド、歌声、そして歌詞と。その総てが圧し掛かってきます。
このアルバムはロスアンゼルスで録音されているのですが。カリフォルニアの青い空・・・
そんなものは微塵も感じられなくて。米国のスタジオの技術を駆使することによって。
カルメン・マキ&OZの持つ、そのスペックをフルに発揮、表現させようとしたのかなと。
その試みは功を奏して。カルメン・マキ&OZが規格外の存在であることを証明したと。
アルバム・タイトル、そして「閉ざされた町」の歌詞がそのイメージを増幅させるのか。
圧倒的な存在の前に、ひれ伏さざるを得ない様な。そんな重み、その息苦しさ。
しかしそれが、その重みが心に響き、そして臓腑を抉る様に忘れられないものを残していく。
それだけのアルバム、それだけの音楽、歌に出会えたことを感謝したくなるのです。
今も歌い続けているマキさん。その歌声の存在感は変わらぬどころか増すばかりで。
昨年ライヴで聴くことができた「閉ざされた町」は。今のこの時代、この社会だからこそ。
尚更に、その意味合いを増して鳴り響いている様に感じたのでした・・・

閉じられる。
閉じられてしまう。
その予感の。
高まりに。
立ち尽くさずにはいられない。

確かに。
いつからか。
否。
ある日から。
予感は確信に変わりつつあったのだが。

夕暮れ時。
一気に空を染める。
夕焼けの様に。
押しとどめる術もない無い力で。
閉じられていく。

閉じられる。
その扉の隙間から。
微かな希望が。
聞こえているうちに。
何とか止めなければと。

そう。
思い。
震え。
粟立ち。
それでも声にするのだが。

どうやら。
あまりにも。
この街は。この社会は。
群れ集う羊達は。
気づいてもいないらしい。それとも。

気づかない振り。
見ない振り。
聞こえない振り。
そいつが得策だと。
そんな思い違いが蔓延し。

扉を。
閉じようとするものに力を貸し。
扉が。
閉じる速度を加速させる。
その危うさ。その恐ろしさ。

そいつは。
巧みに。
隠されたのか。
愚かに。
隠そうとしているのか。

夕立は。
いつかは止む。
黒雲も。
いつかは消える。
けれども。

夕陽は。
いつかは沈む。
夕焼けも。
いつかは色を失う。
けれども。

閉ざされた扉。
そこからは。
光は二度と見えない。
希望は二度と届かない。
永遠に。

この街が。
この社会が。
崩れる。
壊れる。
その序曲が流れる中。

閉じられる。
街、社会。
そして。
閉じられる。
自由。

それを。
目の当たりにして。
慄き。
立ち尽くさずにはいられない。
閉じられる自由・・・



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2017/05/23 Tue *表でも裏でも / 内田裕也

20170523adogruns


表だろうと。
裏だろうと。
看板だろうと。
裏方だろうと。
変わらない。

求められるのなら。
例え。
限られた中でも。
やることをやる。
やれることはやる。

完成図など。
見えてはいなくても。
兎に角。
やり始める。
走り始める。

そう。
簡単ではない。
上手くいくものでもない。
そいつは。
覚悟の上。

どう考えても。
周囲には。
道程には。
味方は少なく。
敵はうようよ。

それでも。
求められるのなら。
これ幸いと。
やってしまうだけ。
走ってしまうだけ。

『A Dog Runs』'78年リリース。
内田裕也、ソロ名義としては初めてとなるアルバム。
日本ロック界のパイオニア、日本ロック界の首領、様々な二つ名がありますが。
ご本人も認めている様に、キャリアは長くてもヒット曲は無いと。
その実、ヒット曲どころか。ソロ名義のオリジナル・アルバムも2枚だけと。
その作品の少なさが、逆に内田裕也の何たるかを表しているのかもと。
実績も、実態も。何もないなどと揶揄されることも多いのですが。
ザ・タイガース、フラワー・トラベリン・バンド、キャロル、BORO等々。
数多くの人材を発掘し、世に出るきっかけを作った、世に出してきたのも事実です。
ナベプロとかミッキー・カーチスに攫われたりする事があったのも、らしいところで。
このアルバムに作品を提供している、参加している錚々たる顔ぶれの。
その豪華で、渋くて、凄味の効いているところ。そこに内田裕也の魅力があります。
ムッシュかまやつ、沢田研二、桑名正博、ジョニー大倉、内海利勝、近田春夫ときて。
ミッキー吉野、宇崎竜童・・・ジョニーはプロデュースとアレンジも担当しています。
(因みにジャケットやブックレットの写真はボブ・グルーエンの撮影によるものです)
さても豪華な神輿に乗ることのできるのは、乗る権利のあるのは内田裕也だけでしょう。
さて。どうにも歌に力が入ると自然にフラットしてしまうのが個性と言うか、癖と言うか。
決して歌が上手いとは言えない内田裕也。それはこのアルバムでも変わらないのですが。
それがジョニーのプロデュース、アレンジによる言わば、B級なロックンロール。
そいつにピッタリあって。何とも絶妙な乗りになっているのが面白くもご機嫌で。
その一方で「きめてやる今夜」「俺は最低な奴さ」等のバラードでは。その上ずった歌声が。
これまた絶妙な色気と凄味を感じさせて。歌が上手いだけでは決して出せないものがあり。
表でも裏でも。限られた中でも。走り続けてきた内田裕也ならではこそのロックンロールとなっているのです。

表だろうと。
裏だろうと。
神輿だろうと。
担ぎ手だろうと。
変わらない。

求められるのなら。
例え。
限られた道でも。
走るだけ走る。
走れる限り走る。

ゴールなど。
見えてはいなくても。
兎に角。
やり続ける
走り続ける。

そう。
単純ではない。
上手く転がるものでもない。
そいつは。
百も承知。

どう考えても。
前にも。
後ろにも。
味方は数えるほど。
敵は五万と満ちている。

それでも。
求められるのなら。
これを好機と。
やり続けてしまうだけ。
走り続けてしまうだけ。

そうさ。
俺の腕じゃ。
俺の頭じゃ。
やれることなど。
いけるとこなど。

限られている。
表でも。
裏でも。
どんなに。
足掻いたところで。

掌の上。
そこを。
走り回り。
転がされている。
そんなもの。

その上。
どいつも。
こいつも。
鵜の目鷹の目。
足を掬おうと虎視眈々。

それでも。
求められるのなら。
これ幸いと。
これを好機と。
やるだけ。走るだけ。

表でも。
裏でも。
担がれても。
担いでも。
限られた中で。

やれるだけ。
やるだけ。
走れるだけ。
走るだけ。
例え。堂々巡りだとしてもね。



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2017/05/22 Mon *その境地を / Flower Travellin' Band

20170522satori


そう。
簡単に。
達することが。
出来るのであれば。
苦労はしない。

そもそも。
我欲も。
煩悩も。
人一倍。
否、何倍か。

そのままに。
動くのが。
生きるのが。
楽かと言えば。
それも簡単ではなくて。

規律でも。
あるいは。
目標でも。
形式など。
何でもいいのだけれど。

何かを。
成し遂げる為に。
律して。
征して。
挑んでみる。

最も。
苦手とする。
望まない。
それはそうなのだが。
何かが見えてくるかもしれないと。

『Satori』'71年リリース。
フラワー・トラベリン・バンドの2枚目となるアルバム。
1枚目のアルバムをリリース後に活動拠点をカナダに移したフラワー・トラベリン・バンド。
カナダでの地道なライヴ活動が実を結んで。念願のワールド・ワイドな契約を手にして。
このアルバムはアトランティック・レコードからカナダ、そしてアメリカでもリリースに。
ここに至るまでのメンバー、そして首謀者にしてプロデューサーの内田裕也の苦労。
それは筆舌に難いものがあった様で。それだけに相当な気合が入ったアルバムとなったと。
その甲斐もあって。カナダでは見事にチャートにランク・インを果たしています。
ジョー山中、石間秀樹、上月ジュン、和田ジョージの4人のつわもの揃いのメンバー。
その思いの丈が、その超絶的な技量と共に披露されている、炸裂しているアルバムなのです。
しかしながら。はしゃぐでもなく、暴走するでもなく。毅然とした姿勢を貫いているところ。
アルバム・タイトルは悟りのもじりだと思いますが。そう悟りを開いたかの如くの。
全世界を相手にしても些かも慌てない、騒がない、ぶれないところ。
その上で。欧米のバンドと対等以上のサウンドで、堂々と殴り込んでいる、勝負をしている。
フラワー・トラベリン・バンドの凄味を嫌という程に感じさせられるのです。
当時、日本語ロック論争(?)みたいなものがあって。内田裕也は英語に拘っていて。
その為にフラワー・トラベリン・バンドを結成したとか言われていたらしいのですが。
拘っていたのは。英語ではなくて。欧米の、ワールド・ワイドのフィールドでの勝負かなと。
英語と言うのはその勝負の為の有効な武器の一つにしか過ぎなかったのだと。
結果として。ジョー・山中のヴォーカルも含めたサウンドの高い完成度とスケール。
それが世界レベルであり、何ら遜色なく通用することをこのアルバムが証明していると。
変に日本を売りにするでもなく、世界に媚びるでもなく。自然に高いレベルにあり。
そこに絶妙に和のテイストを忍ばせてもいる。その知能犯的なクールさには。
それこそ内田裕也とフラワー・トラベリン・バンドの悟りの境地を見る気すらしてしまうのです。

そう。
安易に。
達することが。
出来るのであれば。
面白くもない。

そもそも。
私意も。
雑念も。
人一倍。
否、どこまでか。

そのままに。
いくのが。
流されるのが。
楽しいかと言えば。
それほど単純ではなくて。

秩序でも。
あるいは。
成果でも。
形式など。
何でもいいのだけれど。

何かを。
手に入れる為に。
守って。
上げて。
挑んでみる。

最も。
不得手とする。
好まない。
それはそうなのだが。
何かが感じられるかもしれないと。

どこまで。
いけばいいのか。
どこまで。
やればいいのか。
そいつはわからないが。

偶には。
枷でも。
はめて。
縛りでも。
かけて。

その上で。
その条件下で。
どれだけ。
どこまで。
挑めるのか。

そんな。
不自由な。
勝負に。
打って出るのも。
悪くは無いかなと。

どこまで。
いけばいいのか。
どこまで。
やればいいのか。
そいつはわからないが。

最も。
苦手とする。
望まない。
不得手とする。
好まない。

そんな。
選択の結果。
道程の執着。
その境地を。
見てみたい、感じてみたいと。

まぁ、いつもの気まぐれではあるけれど。



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2017/05/21 Sun *よそ者 / RC サクセション

20170521blue


そうさ。
俺は。
よそ者さ。
あの時も。
そうだった。

だから。
そんなに。
期待も。
希望も。
抱いてなくて。

ただ。
紹介されたから。
美味い酒が飲めて。
ご機嫌なロックンロール。
そいつが聴ければ。

それで。
それだけで。
十分だと。
そう。
思っていたのさ。

だから。
そんなに。
親切とか。
優しさとか。
温かさとか。

いいのにと。
本当に。
そう思っていたのさ。
なのに。
なのに・・・さぁ。

『Blue』'81年リリース。
復活し、新編成となったRCサクセションとしては2枚目のスタジオ・アルバム。
前作にあたる『Please』のサウンドに、その仕上がりに満足がいかなかったらしく。
普段から利用していた練習スタジオに16トラックの機材を持ち込んで録音。
プロデュースもこのアルバムから自分達の手で手掛けることとなりました。
この時期のRCはもの凄い勢いで、加速度的に大ブレイクを成し遂げたこともあって。
その超過密なスケジュールの影響もあってか。新たなオリジナルを創る余裕も無くて。
殆どのナンバーが、例の暗黒時代も含めて過去のレパートリーに手を加えたものだったと。
中には古井戸のナンバー「飲んだくれジョニィ」を改作した「Johnny Blue」もあります。
尤も。それだけ精力的に活動していた、そのエネルギーの総てが注がれているので。
総てのナンバーが実に生き生きと輝き、何とも言えない瑞々しさと生々しさに溢れていて。
清志郎の歌も、チャボのギターも。バンドが叩き出すサウンドも。その総てが。
まさしく絶頂を迎えていたRCの、その姿が見事に捉えられているアルバムなのですよね。
「ロックンロール・ショー」から「あの娘のレター」まで。全8曲。そこに凝縮された。
RCのその魅力。その艶やかで、豊かで、尖がって、溢れ出し、滲み出るその魅力。
特に。どうしようもないもどかしさや、憧憬。そこにある切なさ。その胸に染む思い。
そこにこそ、清志郎の、RCの最大の魅力があったのだなと。改めて感じさせられるのです。
どんなに強面を装おうと、どんなに悪ぶろうと。その根底にある温かい優しさ。
それがあるからこそ。本気で怒り、本気で噛みつき、それを洒落てみせることもできると。
清志郎とRCのスケールの大きさ、懐の深さ。実に自然体で、生身のままで。そのままで。
よそ者だろうが。総てを受け容れ、総てを許し、総てに怒り、総てを愛し、総てを慈しむ。
それ故に。その不在が。今更ながらに。如何に重く、大きいかを思い知らされるアルバムでもあるのです。

そうさ。
俺は。
よそ者さ。
いまも。
変わりはしない。

だから。基本的には。
いまも。そこまでの。
期待も。
希望も。
抱いてなくて。

ただ。
今夜もまた。いつもの様に。
美味い酒が飲めて。
ご機嫌なロックンロール。
そいつが聴ければ。

それで。
それだけで。
幸せだと。
そう。
思っているのさ。

だから。
そんなさ。
縁とか。
絆とか。
繋がりとか。

いいのにと。
本当に。
そう思っているのさ。
なのに。
なのに・・・さぁ。

駄目だよなぁ。
あの時も。
今も。
あの夜も。
この夜も。

目に見えないのに。
繋がっている。
ずっと。
ずっと。
繋がっているのだもの。

あの時の。
あの夜の。
蒼さのまま。
そのままに。
そのままで。

そう。
最初から。
美味い酒と。
ご機嫌なロックンロール。
それだけじゃなかったのだ。

それで。
それだけで。
十分だと。
幸せだと。
思っていたのに。

ぶっきらぼうで。
手荒い。
親切とか。
優しさとか。
温かさとか。

なれなれしくない。
無骨な。
縁とか。
絆とか。
繋がりとか。

駄目だよなぁ。
あの時も。
今も。
あの夜も。
この夜も。

俺は。
よそ者。
それは変わらない。
なのに。
なのに・・・さぁ。

あの旗の下に、一緒にいたくなっちまうのさ。



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2017/04/03 Mon *波動 / ジョー山中&ザ・ウェイラーズ

20170403reggaevibration


目覚めたら。
両手を広げて。
胸いっぱいに。
空気を。
吸い込んで。

漂っているもの。
その中に。
浮かんでいるもの。
震えているもの。
そいつを感じて。

身と。
心が。
共振する。
共鳴する。
その時を待ってみる。

何かが。
響き。
何かが。
伝わり。
新生、再生。

さぁ。
また。
新たな一日を。
新たな生命を。
生きよう。

目覚め。
感じた。
波動が。
新しい世界を。
示してくれるのならば、覗きにいこう。

『Reggae Vibration』'82年リリース。
ジョー山中が初めてレゲエに挑んだアルバム。
名義はジョー山中&ザ・ウェイラーズで。そう、あのウェイラーズです。
あのバレット兄弟も、ジュニア・マーヴィンも参加していて。
あのタフ・ゴング・スタジオで録音されています。豪華と言うか本苦的と言うか。
ジョーのこのアルバムに賭ける意気込み、本気度が窺われます。
本格的にレゲエに取り組んだのはこのアルバムが初めてだったと思われるのですが。
元々、レゲエには関心があったのでしょうね。実に自然な歌声を聴かせてくれています。
そして。それを受け止める、受けて立つのが、ウェイラーズですからね。
臆することのないジョー、当たり前に、ごく自然に受け容れているウェイラーズ。
勿論、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとは異なる、別物なのですけど。
それはどちらが優れているとかではなくて。そんな比較には意味がなくて。
ジョーとウェイラーズの間に生まれた、新たな共振、共鳴・・・波動・・・生命。
そんなものの息吹、生々しく温かい息遣いが感じられる様なアルバムなのです。
因みに全曲、英語で歌われていますが。何の違和感も無くて。リズム感も含めて。
ジョーと言うのは、この時代に、それ以前からか世界スケールだったのだなと。
だからこそ。この時代にジャマイカに飛んで。タフ・ゴングでウェイラーズと。
そんな突飛と言うか、ある意味で無謀とも言える試みにも躊躇は無かったのだろうなと。
そう。35年前ですからね。実現させるに至る障壁は今とは比較にならなかっただろうし。
でも、それを。ものともせずに。気にもかけずに。やってしまう。
そこには。やはり新たな共振、共鳴、波動、生命。そんなものに対する、飽くなき希求。
そして、その希求、欲求を自然のものとして受け容れられる大きさがあったのだろうなと。

眠りにつく前。
両手で抱きしめて。
胸いっぱいの。
空気を。
抱きしめて。

漂っていたもの。
その中に。
浮かんでいたもの。
震えていたもの。
そいつを思い出して。

身と。
心が。
共振した。
共鳴した。
その時を思ってみる。

何かが。
響いた。
何かが。
伝わってきた。
新生し、再生した。

そう。
また。
新たな一日を。
新たな生命を。
生きられた。

目覚め。
感じた。
波動が。
示してくれた。
新しい世界を、覗いたのだ。

漂う空気の中。
浮いている。
震えている。
何ものかを。
感じよう。

恐れずに。
躊躇わずに。
両手を広げて。
吸い込んで。
感じよう。

身も。
心も。
開いて。
共振するもの。
共鳴するもの。

そんなものが。
そうだと感じられるものが。
あるならば。
その中へと。
踏み出して。身を投げて。

響き。
伝わり。
そして。
響かせ。
伝え。

新生、再生。
新たな一日。
新たな生命。
そう。
それを生きよう。

目覚め。
感じた。
波動が。
新しい可能性を。
示してくれるのならば、覗きにいこう。

目覚め。
感じた。
新しい可能性。
それを示してくれた。
波動と共に、生きていこう。



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2017/04/02 Sun *辺土の中 / ザ・ルースターズ

20170402insane


深く。
澱んだ。
辺土の中に。
埋もれ。
沈んだ様な。

そんな。
絶望とも。
諦念とも。
言える様な。
言い難い様な。

そんな。
空気に。
囚われて。
閉じ込められて。
ただ見送るだけ。

なんとか。
普段と同じ。
仮面を被って。
装いの中で。
過ごしてはいるけれど。

深く。
静かな。
狂気が。
どんどんと。
浸食して。

景色は。
徐々に。
輝きと色を。
失い。
モノクロームへと姿を変える。

『Insane』'81年リリース。
ザ・ルースターズの3枚目となるアルバム。
初めて総てのナンバーがオリジナルで占められて。
日本語詞のナンバーは2曲だけで。インストも1曲含んで。
全部で7曲。収録時間も短く。それが故か当時定価が2千円だったと言う。
別に曲数とか、収録時間に対価を払うわけではないのですけどね。
時期的に『爆裂都市』への出演とかサントラ盤も録音も行われていた頃の筈で。
そんな中で制作されたので。1stアルバムの没テイクに手を加えたものもあるのかな。
既に。このアルバムで大きな転換期を迎えたのだろうなと感じされられるアルバムで。
A面頭の「Let's Rock (Dan Dan)」こそ、従来通りのロックンロールなナンバーですが。
曲調、サウンドとも幅が広がり多彩になり。キーボードが目立つナンバーも増えてと。
なのに。何故か。急激に褪色が始まって。モノクロームの世界へと向かっている。
そんな印象が強く残るのですよね。特にB面の2曲にはその感が強いかな。
これはやはり。その旺盛な創作意欲や活動の裏側で。大江愼也に訪れていた変化。
それが既に表出してきていたと言うことになるのかな。狂気の一言で片づけたくはなく。
またそれが総てとも思いませんが。「Case Of Insanity」「In Deep Grief」には。
明らかに。どこか異なる世界を覗こうとしている、あるいは覗いてしまった。
そんな空気、そんな匂いを感じてしまうのですよね。どうなのかな。
病んでいると言えば、総ての人間が病んでいると思うのですが。
ある境界、あるライン。その先を見てしまう、感じてしまう人間と。止まる人間はいて。
悲しみ、悲嘆にしろ。絶望にしろ、諦念にしろ。見ないと、感じないといられない。
一時的にしろ、その辺土の中でしか生きられない人間と言うのも存在するのだろうと。
そして。その辺土からの表現故の魅力と言うものも確かにあるのだと思うのです。

深く。
澱んだ。
辺土の中に。
埋もれ。
沈んだ様な。

そんな。
絶望とも。
諦念とも。
言える様な。
言い難い様な。

そんな。
匂いに。
誘われて。
閉じ込められて。
ただ見送るだけ。

なんとか。
普段と同じ。
芝居を続けて。
装いの中で。
過ごしてはいるけれど。

深く。
静かな。
狂気が。
どんどんと。
浸食して。

心象は。
徐々に。
輝きと色を。
失い。
モノクロームへと姿を変える。

おかしいのは。
狂っているのは。
自分なのか。
世界なのか。
それとも、どちらも、か。

受け容れないのは。
撥ねつけているのは。
自分なのか。
世界なのか。
それとも、どちらも、か。

絶望とも。
諦念とも。
言えば言える。
そして言い難い。
その。

空気。
匂い。
それに囚われ。
それに誘われ。
閉じ込められた。

深く。
澱んだ。
辺土の中に。
埋もれ。
沈んだまま。

深く。
静かな。
狂気に。
どんどんと。
浸食されて。

景色も。心象も。
徐々に。
輝きと色を。
失い。
モノクロームへと姿を変えた。

その。
辺土の中から。
何を語ろう。
何を見せよう。
何を発しよう。



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